* 1 *
とりたててすることもない時、オレはふらりとパチンコ屋に行ったりする。
まだパチンコやっていい年齢に到達していないのは重々承知なんだけど、そこはまあ内緒ということで。
初めてホールに入ったのは、2年前かな。当時はまだ中学生だった。
ひとまわり歳の離れたいとこの姉さん──名前を亜由という──に連れていってもらったのがデビューだった。
それ以来、ときどき遊びにいったりしている。
ひとりで行くときは、もっぱらパチンコ羽根モノでのんびり遊ぶ。
だが、亜由姉さんと一緒のときは──資金協力を仰いでのパチスロ勝負ができたりするのでとても楽しいのだ。
今日は暇だし、たまには息抜きしようかなと思っていた矢先、タイミングよく亜由姉さんから電話がきた。
「あ、もしもし、ハヤト? 今なにしてる?」
「べつに何も」
「あら、そう。ね、今日ちょっと付き合わない?」
「うん、いいよ。オレ暇だし」
「それじゃ昼にそっちに行くね。駅で待ちあわせでいい?」
「OK。じゃそのころに」
軽く約束をしたところで電話を切った。──と思ったら、またコール音が鳴る。
「もしもし?」
「ハヤト、言い忘れたんだけど、バイクで来てくれる?」
「単車で? いいけど」
「んじゃ、よろしくね」
亜由姉さんにしては珍しいこと言うな、と思う。
いったいどこの店に行く気なんだろうな。
とにかく、女性を乗せるんだし──と、オレはふたつヘルメットを用意した。
約束の時間、約束の場所にオレは単車で駆けつけた。
「オス、ハヤト」
「おう」
すでに待っていた亜由姉さんは、軽く手を挙げてこっちに駆けてくる。真夏なのに長袖シャツにブーツカットジーンズのいでたちだ。大きめのリュックを背負っている。
「で、どこの店に行けばいい?」
オレはメットを手渡しながら訊く──今日はオレもちゃんとメット着用だ。
「店? 何の?」
「何の、って──打ちに行くんじゃないの?」
「ああ、そっちのことか。悪い、それちょっと後回し」
「え?」
亜由姉さんは髪の毛を気にしながらメットをかぶる。
「ね、このへんどっかバイク停めておいて平気なとこ、ない?」
「駐輪場のこと?」
「ううん、そうじゃない。バイク停めて、それをあたしがデッサンできるとこ。外でもいいから、なるべく人がいないところがいいんだけど。集中したいから」
「はい?」
「なんか妙な仕事受けちゃってさ。あんたのみたいなバイク描け、って」
「なるほど、そういうことか」
亜由姉さんは絵を描くのを生業としているのだ。本の挿し絵なんかを描く仕事。
そういうことなら、と、オレは亜由姉さんをリアに乗せて学校まで走った。
「そうかそうか。夏休みだもんね。さすがに静かだわ、不良学校も」
リアの亜由姉さんを校門の前で降ろして、オレは単車を押して中へ入れる。
「まあね。今日あたり、いるのは運動部くらいだし」
なるべく日陰で風通しのいいところを選んで──青葉の茂る桜の木陰に決めた──単車を停めた。女性は日やけを気にするから。
「ここでいい?」
「うん、上等。ありがと」
にこりと笑って、亜由姉さんはリュックからスケッチブックを取り出して、さっそく作業にとりかかった。
「描くんだったらウチに来ればよかったのに」
「そうもできないよ。だってお客さん来るでしょ? 店先で絵なんか描けないってば。ストリート画家じゃあるまいし」
「それもそうか。でもさ、オレ今日は打ちに行きたかったな」
画用紙の上に軽いタッチで鉛筆を滑らせている亜由姉さんに向かって呟いた。
「はいはい、あとでね」
「オレさ、あれ打ってみたいんだよね。『押忍! 番長』ってやつ」
「あ〜、もう、黙ってなさいってば」
「わかったよ、もう。相変わらず亜由姉さんはそういうキャラだな」
「──どういう意味?」
タレ目を必死につり上げて、亜由姉さんはオレを睨んだ。
仕方ないので、オレはおとなしく亜由姉さんの横の芝生に寝っ転がって、作業が終わるのを待つことにした。
これが終わったら、きっと亜由姉さんにパチスロおごってもらおう、と勝手に思い決めて満足した。
陽射しは強いものの、梢をわたる風はさわやかなもんだ。
桜の木の下って、なんだか甘い匂いがするんだな、なんて考えながら、俺は暇つぶしに四つ葉のクローバーなんかを探してみることにした。
* 2 *
「おお、リュウジの相棒さんじゃないか」
「あ、森園主将──練習か?」
「いかにも」
亜由姉さんの作業が終わるのを待っていると、ランニング中の野球部員たちに挨拶された。
「精が出るね。暑いけどがんばってくれよな」
「無論だ。では、あらためて行くぞ、諸君!!!」
「おおう!!!」
気合い充分の野球部を見送りながら、亜由姉さんは手を止めて、不思議そうに言う。
「ふうん。あんたにスポーツマンの友達なんかいたんだ。意外」
「意外──って、そうかな?」
「そうよ。あんたの友達って言ったらリュウジみたいのしか思いつかないもん」
「さようですか」
亜由姉さんは、リュウジを妙に気に入っているらしい。ちょうど去年の今ごろ、偶然リュウジと一緒にいるときに街で遭遇したのが出会いだった。
対するリュウジのほうは──やけに亜由姉さんを怖れている。
まあ、リュウジは全般的に女性に弱いほうなんだけどね。
「ねえ、ところでリュウジは今日何してるか知らない?」
スケッチブックをめくって、3枚目にとりかかりながら亜由姉さんが訊いた。
「リュウジ? さあ。今日は約束してないからな。家にいるかもね」
「ハヤト、ちょっとリュウジを呼んできてくれない? あいつにも頼みたいことがあるのよね」
「え?」
こういうのが亜由姉さんらしいところ。一方的なのに、どうせオレにはさからう術なんかないのだ。きっとリュウジを怖れさすのはこの辺なんだろうな。
「OK、了解。じゃあちょっと待ってて。呼んでくる」
しかたなくリュウジを呼びに行こう、と単車のエンジンをかけようとしたが──
「あ〜〜〜、ダメ!!! 動かさないでよ」
──はいはい、オレは歩いて行って来ますよ。
家まで行ってみると、リュウジは店で仕込みの手伝いをしていた。ちょうどお昼時の営業が終わったところみたいだ。
「オス、リュウジ」
「おお、ハヤトか。どうした? 上がってくか?」
「いや。リュウジ、ちょっと出られるか?」
「おう、ちょっと待ってくれな。これ包み終わるまで」
リュウジは餃子のタネを皮にくるむ作業をしていた。さすがに手つきは鮮やかだ。
そして、しばらくの後、オレはリュウジと肩を並べて道を戻りはじめた。
「学校? どうしてだ?」
「うん──リュウジに用があるって人が待ってるんだ」
「誰だよ?」
「ええと……知りたい?」
「当然」
ちょっと迷って、オレは答えた。
「亜由姉さんだよ」
「ええっ、本当かよ!!! 悪いなハヤト、俺は急病だぜ」
あからさまにリュウジは逃げようとした。
「リュウジ、待てよ。ここで逃げるのは得策じゃないと思う。あとがもっと怖いぜ?」
「そうか──そうだよな」
観念したという面持ちで、リュウジは歩むスピードを落としたものの同行してくれた。
やれやれ、オレもあとが怖いぜ。事と次第によっては、リュウジからあとで何を言われることか。不安この上ない。
学校に着いてみると、ひととおり単車のスケッチは終わったらしい亜由姉さんがオレたちを待っていた。
「ただいま」
「おかえり。わざわざ悪いね、リュウジ」
「お──おう。久しぶり」
すこしたじろぎながら、リュウジは右手を挙げて亜由姉さんに挨拶した。
オレは途中で買ってきたジュースを亜由姉さんとリュウジに渡しながら訊く。
「それで? リュウジに用って何なの?」
「うん。あのね、リュウジ。服、脱いでくれない?」
「何ぃぃぃ?」
思いも寄らぬ依頼にうろたえるリュウジ──そして言葉もなく見守るオレ。
「筋肉の付き方を研究したいのよ」
とくに不自然な提案とも思っていないらしい口調の亜由姉さんが応えた。
「なんかね、格闘シーンも描かないといけないらしくてさ。もちろん写真の資料は持っていないこともないんだけど、やっぱりリアルは違うでしょ?」
「ああ、そういうことなんだ」
「ハヤト、納得? そういうことだから、リュウジ。頼まれてよう」
亜由姉さんはリュウジに向かって両手を合わせた。
「お──俺は無闇に裸になんかなれねえよ」
かわいそうに、リュウジはオレに助けを求める視線を投げて寄越す。
「ま〜た、そんなこと言っちゃって。どうせあんたがしょっちゅう、ボタンもとめずに着てる特攻服の中は裸みたいなもんでしょ? 何を今さら」
「うう──」
リュウジは言葉を詰まらせた。
そして、やはり亜由姉さんには敵わないと観念したか、リュウジはおもむろにシャツを脱いだ。
「これで……いいのか?」
「うわ〜、やっぱり違うね。写真とは。うん、いい感じ。ね、リュウジ、力こぶ出る?」
「おう。こんなもんか?」
「いいね、いいね。じゃあそのままポーズとってみて」
「こんな感じか?」
「うんうん。さすがいい腹筋だわ。肩もすごいや。思った通り。リュウジに頼んで正解だわ」
「え──そうか?」
褒め言葉を巧みに織り交ぜつつ、亜由姉さんはリュウジの体つきを次々とスケッチブックに書き付けはじめた。
最初はかなり嫌がっていたリュウジだったが、亜由姉さんがよほどのせ上手らしく、だんだんその気になってきたらしい。文句も言わずにいろいろポーズをとっている。
鍛え上げられたリュウジの筋肉は、オレから見ても確かに絵になると思った。
* 3 *
しばらくの間、モデルのリュウジは、亜由姉さんの指示に従って動きを変えたりしていた。
「よかったあ、助かるよ、リュウジ。ハヤトじゃこんなにいい体してないもん。きっと」
「そりゃ、なあ。鍛える方向が違うもんな。俺とハヤトじゃ」
「まあね」
最初こそ嫌々だったリュウジも、よほどのせられたらしく結構な上機嫌だった。
「ほんと言うとさ、誰かと取っ組み合ってほしいんだけどな」
「ええ?」
「リアル格闘シーンをね、ポーズでいいから見たかったの。でも、やっぱりハヤトじゃな。ちょっと違うもんね。いいや、あとは何とかする。ありがとね、リュウジ」
そう言って、亜由姉さんはスケッチブックを閉じた。それが仕事終了の合図だった。
「そういえば、さっきハヤトがリュウジを呼びに行ってるときね」
リュウジがシャツを着るのを待ちながら、亜由姉さんが思いだしたように話す。
「いかにも悪そうな男の子2人連れが、そこのフェンスの外からあたしを呼んだの。『そのバイクの持ち主は?』って。友達呼びに行ってるって答えたらさ、うなずいてどっか行っちゃった。あの子たちはあんたたちの友達なのかな?」
「ダイゴとノブオか? でも、あいつらだったら俺らを待ってるか」
「だね。それに、ダイゴは家が忙しい時期だろうし」
「そういやノブオは家族旅行だっけか?」
「亜由姉さん、それ、どんな奴らだった?」
「なんかね、紫色の髪の背の大きい子と、スキンヘッドの細い子だったな。あたしに声かけてきたのはスキンヘッドのほうね」
それを聞いて、リュウジとオレは納得した。
「それって──リュウジ」
「ああ、あいつらだな」
コウヘイとハンゾウに違いない。
ハンゾウは、ここ数日オレを探しているようなのだ。夏休み前に一度単車勝負をしたのだが、決着がつかなかった。白黒つけたいようなことを言ってた、とどこで聞きつけてきたのかノブオに教えられた。
「あの紫色の髪の子もいい体してそうだったよね。リュウジとの格闘シーン、是非描きたかったよ」
「亜由姉ちゃん、そんな物騒なこと言うもんじゃねえ。俺とコウヘイが組み合ったらポーズなんかじゃ済まねえぜ」
一段トーンを低めた声で、リュウジは言った。
「あら、そうだったの? しまったな、あたし言っちゃったよ。あんたリュウジと喧嘩してみない、って。そしたらさ、うっすら笑ってたよ。紫色の子」
「おいおい──亜由姉さん。あんまり洒落になってないんだけどな」
「まったくだ」
事情を知る由もない亜由姉さんは、誰より剛胆に思えた。さすがにひとまわりの歳の差ってもんなんだろうか。
「さてと、行こうか。ハヤト」
リュックにスケッチブックをしまい終わると、亜由姉さんが言った。
「ん? お前らどっか行くのか?」
「あ──ああ」
言われて、オレは思い出した。亜由姉さんとの約束のことを。
「うん。ハヤトとパチスロ行く約束なのよ」
「何だと? パチスロ?」
リュウジは眉間にしわを寄せてオレを見る。
「リュウジも一緒に行く? モデル料として少しならおごるよ?」
「あ、ちょっと、亜由姉……」
「って、行くわけねえだろ!!! 俺たちまだ高校生だぞ? そんなとこに誘うなや!!!」
「あらま──意外。リュウジって案外堅いんだね」
「堅いとか柔らかいとか、そういうことじゃねえだろ!!!」
ヤバい──リュウジが怒ってる。リュウジはオレがパチンコ屋に出入りしているなんて知らないのだ。
「ハヤト、お前そんなとこ行かねえよな? え?」
「……ああ」
「って、ハヤト? あんた打ちたいって言ってたじゃないよ?」
リュウジと亜由姉さんという2つの大いなる個性に挟まれて、オレは実際たじろいでいた。
「え〜と、亜由姉さん、それはまた今度」
リュウジになるべく聞こえないように、オレは亜由姉さんに耳打ちした。多分聞こえたんだろうけど、リュウジは無言で腕組みしていた。
どう考えたって、オレはリュウジには逆らえないんだ。
まあ、亜由姉さんに逆らうのも同じくらい恐ろしいことかもしれないけれど──それでも、オレはどうしてもリュウジを優先すべきだと本能的に感じていた。
辛い板挟みだなあ、オレ。
結局、今日のところは単車で亜由姉さんを駅まで送ってから、ふたたびリュウジと合流した。
「まったくお前ときたら、ほっとくと何しでかすかわかんねえのな。賭事なんかする暇あったら実際の勝負のこととか考えとけや。な?」
「はい──ごもっともです」
「ってことで、当分ハヤトは俺が監視するからそのつもりでな」
「オス……」
「なんだ、その声は!!! 気合い入れてけや、ハヤト!!!」
「押忍っ!!!」
あ〜あ、皮肉なことにしばらくお預けだよ。『押忍! 番長』。
* 4 *
亜由姉さんがオレの単車とリュウジをスケッチした、その翌日のこと。
夜も近くなった夕方、ふたたび亜由姉さんと会うことになった。
今から1時間ほど前、亜由姉さんから電話がきた。
たまたまウチの店にリュウジがオイル交換をしに単車で来ていたのを知って、亜由姉さんはこれ幸いとリュウジを引き留めた。今から行くから、そのまま待っていてね、と。
そして、今日はつなぎ服で亜由姉さんは店に現れた。
親父と母ちゃんに挨拶してから、店先に置いてあった、オレが昨日貸してあげたメットを装着し始めた。
「今度はさ、もうちょっと長いことリアに乗せてほしいのよ。しばらく走ってみてよ。あ、リュウジも一緒に走ってくれるでしょ?」
「オレはいいけど──どうする? リュウジ」
「まあ、どうせこれからひとっ走りと思っていたとこだし」
リュウジは首をかしげて亜由姉さんを見ていた。
「なあ、亜由姉ちゃん」
「何? リュウジ」
「昨日から思ってたんだが、一体どんな仕事をしてるんだ?」
「どんな、って、しがない絵描きだけど?」
「それは知ってるけどよ」
「まあまあ、細かいこと言わないの。男の子なんだから。さて、ハヤト。行こうか」
「ああ──了解」
そして、相も変わらず言いなりのオレたちは、国道4649号線を目指して走り出したのだ。
海沿いの国道は、夏の時期ということもあって夜も浅いうちはずいぶんと混んでいる。
オレたちは走り始めたものの、車の数が多すぎてすり抜けすらままならない。
「ちょっと時間が早かったみだいだな」
「そうだな、ハヤト。こんなんじゃちっともカッ飛べねえよな」
「一旦戻って出直そうか? 亜由姉さん、どうする?」
「あたしはどっちでもいいけど。あ、それじゃご飯でも食べながら時間つぶそうか。昨日のお礼、まだしてなかったし」
前方に見えるファミレスの看板を指さして、亜由姉さんはこう言った。
「おお、亜由姉ちゃん、それ名案だぜ!!!」
「リュウジは賛成? OK、じゃあそれで行こう」
そんな決定に従って、オレたちは車の脇をなんとかすり抜けて、港の近くにあるファミレスに単車をつけたのだ。
「え〜と、俺はオムライスと、たらこのスパゲティと、春巻と枝豆と、それからいちご牛乳」
席に着くなりメニューと真剣ににらめっこをしていた、リュウジのオーダーがそれらだった。
「何よあんた、そのめちゃくちゃな頼み方は?」
「いいじゃねえかよ。好きなんだから。ハヤトは?」
「オレは……ビーフシチューのセットで。パンにしてください。あとアイスコーヒー」
「あたしは、そうだな、和風ハンバーグ膳。ウーロン茶つけてもらおうかな」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
そう言ってウエイトレスさんはにこやかに立ち去る。
「リュウジ、あんなに頼んで残したら承知しないよ?」
苦笑まじりに亜由姉さんが言った。
「残すわけねえだろ!! 俺は食い物を粗末にする奴は認めねえぜ」
「よし、それなら納得。あたしも箸をつけたら残さない主義」
この件で、リュウジと亜由姉さんに妙な仲間意識が芽生えたようだ。
そうこうしているうちに料理が運ばれてくる。
「あれ、ちょっとご飯多いかも。リュウジ、お皿貸して」
「ははは、食べきれないんだ。亜由姉さん」
「うん。だから、箸をつける前に取り分ければいいじゃない。ね、リュウジ?」
「その通り。亜由姉ちゃん、見直したぜ」
満足そうに言って、リュウジは春巻の載った皿を亜由姉さんに手渡した。
「って、リュウジこそそんなに食える?」
「当然!! 俺の胃袋は天下無敵だぜ!!!」
「……見上げたもんだな」
にぎやかに、なるべくゆっくりと夕飯をご馳走になったオレたちが会計を済ませたころ──もちろん総額亜由姉さんのおごりだった──、国道の混雑はだいぶ緩和されてきていた。
「うん。空いてきたな、道」
「さて、そろそろ飛ばしてくか!!!」
単車にキーを差しながら、リュウジはそう言ったのだけれど。
「ね、あそこって港? ちょっと寄ってみてもいい?」
ほんの思いつき、とでもいった口調で亜由姉さんが切り出した。
「別に構わねえけど、こんな時間に行っても何も面白いことなんかねえぞ?」
「いいのいいの。ちょっと海の近くに行ってみたいだけ」
オレの単車のリアに乗り込みながら、亜由姉さんは重ねて言う。
「それならあとで浜へ下りればいいんじゃない?」
「え〜、夏の夜の砂浜なんてカップルとかばっかりじゃない。いいの、あたし海の男のロマンの香りを嗅いでみたいのよ」
リュウジとオレは、視線を合わせて肩をすくめた。
やれやれ、気ままな亜由姉ちゃんにはどうしても敵わないぜ──しょうがないね、寄り道するか──一瞬目顔で語り合って、オレたちは港へ向けてハンドルを切った。
その亜由姉さんのほんの思いつきってやつが元凶なのだ。それは今日に始まったことではない。
どんなに彼女がトラブルメーカーであるか、をオレたちが理解したのは、わずか数分後のことだった。
* 5 *
元をただすなら昨日、鬼浜工業高校の校庭で、オレとリュウジが戻る前に亜由姉さんがあいつらと遭遇してしまったことが元凶だったらしい。
亜由姉さんにせがまれて、リュウジとオレは単車を並べて港へと向かった。港の入り口の道路沿いに単車を停めると、亜由姉さんは嬉々として小走りに港の突端へと進んでいった。
人気もなく、ろくに灯りもない、海に向かってせり出しているコンクリートの道の行き止まり。ちいさな釣り船がいくつか停泊している。
「わ〜、いいね。潮の香り」
海風に髪をなびかせながら、亜由姉さんが満足そうに言った。
「そうか? 俺らは嗅ぎ慣れてるからどうってことないけどな、ハヤト?」
「まあね。でもオレも好きだな、海の匂いは。なんか落ち着く」
なんて、暗い中で波の音を聞いていた。
と──急に爆音が波の音を掻き消した。
同時に暗がりに差し込んだ、強い灯りがオレたちの顔を照らし出す。
「あれ、誰か来たね」
亜由姉さんは気楽な口調で言ったのだが──リュウジとオレは咄嗟に身構えた。
聞いたことのある、改造マフラーの奏でる爆音。見たことのある、デコレーションを施した車体のシルエット。
「ほう、招かれざる客がおいでなすったな」
「まったくだ」
「誰なの? 知り合い?」
音と灯りのほうを見ていると、思った通りの単車の姿がふたつ、オレたちの前にくっきりと輪郭を現した。
「こんなところにいようとはな」
エンジンをかけたまま単車をオレたちの前に停め、コウヘイが不敵な笑いを浮かべて言った。併走してきたハンゾウもそれに倣う。
「ふん、俺らがどこにいたって関係ねえだろ」
「そう吠えるな、リュウジよ。今日は貴様に用はねえ」
応えながらつと目線をずらし、コウヘイは亜由姉さんを認めた。
「ほう、きのうの姉さんじゃねえか」
「あら、どうもこんばんは」
亜由姉さんは──肝が据わっているというか、ごく普通に顔見知りにするかのような返事をする。
「なあ、姉さん」
「なあに?」
「姉さん、昨日俺とリュウジの勝負を見てみたいって言っていたよな?」
「ええ、言ったわよ。仕事で使う資料としてね」
「お、おい、亜由姉ちゃん」
大胆不敵な亜由姉さんの言葉をリュウジが遮ろうとする。コウヘイはリュウジと亜由姉さんを交互に見ていた。
「コウヘイ、今日はリュウジには用はないんじゃないのか?」
仕方なく、オレは3人の間に割って入った。
「今日はハンゾウがオレに用事なんだろ?」
見やるとハンゾウは、コウヘイの横で黙ったままオレを凝視している。
数日前からハンゾウがオレを探していたこと──オレに単車勝負を仕掛けたくてうずうずしているらしいことをオレは知っていた。
「だったらリュウジも亜由姉さんも関係ない。因縁つけるなよ」
「貴様は黙れ。貴様の相手は俺ではない」
「その通り。俺が相手だ、ハヤト」
一歩前に出て、ハンゾウは顎を上向けてオレを挑発する。
「とは言え、客がおいでならばおのずと話も違うよなあ、リュウジよ」
「────」
どうしたものか、との逡巡からか、リュウジは何も答えない。
リュウジに取って代わるように、オレは言った。
「とにかくオレは受けて立つぜ、ハンゾウ。それでいいだろ?」
「望むところだ。総帥、お先に失礼」
「おお、存分に闘って来い、ハンゾウ」
コウヘイとハンゾウが頷きあった。そして、思いついたようにコウヘイは口を切る。
「そうだな、この勝負、うちのハンゾウが勝ったら第2試合は俺の好きにさせてもらおうか?」
「好きなように、とは?」
オレはコウヘイに聞き返す。
「俺が望むのは常に闘いだ。よって、俺はリュウジと一戦交えることにする」
ああ、なんという展開だろう。オレは闘いの予感で数日を過ごしてきたが、少なくともリュウジのほうはそんなつもりではなかったはず──亜由姉さんは一体どんな星の許に生を受けたのか。
「じゃあ、オレが勝ったらどうする?」
「その時は、リュウジが好きなようにするさ。もっともそっちの姉さんの希望もあれば、多数決じゃねえのか、え、リュウジ?」
「ふん、無意味に闘って勝ったって俺はうれしくねえな」
「では、姉さんは?」
「あたしは──ハヤトが負けるわけないって思うよ」
「OK、オレは負けねえさ」
そしてオレは、リュウジと亜由姉さんに親指を立てて見せながら、肩で風を切るようにして単車まで戻った。
後ろからハンゾウが、単車を転がしてついてくる。
闘いの気概に満ちたオレの背中を、リュウジの魂と亜由姉さんの激励が追ってきた。
「ハヤト!!! ここは俺が守る。だからお前は勝負のことだけ考えて集中しろや!!!」
「あんた、怪我すんじゃないわよ。男の子だもん、決めるところは決めてよね」
それへオレは振り向かないまま、手だけ振って応えたのだ。
オレに任せておいてくれ──と。
海からの風が、リュウジの平手の代わりにオレの頬に気合いを入れてくれていた。
* 6 *
スタート地点は港の入り口──オレとリュウジが単車を停めていた場所だ。
ここから始まる今夜のオレとハンゾウの単車勝負のルートは、国道4649号線を北上して、鬼川を過ぎたところで鬼浜町に入る。商店街を抜けて、鬼浜工業高校の裏手を回ってふたたび国道へ。南下してスタート地点まで戻り、最後の直線走行。そしてゴールラインは港の行き止まりということになった。
時刻はそろそろ21時。国道の混雑もなくなったので、オレたちは頻繁にすり抜けをしたりせずに勝負できるだろう。
もっとも、ときどきすり抜けをしないとならない状況のほうが、技術にモノを言わせた走りができるということもあるのだが。
「それじゃ行こうか」
2台のエンジン音が絡み合うように響く中、オレはハンゾウに声をかける。
「ああ。俺はこの瞬間を待っていた」
応えたハンゾウの目は、すでに遠く前方を見据えていた。
どちらの声も冷静を装っていたが、最大の好敵手との闘いを控えて、本当の気持ちは熱く滾っているはずだ。少なくともオレはそう。
スタートの合図はコウヘイだ。
「用意はいいな」
無言で頷くオレとハンゾウ。コウヘイの隣りにはリュウジ、さらにリュウジの後ろに亜由姉さん──リュウジが亜由姉さんを背後にかばうような素振りを先程から見せている。さすがに頼もしいのでオレも安心だ。
コウヘイが愛用の木刀を振りかざす。
「Ready──Go!!!」
そして──勝負が始まった。
スタートから先行したのはハンゾウだった。
好機があればいつでも抜けるように、ぴったりとハンゾウのすぐ後ろにつけて、オレもアクセルをふかす。
途中、信号の変わり目で振り切られそうになるも、巧いこと加速が決まってなんとかセーフだ。
夏の海沿いの国道は、思ったよりも交通量があった。本当は勝負をするにはもう少し遅い時間のほうがよかったのかもしれない。
軽自動車が数台連なっているのを見据え、オレは車線の内側へ回って追い越しをかけた。
ここで車線外側のハンゾウと並んだ。
その先は折良く信号が青に変わったばかりだったので、しばらく先まで車はまばら。オレはここぞとさらに加速する。
当然ハンゾウも同じで、並んで疾走するオレたち2台は、間に火花を散らすかのごとく国道を行く。
爆音の中での無言の闘い──そんな緊張感がオレは好きだ。背筋がぞくぞくするほどに。
現在のところ、勝負は完全に互角。
抜きつ抜かれつの熾烈な場所取りを繰り返しながら、オレとハンゾウは鬼川を渡る。
鬼浜町に入るために左折したところでオレは勝負に出た。
最大限にスピードを保ちつつ角を曲がることに成功したオレは、ついにハンゾウに対して車体1台分のリードを得た。
夜の商店街は人気がなく、速度を稼ぐにはお誂え向きだ。
路駐の車をうざったいなと思いながら、オレはひたすらマシンと一体化する。
すぐ後ろに迫ってきているハンゾウの息づかいが聞こえるような錯覚に陥りながら、鬼工の裏手を駆け抜ける。
そして、ふたたび国道へ。
さっきオレが仕掛けたのと逆に、背後から迫ってくるハンゾウに先行を許す羽目になる。
奴の背中がオレを見ている。
抜かれたら抜かれたで、オレの闘志はより盛り上がる。
今度は行かせやしない、とすかさず前に出て、ハンゾウのコースをふさぐように寄せていく。
まばらな台数の車をうまくあしらいながらの、オレとハンゾウの熾烈なぶつかり合い。
ぶつけ合うのは『最速』の意地と──『特攻隊長』のプライドだ。
だから、どっちも引くわけがない。
オレは、オレ自身のために走っているのではない。
鬼浜爆走愚連隊の特攻隊長として──リュウジの脇を固めるひとりとして、時には危険をも省みずに走る。おのれ自身のすべてを賭して。
そしてそれはおそらく、ハンゾウも同じだと思う。
以前に、初めてハンゾウと勝負をしたのは『個人』としてのことだった。
その時から幾歳月。互いにチームの特攻隊長を任されるようになってからのオレとハンゾウの勝負は、昔とは魂の入り方が違う──オレはそう感じている。
いよいよ勝負は大詰めだ。
さっきリュウジと亜由姉さんと共に食事をしたファミレスの前を通り過ぎた。
オレは先行を許すまいと車体をハンゾウに寄せ、ハンゾウはタイミングをはかってすり抜けようとし──
ついに勝負は最後の直線まで縺れ込んだ。
最後の角を曲がって、同時にスパートを掛ける体勢に入ったオレとハンゾウは、もう互いに邪魔だてすることもせずに、決死のストレート勝負にすべてを賭ける。
ゴールまであと200m。港の突端でオレとハンゾウを待つ3人の姿が見えた。
あとはもう、まっすぐ前を見て駆け抜けるのみ。
オレの背後に風神様が降りていらっしゃるのをオレは祈って──息もつかずにエンジンにすべてを託したのだった。
* 7 *
オレとハンゾウの自尊心を賭けた単車勝負の結果は、体感的にはほぼ同着だった。
どちらが勝利を得たのかは、行方を見ていた3人に委ねられるのだが──
単車を停めたオレとハンゾウが見たものは、両手を祈るように合わせたままの亜由姉さんの顔、ガッツポーズのリュウジ、そして──
「ハンゾウよ、次は負けるんじゃねえぞ」
いかなる勝負の時でも判定は公正にするのが掟──コウヘイのこの一言で、オレがわずかに先行してゴールしたという結果を知った。
「ハヤト! やったな」
「もう、どきどきさせるんだから。ハヤトは」
リュウジと亜由姉さんの祝福を受けて、オレは喜びというよりは、ほっとした思いに満たされた。
「やれやれ、どうにか体面を保てたかな? オレ」
単車のエンジンを止め、オレはハンゾウに視線をやる。
相変わらずの無言を保った敵方の特攻隊長は、オレを強い視線で睨み返していた。
その眼が語っている──次こそは負けるものか、と。
「総帥──今日のところはもう」
ハンゾウが潔く撤退の意志をコウヘイに告げた。が。
「まあ待て、ハンゾウ。お前の敵は俺がとってやるよ」
好戦的な笑みを湛えたコウヘイがそう言ったのは──もはや必然の感があった。
「コウヘイ、それは話が違うんじゃねえか? ウチのハヤトが勝ったんだ。それで終了だろう? 生憎、今日の俺には闘う気は一切ないぜ」
「貴様、世の中ってもんがそんなに甘くないってことぐれえ知ってやがるだろ?」
コウヘイのいつも通りの物騒な物言いが、リュウジに絡みつく。
「俺は、やりたい時にはやると決めている。漢ならばまさか逃げたりしねえよな、リュウジ? さあ、かかって来いや!!!」
コウヘイは木刀を強くコンクリートに叩きつけた。
「おい、コウヘイ、リュウジは──」
「だから俺は──」
オレとリュウジがほぼ同時に言った、その時だった。
亜由姉さんが突如、リュウジの背後からオレの単車の前にひらりと身を現し、あろうことかコウヘイの目前に胸を張ったのだ。
「え? 何?」
「お……い、亜由姉ちゃん!!!」
オレとリュウジもさることながら、当のコウヘイも呆気にとられた顔で亜由姉さんを見る。
そして、亜由姉さんは腰に手を当てて、コウヘイに強い口調で言い放った。
「あんた、さっきから黙って聞いてれば、全然スジが通ってないじゃないの!!! ハヤトが先にゴールしたんだから、これ以上リュウジに因縁つけるのは笑止千万。とっとと帰んなさいよ!!! いい? あんた仮にも『総帥』って呼ばれてるんでしょ? 人の上に立つ者がそれじゃ、そっちの特攻隊長氏がかわいそうじゃないの!!!」
「亜由姉……」
「リュウジは黙ってなさい! これはあたしの気持ちの問題。あたしこういうのって納得できない」
「チッ。つまらねえこと言いやがる姉さんだな」
低く、極めて物騒にコウヘイが呟く。
「そもそもあんたが見てえ、って言ったんじゃなかったのか? 俺とリュウジの闘いを」
「もう、そんなことどうだっていいわよ!! あんた、あんまり大人を舐めんじゃないわよ!!!」
夜のアスファルトに声を響かせたかと思うと、亜由姉さんは──
「あたしにだって武術の心得くらい少しはあるのよ。あたしが相手してあげる」
叫びざま、ひらりと躍り出て、あろうことかコウヘイの体に組み付いたのだ!!!
「な、何──?」
オレを含めた4人が4人とも意表をつかれ、当のコウヘイは突然の体当たりにバランスをくずしかけていた。
そこからは、入り乱れての混戦だった。
コウヘイの腕の中で暴れる亜由姉さんを引き剥がそうとオレは苦心し、リュウジはコウヘイの背中を羽交い締めにしようとし、ひとりハンゾウは腕組みをしたまま輪の外で戦況を見守っており──
どんなにスジが通っていないと亜由姉さんに言わせしめたとは言え、コウヘイだって漢は漢だ。
もちろん、亜由姉さんを殴ったり投げたりするようなつもりはなかったらしい。
亜由姉さんを軽く突きとばし、背中を固めたリュウジの手を振り払うと、コウヘイはうすら笑いを浮かべて亜由姉さんにこう言った。
「ふん、世の中にこんなに漢気あふれる女がいたとは天晴れだ」
まだ興奮しているらしい亜由姉さんが、語気荒く応える。
「あら、お褒めいただいてどうも」
それを見て、コウヘイは珍しく気分良さそうに笑っていた。
「姉さん、俺の負けだ」
そう一言残して、コウヘイは無言のハンゾウを促し、オレたちの前から立ち去っていった。
見送りながら、海風に乱された髪をかき上げた亜由姉さんは、なんだかやたらと凛々しかった。
* 8 *
コウヘイたちの単車が見えなくなってから、ようやくリュウジが腑抜けたように言った。
「亜由姉ちゃん、なんでコウヘイにあんなこと……。俺もう生きた心地がしなかったぜ」
「ほんとだよ、オレ、亜由姉さんに何かあったら伯父さんに何て言えばよかったわけ?」
「ふふふ、まあいいじゃないの。何もなかったんだし」
「コウヘイに絡んで、何もなかったほうが不思議だぜ」
「うん、リュウジの言うとおり」
「まったく亜由姉ちゃんときたら、どういう神経してるんだ?」
「あんたに言われたかないわよ、リュウジ」
あっけらかんとしている亜由姉さんは、不思議な女性だと今さらながら強く思った。
「つーか、亜由ねえさんに武術の心得があったなんて、オレ知らなかったよ」
「ああ、ハヤトも信じた? あれね、はったり。だってあたし、運動神経ぜんぜんないもん」
と、亜由姉さんは笑う。
「なんだって?」
「あはは、そんなおっかない顔しないの、リュウジは。だってさ、時には必要でしょ? 虚勢張ったりするのもテクニックよ。ある意味かけひきってやつかな?」
オレとリュウジは……顔を見合わせて力無く笑ってみた。オレたちも完敗である。
「でも、亜由姉ちゃんすげえな。あのコウヘイに負けを認めさす女の人がいるなんて、俺は信じられねえよ。なあ、ハヤト?」
「ああ。しかもオレの身内にいるなんて、考えてもみなかった」
「そう? でもさ、わたしから見たらあの子、ほんのだだっ子みたいなもんよ? ちゃんと諭してやればいいのよ」
ふわりと笑って言う亜由姉さんに、オレもリュウジも今後一切アタマが上がらなくなるきっかけとなる道標と、今夜はなったのだ。
そしてオレたちは、何事もなかったかのような顔をして、鬼浜町へと凱旋していった。
さっきより格段に交通量が減ったので、帰りの国道はめちゃめちゃ走りやすくて楽しかった。
単車のリアに乗ってカッ飛ぶことを満喫しにきたという亜由姉さんの当初の目的は、この時間をもってようやく成し遂げられたのだった。
亜由姉さんの思いつきから走りに来て、これまた亜由姉さんの気まぐれからコウヘイとハンゾウに出くわし、オレはハンゾウに勝負を挑まれて、リュウジはコウヘイに因縁つけられ、それでもってなぜか亜由姉さんがコウヘイに勝利して──
まったく、妙な展開だったなあ、今夜は。
鬼浜駅に到着したのは、そろそろ23時も目の前という頃だった。
駅前に単車を停めて、オレたちは別れの挨拶がてら、次の電車までの10分ほどをしゃべりながら潰すことにした。
「なあ、亜由姉ちゃん。俺ずっと考えてたんだが」
「何? リュウジ」
「姉ちゃんさ、きっと将来は肝っ玉母ちゃんだよな」
あまりのリュウジの想像に、オレはつい吹き出してしまう。
「ハヤト、笑うなよ。あ、亜由姉ちゃんまで!!!」
「わはははは、でもそういうのも悪くないかもね。サンキュ、リュウジ」
亜由姉さんがうれしそうで、オレは満足だ。
「ところでさ、コウヘイだっけ? 彼」
「うん?」
「彼、やっぱりいい体してたわ。思ったとおり」
「え──?」
オレとリュウジは、含み笑いの亜由姉さんに言葉の真意を聞き返す。
「さっき、一瞬組んでみたじゃない? あれでわかったよ。彼、リュウジに負けないくらいの見事な筋肉だったわ」
「亜由姉ちゃんって、一体……」
リュウジは口をぱくぱくしながらオレを見る。オレは、ただ肩をすくめて見せた。
「でも、大丈夫! リュウジのほうが胸板厚いと思うよ。負けてない、負けてない」
「ええと、そういう意味じゃ……」
もはやリュウジもたじたじである。
嗚呼、やっぱり亜由姉さんはスゴイ女性だ。
暗黒一家の総帥も、鬼浜爆走愚連隊の総隊長も、ふたりとも彼女の手のひらで転がされているように見えるなあ。
「あ、そろそろ時間だね、亜由姉さん」
ロータリーの時計を見て、オレが告げる。
「あら、そう? じゃあ行こうかな」
「おう、気をつけてな」
「うん。それじゃね。リュウジもハヤトも、ほんとにありがと。昨日も今日も助かったよ」
言って、亜由姉さんはオレとリュウジにかわるがわる右手を差し出した。握手、だって。
「いい仕事できそう?」
「おかげさまでね」
にこりと笑った笑顔は、オレたちよりだいぶ年上のはずの亜由姉さんを幼く見せた。
改札を通る亜由姉さんに、手を振って見送るリュウジとオレ。
最後にこう言ってから、亜由姉さんはホームへの階段を上がっていった。
「あたしは転んでもただじゃ起きない女。あんたたちも見習っていいわよ?」
「なんか、昨日と今日は俺、だいぶ勉強させられたなあ、亜由姉ちゃんに」
いつもの調子が狂わされっぱなしのリュウジだった。言葉尻に幾分ため息が添付されていた。
「そうだね。やっぱり大人の女性って包容力が違うのかもね」
「って、ハヤト、包容力とか、アレはそういうもんか? 大人の女の人って、みんなあんな感じか? 違うんじゃねえの?」
「あ、違う──か。わはは」
どうもオレも調子狂わされたかな、と思ったけれど、リュウジいわく。
「ほんとにハヤトはいっつもどこか視点がずれてるんだよなあ」
──どうせオレはいつもとぼけてばかりいますよ。
「さて、ハヤト。まだ時間あるか?」
「ん? ああ、まだ夜はこれから、ってこと?」
「当たり前!!!」
「じゃあ行こうか。もうひとっ走り」
オレはひとつ大きく伸びをしてから、リュウジと同時に単車のエンジンをスタートさせた。
鬼浜町の夏の夜は、まだまだ長い。