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叢中に咲く一点の紅い花 

   * 1 *


 学校のアイドル、っていう存在はどこにでもいるもんだ。
 実はウチ、鬼浜工業高校にもアイドルがいたりする。
 その名は──千晶ちゃん。
 
 鬼工の男女比は9強:1弱といったところか。オレたちのクラスには、女子はひとりもいない。
 けれども、千晶ちゃんはオレと同じ2年B組の生徒だ。
 ちょっと不思議なことかもしれないけど、学校じゅうがそれと認める現在の鬼工のアイドル・千晶ちゃんは、戸籍上の性別は男子なんだ。
 本人の、アイドルたる自覚。男子生徒たちの同意。それから、女子生徒にもその座にいることを許されている絶対的優位。
 すべてにおいて千晶ちゃんは完璧だ。ただ、カラダの性がちょっと違うだけ。

 誰が見ても可愛い千晶ちゃんは、鬼工のアイドルである自分にプライドを持ってる。
 「いかに可愛くあるか、っていうのはね。あたしにとっての挑戦テーマなの。外見だけじゃなくって、なんて言うのかな。演出することも必要かな、って」
 「へええ。苦労してるんだなあ、千晶ちゃん」
 「そんなことないよ。楽しいもん」
 くすりと笑う薔薇色の頬。まるで苺のマシュマロみたいな感じ。

 その頬を、話しながらリュウジがつついている。
 「もう。やめてよ、リュウジ」
 「ん? いいじゃねえか。別に。なあ、ハヤト?」
 「え~と、いや、オレは……そんな女の子のほっぺをつっつくなんて」
 「そうよね、ハヤト。さすがだわ。わかってる。リュウジって鈍いなあ」
 「あ──そうか。千晶ちゃんは女の子か。わはははは、悪い悪い」
 華奢な細身。身長も160cmには遠く及ばない。顔立ちは童顔で、当たり前のように髭なんて生えていない。ふっくらした唇がいつもつやつやしている千晶ちゃん。
 わざと大きいサイズを選んで男子用の長袖ワイシャツを着ているのが、いっそ倒錯的でもあるような。

 概ね女性に弱いリュウジが、おそらく唯一気軽に話せる同世代の女の子は、いま現在はこの千晶ちゃんだけのようだ。
 だって、リュウジが人前で女の子の顔に触れるなんて──おそらく本人だって想像もつかないんじゃないか?
 もっとも、ときどき女の子として扱うのを忘れるからなんだけどね。
 
 「ね、そうだそうだ。リュウジ。こないだ言ってた相談って? また恋でもしたの?」
 「うわあああ、千晶ちゃん!!! そんなことハヤトの前で言うな!!!」
 「え──」
 あはは、リュウジってば顔を真っ赤にしてるよ。
 で、真っ赤な顔で今度は千晶ちゃんの口を手で押さえてる。
 「ん~~~っ!!!」
 「あ~、だからリュウジ!! そんなことするなってば」
 「あ……悪ぃ」
 リュウジは千晶ちゃんにぺこりと頭を下げた。

 「で、リュウジ、好きな娘いるんだ?」
 「ちきしょう、ハヤトめ。笑うなや!!!」
 「わ、やめ……痛っ!!」
 ──オレには容赦ない拳固が襲ってきた。
 そうか。この違いを見ると、千晶ちゃんを別格として捉えられてるんだな。リュウジは。
 とか思いながら、オレは痛む脳天をさすってみる。

 「うわ、たんこぶ」
 「ふん。自業自得だ。思い知ったか」
 「つーか、いったいオレの何が悪かったんだよ……」
 「あは、仲いいねえ、ふたり」
 千晶ちゃんはオレたちを見てくすくす笑っていた。やれやれ。

 「なあ、そういえば千晶ちゃんって単車乗れるんだろ?」
 リュウジが無理矢理に話題を変えようとしてる。見え見えなのがおかしい。
 「あたし? うん、乗れるよ。けど、そんな話したことあった?」
 「いや。森園に聞いたことがある」
 「あ、野球部の。そっか。去年同じクラスで、免許とりに通ってたときそんな話したかも」
 「へ~。オレ初耳だな」
 「そう?」
 千晶ちゃんは、えへへ、なんて笑い方でオレを見た。

 「まあね。あたしハヤトたちみたく夜遅く走りに行ったりしないもんね。だって夜更かしは肌によくないし」
 「ははは、そうかもね。オレもけっこう荒れるからな。前の晩遅いと」
 「え? ハヤトもそんなこと気にするのか? 俺は──あんまり変わんねえ気するけどな」
 リュウジは首を傾げて頬を撫で回してる。

 「でも、あたし結構スピード出すの好きだよ。ときどきお巡りさん巻いちゃうし」
 「って、あんまりオレたちとやってること変わらないかも。千晶ちゃん。案外逞しいな」
 意外な言葉に、オレはなんだか感心してしまった。
 「え~、そう? 逞しいって褒め言葉?」
 「わはははは、もちろん褒め言葉だぜ!!! なあ、ハヤト?」
 「うん。一応そのつもり」
 「ま、いいや。そういうことにしとこう」
 千晶ちゃんはくすくす笑ってる。

 「なあ、千晶ちゃん。今度俺らと一緒に走ってみねえ? 夜遅くなきゃいいんだろ?」
 「う~ん、そうだね。あと陽射しの強いのもパスだけど」
 「なんだよ、注文多いな。でもま、そんな機会があったら来てみろや!! たまにはいいぜ。大勢で走るのも。な、ハヤト?」
 「だね。ひとりの時とは別の楽しみがあるよ」
 「そっか。んじゃ考えとくね」
 背中にかかるストレートの髪の毛をかきあげながら、千晶ちゃんはそう応えた。

 「で、それはそうとリュウジ、例の相談って? オレが乗ってやってもいいけど?」
 「だ~~~、そんなこと忘れろよ、ハヤト!!!」
 あはは、また真っ赤になってるのがおかしくて、オレはついついからかってみる。
 ──まあ、もちろんまた武力制裁がくるんだけどね。
 さっきと同じところを狙った拳固が、さ。



   * 2 *
 
 
 土曜日の夜、まだそんなに深い時間になる前、しかも海沿いの国道が空いたころ。
 その時分を狙って、オレたちは千晶ちゃんと河川敷で待ちあわせしてた。
 リュウジが一度一緒に走ろうと誘ったのを、土曜日だったらとOKしてくれたんだ。

 けど、待ちあわせの時間をすぎても千晶ちゃんの姿は見えない。 
 「ダイゴ。今何時だ?」
 「9時……そろそろ20分か」
 「ハヤト。ちょっと見て来ねえ? 千晶ちゃん遅いよなあ」
 「そうだね。その辺見てくるか。ノブオ、一緒に行く?」
 「あ、は~い。ハヤトさん」
 オレはノブオを伴って、単車で道路へ出た。

 「どうしちゃったんっスかね、千晶センパイ」
 「さあ。時間間違えたかな?」
 「それだったらいいんスけど。ほら、千晶センパイって美人だからオレ、心配で」
 「いや、顔はわかんないよ。メットくらいかぶってくるだろ? カラダは違っても中身は女性だもん」
 ああ、そうか──とノブオが頷いたところで、オレたちは速度を上げて国道へ入ろうとしていた。
 
 と──ちょうど国道へ出る信号待ちをしていたところで、黒い車体がオレたちの前に現れる。
 アメリカンタイプの単車。そのライダーはいかついマシンに似つかわしくない華奢なカラダをしていた。
 オレとノブオを認めると、ライダーは単車をとめて手を振りながら近づいてくる。
 「ごめ~ん、ハヤト。遅くなっちゃった」
 「あれ、千晶ちゃんか?」
 近づいてみると、それは千晶ちゃんだった。皮のパンツと白いシャツ姿で、予想外にもメットはかぶらずに、ストレートヘアを風になびかせていた。

 「うわ~、千晶センパイ、かっこいいっスね~」
 「あら、そう? それはありがと」
 ノブオの賞賛に首をちょこっと傾げて千晶ちゃんは微笑んだ。
 「なはは。オレ、照れちゃうっス~」
 「おいおい、ノブオ……」
 やれやれ。ノブオの奴ってば免疫ないのバレバレだよ。
 
 「まあいいや。千晶ちゃん、とりあえずこっちだ。リュウジとダイゴが待ってる」
 「うん。かの有名な河川敷の集会所ってとこでしょ?」
 「有名──なんだ。あそこ」
 「そりゃあね~。女の子の間じゃ、夜に行ってみたくない場所ランキングの不動のナンバーワンだよ」
 「なるほど。わかる気がするなあ。女の子連中も巧いこと言うね」
 「でしょ~? あはは」
 千晶ちゃんの笑う声が、だいぶ涼しくなった風にのる。

 「へええ。そうなんっスか。オレ、ちっとも知りませんでしたよ」
 「あは。ノブオくんだっけ? ダメだよ、そういうのに無頓着だと、リュウジみたいな無粋な男になっちゃうよ」
 「あ、は~い、千晶センパイ!! オレ勉強しま~っす!!」
 「へえ、ノブオ。素直じゃん」
 「当ったり前じゃないっスか、ハヤトさん」
 「ふうん。じゃあ後でリュウジに言っとく。ノブオがリュウジみたくもてない男にならないように勉強する予定だって」
 「えええ~、そそそ、それはないっスよ……ハヤトさん」
 そんなオレたちのやりとりを見てた千晶ちゃんは、こんなふうに言った。
 「いいよね、男同士の他愛ない感じって。あたしそういうのって憧れるかも」
 カラダは男子、ココロは女子の千晶ちゃんが、珍しく複雑な表情をしてた。

 そんな前置きのあと、千晶ちゃんはようやくリュウジと合流したんだ。
 「おう!! 千晶ちゃん」
 「こんばんは、リュウジ、ダイゴ」
 「押忍」
 「どうしたよ? 遅かったじゃねえか? どうかしたんじゃねえかと心配したぜ」
 リュウジが言ったのに、千晶ちゃんはこう返す。

 「うん。そもそもちょっと出遅れたのがマズかったんだけどね。途中でちょっとね」
 「何かあったのか?」
 「えへへ。ちょっとね。道幅いっぱいに低速で走ってる、ガラの悪い兄ちゃんたちがいてさ。速度上げられなくて鬱陶しかったから、ムリヤリ突っ込んでったら囲まれちゃって」
 「え──何だって?」
 こともなげに千晶ちゃんは言い放った。それへオレたちは言葉を失う。

 「集団に突っ込んでって、振り切ろうとしただけ。うまく交わせばすり抜けられそうだったから。でも、四方からプレッシャーかけられたよ。まあ、何とかなったけどね」
 「おい、危ない橋を渡るなあ、千晶ちゃん」
 「そう? だってリュウジなんかもそういうの、普通にやるんでしょ?」
 「そりゃ、まあ、やらねえことはねえけどよ。けど俺らと千晶ちゃんじゃ──なあ、ダイゴ?」
 「ああ。それが元で諍いになったりもするゆえ、ひとりだと危険だな。それに千晶さんは殴り合いなどせぬだろう? まあ、千晶さんのような見た目のひとに相手も仕掛けては来ないとは思うが」
 「ああ、そか。そういうこともあるんだ。気をつけようっと」
 なんて言いながら、千晶ちゃんは肩をすくめてちょこっと笑った。
 
 「なんか……千晶センパイって思ったより逞しいですね」
 「あ、ノブオもそう思う? 千晶ちゃん、褒め言葉、褒め言葉!」
 「あはは。どうもありがと」

 「まあな、なにより無事に合流できてよかったぜ。さて、そろそろ行くか?」
 リュウジの号令で、ようやくオレたちは浅い夜の国道へと繰り出した。
 海からの風がオレたちをつつむ──それはもう完全に秋風になってた。



   * 3 *


 「リュウジ、ハヤト! おはよっ!!」
 週明け。いつものようにリュウジと連れだって登校する途中、千晶ちゃんがオレたちを見つけて後ろから駆け寄ってきた。
 「オウ、千晶ちゃん」
 「おはよう。肌荒れ、大丈夫?」
 「あんま大丈夫じゃないなあ。やっぱ夜は出歩くもんじゃないね。楽しかったけど」
 千晶ちゃんは苦笑いしてる。カラダは男子、ココロは女の子の鬼工アイドル・千晶ちゃんは、もちろんお肌の手入れも怠らない。そんな千晶ちゃんに夜更かしを強いてしまったのは、何を隠そうオレたちだったんだ。

 「え、どこが荒れてるんだ? すべすべじゃねえか?」
 「うわ、だからリュウジ、そんな気安く触るなよ、女の子のほっぺに」
 「あ、そうか。わはははは。千晶ちゃん逞しいからついうっかりするぜ」
 「──いいよ。もう慣れたよ」

 こないだの土曜日。
 リュウジの誘いに乗った千晶ちゃんが、オレたちの夜走りに同行したんだ。
 待ちあわせ場所に来る前にひとしきり熱い走りをしてきたらしい千晶ちゃんは、オレたちと一緒になって走ったときもずいぶんカッ飛んでいた。
 いつもみたいに国道を縦横無尽に走れるような深夜じゃなかったから、オレたちは遠慮がちに走ってたつもりだったんだけど、千晶ちゃんはやけにテンション高い走りを見せた。

 「ね、誰か競争しようよ」
 オレたちがときどき暗黒一家の連中と勝負に使う海辺の倉庫のあたりまで来ると、知ってか知らずか千晶ちゃんはそんなことを言い出した。
 「わはは、競争か。いいけど、俺ら本気出したらすげえぞ?」
 「なによ、あたしだってけっこうやれるつもりだよ?」
 「そうか? ならいいけどな。誰と勝負したい?」
 「誰でもいいよ」
 くすり、と笑いながら千晶ちゃんはそう答えた。オレたちは集まって、誰が相手になるかを相談する。

 「どうする? ハヤト行くか?」
 「いいけど。でもオレ、手加減できないかも」
 「不器用ですもんねえ、ハヤトさん」
 「やかましいよ、ノブオ。じゃあお前行けよ」
 「オレっスか~。どうなんだろ。ダイゴさんは?」
 「べつにかまわんが」
 要するに、力関係が誰とだったら釣り合うのかがわからないんだ。オレたちはあれこれ悩んでいる。と──
 
 「ちょっと~。誰でもいいから早くしようよ」
 大きな声で呼ばわりながら、千晶ちゃんはアクセルをふかしてる。
 「あ~、もうわかった。俺がやってやる!!!」
 焦れた千晶ちゃんを見かねて、結局リュウジが名乗りを上げたんだ。

 「よし、リュウジ。手加減なしね」
 「オウ!! いいんだな?」
 「当然!!!」
 スタート地点でふたりはそう言い合っている。さて、リュウジは本当に手加減しないのか。自信満々の千晶ちゃんはどれだけ速いのか。どっちが勝つのか──

 「それじゃ行きますよ。用意はいいですか? ではでは、Ready──GO!!!」
 ノブオの号令で赤と黒の2台はスタートを切った。
 ルートはスタート地点から300mの直線を国道まで一旦出て、次の信号から倉庫群の裏手を一周して戻ってくる、といったショートコース。
 リュウジと千晶ちゃんの2台はスタート初っぱなからずいぶん飛ばしているように見える。あっという間に国道へ姿を消した。
 
 「ほう。なかなか速いな。千晶さん」
 「な。オレもそう思う。しかもリュウジにつっかけてったような……」
 「どっちが先に来ますかねえ?」
 「まあ、普通に考えたらリュウジだろうけどね。手加減するなって言われて速度落とす漢じゃないし」
 「押忍。そこがハヤトとは違うな。リュウジは」
 「えへへ。そうかもしれないっすね~、ダイゴさん。だってハヤトさんは女の子には誰にだって優しいですからねえ」
 「……お前、泣かすよ? ノブオ」
 まったく。なんでかオレっていつもいじられるんだよな。ノブオに。
 いや、ノブオだけじゃないんだけどさ……。

 結局、その勝負は思ったとおり手抜きなしのリュウジが圧倒的に速かった。
 ゴールした時点で車体2つ分は距離があったろうか。でも、充分善戦だったと思う。
 「あ~、負けちゃったあ」
 千晶ちゃんは戻ってくるなりそう言った。
 「まあな。手加減なしって約束だしな」
 そんなふうにリュウジは答えたけど、もしかしたら多少は手加減したのかもしれない。
 そうじゃなかったら、よっぽど千晶ちゃんもいい勝負センスをしているのか。
 
 「でも悔しいな。勝負は勝たないとうれしくないよ、やっぱり」
 「ははは、負けず嫌いなんだ。千晶ちゃん」
 「そうよ。逞しいでしょ? ハヤト」
 ホントに、とノブオが合いの手を入れていた。

 結局、土曜日はその勝負のあとにもうひとっ走りして──千晶ちゃんと別れたのは日付が変わる頃だった。
 「こんな時間になっちゃった。夜更かしは美容の大敵なのになあ。楽しいと時間ってつい忘れるね」
 「楽しかったか? それならよかったぜ」
 「うん。ありがとね、リュウジ。また誘ってね」
 そう言って、千晶ちゃんは帰っていったのだった。

 そして、今朝。
 千晶ちゃんは勝負熱を上げていたらしい。
 朝の挨拶が終わるなり、オレにこう訊ねる。
 「ねえ、ハヤト。あたしカーブの減速がいまいち巧くないみたい。そこ攻略したら次はリュウジに負けないと思うんだけどな。なんかコツある?」
 「ん? 減速か。うん、確かに課題だよね、それは」
 オレのとなりでリュウジはかなり残念そうな顔をしてた。
 いわく──女にしとくのはもったいない、って。なんか微妙だ……。



   * 4 *


 「あれ? ハヤトさん、今日は兄貴と一緒じゃないんスか?」
 放課後のこと。
 校門のところで出くわしたノブオが不思議そうな顔でオレを見た。
 「ああ、リュウジ? 何か用だった?」
 「いえ、そういうわけじゃないんっスけどね。ただ、なんかふたり一緒じゃないのが見慣れないもんで」
 「ははは。そんないつでも一緒にゃいないって」
 「そうスか? 珍しいっスよ。もっともハヤトさんがふらっと早退しちゃった時は別ですけどね。そんなときはだいたい兄貴が怒りながらオレんとこ来るんスけど。えへへ」
 「……まあ、そういう気分のこともあるよ」
 何もそんな怒ることないのになあ、なんてオレは思ってみる。

 「今日はリュウジ、千晶ちゃんと先に帰ったんだ。なんか千晶ちゃんに頼みたいことがあるらしい」
 「ふうん。あ、じゃあハヤトさんは暇ってことっスね。ちょうどよかった。ね、一緒に道場行きません? 今日はダイゴさんが赤ジャージ先生に稽古つけるらしいんで、見学どうっスか?」
 「へえ、そうなんだ。じゃあ行こうかな。そんな暇じゃないけど」
 「またあ。そんなこと言って」
 なんて軽口叩きながら、ノブオとふたりして道場へ行ってみた。

 もともと剣道の達人として知られるオレたちの担任・通称赤ジャージは、2学期に入ってから柔道一直線なんだ。
 今後の人生をかけて倒さなければならない相手が柔道家なので、ときどき柔道経験者のダイゴを相手に練習している。

 道場に行ってみると、ちょうど赤ジャージがダイゴに絞め技を掛けられそうになってるところだった。
 が、あわやというタイミングで赤ジャージが難を逃れる。
 「へえ、かわせてるじゃん、赤ジャージ」
 「ええ。最近ずいぶん身のこなしにキレがありますよ、赤ジャージ先生」
 「あ、今度は逆に仕掛けるんだ!!」
 「うわ~、いいんじゃないっスか? おおっ、これは有効くらいはありますね、きっと!!」
 なんて、なるべく邪魔をしないようにオレとノブオは道場の隅っこでささやきながら練習風景を見てた。
 ん~、さすがに気迫が違うなあ、ここんとこの赤ジャージは。

 しばらくそのままオレたちは見学していたが、赤ジャージの新たなコーチが登場したのを潮に、ダイゴと3人で道場をおいとますることにした。
 赤ジャージのコーチは、もちろん白いジャージ姿のマキ姉さん。
 是非とも厳しく鍛えてやってほしいもんだ。

 そんなこんなで学校から出たのは、だいぶ西の空が赤く色づく時分だった。
 ダイゴが腹が減ったというので、オレたちは3人で駅前のハンバーガー屋にきている。
 遅めのおやつを食べながら、オレたちの話題は赤ジャージのことを経て、千晶ちゃんへと辿り着いていた。

 「でも、千晶センパイって思ったよかアツい人だったんっスね。知ってました? ダイゴさん」
 「ああ。俺は去年同級だったからな。何かにつけて勝負にこだわるタイプだ」
 「うん。そうだね。ある意味学校の女の子全員をライバル視してるからな。女の子の人数少なくてよかったけどね」
 「そうか、鬼工のアイドルも伊達じゃつとまらないってことっスね」
 「まあ、相手が大人数でも変わらんと思うがな。性別は違っても、心は誰より女王様だ」
 「ははは、ダイゴ、それ千晶ちゃん聞いたらどんな顔するだろな?」
 「む──失言だったか?」
 「いやいや。案外言い得て妙って感じかも。プライドあるもんな。悪い意味じゃなく」
 なるほどね~、とノブオがもっともらしく頷いてる。

 「ところでさ、オレここんとこずっと思ってたんだけど」
 「何だ? ハヤト」
 「あのさ、千晶ちゃんってリュウジのこと好きなんじゃないかな、って」
 オレが言ったのに、ダイゴもノブオもびっくりした顔を見せた。
 「えええ~~~~っ!!」
 「そう──なのか?」
 「いや、ぜんぜん確信はないんだけどね」
 
 「まあ、千晶さんは中身は女性だからな。有り得ないとは言わんが」
 「言わないけど、何? ダイゴ」
 「いや──何というか……とにかく驚いた」
 いつもはどっしり構えてるダイゴが、珍しく動揺してるみたいだ。
 「そんなに意外かなあ?」

 そして、対するノブオの反応はと言えば──なにやら言葉を失って、ジュースのストローを無意味にもてあそんでいる。
 「ん? どうした、ノブオ?」
 「いえ……。ただ──」
 「ただ、何なのだ?」
 「相手が千晶センパイじゃ勝ち目ないっスね、オレ」
 しゅんとしたノブオの言葉に、オレとダイゴはふたりして目をぱちくりしてしまう。

 「え~と、ノブオ? どういう意味だ?」
 「千晶センパイと張り合っても、オレじゃあムリかなあ、って」
 「……ノブオ、冷静になれ。張り合うとは何だ? そういう意味なのか?」
 「そういう、って? ダイゴさん?」

 「ノブオよ。お前、好きな娘がいるって言っていただろう?」
 目を白黒させながらダイゴが訊いた。
 「あ、そりゃいますよ。えへへ。女子高に行ってるかわいい娘っス。照れるなあ」
 と、ノブオは顔を真っ赤にして答えた。
 「ああ、じゃあそういう意味じゃないんだ。あ~、びっくりしたなあ」
 「だからハヤトさん、そういうとか、どういうとか、何なんっス?」
 「あ、いや──」
 なんというか──ノブオはときどき理解に苦しむなあ。

 「ああいう、とか、そういう、とかよくわかんないっスけど、でも……兄貴だけは別格っスもん。だって、リュウジの兄貴はオレらの兄貴じゃないっスか!!!」
 「え~と……ダイゴ?」
 ノブオの理屈の意味不明さにオレはダイゴに助けを求めたけど、ダイゴも首をすくめただけだった。

 「とにかく、兄貴は誰かのものになんかなっちゃいけないんっス!!!」
 ノブオが拳でテーブルを叩いてこう力説した。
 それへ宥めるように、オレは言ってやる。
 「ノブオ、安心しろよ。リュウジに限ってしばらくはそんな心配いらないはずだ」
 リュウジが聞いたら怒るかな。いや、泣くかもな。



   * 5 *


 「ハヤト、そういや今夜、千晶ちゃんがまた一緒に走ろうって言ってるぜ」
 翌日。今日は連れだっての帰宅途中、リュウジがオレにこう言った。
 「へえ、そうなんだ。土曜じゃなくても平気だって?」
 「ああ。帰ったら念入りにパックだかなんだかするから大丈夫らしい」
 「なるほどね。で、ダイゴたちは?」
 「オウ、さっき誘っといた。ハヤトも来るだろ?」
 「うん。行っとこうか。ここんとこ風が気持ちいいからね」
 今夜はたとえひとりでも走りに行くつもりだったオレが誘いを断る理由なんかないし。

 そんなわけで、夜になってオレたちはいつもの河川敷に集合して、いい風吹いてる国道へと繰り出したんだ。
 本当は遅い時間はパスという千晶ちゃんに配慮して、リュウジの指定した時間はいつもよりちょっと早め。けれど行楽シーズンの終わった海沿いの国道は、深夜を待たずしてずいぶん走りやすい状況になっていた。

 「気持ちいいっスね、ハヤトさん」
 走りながら車体を寄せてきて、大きな声でノブオが言う。
 オレは首を縦に振って同意を伝える。聞こえたのか、ダイゴも同じリアクションだ。
 昨日は奇妙なことを口走ってたノブオだけど、今日はべつにいつも通りだった。
 リュウジの前だからかな。よっぽどリュウジに心酔してるってことなんだろうな。

 リュウジと一緒に前をいく千晶ちゃんは、今日も機嫌よさそうだ。
 少し速度をあげて、オレはリュウジと千晶ちゃんの間に入る。
 信号待ちで止まったのをいいことに、リュウジがオレにこう行って寄越した。
 「ハヤト!! あとで千晶ちゃんがお前に教わりたいことあるらしいぜ」
 「オレに? 何? 千晶ちゃん」
 「ん。いろいろと。駆け引きとかそういうの」
 「駆け引き──勝負の?」
 「うん。もちろん」
 「OK。お役に立てるといいんだけど」
 答えたところで信号が青に変わる。
 よし、GOだな、とマシンを始動させたその瞬間──たしかに背後に気配を感じてはいた。
 
 「待て、ゴラァァァ!!!」
 信号待ちの間にオレたちのすぐ後ろまで来ていた、叫び声の主。そしてその配下。
 それは言うまでもなく、シナリオ通りにコウヘイ以下、暗黒一家の面々だった。
 
 待てだ止まれだと言われたところで、さすがに国道のど真ん中で止まるわけにもいかないわけで。
 けれどもこのまま逃げるというのもオレたちの良しとするところではない。
 結局、オレたちは次の信号を曲がって、いつもの倉庫群の裏手へと入っていった。
 暗黒一家も当然のようにオレたちの後をついてくる。

 「オウ、コウヘイ!! 急に呼び止めやがって一体何の用だ?」
 停めた単車に跨ったまま、腕組みをしてリュウジは声を張る。
 オレたちはリュウジの後ろで成り行きを見守る。そう、よくあることなのでオレたちはなんてことないけど──不慣れであろう千晶ちゃんが心配だ。オレはさりげなく千晶ちゃんをかばうようにそっと車体を寄せていった。

 「その見かけねえ単車の野郎は貴様等の新入りか?」
 「──何?」
 にもかかわらず、コウヘイが示したのは、あろうことか千晶ちゃんだった。
 千晶ちゃんはきょとんとした顔でコウヘイたちを見た。そして。
 「あ──あの時の?」
 こうちいさく呟いたんだ。

 「だったらどうした? お前らには関係ねえだろ?」
 「関係なくもねえよなあ、新入り?」
 リュウジが言うのにおかまいなしに、コウヘイは凄味のある視線を千晶ちゃんに送った。
 「リュウジよ。貴様のところの新入りはな、こないだ俺等に喧嘩を売ったも同然の行為を働いた。聞いてねえのか?」
 「──なんだと?」

 リュウジが聞き返す間に、オレは思い出していた。
 そういや先週一緒に走ったときに、集合場所まで来る途中に千晶ちゃんはガラの悪い集団に突っ込んで行って、真ん中から追い越しをかけたような話をしていた。
 千晶ちゃんに視線をやると──オレの言いたいことがわかったように千晶ちゃんはこくりと頷いた。
 「千晶ちゃん──?」
 「うん、この兄ちゃんたちだったわ。あの時の」
 「……そりゃマズいな。相手が悪い」
 「え? そうなの?」
 
 コウヘイの粘りのある視線は、オレの隣の千晶ちゃんに向いたままだ。
 なんとか助け船を出さないと、と逡巡しているオレの横で──
 「ちょっと、どっちが喧嘩売ってるのよ? あたし、そんなつもりじゃなかったんだってば。ただ急いでたのに、あんたたちあたしの前でたらたら走ってて、邪魔だっただけじゃない。追い越しちゃいけないっての?」
 千晶ちゃんは、コウヘイに啖呵を切っていたんだ。

 「ほう──新入り。貴様、女だったのか。いい度胸だなあ」
 千晶ちゃんの言葉のあとを一瞬おいて、コウヘイは言ったんだ。
 「そうよ。度胸だったら負けないの。あたし逞しいから。ね、ハヤト?」
 「あ──ああ」

 「コウヘイ!! こいつのしたことが気に入らねえんなら俺が謝るぜ。だからこいつには手出しするんじゃねえ」
 リュウジの台詞に、コウヘイは薄ら笑いを返しながら言う。
 「ふん、リュウジ、貴様という漢はそのような軟派だったのか?」
 「軟派とか硬派とか、そういう話じゃねえだろ!!!」
 「それでは──どういう話なのだ? 俺たちはなあ、貴様等と違って遊びじゃねえんだぞ、ゴラァァァ!!!」
 「俺らだって遊びなんかじゃねえぜ!!!」
 「だったら勝負だな?」
 コウヘイは指の関節を無意識といった風に鳴らしながら、リュウジを真正面から見据えている。
 「当然!!! 受けて立つぜ」
 リュウジの凛とした声が、無機質なアスファルトに妙に響いていた。



   * 6 *


 偶然なのか必然なのか。国道で行きあった暗黒一家に勝負を挑まれたオレたちは、各々単車から降りて輪になった。
 「コウヘイは本気だな、ハヤト」
 「ああ。今日はかなりやる気と見た」
 「もしかして、あたしのせい?」
 幾分すまなそうな顔を千晶ちゃんは見せた。

 「いや。千晶さんのせいではなかろう。奴らは何かというと俺達に因縁をつけるのが趣味のようだし」
 「そう……ダイゴ?」
 おそらく千晶ちゃんを慮ってだろう。ダイゴはおだやかにそう言った。
 「オウ!! ダイゴの言うとおりだぜ!! いつものことに巻き込んじまって悪いな、千晶ちゃん」
 「ううん。そんなの平気だけど」
 「まあまあ、いいから。これも一種のレクリエーションだと思って見てればいいよ、千晶ちゃん」
 オレは言いながら、千晶ちゃんの肩をぽんと叩いた。

 「向こうは奴が出てくるな。きっと」
 ちらりと敵陣に目をやって、リュウジが言う。円の中心にいるのは思った通りハンゾウだ。自信ありげにアクセルをふかすスキンヘッドが挑発するようにこちらを見据える。
 「だな、リュウジ」
 「そしたらハヤト、お前が行くな?」
 「ああ。それがいいだろうね」
 よし、ここが出番とばかりにオレは単車に戻ろうとした──が。

 「あの……兄貴。ハヤトさん」
 「うん? どうした?」
 「ええと、オレじゃダメっスか?」
 決然とした目の色を湛えて言ったのは、ノブオだったんだ。
 「──ノブオ?」
 オレは思わずノブオに聞き返す。
 「その……、オレも今日は本気っス。だから行きたいんス」
 ノブオの表情は真剣そのものだった。
 そして、オレもダイゴも、千晶ちゃんもリュウジを見つめた。そう、決断をくだす漢を。
 
 「そうか」
 リュウジは大きく息を吸ったあと、こくりと首を縦に振る。
 「相手は強敵だぞ? ノブオ、やれるんだな?」
 「はい──はいっ!! 兄貴、オレ、精一杯頑張ります!!」
 緊張しつつも、さも嬉しそうにノブオは答える。
 「よし。それでこそノブオはウチの若手の一番手だな!!!」
 リュウジはリュウジで、気合いみなぎるノブオに向かって、嬉しそうな顔をしていた。

 きっとオレが出てくるんだろうと、やはり暗黒一家は予想していたようだった。
 粛然とスタート地点につくノブオを見て、暗黒一家のどの顔も予想外だという表情をつくっている。
 「ほう。相手は若いのか。舐められたもんだなあ、ハンゾウも」
 見慣れた物騒な薄ら笑いを浮かべて、コウヘイは言った。
 オレたちの顔をゆっくりと眺め回すコウヘイの視線は、一瞬千晶ちゃんで止まったように見えた。
 「え、何──?」
 千晶ちゃんがそれを感じたのか、コウヘイに問う。それへは何も回答はなく、むしろコウヘイはつとめて視線を逸らせたような感じだった。

 「コウヘイ!! 御託並べてる暇なんかねえだろ? 早いとこ決着つけるぜ!!」
 「ふん。貴様に言われるまでもねえ」
 リュウジに言い返すコウヘイの視線は、今度は執拗にリュウジに絡みついていた。

 「両者とも、用意はよいか?」
 コウヘイの問いかけに、スタート地点に並んだふたりは頷いた。
 ハンゾウは余裕綽々の表情で、対するノブオはとにかく鬼気迫る雰囲気を醸す。
 その好対照ふたりがコウヘイの合図で、同時にスタートを切った。

 特に指定がなかったので、勝負のルートはいつもの通り、国道経由の鬼浜町一周コースだ。
 スタートからわずかの距離で勝負者の姿は見守る者どもの視界から消えるのだが、オレたちの見えている範囲では、ノブオが先行していたようだ。
 オレの隣で、千晶ちゃんが心配そうにリュウジの特攻服の袖口を引っ張っている。
 「リュウジ、ノブオくん、大丈夫?」
 「ああ──あいつもやる時はやるからな!! 信じてやってくれ」
 
 対する暗黒一家たちは、最速で鳴らすハンゾウを有利と見てか、これまた余裕のある顔をしている。
 「結果を見るまでもねえよなあ、タカシ?」
 「へへ、そうですね、総帥。ハンゾウさんに敵う奴なんてそうそういませんからね。ゴンタさんもそう思うでしょ?」
 「おう」
 「ですよね~」
 タカシはちらりとオレを見てそう言ったわりに、オレと視線が合うやいなや首をすくめていた。
 
 「……馬鹿にしてるな、奴ら」
 なんだか悔しくなって、オレはタカシから視線を外さずに呟いた。それがダイゴの耳に入ったらしい。
 「ハヤト。ここで熱くなっても仕方がない。待っている間、少し冷静になるといい」
 「──ダイゴ」
 ああ、ちょっと救われた。オレのこんな顔を見ると、いつだってダイゴはそう言って宥めてくれるんだ。精神的にけっこう支えられてるのをいつも感じる。

 「熱くなるのは、今日はノブオだけで充分だ」
 ダイゴの声ってのは、聞いてると案外落ち着くんだ。やれやれ、オレも落ち着いたよ。
 「うん、そうだね、ダイゴ。にしても、今日のノブオはやたらと気合い入ってたな」
 「押忍。おそらくノブオは──あ、いや、違うかもしれんが」
 「ん? 何? 気になる、ダイゴ」
 「ああ──もしかして、リュウジにもっと目を掛けてもらいたいのではないか、と」
 ダイゴは大きくない声で、そう言った。
 


   * 7 *


 「ノブオはとにかく、リュウジに認めてほしいのだろう。あんなに慕っているのだから」
 ハンゾウとの一騎打ちを望んだノブオを、ダイゴはそう評した。
 鬼浜町一周ルートの単車勝負に出たふたりの姿は、未だオレたちの視界には戻ってこない。
 「そうだね。ノブオはいつでも兄貴、兄貴ってそればっかりだから」
 リュウジとその横で手を揉みしぼる千晶ちゃんに聞こえないように、オレとダイゴはちいさく話していた。

 「ああ──もしかして、リュウジと最近仲いい千晶ちゃんにやきもち? ってのもおかしな話か」
 オレはちらりと、リュウジたちに視線をやってみる。
 「かどうかはわからんが」
 ダイゴは曖昧に言って、肩をすくめて見せる。
 「まあ、どっちみち積極的になるのは悪いことじゃないからね。きっかけは何だって、結果が次に繋がればそれでいいかな、って思うな。オレは」
 同感だ、というようにダイゴも頷いた。

 オレたちは、勝負の行方をじりじりしながら待っている。
 やがて遠くのほうからチューンしてあるマフラーの出す排気音が聞こえてくると思うと、勝負者たちのマシンの姿が夜の国道に浮かんでくる。
 一歩先を行くのは──予想どおりというか、ハンゾウの黒いマシンのように見える。
 ノブオの目立つピンク色のマシンは、ハンゾウに引き離されるまいと必死で追走してきているようだ。
 
 2台は最後の直線に入る曲がり角を入ってくるところ。コーナーへの入り方は、やはりハンゾウに軍配が上がる。
 「頑張れ、ノブオ──そこで粘れ!!」
 思わず口をついて出てしまう言葉。
 迷わないで、怖れないで行け、ノブオ!! 

 直線に入った2台のマシンは、速度を上げてゴールを目指す。
 そして、見守る者の息を呑む瞬間が訪れる。
 ノブオのマシンがラインを踏んだのは──ハンゾウのマシンが車体1台分先に走り抜けたあとのことだった。
 
 「兄貴……オレ」
 ハンゾウに勝利を譲ったノブオは、心から済まなそうな表情でオレたちの前に戻ってきたんだ。
 「ああ。ノブオはよく頑張ったぜ。今日は敵の調子がよかっただけじゃねえか」
 リュウジがノブオの肩に手を置いて声をかける。
 「けど、前にちゃんと考えて闘えって兄貴に諭されたのに……」
 ノブオは心から反省している様子だった。
 「いや、ノブオ。今日のお前は気迫が明らかにいつもとは違ったの、俺にはわかったぜ。だから行かせたんだ。そうだろ? お前、今日はやれると判断したんだろ?」
 「ええ──けど」
 
 「結果は結果だ、ノブオ。強い奴とも対戦せんと、成長しないのも確かなこと」
 「ダイゴさん……」
 ダイゴを見上げてノブオは呟く。
 「ハヤトさん──オレ、出しゃばってごめんなさい」
 「ノブオ……そんな顔するなよ」
 いまにも泣きそうな表情で、ノブオはオレに頭を下げた。
 ダイゴはノブオの横で慰めるように背中を軽く叩いてやっている。
 
 向こうでは、ハンゾウが仲間たちに囲まれている。
 景気のいい、けれどもやはり物騒な笑い声が聞こえてきた。
 勝負のあとの両軍の対比をこれでもかと見せつけたあと、コウヘイたちが近づいてきて言う。

 「気は済んだか、貴様等?」
 「────」
 リュウジは鋭い眼光でコウヘイを睨め付けている。
 「所詮遊びの貴様等とは訳が違うことがわかっただろう? 非礼を詫びればこちらも今日のところは退いてやる」
 そしてコウヘイの視線は、リュウジの横の千晶ちゃんに辿り着いた。
 
 その視線からかばうように、千晶ちゃんの前に立ち位置をずらしながらリュウジが大声を出した。
 「コウヘイ!!! 俺らが遊びなんかじゃねえことを証明するぜ!!! 詫びを言うのはその後だ。俺が相手だ、俺が負けたらちゃんと詫びる──だが、俺が勝ったら今度は、てめえこそ詫び入れろや!!!」
 「ほう──俺が詫びる? 何に対してだ?」
 「俺らを遊びだなんだと馬鹿にしたことへだ!!! そんなこと俺の信条が許さねえ」
 握りしめたリュウジの拳がちいさく震えている。
 よほど気持ちが高ぶっていることの証だ。

 「よかろう、リュウジ」
 歪んだ笑いを口許に浮かべながら、コウヘイはリュウジに応えた。
 「その代わり、俺が勝利したら──どうなるか解ってるんだろうな?」
 「オウ!!!」
 リュウジはひときわ大きな声で吠えた。
 覚悟のほどを見せつける、それはリュウジの漢気だった。

 かくして両軍は、ふたたび別々に陣を構えることになる。
 我が陣営の中心には、漢気をほとばしらせたリュウジがいる。
 「リュウジ──行くんだな」
 「オウ、当然だ、ハヤト!!! 俺、あんなこと言われて絶対許さねえぜ」
 「リュウジ、そういう時こそ判断は冷静にな」
 「オウ、解った。ダイゴの助言はいつも的を射てるぜ」
 「兄貴……ほんとにすみません。オレが不甲斐ないばっかりに」
 「ノブオ、気にすんな。俺が必ず仇はとってやるぜ」
 リュウジを囲んで、オレたちはひとことずつを託している。

 そして──それまで黙っていた千晶ちゃんが口を開く。
 リュウジではなく、敵陣のコウヘイに向かって。
 


   * 8 *
 
 
 「ちょっと、暗黒の大将!!」
 「何だ? 俺に用か、女子?」
 千晶ちゃんの突然の問いかけに、敵陣の中心にいたコウヘイが振り返る。

 「オイ、千晶ちゃん?」
 その凛然とした後ろ姿にリュウジが声を掛けるが、千晶ちゃんはまっすぐ前を見たままそれには応えない。
 「あんた、元々はあたしに腹を立ててるんでしょ? だったらあたしが勝負したほうがいいんじゃないの?」
 「ほう──女子が相手か。それが鬼工の流儀なのか?」
 「ちょっと待て、コウヘイ。そんなんじゃねえ。オイ、千晶ちゃん。こっち来いや」
 千晶ちゃんはまだこちらを向かずにいる。
 
 勝負を前にリュウジを慌てさせるのはまずい。オレは出ていって、千晶ちゃんの手首を掴んだ。
 「ハヤト──」
 「いいから。ここはリュウジに任せよう。こんな時は総隊長の出番なんだから」
 「でも!!」
 そんなオレと千晶ちゃんのやりとりを、コウヘイは薄笑いを浮かべて見ている。
 
 「俺は誰が相手でも構わねえがなあ。どうした? 女子、やってみるか?」
 「いや。コウヘイ、水を差してすまない。相手はリュウジだ」
 「ハヤト!!!」
 千晶ちゃんは納得できないようだ。負けん気の強いところは普段なら天晴れで済むけど、今はそういうタイミングじゃない。

 そんな千晶ちゃんにノブオが詰め寄る。
 「千晶センパイ、頼みます。ここは兄貴に行ってもらってください。負けたオレが言うのもアレですけど……」
 「そうだ、千晶さん。今はリュウジが行くほかはないのだ、それが我々なりの闘いの流儀なので」
 ダイゴはわざと千晶ちゃんの目前に立ちはだかった。きっとコウヘイと千晶ちゃんの間を遮るために。
 
 人形みたいな美少女顔に壮絶な気迫の色を掃いた千晶ちゃんをなんとか宥めて、オレたちはふたたび陣営を張る。中心のリュウジは、オレが心配したほど気持ちを乱した様子もなくて、ただ気迫を漲らせて、勝負開始の間合いを計っているようだ。

 「コウヘイ!!! 覚悟はいいか?」
 「おうよ。いつでも来るがよい」
 そんなリーダーふたりの声が呼応しあったのが合図だ。

 スタート地点に向かう前にリュウジは千晶ちゃんを呼んだ。
 「千晶ちゃん、俺が必ず勝つぜ。だから責任なんて感じるんじゃねえぞ。千晶ちゃんは悪いことなんかしてねえんだからな」
 「リュウジ……」
 形のいい眉をすこし歪めて、千晶ちゃんはリュウジの名前を口にする。
 「そんな顔すんなや!!! 千晶ちゃんは鬼工のアイドルだろう? 他の奴らが見たら俺、生きて学校から出られなくなるぜ」
 こんな状況でも冗談交じりに他の者を元気づけるなんて、オレにはきっとできないな。やっぱり器とか、そういうやつなんだろう。
 「じゃあ行ってくるわ」
 軽く右手を挙げて、リュウジはコウヘイの待つラインへと単車を寄せていった。

 両軍の仲間が見守る中、リュウジとコウヘイの勝負が開幕する。
 排気量の大きい2台の単車が奏でるマフラー音は、夜の倉庫群にやたらと反響している。
 胃袋まで揺さぶってくるような爆音を耳に、オレたちはリュウジの遠ざかっていく姿を必死で目で追いかける。
 熾烈にぶつかり合いを展開しながら、国道のアスファルトをえぐる勢いで駆け抜けていく2台は、あっという間に視界から過ぎ去っていった。

 単車勝負は目前で繰り広げられる喧嘩とは違って、つぶさに戦況を見守ることができないのが待つ側には焦れったい。
 オレは比較的場数を踏んでいるほうなので、おのずと待つ身でいることは少ない。
 だからかどうか、こういう時の落ち着かない気分は人一倍なのかも。
 けど──今日ばかりはそんなことを言っていられない。
 千晶ちゃんが、やたらと蒼白な顔でリュウジの走り去った国道から目を離せなくなっているから。
 だからオレは、珍しく宥め役を買って出ることにした。少しは気が紛れるし。
 
 「千晶ちゃん。ほら、そんな心配するなってば。リュウジは絶対大丈夫だ。オレが保証する」
 「ハヤトぉ……」
 「リュウジはさ、誰かの仇を討つような場面だと神懸かりっぽい力を出せる漢だから。な、ダイゴ?」
 「押忍。守るべき存在のいる者は、想像でははかれないことをやってのけるものだ」
 「そうっスよ、千晶センパイ!! オレ、こんなこと言うから兄貴に叱られるんっスけど、でも兄貴が後ろにいてくれるってだけで心強くって。だから千晶センパイも、兄貴を思いっきり頼りにしてたらいいと思うっス」

 オレたちが口々に言うのを聞いて、千晶ちゃんはようやく頬の筋肉を、ほろりと緩めた。
 「そっか……リュウジはみんなの柱なんだもんね」
 「あ、いいこと言うね、千晶ちゃん。そうそう、なんだかんだ言ってもリュウジがいないと締まらないってか、成り立たないんだよな。オレたちは」
 「そうだな、ハヤト。今さらにそんなことを思うな」
 「ホントっすね。千晶センパイ、卓見っス!!!」
 「あは、ありがと。ノブオくん。でも、いいね。男同士の友情とかってさ。あたし中途半端に男で中途半端に女だからな。やっぱり憧れるよ」
 なんて千晶ちゃんが言う。

 「そう? でも千晶ちゃんはその気になればどっちの友情もできるじゃん? そっちのがお得じゃないの?」
 オレの何の気なしの言葉に、みんなは何でか「え?」って顔をした。
 「あの……お得とか、そういう話でもないんだけどな」
 「ここはリュウジの代わりに言うが……やはり視点が普通ではないな、ハヤト」
 「え? オレ、またおかしなこと言った? ダイゴ」
 「え~と、やっぱハヤトさんはハヤトさんっスね……」
 ──なんかわかんないけど、リュウジがいなくて助かったのかな、オレは。



   * 9 *


 そうこうしているうちに、そろそろ勝負者ふたりが戻ってきてもいい頃合いになった。
 離れたところで地面に座っていた暗黒一家の連中も立ち上がって、見通しのいいあたりに陣を構え直す。
 
 やがて海からの風に乗って、リュウジたちのマシンの奏でる爆音が聞こえてきた。
 リュウジとコウヘイの実力はほぼ互角だ。まだ近くまで来てはいないのに、爆音のする方角から激しく散る火花が見えるような錯覚に陥る。
 まるで炎に包まれたようなオーラを出す2台のマシンが、オレたちの待つ倉庫群に突入してくる。最後の直線は、駆け引きなしの度胸勝負になる。
 オレは自分が勝負に出ているかのような緊張感に身を委ねた。

 残り300m──予想通り、2台の勢力の優劣は皆無だ。
 残り200m──コウヘイが一歩先んじているか?
 残り100m──リュウジ、頼む!!! みんな信じているから……

 オレの掌には、じっとり汗が滲んでいた。
 それをかたく握り直して、訪れる瞬間を待つ。
 リュウジとコウヘイの互いの自尊心を賭けた勝負の行方──

 ゴール直前に、何かに取り憑かれたような加速を見せたのはリュウジだった。
 灼熱色に空気が染まったかに見えたと思うと、リュウジのマシンがコウヘイを振り切って、ゴールラインを駆け抜けた!!
 「やった──リュウジの勝ちだ」
 オレは目の前が何でだかくらくらするのを感じながら呟いた。

 「よっしゃ!!! 面目は保てたな」
 単車をオレたちの近くに停めて、リュウジが笑んだ。
 それを見て、オレたちはみんな一瞬言葉よりも先に安堵と感嘆のため息をついていた。

 どうにか祝福を言えるようになったのは、そのすぐ後のこと。
 「兄貴!!! よかったっス~!!!」
 「押忍。さすがだ、リュウジ」
 「ほんとにね。頼りになるよ」
 オレたちはリュウジを囲んで、口々に言う。受けるリュウジは笑顔の中にもまだ緊張感を持続させている顔をしてた。
 
 「リュウジ──」
 その声のほうに目をやると、目を潤ませた千晶ちゃんがいた。
 「オウ!!! 心配かけたな、千晶ちゃん」
 「ううん。そんなことない。あたし信じてたもん、リュウジを。ね、ハヤト?」
 「ああ。そうだね」
 「リュウジ、ほんとにありがと。かっこよかったよ」
 今度のは、ちょこっと涙声だった。いけね、なんかオレもつられそうになったよ。

 しばしの後。単車のエンジンを停めて、コウヘイがオレたちの陣へ近づいてくる。背後には3人を引き連れていた。
 反射的にオレは身構えるが、リュウジは鷹揚とそれを待ち受けている。
 「リュウジよ。俺の負けだ」
 「オウ!!!」
 コウヘイの悔しそうな表情──ハンゾウもゴンタも、タカシも同様だ。
 「約束だ。非礼を詫びよう」
 コウヘイはそう言うなり、リュウジに頭を下げようとした。

 「いや、待て!!! コウヘイ」
 けれどもそれをリュウジが制したんだ。
 「──?」
 「俺らが遊びなんかじゃねえってわかればそれでいい」
 吐き捨てるようにリュウジは言う。
 「まあな、こうなる原因を作ったのはこっちだからな。謝られる筋じゃねえのは承知だぜ、本当はな」
 「リュウジ、貴様──」
 コウヘイは珍しく動揺している風だった。

 「俺らはいつでも本気だぜ!!! それが伝わりゃいいんだ、俺は。な、お前ら? そうだよな?」
 リュウジにそう言われて否やを唱える者なんて、いるわけがなかった。
 オレたちは無言で頷いて、肯定を告げたんだ。

 が──オレたちの中でひとりだけ口を開いた者がいる。
 「あの……えと、暗黒の大将」
 「うん? 何だ、女子」
 コウヘイの前へ進み出たのは、なんと千晶ちゃんだった。
 「あのね、こないだはごめんなさい。あたしが悪かったのかもしれない。ちょっと先を急いでたから挑発するような真似したみたいで」
 「ほう──?」
 ぺこりと頭を下げる千晶ちゃんの姿を、コウヘイたちは見ていた。
 
 「オイ、千晶ちゃん……」
 「いいの、リュウジ。あたしね、リュウジにも申し訳なくて」
 「いや、俺はどうってことねえぜ」
 「それに、暗黒の人たちにも迷惑かけたかもって思って」
 「ほう──リュウジよ。貴様のところの女子はなかなか気骨と礼節があるじゃねえか?」
 なあ、と仲間に同意を求めるようにコウヘイは視線をやると、暗黒一家の面々はそれに応えるように頷き返した。
 
 「鬼工の女子よ。覚えておけ」
 すこし間を置いて、コウヘイは千晶ちゃんを正面から見据えて言った。それへまっすぐに千晶ちゃんは視線を返す。
 「なあに?」
 「俺は逞しい精神を持った者は嫌いではない。それが女子であろうと、だ。それに免じて、先日のことは不問としよう」
 「──コウヘイ?」
 リュウジが問うのには、コウヘイは応えなかった。

 「だがまあ、次は容赦しねえからな。たとえ女子でもな」
 「ええ、わかったわ」
 千晶ちゃんはにこりと──さすが鬼工のアイドルたるところを見せて、まるでそれが必殺技であるかのようにコウヘイに笑いかけた。
 それを見たコウヘイは、あからさまに動揺していた──とオレは思った。だってちょっと顔が赤くならなかったか?
 千晶ちゃんを完全に女の子だと思ってるみたいだしな。べつに本当のことを教えてやる筋合いでもないから仕方ないけど。

 「それでは今日はそろそろ退くぞ、お前等」
 仲間を振り返って、ひときわ大きな声でコウヘイはそう言った。
 「了解です、総帥」
 「ラジャー!!」
 「モンガー!!!」
 それぞれ同意を告げると、暗黒一家は各々の単車のエンジンをスタートさせたんだ。

 立ち去り際、コウヘイは千晶ちゃんにこう言った。
 「女子よ。次は俺と勝負してみるか?」
 「それもいいかもね。あたし負けないよ? ハヤトにコーチしてもらうから」
 それへ皮肉めいた笑いを投げかけたのを潮に、コウヘイたちは爆音と共に去っていった。
 コウヘイ相手にそんな風に言えるヤツなんて──男でもそうそういないかも。

 オレたちは改めて、千晶ちゃんに賞賛のまなざしを向けたけど、当の千晶ちゃんはまったく気付いていなかった。
 「え? なに? なんかおかしなこと言った?」
 カラダは男でも、心は女の子。そんな千晶ちゃんはもしかしたら誰よりも──いやリュウジの次くらいに漢なのかもしれなかった。

 「いや、全然おかしなことなんて言ってねえぜ!!! むしろそれこそが俺らの信条だ。千晶ちゃんはやっぱり逞しいな」
 「ああ。リュウジの言うとおり! 千晶ちゃんって男前だよね」
 「ハヤト……オトコマエって、それは褒め言葉?」
 「ん? あ、そうか。間違えたなあ、オレ」
 まあいいけどね、なんて千晶ちゃんは笑ってる。リュウジたちもため息混じりに苦笑い。
 
 わが鬼工のアイドル・千晶ちゃんは、日々自分を磨くタイプの努力家だ。きっとそのうち、単車の腕だって上げてくるんじゃないかな。
 オレもうかうかしてられないかも、なんて思いながら、千晶ちゃんのストレートヘアが風になびくのを見てた。
 
 深夜の倉庫群で単車に跨る千晶ちゃんの姿──爆走天使の称号はもしかしたら千晶ちゃんに一番似合うのかもしれないな。


   * 完 * 


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