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これまでのおはなし

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御来訪感謝

贈り物を心より

   * 1 *

 
 4時間目終了のチャイムが鳴った。いつもだったらそれと同時に廊下へダッシュして購買に疾走するはずのリュウジが、そんなことお構いなしといった風情で広げたままの教科書に真剣に何かを書き込んでいる。
 なんだろ? 珍しいものを見ちゃった気がするな、オレ。
 「何書いてるんだ? リュウジ」
 「え──うわ、ハヤト!!! な、なんでもねえよ。覗くなっての」
 慌てた素振りでもって、リュウジは上体をがばっと机の上に覆い被せた。
 「あはは。何もそんな隠さなくたっていいじゃん」
 「ああ、もう!! ハヤトにゃ関係ねえんだってのに。ってか、もうチャイム鳴ったか?」
 「うん。とっくにね。気付かないくらい集中してた?」
 「お……おう」
 いくらか気まずそうにリュウジは眉間にしわを寄せた。
 
 「まあ、なんだっていいやな……って、いけね、出遅れたぜ。ハヤト、購買まで走るぞ!!!」
 「うん。了解!!」
 がたんと音をさせてリュウジは椅子から立ち上がる。
 その隙にちらっと見えたんだ。リュウジが慌てて隠した教科書の中。
 活字しか印刷されていない、面白みなんて一切無関係の英文法の教科書に書き込まれた鉛筆の描線。
 ほわっとした雰囲気の、それは誰かの顔の絵だった。

 教科書の落書きなんて誰でもするとは思うけど──いつもと同じくリュウジと並んで昼食をとりながらオレは考えてた。
 「なあ、ハヤト」
 「ん?」
 「亜由姉って今、仕事忙しいのか?」
 「ええと、どうだろ。訊いてみないとわかんないけど」
 「そうか」
 リュウジが何かを考える顔になる。
 亜由姉さんはオレのひとまわり年上のいとこだ。絵を描くのを生業としている。
 「なんだったら電話して訊いてみようか? 何か用なんだろ?」
 「ん~、そうだな。それじゃあ俺が直接訊くわ。ハヤト、電話番号教えてくれっか?」
 「ああ、いいけど……ちょっと待って」
 食べかけの弁当の箸をとめて、オレは亜由姉さんの電話番号をノートのすみっこに書いて、それを切り取ってリュウジに渡した。
 「おお、ありがとな、ハヤト!!! 食い終わったらさっそく電話してくっかな」
 そう応えて、リュウジは残りの弁当を早いピッチで食べ終えて、飲みかけのいちご牛乳を片手に教室を出ていった。
 「……なんだろ? 急ぎの用でもあるのかな」
 まあ、のんびりペースのオレとは違って、どっちかと言ったらリュウジはせっかちなほう──というか、思い立ったら即行動の漢だからこういうのは珍しいことじゃないんだけど。
 取り残されたオレは、さっき購買で入手してきたデザートのプリンにとりかかることにした。いつもカラメルソース部分を一口欲しがるリュウジがいないのをいいことに、完食したらなんだか満足だった。

 リュウジが用事を済ませて教室に戻ってきたのは、かなり時間が経ってからのことだった。5時間目の始まる直前だったんだ。
 5時間目が終わった後の休憩時間にリュウジに訊いてみた。
 「亜由姉さん、なんだって?」
 「うん? ああ、まあ──ってわけで、俺このまま出るわ。ハヤト、代返夜露死苦ぅ!!」
 「え……? ってわけで、ってどんなわけなんだよ、リュウジ」
 「まあまあ。細かいこと言うなや!!! それじゃな、ハヤト」
 言うが早いか、リュウジは鞄を持って教室から風のように出ていった。
 「あ、お~い……って、もう聞こえないか」
 意味も分からず取り残されたオレの、これまた取り残された問いかけが虚しく教室に響いていた。
 一体なんなんだ?

 放課後のこと。結局リュウジは出ていったっきり帰ってこなかった。まあ、出ていったのがあの時間だからそれ自体は予想通りだけどね。
 「ハヤトさ~ん」
 「あ、ノブオ。今帰り?」
 「ウイ~っス!! って、今日はひとりっスか? 兄貴は?」
 「リュウジね。さっき散歩行ってそれっきり」
 「そうっスか。な~んだ」
 「どうした? 何かリュウジに用だった?」
 「いや、別になんでもないんっスけど。ただ『また明日』って挨拶しないと落ち着かないなと思って」
 「あはは。ノブオの日課か」
 「ええ、そうっス!!!」
 ノブオは胸を張って答えた。ノブオらしいよな。

 そんなノブオと、ダイゴも合流して途中まで一緒に帰ってきた。
 駅前でふたりにノブオじゃないけど『また明日』と挨拶して、家までのんびり歩いた。
 今日は招集もかかっていないし、まるっきりの暇が訪れる。
 家に帰って、たまにはやらないとって思っていた単車の手入れなんかをこれまたのんびりやってみる。
 オイル交換をして、ワイヤーの調子を確認して。
 ついでに洗車だ。もう寒いから、水の冷たさがけっこう厳しい。
 だけど、きれいになった我が愛車を見てたらより一層の愛を感じるんだ。
 
 最近、放課後って言えば何かと用事に追われたりしていたし、そうじゃなくても誰かと一緒に過ごすことが多いから、愛車だけと過ごす時間は本当に久しぶりだった気がする。
 いろんな調整やら磨き上げやらを終えて満足したオレは、エンジンをかけて愛車に跨った。
 よし、今日もいい音だ。
 調子が出たついでにその辺を一周してこようと思い立って、上着をとりに部屋まで戻る。
 出てきたところで店先にいた親父につかまった。
 「おや、放蕩息子。暇そうにしているかと思いきやお出掛けか?」
 「うん。ちょっとね。そこら一周してこようかなと思って」
 「それは好都合。帰りにスーパー寄ってネギ買ってこい。今夜は鍋だそうだ。母ちゃんにさっき頼まれたんだが、生憎仕事中の身は忙しくてな」
 「そんな忙しそうにも見えないけどなあ……」
 「いいから!!! 文句言わずに買ってこい。ほれ、おつりはとっといていいから」
 そう言って、親父はオレの掌に100円玉を2枚握らせた。ほんとに子供のおつかいだ。

 冬の匂いの鬼浜町を一周して、おつかいを済ませて帰宅する段になって、オレはようやく気が付いた。
 ネギを持って単車に乗るってのが、いかに恥ずかしいことかって。
 主婦が原付でなら似つかわしいかもしれないけど、オレは10代の男子だし。単車は目立つチューンをしてあるし。
 あ~、不似合いきわまりない。道理で親父が自分で行きたがらなかったわけだ。
 しかもネギ、税込198円だったよ。親父、巧いよな……。

 ため息混じりにスーパーから出て、お駄賃の2円をポケットにしまって。
 こんなとこ、知ってる誰かに見られたくないかも。
 ちょこっと辺りに気を配りながら、ふたたび単車にエンジンをかけようとした──ところで、海の方角からやかましい単車が近づいてくるのに気が付いた。
 あの音、きっとハンゾウのマシンだな……逃げるようにオレは、ネギをもったままスーパー店内に逆戻りして、推定ハンゾウマシンの音が遠ざかるのを待ってた。
 そしたら背後からオレを呼ぶ声が──
 「よっ、ハヤト。お使い? えらいね」
 「あ──千晶ちゃん」
 「あはは。それにしてもネギと改造単車って組み合わせ、ちょっと笑える~」
 ……いいんだ、オレは。今夜の鍋さえおいしければ。
 こんな平和な夕方を満喫できて、オレは幸せだよ、親父……。



   * 2 *
 

 オレが身を挺して手に入れたネギの入った鍋を食べたあと。
 ふと思い立って、亜由姉さんに電話してみた。
 「もしもし。亜由姉さん?」
 「あ~、ハヤト。こんばんわ」
 「あのさ、今日リュウジから電話いった?」
 「うん。あったよ」
 電話の向こうから聞こえてくるのは、亜由姉さんの声とともに紙か何かをがさがさいじる音。
 「ああ、仕事中? 忙しい?」
 「ううん、平気」
 「ならよかったけど。でさ、リュウジは何の用だって? もしかして今日、そっちに行ったんじゃない?」
 「ああ──うん、まあ、いろいろあるってことよ」
 いろいろ、ってなんだろ? 歯切れのよくない亜由姉さんの返事だ。

 「まあいいじゃん、ハヤト。リュウジもいろいろあるのよ。あれでも案外デリケートでロマンチストでカワイイとこある……いてっ!!」
 「え? なに、どうかした?」
 「あ、なんでもない。こっちのこと。まったくもう……」
 どうも何かあるみたいだ。しかも亜由姉さんは口止めされてるっぽい。
 「とにかく、放っておいてやればいいよ、ハヤト。心配するようなことはないから」
 「そっか。オレはいいんだけどさ、リュウジに変わったことがあるとノブオが気に病むから」
 「あはははは。なるほどね。リュウジも幸せ者ってことね」
 なんでもないから、を主張する亜由姉さんをこれ以上問い質してもしかたないな、と思ってオレは電話を切ることにした。
 またね──と言いかけたとき、電話口から遠いところで誰かがくしゃみをするのが聞こえた。
 来客中だったんだ。悪いことしたかな──なんてちょこっと反省した。

 翌日。
 何事もなかったようにリュウジと一緒に登校して、ごく普通に授業を受ける。
 いつも通りの日常の中で気付いたことがひとつあった。
 授業中の鎮まった教室に、隣の席から響く音。
 「ぶえ……っくしっ!!!」
 大きなくしゃみがオレの耳をつんざいた。
 「あれ? リュウジ、風邪?」
 「ん? いや、そんな感じでもねえんだけどな。鼻炎とかかもな。昨日からときどき出るんだよな」
 「ふうん。大事にしたほうがいいね」
 「オウ!!! そうだな、ハヤト」
 鼻をこすりながら答えて、リュウジは視線を机に戻した。今日も何か描いてるみたいだ。
 それに、さっきのくしゃみ。
 あれ、昨夜亜由姉さんと電話しててで聞こえたのと似たような感じじゃなかったかな?

 その日の夜は、リュウジからの招集でみんなで走りに行った。
 自分で集合をかけたわりに、リュウジが来たのはすこし遅れた頃だった。
 「オウ、待たせたな。みんな」
 「珍しいな、リュウジが遅れるとは」
 「悪い、ダイゴ。ちょっと出掛けたもんで──ぶえっ……くしっ」
 「あ、兄貴!!! 風邪っすか?」
 「いや、そんなんじゃねえよ、ノブオ。気にすんな」
 そんなリュウジを見て、オレはまたひとつ気付いたことがあった。
 リュウジの頬に、青い色がついてる。絵の具か何かだろう。
 きっと今まで亜由姉さんのとこにいたんだな、リュウジ。オレに何も言わないって、どういうことなんだろ。

 オレたちの知らないところでリュウジは何かに打ち込んでいるらしい。
 オレは最初から知っていたけど、ダイゴもそれに感づいたようだ。
 明くる日の放課後のことだ。授業が終わると即座に退散したリュウジの後ろ姿を教室の窓から眺めていたら、現れたダイゴがこう言った。
 「ハヤト。リュウジはもう帰ったのか?」
 「うん。最近早いんだよね。帰るの」
 「そうか。忙しいのだろうか」
 「ん~、多分ね。よくわかんないけど」
 多少は心当たりもあるんだけど、正確なことは解らないからこうとしか答えられない。
 「ハヤトも知らないとなると、よほど他人に知られたくないことなのかもしれんな」
 「ええっ? そう? 別にオレ、そんなにリュウジのこと細かく知ってるわけじゃないけどなあ」
 
 「で? リュウジの様子がおかしいって?」
 窓際で話しているオレとダイゴに気が付いたらしい千晶ちゃんがこう声をかけてくる。
 「ああ──おかしいっていうかね。何かに打ち込んでるみたいだけど、オレたちには隠したがってるってのが真実かな」
 「ふ~ん」
 にまり、と千晶ちゃんが笑む。
 そんなところにノブオも現れて。
 「兄貴ぃ~!!! って、あれ? 今日も兄貴は先に帰っちゃったんスか?」
 「押忍。遅かったようだな、ノブオ」
 「な~んだ。今日はこないだ借りた漫画の続きを借りに兄貴のとこへ行こうかと思ってたのにな~」
 「それは残念だったね、ノブオくん」
 「ホントっスよ~、千晶センパイ。ここんとこ兄貴、付き合い悪いっス」
 「あはは。そんなことないだろ? 昨日だってみんなで走りに行ったじゃん」
 「それはそうっスけどね。ハヤトさん。でも、ここ数日の兄貴ってちょっと違うってか」
 「ノブオもそう思うか」
 ダイゴとノブオは、うんうん、とふたりして腕組みして頷きあっていた。

 「あのさ。もしかして」
 含み笑いといった顔で、千晶ちゃんが切り出した。オレたち3人の顔をゆっくりと見回して続ける。
 「リュウジって、恋でもしてるんじゃないの? デートか何かで忙しかったりして」
 「えええっっっ!!! 兄貴がっスか?」
 「おお──それは思い至らなかった」
 千晶ちゃんの言葉に、ふたりは大袈裟に驚いて同時に声をあげた。
 そして、オレも。
 「まさか──リュウジが亜由姉さんと?」
 「あれ? ハヤト、心当たりあるの?」
 「心当たり、っていうか……」
 オレは口ごもる。
 そう。たしかにリュウジが目に見えて忙しそうになったのは、オレが亜由姉さんの電話番号を教えてから。
 誰に確認したわけじゃないけど、リュウジは亜由姉さんの部屋に行っているんだと思う。
 そう言われてみると、否定する材料がオレには見つからないわけで……。

 「亜由姉さんとは、ハヤトのいとこの?」
 「うん──ダイゴ。こないだ用があるっていうから電話番号教えて。そのあたりからリュウジの様子がちょっと、ね」
 「えええっっっ!!! あの美人のお姉さんっスか……。確か結構年上っスよね?」
 「ああ。オレよりひとまわり上」
 「うふふ。ノブオくん。愛の前には年の差とか国籍とか性別とか、一切関係ないんだよ。覚えておいたほうがいいね」
 「……それにしたって、オレ、結構びっくりっス、千晶センパイ」
 「ええと──ノブオ。一番驚いてるのオレだから。悪いけど」
 リュウジとオレの身内が──しかも亜由姉さんが恋だなんて。
 嗚呼、なんかどういう反応していいんだかわかんないよ、オレ……。



   * 3 *

 
 「じゃあ明日ってことで約束な!!!」
 「は~い!! 楽しみですねえ」
 「押忍。よほどきれいなのだろうな。巨大ツリーは」
 前から予定していた話がまとまって、みんなその気になっている。
 月初めに点灯式があったという美山瀬のクリスマスツリーを明日、いよいよみんなで見に行こうという話がまとまったんだ。
 クリスマス本番は道路が混むだろうから、観るなら早めのほうがいいと地元在住のオレたちの仲間が教えてくれたので、シーズン直前の平日を狙ってみることにした。
 「そしたら俺、タケルに連絡しとくわ」
 「うん。オレもテツに電話してみようかな」
 
 冷静に考えてみれば──まさかリュウジと亜由姉さんが恋しているなんていうのは到底ありえないだろうと思い至った。
 リュウジはともかく、亜由姉さんには彼氏いるだろうし。多分。
 とはいえオレが的確に否定できる要素もないから、ダイゴやノブオはどう考えてるんだかわからないけど。

 とにかくその後数日間はリュウジの様子は相変わらずだった。
 そして今日。昼休みになんとなくオレたちの教室に4人集まったとこでリュウジが言いだしたのが明日の美山瀬行き計画だったんだ。
 放課後は例の如くでリュウジは速攻退散。
 今日は赤ジャージの特訓の日だっていうダイゴにさよならを言って、ひとり帰途についている。
 うん。帰ったらすぐにテツに電話してみよう──そう考えるとちょこっと楽しみだ。
 テツは湖のある美山瀬が地元の、オレたちと似たようなチームの特攻隊長をしてる男。リュウジが連絡すると言ったタケルっていうのは美山瀬烈風隊の隊長だ。
 そのテツとは以前に縁があって仲良くなって、それでときどき連絡をとりあう関係だ。
 立場とか根本の気性みたいのが似てるから、知り合ってそんなに経っていないわりには気安い仲。
 
 家について、店先でいつものようにお客に預かった単車をいじっている親父にただいまを言うと、オレはすぐに部屋に戻って電話を手にする。
 「はいは~い」
 「オッス、テツ。オレだけど」
 「うん、ハヤト。明日こっち来るって?」
 「え──あれ、もう情報行ってるんだ。早いな」
 「まーね。さっきリュウジから電話あったんだって、タケルから連絡網が回ってきたとこだ」
 「連絡網って……タケルもマメだなあ」
 「そうそう。ぶっきらぼうに見えるけどさ、あれでけっこう几帳面だよ、うちの隊長」
 「へえ。ああ、でもウチの総隊長も案外そうかも。義理堅いし」
 「だろ? やっぱさ、リーダーってある程度そうじゃなきゃつとまんないのかもなー」
 「あはは、言える。オレみたいなとぼけた奴じゃ絶対ムリだもんな」
 「おれもそう。うっかり屋だから」
 話すたびに親近感の湧いてくる男なんだ、テツっていうのは。

 「んで、そっちは最近どんなふう?」
 「ウチ? ええと、オレこないだまでバンドやってたりしてね。ちょっと忙しかった」
 「うわ、バンド? すげーな、ハヤト!!!」
 「とんでもない。ちょっと友達のところの手伝いでね」
 「リュウジは? 元気?」
 「うん。元気なことは元気だね。でもちょっと──」
 「どーかした?」
 断じて言う。オレは元来、そんなにおしゃべりなほうなんかじゃないんだ。
 けれど、一歩外にいる気心の知れた仲間・テツからの問いかけに──リュウジの近況を話して聞かせていた。
 なんだかひとりで気を揉んでいるのが辛かったのかもしれない。
 テツは相づちを入れながら真剣に聞いてくれてた。

 冬の夜の山間の冷え込みを体感するのは初めてかもしれない。
 明日そっちに行く──の予告通りに4人して、放課後に美山瀬へ出掛けたオレたちをタケル以下の美山瀬烈風隊はとても歓迎してくれた。総勢20人ほどはいるだろうか。
 「よく来たな、リュウジ」
 「オウ!!! わざわざ出迎えてくれてありがとな、タケル。美山瀬のみんな」
 「お初にお目にかかります、鬼浜のみなさん」
 「こっちこそ。夜露死苦な!!!」
 そんなふうにお互い挨拶しあって、前にテツの単車のパンク修理をした駐輪場にそれぞれ単車を停めると、目的地へと集団で歩いていった。

 「よっ、ハヤト」
 ぽんと背中を叩かれて振り向くと、人なつこい笑顔がオレを待っていた。笑顔の上には逆毛を立てた金髪──テツだ。
 「うん。寒いね、こっち」
 「そーか? ああ、でも海の方だもんな、鬼浜町って。そっからすると寒いか」
 「なんだ、ハヤト。お前いっつも寒がってねえか?」
 「いや、寒いって。リュウジは平気なのか?」
 「当然。俺は気合いの漢だからな──ぶえっ……くしっ」
 「うはは。くしゃみしてるってば」
 「やっぱり寒いだろう?」
 そんなふうに美山瀬のふたりはリュウジを指さして笑ってる。
 「いや、違うぜ!!! 俺、ここんとこ鼻炎みたいでよ。な、ハヤト?」
 「あ~、そうね。こないだからそう言ってたな」
 そう。亜由姉さんとの電話越しでも聞こえてきてたんだ、そのくしゃみ。
 はたと思い至って、意味もなくどきっとするオレ。

 「オウ、そうそう、あのな、タケル」
 「うん? どうかしたか?」
 リュウジとタケルが話しながら一足先を歩きだしてから、テツがオレに耳打ちする。
 「ねー、ハヤト。リュウジ別に変わったとこないんじゃない?」
 「え? そう思う?」
 「うん。何も妙な隠し事なんてしてるふうには思えないけどなー。勘だけど」
 「そう見える?」
 こくり、と金髪が縦に揺れた。

 「なら──そうなのかな。確かにね。放課後の行動がいつもと違うこと以外はなんでもないから。リュウジってちょっとでも気分が違うと顔に出るほうだけどさ、今のところそういう気配もないって言えばないかな」
 「まーね。本人は隠してるつもりじゃないだけかもよ? んで、勘ぐるよりかさ、ずばり訊いてみたらいいんじゃない? 本人に」
 「あ……」
 言われてみればそうだよな。オレ、勝手に気を揉んでばっかりで、直接リュウジに何も訊いてはいないんだ。
 「そうだよな。うん。気がつかなかったよ。そんな簡単なこと。相手は割となんでも自分から話すほうだからさ。こっちから質問を投げるなんてのは」
 「うはは。案外単純なことって自分じゃ気付かないもんだよ、ハヤト。おれもそうだ」
 「……テツ、もしかしてタケルあたりに『とぼけた奴』って言われてない?」
 「え!!! 何で知ってるかなー、ハヤトがそれを」
 「知らないけど──オレがそうだから」
 ふたりして声を出して笑ってた。やっぱりテツとは同類なのかもな。

 両隊長を先頭に徒党を組んで歩く、少しばかりいかつい集団には──さすがにちょっと不似合いな場所みたいだ。平日とは言っても、やっぱりこういうところにはカップルが多いわけで。
 人混みを掻き分けて、先を行っていたノブオが駆け戻ってくる。
 「ハヤトさん!!! スゴイっスよ~。早く歩いて!!!」
 どうやら目的の場所はもう目の前みたいだ。
 ノブオの弾ませた息が、空気を白く彩った。



   * 4 *


 「こっちっス!! ハヤトさん」
 「慌てるなってば、ノブオ」
 とか言いながら、オレもノブオについて小走りに目的へと近づいていく。
 そして目に入ってきたのは──
 淡いオレンジを基調とする電飾が取り付けられた樅の木だった。
 秋にリュウジと昼間に見たその木は、ただの大木から冬のシンボルに変身していた。
 てっぺんには星が飾られていて、巻き付いた電飾がちらちら風に揺れている。
 オレンジの合間を縫うように、赤や緑や青の光がアクセントを添えていて。
 見上げたオレは、その威風堂々たる姿にぽかんと口を開いたままで。

 「おお……本当に大きいな。壮観だ」
 ダイゴは感心したように見上げて言った。
 「そう──ほんとにね。オレ、びっくりしたよ」
 「きらきらしてるっス~!!! オレんちのツリーの何倍あるんだろ」
 「ノブオのとこも確か大きかったと思うけど……何倍っていってもね」
 「押忍。桁が違うだろうからな」
 「そうっスよね~。うはは」
 寒くて暗い冬の夜に灯った樅の木は、オレたちの目にはとても暖かかったんだ。
 「なかなかいーだろ、ハヤト」
 「うん。最高だ」
 そう答えたら、テツはさも自慢そうにVサインを寄越した。

 居並ぶ家族連れや、圧倒的に大多数を占めるカップルたちに紛れてひときわ異彩を放つ男ばっかりの集団のオレたち、という構図。一歩退いてみるとおかしなもんかもしれないけれど、それにしたってオレたちだってあのツリーを見たら盛り上がる。
 オレたち4人は、タケルらの美山瀬の大勢の仲間たちに囲まれて気分のいいひとときを過ごしていた。
 はしゃいで写真を撮ってもらってるリュウジとか。
 ひたすらツリーを見上げて嘆息するダイゴとか。
 美山瀬の若手とおぼしき連中と親交を深めるノブオとか。
 そんなのを見てると、寒いのも忘れるよな。

 タケルが命じたのか、美山瀬の若い連中がメインの通りまで戻って、お団子やらを買ってきて振る舞ってくれた。
 それを機に、暗い中ではあるけれど芝生に陣取ってそれぞれに話したりしはじめた。
 「でさあ。そのときオレ、相手のおっきいヤツをさ。こう──」
 なんて、ノブオが武勇伝を披露してるのがほほえましい。
 ダイゴは、やはり自分と同じような立場とおぼしい大柄なひとりと熱心に語り合っている。どっちも見劣りせずに強そうだ。

 そんな光景を眺めていたら、テツが声をかけてきた。
 「ハヤト。食べてちょっとはあったまった?」
 「うん。なんか悪いね。おいしかった。ごちそうさま」
 「それはよかったー」
 うん、と返して、オレはふたたび巨大ツリーに見入っていた。
 もうプレゼントを期待できる年齢でもないから、クリスマスって個人的にはそこまで盛り上がる行事じゃないって去年あたりは思っていたけど、こういうのは悪くない。
 ちらちらと瞬く電飾を見ながら、オレはそんなことを思ってた。
 「たまにはこんなんもいいって思ったろ? ハヤト」
 「え──? あ、うん。そう思った」
 「だよなー。おれたちみたく毎日気合い入れるべきこととか、敵との諍いとかある身でもさー、さすがに和むよな」
 「ちょっとしたプレゼントみたいなものかもね、コレが」
 「うはは、そしたらおれ、いっつもプレゼントもらってるんだなー。幸せだ」
 軽い会話。軽い笑い。気安い空気が自然に流れてた。そしたら──
 「ああ、ここにいたか。テツ、ちょっと」
 「ん? ああ、ハヤト悪い。タケルのお呼びだ」
 オレの肩をぽんと叩いてからテツは立ち上がって、声のほうに小走りで寄っていった。
 ほんとに和むよな──ひとりツリーに見とれていたオレがつと視線を外すと、湖に近いあたりにリュウジが立っているのがわかった。
 見慣れた背中に声をかけようかな、と、オレも芝生から腰を上げたんだ。

 「よう、リュウジ」
 「え──ああ、なんだ。ハヤトか」
 「なんだよ、そんなびっくりした顔して」
 「ああ、いや、まあ──」
 オレの呼びかけに、なんか知らないけどリュウジは肩をびくりと動かしてから振り返ったんだ。まるで野良猫みたいな仕草だった。
 
 「何を考えてた? ツリーをじっと見てたけど」
 「うん? いや、別にこれと言って。ただきれいだなあと思ってな」
 「確かにね」
 ほの暗い中で、オレとリュウジは並んで話してる。
 「ただな。あいつにも見せてやりたいなあ、って」
 突然、リュウジはそんなことを言う。オレと視線を合わせないまま。
 「あいつ──?」
 「ああ」
 嗚呼──やっぱりリュウジがいつもの気配じゃないのは、千晶ちゃんの言うとおりなのかもしれない。そんな予感が一瞬オレの胸をよぎった。
 
 ちょっと迷ったけど、さっきテツにも言われたし。勝手に気を揉むのをやめようかと考え直して、オレはリュウジにこう訊いた。
 「それ、もしかして──亜由姉さんのこと?」
 「は? 何がだ?」
 「ツリーを見せてやりたい人っての」
 今度はオレが決まり悪くて視線を逸らしたんだけど──逆にリュウジがオレの横顔を凝視してるのがわかった。それでもって──
 「わはははは。まあな。確かに最近世話になってっからな。亜由姉には」
 笑い飛ばす勢いで、リュウジは言った。
 
 「その恩返しがこの程度でいいんだったら俺はついてるな!! でもまあ、亜由姉も俺なんかが連れてこなくても、その気になりゃ自力で来られるだろ? 頼めば連れてきてくれる人もいるんだろうしな」
 「え──違うのか? リュウジ」
 「違うって、何がだ?」
 「いや……あの、ええと」
 真っ正面からリュウジに問われて、オレはたじたじになってた。
 「なんだ。違うのか。やっぱりな。そんなことないと思ってたよ、オレ」
 「だからハヤト!!! 違うってどういうことだ?」
 「あはははは」
 笑ったところでごまかしなんか……効かないんだろうな。やっぱり。
 
 「オレたち、ちょっと勘違いしてたかも。いいんだ、気にしないでくれ、リュウジ。そうだよな、リュウジだったらもっと歳の釣り合う娘がいるもんな」
 「──? よくわかんねえけど?」
 「いいから。で? それなら訊くけどさ。リュウジ、最近亜由姉さんとこによく行ってるのか?」
 「オウ!!! ちょっと教わりたいことがあったからな。亜由姉ってやっぱすげえな。俺、めっぽう尊敬するぜ。初心者の俺なんかにも丁寧に教えてくれるし」
 「へえ。何か教わってるのか」
 「まあな。これ以上は内緒だけどな。照れくさいから」
 案外、訊いてみればリュウジは簡単に話してくれる。
 別に亜由姉さんのところに行っていることが秘密ってことではなかったようだ。
 ──なんだか気が抜けたな。オレ。
 
 さっきまで座ってた芝生のあたりを振り返ると、テツがオレたちを見ていた。
 うん、テツの言うとおりだったね。ちゃんと訊いてみるのが早かったよ。



   * 5 *


 クリスマスを目前に控えた日付の今日。学期末だから早めの放課後、最近にしては珍しくオレはリュウジに連れ出されることになっていた。
 一旦家に帰って着替えてから、オレは単車でリュウジの家まで戻ってきている。
 「今日は用事ないのか? リュウジ」
 「ああ。作業もようやく一段落だからな。あとは多少手直しすれば終わりだぜ」
 すがすがしい表情をリュウジは見せた。作業とやらは峠を越えたんだなと理解した。
 「それで? 今日はどこへ行くんだ?」
 「ちょっとな。行けばわかるぜ。ハヤトに相談に乗ってもらおうかと思ってよ」
 「相談──オレで役に立てばいいけどね」
 「オウ!! きっとハヤトが適任だと思ったからな!!! まあ、早いとこ行こうぜ」
 「うん。了解」
 行き先はリュウジ任せのオレは、エンジンをふかして走り出すリュウジのあとについてハンドルを切った。
 身を切るような風が吹き付ける。それでもオレは単車に乗るのが大好きだ。大人になってクルマの免許を取ったとしても、きっと冬も単車の男なんだろうな。

 リュウジが単車を停めたのは、デパートの駐輪場だった。
 こないだオレたちが出たライブハウスのある駅の、メインの通りにある大きなデパート。
 「用事って買い物なのか?」
 「オウ。まあそんなとこだ。ハヤト、何軒か回る時間あるか?」
 「うん。オレは暇だからね。どうせ」
 「わはははは。それは好都合だぜ」
 笑い飛ばしてリュウジがオレの背中を叩く。そうだよな。オレってほんとに暇だよな。
 
 デパートの中へ入ってみたら、時期が時期だけに店の飾りもかかっているBGMもまるっきりクリスマスのそれだった。
 「お、ツリーあるな」
 正面から入ってすぐのところにあるのを見つけてリュウジが指さした。
 「ほんとだね」
 「これも悪くねえけど、俺ら美山瀬のやつ見たからな。あれに敵うもんはねえよな」
 「あはは、うん。そうだね。でも美山瀬のがここにあってもちょっと困るよね」
 「……ハヤト。困るってか、有り得ねえだろ、それは。ハヤトの発想ってのはなあ……」
 リュウジはあきれる顔になる。ああ、どうせオレはそういうキャラだから。

 店内をすこし歩いて、あたりをきょろきょろしているリュウジを見てる。
 正直言って、リュウジにデパートって不似合いだ。本人もそう思っているのか、どうも慣れない足取りでフロア案内板に寄っていった。
 「ええと──そうか。もっと上だな」
 納得した顔で頷いて、リュウジはエスカレーターに乗る。オレも後に続いた。
 「何を買うつもりなんだ?」
 「いや、まだ迷ってるな。だからハヤトを連れてきた」
 「迷ってるって……」
 「どんなの贈ったら喜ぶかわかんねえんだよな、いまひとつ。ハヤトのほうがそういうの選ぶの上手そうだと思ってよ」
 「え──もしかして誰かへのプレゼント?」
 「まあな。そんなとこだ」
 答えたリュウジは、いかにも気恥ずかしそうな表情だった。オレ、こんなリュウジを見たのは初めてかもしれない……。
 そうか。プレゼント──ってことはクリスマスの。
 「へえ。リュウジにプレゼントを贈る相手がいるなんて、オレ初耳だ。ちょっとおどろいたな……」
 「そうか? 俺ってそういう柄じゃねえか。やっぱり」
 言葉少なにやたらと照れた顔のリュウジを見てたら、意味不明にこっちの背中がむずむずしてきた。
 「でもまあ、柄じゃなくてもいいよな? ちょっとでもあいつが元気になるようなやつを贈ってやりたいし。協力してくれな、ハヤト」
 言って、フロア表示に目をやってからリュウジはエスカレーターをおりた。
 うん。そういうことならオレも努力するよ。がんばれ、リュウジ──背中に呟いた。

 リュウジのおりたのは、貴金属とか時計の専門店が入っているフロアだった。いわゆる海外有名ブランドのマークのバッグなんかも置いてある。
 おいおい、リュウジはいったいどんな贈り物を選ぶつもりなんだ? こんなの、オレにアドバイスできると思えないんだけど──オレ、かなり不安だ。
 ところがリュウジは──
 アクセサリーのコーナーは素通り。バッグのコーナーも同じく。
 時計売り場では、七人の小人が模されているからくり時計をちょこっとつついただけ。
 一周したところにあった香水売り場には見向きもしないで、こう言った。
 「悪い、ハヤト。ちょっと間違えたな。もう一階上だ」
 「え……ああ、そうなんだ」
 目に見えて安心したオレを眺めてリュウジは笑ってた。あ~、びっくりしたな。

 気を取り直してエスカレーターに乗り直すと、着いた次のフロアの気配はさっきのところとまったく異なる世界。
 とはいえ、これはこれでオレの分野なのかどうか極めて疑問だったんだけど……。
 「ここだここだ」
 リュウジがオレを招き入れた先は、どうしたことかメルヘンの世界だった。
 「ええっ、ここって……おもちゃ売り場?」
 「ああ。まだ宝石とか香水に喜ぶ年頃じゃねえからな。あいつ」
 「は──?」
 「だってあいつ、こないだ7歳になったばっかりだからな」
 おもちゃ売り場の前に突っ立って、オレはぽかんと口を開けている。

 「ええと……リュウジ、そんな若い彼女ができたのか?」
 「彼女? わはははは、そんなんじゃねえよ、ハヤト。まったくどっからそんな想像が湧いてくるんだよ、お前って奴は。おかしな男だぜ!!!」
 「おかしくないってば。このごろリュウジ、オレたちに何かを隠したそうな行動だったし。それでもって今日はわざわざデパートまで来て気合いの入ったプレゼント選びっていったら、誰だってその辺を想像すると思うんだけどなあ」
 オレが楯突いたところで、リュウジはぜんぜん取りあってくれなかったけど……。

 さっきのフロアもそうだったけど、メルヘン漂う空間にもオレたちはぜんぜんミスマッチだった。店員さんが笑っているのは気のせいかな……。
 それでも陳列された数々のおもちゃを見ながら、リュウジは真剣な様子。
 「ハヤト。これってどうだろ?」
 「ドールハウスね。かわいいけどさ、一式揃えるのって大変だろうね」
 「そうか。人形とかちっこい家具とか要るんだな」
 それでもって値札を見て、リュウジは目をまん丸くしてる。
 「こっちは? オルゴール。きれいじゃん」
 「う~ん。あいつ、歌は俺が唄ってやるのが一番喜ぶからなあ」
 「ええ……それほんとに?」
 「なんだよ。文句あるのか? ハヤト」
 「いえ。なにひとつ」

 そんなこんなで、リュウジが気に入ったらしいのはぬいぐるみだった。
 「そうだよな。やっぱこのあたりかな。俺もクマのぬいぐるみで元気出たからな。入院してたときは」
 「あはは。くーちゃんね」
 「オウ。ダイゴはあのあと、本気でもう一頭買ってくれたんだぜ!!」
 「そうだったんだ。じゃあまーちゃんもいるんだ。リュウジの部屋には」
 「まあな。とにかく病院の友って言えばこれに限るな。あいつも寂しいだろうから、ちょっとでも紛れるよな、ハヤト!!」
 「え──入院するんだ。リュウジのちいさい友達は」
 「ああ。だからな、俺にできることはしてやろうと思って。元気づけることぐらいしか思いつかないもんで」
 ちょこっと神妙にそう言って、リュウジはひとつの大きなぬいぐるみを抱きかかえた。
 それはリュウジの髪の毛と同じ色の、ふかふか毛並みでおどけた表情のチンパンジーのぬいぐるみだった。



   * 6 *
 
 
 そのあと何軒か回ってみたけれど、リュウジは最初に気に入ったもの以上にぐっとくるぬいぐるみとは出会えなかったようだ。
 一休みしようとリュウジが言うので、オレたちは海の近くの国道沿いのハンバーガーショップに来ている。
 海に面した窓際の席で、暗くなりゆく夕景なんか眺めながら遅めのおやつに興じていた。

 食べながらぽつぽつとリュウジが話すのを聞いてる。
 「くるみ、ってんだ。俺んちのご近所でな。ちっちゃな頃からときどき遊んでやってた」
 「へえ。くるみちゃんね。オレ、会ったことないよな?」
 「ああ。多分な。あんまり外で遊べないからな。くるみは」
 「入院するんだっけ? 病気?」
 「いや、病気じゃねえ。くるみな、チビの頃に事故にあって、そっから足が不自由なんだ。杖がないと歩けない。今まで何度か手術してんだけど、今回のは割と大きいのをするらしい。俺もよくわかんねえけど」
 リュウジにしては静かな口調で話す。オレは黙って聞いていた。

 「でもよ、今度の手術でよくなったら、来年は美山瀬に連れてってやりてえなあって思って。こないだ」
 「そうか。見せてやりたいって言ってたの、ほんとに亜由姉さんじゃなかったんだね」
 「わはははは。まだそんなこと言ってるのかよ、ハヤト!!! あのな、亜由姉にここんとこ面倒見てもらってたのな、実は病室に飾ってもらおうと思ってよ、大きめの絵を描いてたんだ。俺」
 「あ~、なるほど。それでつながったよ。全部くるみちゃんのため、か」
 「……まあな。そんなとこだ」
 なんでか照れたような顔になったリュウジは、3分の1くらい残っていたハンバーガーを一口に平らげた。
 『誰かのため』っていう言葉に照れてるんだろう。リュウジって、そういうこと自分で言いたがるような漢ではないから。

 「とにかく絵はな、そろそろ完成だ。亜由姉のおかげで、自分で言うのもおかしいけどけっこうよく出来つつあるぜ」
 「うんうん。よかった。今度見せてよ」
 「いや、それは……勘弁してくれ、ハヤト」
 「あはは、どうして?」
 「──巧くねえから。ハヤトよりはマシだと思うけどな」
 「あ……それは言わなくてもいいと思うなあ」
 どうせオレの描く絵は幼稚園児のソレと大差ないんだけどさ。

 「でな。くるみは2学期が終わったら入院なんだそうだ。ちょっと遠いとこに専門の病院があって、そこへ。俺、どうしてもそれに間に合わせたくて」
 「それでがんばってたんだ。もう日がないもんな」
 「オウ。でも美山瀬の連中とも約束してたし、合間にいろいろやることもあったもんで思ったより手間取ったな」
 本当にリュウジは義理堅い。そんなことならオレたちとムリに走りに行ったりすることないのに。美山瀬に行ったのだって、約束を違えるのをよしとしなかったためか──まあ、リュウジらしいけど。
 「くるみちゃん、気に入るといいね。絵とプレゼント」
 「まあな。それにしても俺ってそんなガラじゃねえよな。我ながら気恥ずかしいぜ」
 そう言って、リュウジは紙コップのふたを開けて残った氷を口の中に放り込んでいた。
 
 窓の外を見たら、もう夜の海が広がる頃だった。そしてリュウジは立ち上がる。
 「ハヤト。悪いんだがもう一度最初のデパート付き合ってくれるか?」
 「OK。やっぱりあれにするんだ」
 「オウ。あの猿の、なんか言いたそうな目が忘れられねえんだよな、俺」
 「あはは。ちょっとリュウジに似てたよな」
 「そうか?」
 夜の色の空に星がいくつか瞬きはじめている。
 海辺の星って、美山瀬のツリーの電飾にも負けないくらいきれいだよな。なんて。

 比較的駅に近いオレの家に単車を置いて、今度はふたりして電車にのって昼間にも来たデパートへ。
 リュウジがプレゼントに決めたぬいぐるみはオレたちが持ってもひとかかえある大きめなサイズだったので、単車だと運ぶのが大変だろうと相談したからだ。
 今度はフロアを間違うことなく、まっすぐにおもちゃ売り場へ直行できた。
 
 目的のぬいぐるみコーナーまで来ると、リュウジは迷わずに思い決めていた一匹を手にとって──リュウジの髪とそっくりの色のチンパンジーだ──、もう一度抱き心地を確かめるようにした。
 「やっぱりいいじゃん。それ」
 「そうだよな? これ、悪くねえよな、ハヤト」
 「うん。いかにもリュウジが選んだって感じがするし」
 「わはははは。そんなもんか」
 満足そうに笑って、リュウジはレジに向かっていった。

 「贈り物ですか?」
 レジで店員さんに訊かれて、リュウジは意味不明に口ごもっている。
 「え……ああ、そのう──」
 「はい。贈り物です」
 見かねてオレが口を挟む。
 「包装してください」
 「かしこまりました。クリスマス用でよろしいですか?」
 「リュウジ? どうする?」
 「ああ──ハヤトに任せるわ」
 「オレ? なんだかな……そしたらクリスマス用で。その赤いの、そうですよね?」
 「ええ。リボンは緑色になります」
 よっぽどリュウジはこういうのに慣れていないみたいだ。普通に応対してるオレにびっくりしたような視線を投げてくるのがおかしい。
 時期柄、なんだかんだ包装してもらうまでに時間がかかった。その間中、これまたリュウジはぜんぜん落ち着かない顔をしてた。
 ようやく品物を受け取ってデパートを出たときには、リュウジの額には汗が浮いてた。
 「ふう。緊張したぜ」
 「あはははは。なんでだよ?」
 「俺、こんなの買うの初めてだしな」
 やたらと大事そうに、こわれものでも扱う手つきで包みを抱えてリュウジは言った。

 そのまままた電車にゆられて鬼浜駅まで帰ってきた。
 一度荷物を置いてから単車を取りにウチに来ると言うので、リュウジの家に立ち寄ることになった。
 「ハヤト。くるみにこれ渡すとき付き合ってくれるか?」
 「あはは。なんでよ? ひとりで渡せないの?」
 「いや……そういうわけじゃねえ。ハヤトだけじゃなくて、ダイゴにもノブオにも一緒にいて欲しい。ほら、みんなで勇気づけてやりてえし」
 「ああ。そういうことなのか。そうだね。それじゃみんなで来よう。オレ、ふたりに話しとくよ」
 「ほんとか? 頼んでいいか? ハヤト」
 「うん。お安いご用だ」
 さっきオレひとりを相手にいきさつを話したリュウジのおそろしく照れた顔を思い出すと、そう提案せざるを得ないオレ。甘やかしすぎかな?

 「とにかくくるみが喜んでくれたら俺は最高だぜ!!」
 ふっきれたようにリュウジが大きく言ったその時──背後に人の気配を感じた。
 リュウジと同時に振り向いてみたら、そこにはコウヘイとハンゾウが。
 「ほう。くるみとやらにクリスマスの贈り物か? おそろしく軟派だなあ、リュウジよ」
 嗚呼──なんとまあ好戦的な顔をしているんだろう。コウヘイは。
 「聞き慣れない名前だなあ? 貴様、仲良しの女子がいるのではなかったか?」
 「なんだと──? コウヘイ、何言ってやがるんだ?」
 リュウジは闘う気迫を感じさせずに、落ち着いてこう返していた。



   * 7 *

 
 「リュウジ。コウヘイが言ってるのは千晶ちゃんのことだ。多分」
 空気を察知して、オレはリュウジにちいさく言った。
 どこからオレたちの後ろにいて、オレたちの会話を聞いていたのかは見当もつかないけれど、とにかくコウヘイはリュウジが贈り物をする相手の名前を聞いてつっかかってきたような気がした。
 「何? 千晶ちゃん? それがなんだってんだ?」
 「ゴラァァァ!!! 特攻隊長、余計な口を挟むんじゃねえぞ!!」
 「ああ、それは悪い」
 オレはコウヘイにぺこりと頭を下げた。

 「貴様等、俺をからかっているのではないだろうな? それともその気か?」
 「その気って何だ? 悪いがな、コウヘイ。俺は今日は忙しいんだぜ。お前に付き合ってやれるほど暇じゃねえ」
 「何──? 貴様……」
 コウヘイは滅多やたらとリュウジに絡む。もちろんリュウジは取りあわないけど。
 「忙しいのは嘘じゃねえ。これから人と約束があるからな。な、ハヤト?」
 「ああ、亜由姉さんとこだね」
 「そうだ。あんまり遅くなったら悪いもんな、亜由姉に」
 「リュウジ──貴様、重ね重ね見損なったぞ!!!」
 「……? オイ、コウヘイ。お前何をそんなに熱くなってるんだか知らねえけど……」
 オレにはだいたいの見当がついてた。
 コウヘイは、自身が憎からず思っている千晶ちゃんをリュウジの彼女だと想像しているに違いない。
 それなのに、この短時間の間に珍しくもリュウジに関係する別の女性が名前をふたつも出てきたからじゃないのか? そのうち片方は過去にコウヘイも会ったことのある女性の名前のはずなんだけど、それを本人が覚えているとも限らない。
 もちろんそんなこと、鈍いリュウジが気がつくわけはないんだけど……。
 いや、これだってオレの勝手な想像だから間違っているのかもしれないけど……。

 「とにかく俺は行くぜ。またな、コウヘイ」
 「待て、ゴラァァァ!!!」
 そう叫んで手を出してこようとするコウヘイを、ハンゾウが止めた。
 「総帥。何も今日じゃなくてもいい。どうせ──」
 ハンゾウが二言、三言耳打ちすると、それでコウヘイは少し落ち着いたらしい。ハンゾウに頷き返して、コウヘイは握った拳を開いた。
 「──ふん。覚えていやがれ、リュウジ」

 そう捨てぜりふを残してオレたちを追い越していくふたりの後ろ姿を見ていたら──当たり前だけどイヤな予感がしてくるな。
 「リュウジ。あいつらどこからオレたちの話を聞いていたと思う?」
 「ああ? そんなの知るわけねえけど、別に聞かれちゃいけねえこと話してたんでもないからな」
 「そうかな……。まあ、普通に考えればそうだけど、コウヘイってあんまり普通じゃないからな」
 コウヘイ、きっと勘違いしてるからな。千晶ちゃんのことを。
 「ハヤト。お前って心配性だよな。のんびりしてるわりに。ダイゴみてえだ」
 「リュウジこそ、もうちょっと危機感持ったほうがいいってば!!! コウヘイ、えらく怒ってるよ?」
 「そうみてえだけど。俺、心当たりねえもんな」
 これが普段は闘いの気配には人一倍敏感な漢の吐くせりふだとは到底思えない。
 とにかく鈍い。そっちの気配には、リュウジは鈍すぎるんだ。
 せめて気付いたオレだけでも、どうにか巧く立ち回れるようにカバーしてやれたらいいんだけど。
 
 なんとか無事に荷物──チンパンジーの大きなぬいぐるみは、リュウジの部屋に収まった。やれやれ。
 結局リュウジは、オレの家に置いてあった単車を取りに来たあとに亜由姉さんのところへ行ったみたいだ。さっきコウヘイに人と約束があるって言ってたのは嘘じゃなかったんだな。さすがに馬鹿がつくほど正直な漢だ、リュウジは。ある意味、これもやれやれ、だ。

 「うわ~~~ん、兄貴ってば、そんなことが……」
 「ノブオ。そのように泣くでない」
 「だってダイゴさん……オレ、感動したっス。やっぱ兄貴って素敵っス……」
 翌日のこと。
 午前中で授業が終わったあとにリュウジは『最後のツメがあるから』と言い残して亜由姉さんのところへ行った。それでもってオレはダイゴとノブオを呼び出して、ふたりに昨日わかったこと──リュウジがこのところどういう理由で何をしていたか、ってことを説明したんだ。
 
 「おいおい、ノブオ。鼻水出てるよ」
 「あ、スミマセンっス、ハヤトさん……」
 目を真っ赤にして鼻をすすっているノブオに、オレはティッシュを渡してやった。
 ノブオのやつ、ほんとにリュウジを尊敬してるんだな。
 「なるほど。ハヤトのそれを聞いてようやく得心がいったな。近頃のリュウジの様子に」 
 「だろ? ダイゴ。残念ながら千晶ちゃんが言ってたようなロマンスはないみたいだけどね」
 「ハヤトさん!!! 兄貴にロマンスはまだ早いっス!!!」
 「まだ早いって……ノブオ。あはは」
 「とにかくそういうことなら、是非応援してやらんとな。それなら賛成だろう? ノブオも」
 「ええ、ダイゴさん。もちろんっス!! んで、実際どんなことすればいいんですかね?」
 「うん。特別なことはいらないと思うよ。ただ笑って、行ってらっしゃいって言ってあげたらいいんじゃないかな?」
 「だったらオレ、得意っス!!! こんなんでいいっスか?」
 言って、ノブオは両頬に人差し指を添えて、小首を傾げて笑顔を作った。
 「ええと……ノブオ。そのように無理に微笑むことないと思うのだが……」
 「え、どっか変でした? おかしいな」
 「あはははは。いや、ノブオはそれでいいかもしれないよ。ダイゴ」
 「押忍──俺が間違っていたな。済まん、ノブオ」
 うん。こんな雰囲気をリュウジは望んでいるのかもしれない。
 美山瀬のツリーと同じくらい、くるみちゃんに見せてやりたいのかもしれないな。

 リュウジの行動の意味を理解したオレたちは、そこからくるみちゃんの入院の日までをリュウジの応援に費やした。
 ダイゴは、きちんととってあったという子供時代に親しんだ絵本をプレゼントすると言ってリュウジを喜ばせ、ノブオはリュウジの肩を揉んでやったり自ら望んでジュースを買いに行ったり──って、これはいつも通りか。
 オレはオレで、千晶ちゃんと玉城に協力してもらって、ちいさい子の喜びそうな歌を演奏したのを録音したりして。

 なんだかんだと忙しかったから、終業式のあとにもらった成績表の内容なんかは、もうどうでもいい感じだった。
 っていうか、成績表の存在すら忘れてた。
 学期の途中で入院というハプニングがあったリュウジの成績表は、とくに悲惨な数字が並んでいたらしい。リュウジに渡すとき、赤ジャージがえらく渋い顔をしてたのが印象的だった。
 席に戻ったリュウジに訊く。
 「何か言ってた? 赤ジャージ」
 「オウ。このまま行ったら進級できねえぞって脅されたぜ!!」
 「って、そんな誇らしそうな顔しなくっても……」
 「わはははは!!! 留年が怖くて総隊長が務まるかってんだ」
 「でもさ、留年したらリュウジ、ノブオと同学年だね」
 「……ハヤト。お前ときどき、ほんのときどきだけど鋭いこと言うなあ」
 オレのひとことで、珍しくも赤いリーゼントがしゅんとうつむいた。
 ……悪いこと言ったかな。



   * 8 *


 「本当は俺が取りにいくのが筋なんだけどよ。亜由姉、出掛けるって言うからな」
 今日はくるみちゃんが入院する日だ。
 リュウジは、完成したという絵をまだ亜由姉さんのところに預けたままにしているんだそうで、取りに行くと電話をしたら鬼浜駅まで持ってきてくれることになったらしい。
 リュウジに付き合うように言われて、オレは一緒に駅まで来ていた。
 受け取ったらリュウジの家でダイゴとノブオと合流して、昼頃になったら4人でくるみちゃんの激励に向かう段取り。
 駅前の空気は完全にクリスマス。心なしか着飾った女の子が多いような気がする。あとカップルも。オレはどうして今日もリュウジと一緒にいるんだろ。色気ないよな……。

 「なんかよう。最後まで世話になりっぱなしだぜ」
 「あはは。いいじゃん。亜由姉さんってあれでけっこう世話好きだしね。リュウジのことも気に入ってるんだよ。実際」
 「……そんなもんか? 俺、気に入られてるのか? 亜由姉んとこ行ったときって、俺いつもパシリだぜ? チャーハン作れとか、肩もんでくれとか。それでもって何かっていうとひっぱたくし」
 「あはははは。愛情表現だよ、それは。前に言ってたもん、亜由姉さん」
 「何をだ?」
 「リュウジみたいな弟がいたらおもしろそう、って」
 「ええっ!!! ──ああ、でもああいう姉貴だったらいても悪くねえかなって俺もちょっと思うな」
 同世代の女子にはめっぽう弱いリュウジだけど、歳の離れた女性には可愛がられるタイプみたいだって、オレは前から思ってた。
 しかも今は、ちいさな女の子の友達のためにがんばってるんだしね。

 駅前の喧噪やら、近くのお店から流れてくる季節ものの曲なんかを切れ切れに聞きながら、オレはリュウジとなんとなく話しながら亜由姉さんを待っている。
 そうしているうちに、構内のスピーカーから流れてくるアナウンスが耳に入った。
 『……お急ぎのお客様には大変ご迷惑お掛け致します。ただ今信号機の故障箇所が見つかりまして、電車の運行を見合わせております……』

 「今の聞こえた? リュウジ」
 「ああ。電車停まったんだな。やっぱり悪いことしたぜ、亜由姉に」
 「うん。ついてないね。大きな遅れにならないといいけど」
 「そうだな。しばらく様子見るか」
 リュウジは心配そうな顔で改札口に目を遣った。
 駅員さんに食ってかかっているスーツ姿の男性がいるけど、こういうのってどうにもならないからな。
 とにかく『待ち』を余儀なくされたオレたちは、ちらりと大時計を見た。
 「時間はまだ余裕あるよね。ちょっとぐらいならダイゴたちも待っててくれるだろうし」
 「オウ。でもよ、俺って誰かを待たすのって嫌な性分なんだよな。待つのは案外平気だけど」
 「……いつも待たせて悪いね」
 「わはははは!!! そうだよな。俺って毎朝ハヤトに待たされてるもんな。おかげで慣れたのかもしれねえぜ」
 「ええと……来年になったら気をつけるよ」
 「あてにならねえこと言うなや。俺はとっくに諦めてるぜ」
 
 さて。じっとしているとさすがに寒いわけで。
 「なんかあったかいもんでも飲むか?」
 「そうだね」
 ということになって、リュウジとオレは線路際の路地へ入った。人通りは少ないものの駐輪スペースを兼ねているから歩きやすいとは到底言えない、細い路地。
 少し行ったところにある自販機が通常よりも10円安いのを知っているので、このへんで飲み物を買うときにはいつもそこを狙っている。
 自販機から出てきた缶コーヒーで手をあたためながら、ふたたび駅前へ戻ろうとするオレたちは、路地の出口をふさぐふたつの人影に先を阻まれることとなった──。

 「──おい。ちょっとそこ通してくれや」
 どこかで見覚えのあるふたつの背中へと、リュウジは声をかけた。
 くるりと体の向きを変える奴ら──まったくこれは、どういう偶然なのか。
 振り向きざまにオレたちを認めたときのコウヘイの顔は、言うなればぎくりとした表情だったように思えた。
 あれ? なんか珍しい反応じゃないか? なんてオレはぼんやり思った。
 「貴様等。ここで何をしているのだ?」
 「別に何だってコウヘイにゃ関係ねえだろ? ただそこを通りたいだけだ」
 「……ふん。通りたいならさっさと通りやがれ」
 これだけ言うとコウヘイは、ハンゾウにも顎で示してからおとなしく道をオレたちに譲ったんだ。
 正直言って珍しいことだと思った。いつもだったらこんなくだらないことでも、少なくとも言葉の応酬程度の一波乱があるから。

 リュウジも妙だと思ったらしい。オレにそんな視線を寄越したから。
 けれども今日はこれから約束もあるし、要らぬ諍いを起こしている場合じゃないわけで。
 だからオレたちは何も言わずにコウヘイとハンゾウのよけてくれた道を通って、さっきまでいた改札の前あたりに戻ってきた。
 「……よかったな、リュウジ」
 「うん? 何がだ?」
 「いや、コウヘイと妙なことにならなくて」
 「ああ、まあな。奴らもたまには平和な気分になることもあるんだろうよ」
 「そうかな? けどさ、それにしたらあいつら、まだこっち睨んでるように思えるけど」
 そうなんだ。コウヘイとハンゾウは、さっきと同じ位置に陣取ったまま動かずにいて、オレたちの様子を明らかに窺っているような気配。
 「気のせいだろ? まさか、俺らを見張ってるほど暇じゃねえだろうし」
 言って、リュウジはミルクティーを満足そうに飲み干した。

 「どうだ? 飲み終わったか? ハヤト」
 「ああ、うん。もう終わる」
 「そしたら缶捨ててくるわ、俺」
 手を出すリュウジに空いた缶を渡したオレは、一瞬ののちに後悔することになる。
 ──オレが捨てに行くべきだった!!
 リュウジはまっすぐな漢だ。だから空き缶を放置することなんて許さない。その上、できるだけ買った自販機の横の空き缶入れに捨てるっていうのを善しとするわけで……。
 当たり前のことだけど、またも路地の入り口で、今度は正面からコウヘイに通してくれと問答を始めたようだ。慌ててオレもそっちへ走る。

 「貴様。あそこで何をしているのだ?」
 「だから別にコウヘイには関係ねえって言ってるだろ? なんで答える必要があるんだ」
 「必要とか不要とかではない。ただ目障りだと言っている」
 少々きまり悪そうな物言いをコウヘイは返してきた。横ではハンゾウが黙ったまま腕組みをしている。
 「目障りって何だよ? しょうがねえだろ、俺らにだって用事があるんだ」
 「……貴様等の用事が何だか知ったことではないが、さっさとここから消えてもらうしかねえようだな」
 「何を言ってるんだ──?」
 「勝負だ、ゴラァァァ!!!」
 オレたちには意味不明だが、とにかくコウヘイはリュウジに闘いを挑む台詞を口にした。
 それを聞いて、途端にリュウジの顔色が変わった──これはまずいな。
 「ちきしょう、何だかわかんねえけど無性に腹が立つぜ!!! コウヘイ、どうして俺がお前に指図されて用事そっちのけで消える義理があるってんだ? 勝負でもなんでも受けてやる。あんまり時間ねえから手短に行くぜ」
 「え、ちょっと、リュウジ──!!!」
 こうなったらオレではリュウジを止められないし、向かいのハンゾウもそんなつもりはないようで。

 ちょっとした電車の遅れがまさかこんな展開になるなんてオレは思いもしなかった。
 線路際の路地の空気は、一瞬にして緊張感を増していた。



   * 9 *


 線路際の、駐輪スペースを兼ねた人通りの少ない狭い路地。
 ここで遭ったが何とやら──リュウジとコウヘイは勝負だと息巻いている。

 亜由姉さんと待ち合わせをしているリュウジ。電車が遅れていて、亜由姉さんを待っている間にたまたま出会ったコウヘイに、ここから消えろと意味もわからないまま言われ、問答の成れの果てがこれだ。
 そう。これはいつものこと。とは言え、リュウジはそんな場合じゃないだろ?
 
 「そんなに知りたいなら言うがな、俺は人を待ってるだけだぜ。それに文句つけるのを許すつもりはねえからな!!!」
 リュウジが言うのに、コウヘイは答えなかった。かわりにハンゾウに問う。
 「ハンゾウ。今は何時だ?」
 「11時23分」
 「ちっ……そろそろか」
 忌々しい、といった目でコウヘイはリュウジを睨め付ける。
 「一気にケリをつけねえと拙い──リュウジ、覚悟しろやゴラァァァ!!」
 「望むとこだぜ──こっちも電車が着くまでの猶予しかねえからな」
 
 視線を絡ませながら間合いをはかるふたりの姿。
 両者ともに時間を気にしながらの対戦は、いつもとは違う緊張が見て取れる。
 「いくぜ、コウヘイ!!!」
 リュウジは振りかぶって拳をコウヘイの頬へ繰り出す。
 それを受けてコウヘイは、よろけて背後の自転車に覆い被さる格好となって数台の自転車を将棋倒しにした。
 がしゃん、がしゃん──と金属のたてる大きな音が路地に響く。
 
 「ひとつひとつ癪に障る奴だなあ、リュウジよ?」
 体勢を立て直して、コウヘイが吐き捨てる。
 「お互い様ってもんじゃねえか!!!」
 「ふん。それならば感激至極だ」
 言うが早いかコウヘイは、リュウジに向かって殺到した。
 まずおのれの肩をリュウジの胸にぶつけるように向かっていき、次いで拳で顎を狙う。
 喰らったリュウジは一瞬、アスファルトに膝をついた。
 が、ここはリュウジも堪えどころと弁えて、即座に立ち上がる。
 
 「よし。これで仕舞いだ」
 「それはこっちの台詞だぜ!!!」
 咆吼とともに交錯するふたりの力の限り──真っ向からの同時の攻撃に、互角の力同士は相手を倒すを得る。
 リュウジの拳はコウヘイの腹に突き刺さり、コウヘイの拳はリュウジの頬にめり込んだ。
 停めてある自転車に背中から倒れこんでいったのは、今度はリュウジだ。
 コウヘイは勢い余って、オレのいる位置近くまで吹っ飛ばされてきた。
 
 さあ──これで先に立ったほうが勝ちだ。
 こんなところで負けてる場合じゃないだろ、リュウジ。亜由姉さん来るまで待ってないといけないだろ?
 心の中でリュウジを激励したオレの目に、そのとき入ってきたもの。
 赤と緑の包装紙に包まれたちいさな四角い箱らしきものが、起きあがろうともがくコウヘイのポケットから日陰の冷えたアスファルトに転がった。
 
 「……?」
 転がってオレの足許まできたそれを拾い上げた。と──
 「総帥!!」
 突然にハンゾウは、彼にしては珍しいと思われる大きな声をあげながらオレを指さす。
 呼ばれたほうのコウヘイはゆっくりとオレを──それと、オレの手にしたちいさな包みを交互に目に止めて、やにわに体を起こしてオレに向かって突進してきた!!!

 「うわ、何──いや、これ落ちたから……」
 殴られる──!!! と体を無意識に堅くして目を閉じたオレ。けれども予想したような衝撃に襲われることはなかった。

 「ちょっとあんたたち。こんなとこで何やってんのよ?」
 そのときオレの背後で聞き覚えのある声が言った。
 目を開けたオレが見たのは、オレを通り越した背後に視線をやるコウヘイの顔──頬が赤くなっているのは、さっきリュウジの拳を受けたせいではなさそうだ……。

 その後のオレたちは、まるで無声映画を見たようなものだった。
 コウヘイは無言で、オレと視線を合わせようともせずにオレの掌からちいさな包みをもぎ取った。
 すると、オレの背後に現れた白いコート姿の千晶ちゃんの眼前にそれを差し出した。
 千晶ちゃんはおどろいたような顔でコウヘイを見つめる。
 コウヘイは何も言わずに、さらに千晶ちゃんの胸元近くに包みを押しやる。
 反射的にとでも言うか、とにかく千晶ちゃんはコウヘイの差し出したものを両手の中に収めた。
 「ええと……」
 千晶ちゃんが何かを言いかけた途端。コウヘイは猛スピードで、駅とは逆側に向かって路地を駆け抜けていったんだ。
 それを見るや、ハンゾウも後に続いて走る。
 途中で腕でもぶつけたのか、またも自転車を数台なぎ倒したようだ。そんな音が遠くから聞こえてきた。
 ふたつの人影は、そうやってオレたちの視界から消えていった。
 
 千晶ちゃんは鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな顔をして、コウヘイが手渡した、赤と緑の包装紙にくるまった箱をじっと見ていた。
 しばらく後に千晶ちゃんは、ほんのり笑ってそれをコートのポケットに入れた。
 「何だったんだ──あれは? 千晶ちゃん」
 「わかんない。ただ昨夜、電話が来て呼び出されて。暗黒の大将に」
 「呼び出されただと? じゃあコウヘイは──!!!」
 「そうか。千晶ちゃんと待ちあわせだったのか。なるほどね」
 千晶ちゃんのポケットに収まったのは、おそらくはコウヘイからのクリスマスの贈り物だろう。それを渡すための呼び出し、か。
 それでリュウジとオレを追い払いたかったんだ。オレたちのいる前で千晶ちゃんと顔を合わせるのは……確かに勇気がいるだろうから。それはわかるな。

 「おい、千晶ちゃん!! 怪我はねえか? 何か渡されたみたいだけど、変なもんじゃねえか? それにしてもよかったぜ、俺らがいて。なあ、ハヤト?」
 「──え」
 「だってそうだろ? 俺らがいなかったら、千晶ちゃん、コウヘイに殴られたりしたかもしれねえだろ?」
 「殴る──? コウヘイが千晶ちゃんを? まさか!!」
 「何でだよ、ハヤト。だって敵校の奴を電話で呼び出すっつったらそんなとこだって相場が決まってるじゃねえか」

 リュウジの言い分を聞いて、オレと千晶ちゃんは顔を見合わせて、力無く笑いあった。
 「リュウジって……鈍いよね」
 「うん。今に始まったことじゃないけどね。オレはもう慣れたな」
 「そうだね。あたしもだいぶ慣れたと思ってたけど、今日はさすがにやられたなあ」
 「オイっ!! ふたりとも、鈍いってどういう意味だ?」
 「うんうん。いいんだ。何でもない。リュウジはそれでいいんだ」
 あはははは、ともう一度千晶ちゃんと一緒に笑うオレ。

 「ちなみにさ、リュウジ。今日って何の日だかわかってる?」
 「今日──ああ、俺んちの近所のくるみが入院する日だぜ。ちょうどいいな。千晶ちゃんも一緒に励ましてやってくれるか?」
 「あ、今日なんだ!!! 行く行く~」
 クリスマスなんかよりくるみちゃんの入院の日ってほうがよっぽど大事な漢であるリュウジが総隊長だって思うと、オレは誇らしい気持ちでいっぱいになる。
 別にクリスマスに贈り物をするのが悪いって言ってるんじゃないけどね──コウヘイ。
 
 そして、ようやく線路の向こうから電車の来る音が聞こえてきた。
 「オウ、やっと来たか!!! 亜由姉もさんざんだったな」
 「ほんとだね。よかった、まだ昼前だ。くるみちゃんの出発に間に合わなかったらって思って、ひやひやしたよ」
 今日は明らかにやられ損だったリュウジの埃で汚れた背中を払ってやって、そしてオレたちは改札の前までようやく戻ってきた。
 「さ~て、リュウジの描いたのってどんな絵かな?」
 「何だよ、見せねえってば、千晶ちゃん!!!」
 そんなふうに照れたような顔で、リュウジは亜由姉さんの乗った電車が駅に滑り込むのを待っている。

 このときまだリュウジは知らない。
 亜由姉さんはリュウジの描いた絵を丁寧に額に入れて、それをこっちに向けながら改札を抜けてくることを──。

 オレたちがそのあと見たのは、大小ふたつの人物画だった。
 いつか見た教科書の落書きと同じ、ほわっとした表情の女の子。その横で大きく口を開けて笑ってる、赤い髪の漢。
 背景は青い海と青い空。そういえば、同じ青色の絵の具を頬につけてたこともあったな、リュウジ。
 きっと喜ぶだろうな、くるみちゃん。リュウジの描いた絵とそっくりな顔で、ほわっと笑うんだろうな──まだ会ったこともない女の子の姿を、そんなふうにオレは想像していた。

 
   * 完 *

 
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