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これまでのおはなし

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風にのって鈴の音が

   * 1 *


 やたらと風の強い日だ。
 それはよくある、いつも通りの放課後だった。
 教室でリュウジとオレが帰り支度をしてたらノブオが現れて。相次いでダイゴも来て。
 「兄貴、今日兄貴んとこ寄らせてもらっていいっスか?」
 「べつに構わねえけど、どうかしたか? ノブオ」
 「ええ。こないだの漫画の続き、貸してほしいんっスよ」
 「ああ、あれな。けっこう面白いだろ?」
 「最高っス~!!!」
 なんて、自称師弟同士はこんな会話をしてる。

 「ダイゴは? 今日は赤ジャージの稽古はないの?」
 「押忍、ハヤト。今日は職員会議だそうだ」
 「ってか赤ジャージ先生、今度は剣道対決なんっスよね? まだ柔道も稽古するんっスか?」
 「続行とのことだ。せっかくならば修めたいと言っておられた。これからの人生のために、と」
 「それってストイックだよね」
 「ハヤト、漢たるものそうあるべきだと思わねえか? あれで赤ジャージもなんだかんだ言って漢だったってことじゃねえか」
 「リュウジ。あれで、なんだかんだ、とはどういった意味合いだ?」
 突然オレたち4人の背後で呼びかける声がした。いつもよりも、あえて作ったような低い響きを伴って。

 「お? なんで赤ジャージがいるんだよ!!!」 
 オレたちは赤ジャージの拳骨が、リュウジのリーゼントをへこませてるのを見た。そして赤ジャージの勝ち誇った顔を。
 「自分の職場にいて何が悪いと言うのだ? 俺は忘れ物を取りに戻っただけだがな」
 「って、うわ、痛ぇってば……」
 「教師を甘く見た罰だ」
 リュウジの耳を思いっきり赤ジャージが引っ張ってる。
 「や、やめてください赤ジャージ先生……兄貴が、兄貴がぁぁぁ!!!」
 「わはははは。この程度で堪える輩ではなかろうが、お前の兄貴は」
 勝ち誇ったような顔を見せて、赤ジャージは教卓の脇に立てかけていた竹刀――忘れ物ってのはこれだったみたいだ――を取り上げてから教室を出て行った。
 
 「大丈夫っスか、兄貴ぃ~」
 「ったくなあ。あいつ、本当に手加減ねえよな、ノブオ。いつか思い知らせてやるぜ!!!」
 耳を押さえてリュウジが言った。
 「何を思い知らせてくれるんだ? リュウジよ」
 「お、まだいやがったのか!!! 姑息な真似するなあ、赤ジャージ」
 「リュウジ。口は災いの元ゆえ」
 「ダイゴが正解だ、リュウジ。ダイゴに教えてもらえ」
 「あはは。今日は先生のかわりにリュウジが稽古つけてもらうんだ。ダイゴに」
 「ハヤト!!! お前なあ」
 ――――!!! って、今度はオレがリュウジに拳骨いただいたよ。
 そうか。これが『口は災いの元』ってやつだ。
 ……オレは知ってたけどさ。その格言。

 さて、そんなよくある放課後の教室から4人で出て、今日はみんなで駅の方角へ向かった。
 いつもは校門を出て右と左に別れるんだけど、ノブオはリュウジの家に用があると言い、ダイゴも駅の向こうの本屋へ行くからと一緒に歩き出したんだ。
 「本屋か。俺もダイゴに付き合うかな。なんか新しいの仕入れるか」
 「んじゃオレも行くっス!! 兄貴って読書家っスよね。オレも見習わないとな」
 「あはは。ノブオ。リュウジが読書家って。漫画とか雑誌ばっかりじゃん。なあ、ダイゴ?」
 「ハヤト。だからそのようなことを言うとまた……」
 笑いながら振り返ると、ダイゴは心配そうな目でオレを見る。
 「あ、いけね。悪かったよリュウジ。そんな睨まなくてもいいじゃん……うわ、ごめんって!!!」
 「謝るくらいならしょうもないこと言うなや!!!」
 まあ、あながちハズレでもないから、なんて言いながら、リュウジはオレにふざけて向けた拳を引っ込めた。
 「じゃあオレも、たまにはリュウジを見習って読書でもしようかな」
 オレが言ったら、リュウジは満足そうに頷いたんだ。
 やれやれ。リュウジって単純だよな。って、これは心の中で呟いたよ。学習したからね。

 夕方の駅前の喧噪。
 電車の乗降客、人待ち顔で時計を気にする人。
 買い物袋を重そうに提げている若奥様ふうの人、団体でぶらぶら歩いてる制服姿の中学生。
 店先から聞こえてくる有線放送の音、電車の入ってくる音、すこし離れた踏切の警笛。
 いつもと変わらない日常がここにもあった。なんかこういうのって落ち着くよな。

 折から吹いている強い風に髪をなびかせなから、そんな駅前を通過して逆側へ出たオレたち。
 「なんか腹減らねえ?」
 「あ、そうっスね。なんか食いたいっスね」
 「押忍。俺もそう思っていた」
 「んじゃ寄ってくか。ハンバーガーでいいか?」
 「は~い!!! 兄貴」
 なんていう展開も、まったくもっていつもと一緒。

 そして――オレは見つけてしまう。
 こんな何の変哲もない平凡な日常のなかにいつもと違う、異質なことがらを。

 どちらかと言うと駅裏にあたるこちら側には、タクシーの待つロータリーがある。
 その外れに、ぽつんと出ている露店があるのに気がついたんだ。
 「あれ、なんか店が出てるな」
 「うん? どうかしたか? ハヤト」
 「ああ。ほら。あそこに店が出てる。珍しいよね」
 オレが見つけたその露店は、大きな敷物の上に商売品を並べているような店。
 遠くから見て、カラフルで賑々しい感じの雰囲気で――はっきり言ってあまり興味があるわけでもないのに、どうしたことかオレの目はそこに釘付けになってしまっている。

 「何かおもしろいもんでもあるかな?」
 オレを突き動かすものが何なのか、なんてぜんぜんわからなかった。
 ただ、とにかくそこを覗いてみたいっていう衝動に駆られて、オレは自然とそっちに足が向くのを止められなかった。
 「ああ、おい、ハヤト!!! どうしたんだよ。見てくのか?」
 「うん。ちょっとだけ。あ、みんな腹減ってるんだったら先に行ってていいよ。オレもあとで行くから」
 言うだけ言って、オレはとにかく露店に近づいていった。
 3人がどうするかなんてどうでもよかった。ただもう、いてもたってもいられなかったんだ。

 「――いらっしゃい」
 「あ。ども」
 色とりどりの商品に囲まれて、店番をしている男の人がオレを認めてそう言った。
 商品に負けないような派手な格好をした、丸いサングラスをかけてドレッドヘアのまったくもって年齢不詳、黙っていれば国籍さえも定かじゃない感じの人だ。
 「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
 「どうぞ。ごゆっくり」
 店番の人は、言ったきりオレにはあまり構わずに手にしていた細工物のアクセサリーにラジオペンチを当てている。
 もしかしたらこれらの品々のいくつかは、この人が作ったものなのかもしれないな。

 並んでいたものたちは毛糸の帽子とかマフラー、それから外国風の衣類とか。それからやっぱり外国風の打楽器やら笛、またいろんな動物のぬいぐるみとか、銀の指輪とかピアスとかのアクセサリーなどなど。
 雑多な、少なくともオレの日々生活とはちっとも関係なさそうなものたちに、どういうわけかオレは目を奪われている。
 こういうものに興味があったことなんて今までなかったのに――我ながらちょっと不思議で。
 それらを眺めたり、手に取ったりしてたときだった。
 ――誰かの声に呼ばれたんだ。



   * 2 *


 「え――? 何か言いましたか?」
 辺りを見回したけど、露店の客はオレひとりだった。ここにいるのはオレと、店主のふたりきり。だからオレは店主に訊いてみた。
 けれども店主は首を左右に振っただけ。
 「あ、そうですか」
 オレは首を傾げながらも、一瞬後にはふたたび目の前の雑貨のたぐいに見入っていた。

 相変わらず風はちっとも止む気配がない。
 はっきりとしたことは口では説明できないけれど、とにかくオレはこの店に引っ張られるような感覚があったんだ。
 さっきの誰かの声に呼ばれたような錯覚。それと同じようなものを、この露店を目にとめたときにも感じたと思う。たぶん。
 気になる雑貨を手にとってみたりしてる。
 シルバーのネックレスやら、手編みっぽいミトンやら、木彫りのふくろうやら。

 そんなオレがそれに触れたときだった。
 それはオレの指先を焦がす勢いで発熱した――ような気がした。
 同時に、やっぱり何かの声がオレの耳元にささやいた――ような気が、確かにした。

 振り向いてみたけれど誰もいない。
 店主も最前までと変わらない姿勢で作業していて、変わったことなんかなかったとういふう。
 とにかくオレはもう一度、それを手にとってみないわけにはいかなかったんだ。

 それは細工のある、銀の大きめの鈴のようなものがついたキーホルダーだった。
 持ってみると見た目よりもずっしりと手に重量感が伝わってくる。
 下側に隙間があって鈴に似ているけれども、中は空洞みたいで音はしない。
 鳴らないとわかってはいたんだけれど、何かに突き動かされるようにオレは手の中のそれを二度、三度と振ってみた。
 すると、音の代わり何かがオレに呼びかける。
 オレの耳に、ではなく、オレの意識を突いてくるんだってことがわかった。
 いわく――
 『やっと会えた』
 
 「え――?」
 オレはキーホルダーを持った手を握ったり開いたり、よく見たりちいさく振ったりしている。
 やっぱり気のせいなんだろうか。オレ、疲れてるのかな……?
 「お客さん」
 店主に声をかけられて、オレはびくっと肩を奮わせた。
 ああ、そうか。耳に聞こえる声って、こういうもんだよな。やっぱり異質だ……。
 「それ、気に入りました?」
 「え、あ、はい」
 オレはそう、はじかれたように答えていた。
 「ええと、これ、ください」
 迷うことはなかった。事前に値段を問うことも思いつかなかった。
 ただ、今日オレはこれを手に入れないといけない――そんな思いだけに支配されていたから。

 そのキーホルダーがいくらしたんだったか、どうしてだか思い出せなかった。
 一刻も早くこれをポケットにしまい込んで、オレだけのものにしたいって感じてたから。焦っていたのかもしれない。
 リュウジたちが待っているファストフード店のレジで財布の中を見たら、どうやら3000円ほど減っていた。
 注文したハンバーガーと飲み物がトレイに載るまでの間、オレは何度もポケットに手を入れる。
 キーホルダーのさわり心地を確かめるとなんだか落ち着いた。
 にこやかな店員のお姉さんからトレイを目の前に差し出されると、指先を名残惜しくポケットから引っ張り出した。
 さっきまでキーホルダーに触れていた指先がほんのりあったかいような気がする。
 
 「オウ、ハヤト!!! なんかいいもんあったか?」
 3人のいる席を見つけて近づくと、リュウジが大きくオレを呼ぶ。オレはリュウジの隣の空席におさまった。
 「ああ、うん。いや――」
 「何だよ。はっきりしねえな、ハヤト」
 リュウジは不思議そうな顔をしてる。オレは隠すつもりだったんじゃないんだけど、なんとなく言いたくない――そんな気がしてる。
 物に対してこんなふうに思うのって、初めてかもしれなかった。

 「で、リュウジは今日は本屋で何買うんだ?」
 なぜだかあえてオレは話をそらしてみた。
 「俺か? そうだな。なんかこう、読み応えのあるやつを探してるんだよな」
 「長編小説とかそんなやつ?」
 「長編、そうだな。どっちかっていうと長いほうが好きだからな、俺は。まあ小説かどうかはわかんねえけど」
 「あ、リュウジの得意分野は漫画か」
 「オウ!!! それはすげえ得意だぜ!!!」
 誇らしそうにリュウジが胸を張った。
 
 「オレは、兄貴がすすめてくれるやつだったら何でも読むっスよ~。だって兄貴のチョイスにはハズレありませんしね~」
 「そうだろう? ノブオはいつもいいこと言うぜ」
 「えへ。アザーっス!!!」
 「ああ、そうね。ノブオはリュウジ至上主義だからね」
 「で、ダイゴは何を買うんだ――ってオイ、ダイゴ? どうかしたか?」
 リュウジの声の調子に、斜向かいに座っていたダイゴに目をやる。
 それまで会話に入っていなかったダイゴはリュウジに応えず、手を合わせて目を閉じていた。
 「ダイゴさん? どうしちゃったんだろ……」
 隣にいるノブオがびっくりしたように言ったのにも反応せずに、ただ何かを念じているかのような姿でいる。
 3人で、そんなダイゴを静かに見守った。なんか声をかけてはいけないような雰囲気が漂っていたから。

 しばらく後にダイゴが合掌を解く。同時に開いたいつも細めている瞳は、いくぶん常より大きめに開かれている――ような気がした。
 「一体どうしたんだ――」
 いつになく遠慮がちにリュウジが訊く。
 「いや、済まなかった、皆」
 ダイゴの声はすこし掠れている。
 「ただ、少々気が乱れているような感覚があったゆえ」
 「オレ、何も感じないっスけど?」
 「そうか、ノブオ。ならば大事ないのであろう」
 ノブオに答えると、ダイゴはすこし微笑んだ。

 「しかしダイゴも大変だよな。そういうのに敏感だってのも」
 「それほどでもないがな、リュウジ」
 「うん。でもダイゴの直感っていうのに助けられることもあるからね。オレたちも」
 そう言ったオレと視線を合わせたとき、一瞬だけダイゴの瞳がまたちょっと大きく開かれた――ような気がした。
 なぜだかどきっとしてしまったオレは、無意識にポケットに手を突っ込んだ。
 指先に触れたキーホルダーが、鈴のような音を立てた――ような気がした。
 しばしの無言が訪れる。オレたちにとっては珍しいことでもある。

 「ハヤト、食い終わったか? そしたらそろそろ行こうぜ、本屋」
 気分を変えるような口ぶりのリュウジに促されて、オレは頷いた。残っていたコーヒーの最後のひとしずくを喉に流し込む。
 
 外へ出てみると、さっきまでいた露天商の姿はすでになかった。もう店じまいしていたようだ。
 鬼浜駅のこちら側は、いつもと変わらない景色に戻っている。
 さっきまであんなに強く吹いていた風もすっかりおさまっていた。



   * 3 *


 4人で行った本屋では、オレはウィンドウショッピングに専念しただけだった。
 っていうのは本当は正しくなくて――早く家に帰りたい一心で気がそぞろだったんだ。
 ポケットに入っている、露天商から買った鈴に似た丸い細工のついたキーホルダー。それを一刻も早く手にとって眺めたいと思っていた。
 何を見るでもなく本屋の店内をうろうろしている最中も、ことあるごとにポケットの中身を右手で確認していた。
 どういうわけかオレがそうしていると、ダイゴがオレに視線を投げているように思えたんだけど、お互いとくに何も言い合うこともなく。

 ようやく家に帰って、店先でお客の相手をしている親父にだたいまを言ってから速攻で階段を上がって自分の部屋へ。
 制服を着替えるのすら後回しにすることに決めて、ともかく右のポケットの中身を取り出した。
 
 左の掌に乗ったキーホルダーは、銀色に輝いている。
 よく見れば、唐草模様のような精緻な細工が施されていた。
 下にある隙間が外見を鈴に似せているけれど、何も入っていないようなので音はしない――と思っていたんだけど。
 試みに右手の人差し指で転がしてみたら、ちいさな涼やかな音色が鼓膜を揺らした。
 絶対に気のせいなんかじゃない。そんな確信がオレを包んだ。
 もはや不思議だと思う気持ちもどこかへ行っていた。ああ、やっぱり――そんな感覚。
 
 そう。だからオレにはちっとも驚きなんかなかったんだ。
 オレの目に彼女が入ってきた瞬間を迎えたことへ。

 左手からすこし浮かせて、銀の細工の上についているナスカンを指でつまんで振ったとき。
 それはきらりと輝いたかと思うと、靄を放った。
 靄の晴れたときに、オレが見たのが彼女だった。
 彼女は細工の中から出てきて、オレの左の掌にちょこんと乗っかっている。
 細工と同じ色の長い髪の毛をしたちいさな体の彼女は、オレを見上げてくりっとした瞳を、やっぱりきらりと輝かせた。
 真っ白な、丈の長いシンプルなワンピースみないなのを着ている。

 「はじめまして」
 「あ、ども」
 ちょこんと頭を下げた彼女につられてオレも挨拶をした。それもごく自然に。
 とは言ったものの――きっとオレは間抜けな顔しているんだろうな。

 「やっぱり会えた」
 彼女はそう行ってちいさな顔にこの上ない笑いをたたえている。
 そう――露店で感じた『声』とそっくりだったから、オレはさらにやっぱりな、と思った。
 こんな不思議に直面して違和感のない、むしろ腑に落ちた気分でいるオレって、やっぱりとぼけているんだろう。
 
 「ええと、君は誰なの?」
 ともかくも初対面の相手なんだし。一応訊くことは訊いておかないといけないかな、と。
 「わたし? わたしはフウカっていうの」
 彼女はそう名乗った。うん、とオレは頷いてみせる。
 「それでもって、あなたはハヤトでしょう?」
 「え、なんで知ってるんだろ」
 「だって、さっきお友達にそう呼ばれていたから」
 ああ、そうか。リュウジたちと話していたのを聞いていたんだ、フウカは。オレのポケットにあった、銀の細工のその中で。

 「それで、フウカはどこからきたの?」
 「――あっちのほうってことになるのかな?」
 と、フウカは天井を指さした。
 天井を突き抜けておそらく空を指しているんだろうな。
 そんなありえない会話をありえない人、っていうか人と言えるかどうかもわからない存在とごくふつうに繰り広げているオレは――順応性高いよね。

 だんだん掌があったかくなってきた。汗をかいてきたみたいだ。
 掌にちょこんと乗っかっているちいさなフウカを、オレは机の上におろしてあげた。自分は椅子に座って向き合って、それで話を続ける。
 
 「それで、どうしてオレを呼んだの?」
 そう。オレはきっと彼女に呼ばれたって確信がある。
 今日に限って露天商に足を止める気になったんだから。そしてその露天商で気になった、銀の細工のキーホルダーを買って、そしたら中からフウカが出てきて。
 どう考えても普通じゃない。けどオレにはすべて予定調和のうちのように思えているんだ。

 「うん。ハヤトを探していたから。ずっと念を送っていたの。わたしを遠くまで連れていってくれる人と出会えるようにって。できたらやさしくて、人望あって、かっこいい人がいいなって思いながら。そんな誰かにわたしの声が届きますように、って」
 「オレがやさしかったりかっこよかったりするとも思わないけどなあ」
 かなり照れてオレは返す。
 「うん。でも聞こえたから。オレを呼ぶ声。それに遠くまで連れていってあげられるよ、オレなら。オレ、単車が得意だからね」
 「よかった。波長が合ったのがハヤトで」
 
 「それで、遠くまでいって何をするの?」
 「うん。実はわたし、あっちのほうから」
 と、上を指さす。
 「あるじのお使いでこっちまで来ているんだけれど、ひとりじゃなくて」
 「あるじ――がいるんだ」
 「そうなの。くわしくは言えないんだけれど」
 「あはは。言われてもきっとわかんないから。オレ」
 そう返事すると、フウカはうれしそうに笑った。
 透けるように白い頬に紅色がさす。ふっくらと形のいいくちびるの両端が上がると、なんていうか、もう芸術的にかわいらしい表情ができあがる。
 
 「それで、連れがいるんだけれど」
 オレの目をのぞき込んでフウカが続ける。彼女の瞳は紺色に近い青。髪の銀色にとても似つかわしかった。
 「うんうん」
 「はぐれちゃったの。お遣いの途中で」
 「それは困ったね」
 「そう。困っているの。わたしたち、ひとりじゃろくに移動もできないの。連れと一緒にいないとなにもできない。ただ――さっきみたいに体の構成をちょっと変えることだけはできるのね」
 「え? 何を変えるって?」
 「ほら、さっきその鈴の中にいたでしょう? 消えたように見せたり、隙間に隠れたりはできるの。だって、そんなにおいそれと人に見つかって許される存在ではないから、自分を守るために」
 「オレ――には大丈夫?」
 「うん。だって波長が合ったから」
 「ふうん。そういうもんなんだ」
 オレにはよくその、波長が合うって感覚は理解できないけれど、それはフウカにとっては重要なことらしかった。
 けれどもそう言われて、オレも悪い気はしない。っていうか、むしろとんでもなくうれしい気分になっている。
 うきうきして、どきどきして。この美しくてちいさな存在と向き合っている自分がとてつもなく誇らしくなっていた。

 「とにかく、わたしは連れに再会しないといけなくて。気配は近いと思うんだけれど、やっぱりひとりだと感覚も鈍っているみたいで。だから――ハヤト。わたしを連れて走ってくれる?」
 「うん、了解。オレ、フウカのためだったらどこへでも行くから」
 「ありがと、ハヤト」
 フウカが笑うのがうれしくて、オレは胸を張ってそう言った。
 オレが役にたてるといいな――純粋な気持ちで彼女を見つめていた。



   * 4 *


 こんな気持ちになるのなんて、いったいどれくらいぶりなんだろう。
 どう考えても普通の意味での『人間』ではない存在の彼女と出会ってからというもの、オレの心はとてつもなく満たされている。
 ひとりではない、っていう思い。
 また、確認したわけじゃないけど、相手もきっとそう想ってくれているっていう確信めいた思い。
 ただ彼女とともにいるときだけがオレの存在価値のすべてのような錯覚。
 甘い――とんでもなく甘やかな何かが胸の内側をあたためているという感覚。

 彼女、フウカは空のほうから来たのだと言う。
 オレが偶然手に入れたキーホルダーについていた、鈴を模した銀細工の中に彼女がいて。
 普通の意味での出会いじゃなかったけれど、それさえオレには些細な違いでしかなかった。
 とにかく真実なのは、オレとフウカが出会ったっていうこと。
 そして――オレはフウカがいとおしくてしかたがない、ということも。
 
 授業中も気がそぞろ。
 休み時間にリュウジたちと一緒に過ごしているときなんかもうわの空。
 ただ彼女と向き合っていられる時間だけを心待ちにしていて、それ以外の時間はオレがオレではないような、そんな気分にさえ陥っているのがここ数日のオレだった。

 昼休みのこと。
 教室で、いつものようにリュウジと一緒に弁当を食べ終わったところに折良くダイゴとノブオが現れた。
 3人で週末の予定なんかを話しているのをいいことに、オレはこっそり席を立つ。
 家に帰るまでこのままでいるなんてできなくて、オレは階段を駆け上がって屋上へ出た。
 いつも一緒にいる彼女の顔を、ほんの少しでもいいから眺めたかったんだ。
 
 周囲に誰の姿もないことを念入りにに確認してからポケットに手を入れて、このごろではすっかり馴染んだ手触りの、銀の細工のついたキーホルダーを引っ張り出した。
 左手に乗せたそれに、オレはささやく。そして誘うようにちいさく揺らしてみた。
 「出ておいで、フウカ。今は誰もいないから」
 オレが呼ぶと薄い靄が掌に広がって、それが消えるにともなってフウカがちいさくて可憐な姿を表す。
 何度見ても飽きないんだ、これ。
 「――ハヤト。いいの? 大丈夫?」
 「うん」
 くふふ、っていう感じの笑いで透けるように白い頬を飾ったフウカがオレに向かって小首を傾げる。
 
 「それで、どうかした?」
 「フウカがそろそろお腹すいたかな、って思ったから」
 言いながら、オレはフウカがいたのとは逆のポケットに入れておいた、さっき購買で買ったチョコレートのビスケットを取り出した。
 封を切って一枚、フウカのいる掌にのせると、彼女はこれまた満面の笑みでオレを見て、ぴょこんとお辞儀をしてみせる。
 「ありがと、ハヤト」
 「あはは。とんでもない。今のうちに食べて」
 彼女がビスケットに取り付く姿っていうのは、誰でも子供の頃にあこがれた感じ。
 自分の体よりよっぽど大きなお菓子に、それこそよじのぼって食べてみたいな、って考えてたのを思い出す。
 不思議な光景を、我ながら不思議な心の動きで眺めている。
 何が不思議って、まるでこれって恋みたいなときめきだから。

 ――って、いま、オレ何だって?

 「ん? ハヤト、どうしたの? なんか妙な顔してるね」
 「え……そうかな? 気のせいじゃないの?」
 「そう? ならいいけれど。ちょこっと掌があったかくなった気がしたから」
 「あ……あはは。フウカ、敏感だね」
 どぎまぎしてる自分がおかしい。まるで中学生みたいだな、オレ。

 今日も風はけっこう強い。
 それでも風のやんだときに、遮るもののない屋上で受ける日差しはわりに暖かで。
 そんな秘密の昼休みをフウカと共有しているオレを現実が呼んだ。
 「あ、こんなところにいたのか!! オイ、ハヤト!!!」
 
 「え、あ、うわ、リュウジ――!!!」
 あわててオレは、ビスケットもろともフウカをポケットにしまい込んだ。
 あ、ちょっと手荒だったな。心の中でごめん、と言いつつ、オレを呼んだ総隊長という名の現実に顔を向ける。
 「なんだよ、こんなとこで。寒いの嫌いじゃねえのかよ?」
 「え――ああ、寒いのは嫌いだけどね。でも日差しはあるよ、今日。小春日和っていうのかな」
 「うん? 珍しいこと言うなあ、ハヤトにしては」
 リュウジの目がオレをいぶかしんでいるのがわかる。
 肝心なところでは鈍いくせに、どうしてかこんなときばっかり勘が鋭いんだ、リュウジって。
 
 「それにしたってどうしたってんだ? 何の前触れもなくいなくなったかと思ったらこんなとこで日向ぼっこってのは」
 「え? ああ、そんな気分だっただけだよ」
 苦しいいいわけをリュウジに向かって投げるオレ。
 「そんなに珍しいことじゃないじゃん? オレ、外でする昼寝って好きだし」
 「――まあな」
 でも、いくら小春日和だっていってもこの時期に外で昼寝って有り得ないよな。
 失言だったかな、っておそるおそるリュウジを見上げてみる。
 「まあ、いいか。こんな時期だってのに外で昼寝なんて思いつくのはハヤトらしいぜ。風邪とか引かねえようにしろや!!! 今夜は集会だしな」
 「あ――うん、気をつけるよ」
 よかった。そんなに怪しまれてないみたいだ。

 5時間目は体育だからそろそろジャージに着替えないといけないだろう、っていうのでリュウジはオレを探しにきたんだと言った。
 リュウジと連れだって屋上から教室へと逆戻りのオレ。
 「サボる気だったか?」
 「ん~……そうでもない。だってオレ、体育は出席日数ヤバいから」
 「わはは!! そうか。前半しょっちゅうサボってたからな、ハヤトは」
 「っていうか、リュウジも似たようなもんじゃないの?」
 「……そうとも言うな」
 ふたりして笑ってみる。リュウジはもういつもの調子だった。

 かと思いきや、踊り場でリュウジは立ち止まって、オレの顔をのぞき込んですこし深刻そうな声を出す。
 「なあ、ハヤト。お前どうかしたか?」
 「オレ? いや別に。いつも通りだけど?」
 「そうか? ならいいんだけどな」
 「そんなにおかしいかな、オレ」
 オレの問いかけに、リュウジからの返答はなかった。かわりに腕組みをしてる。
 
 「いやな」
 リュウジは、今度は言いにくそうに天井を仰いだ。そしてオレの目を見る。
 「ダイゴがちょっと気になること言っててな」
 「ダイゴが――?」
 立ち止まっているオレたちの横を通り過ぎる1年生が何人かリュウジに挨拶していく。
 ひとりひとりに手を挙げて返事をしながらも、目はオレをとらえたままで。
 「このごろハヤトの気配が尋常じゃねえように思える、って」
 どきりとしながら無言でリュウジをオレは見る。
 そんなのダイゴの気のせいだよ、と取り繕おうと口を開きかけたとき、始業のチャイムが鳴ったんだ。
 オレは無意識にポケットに手を入れて、銀の細工にすがるように触れていた。



 * 5 *

 
 なんとなくダイゴと顔を合わせづらくて、オレは用事があるから、なんて言って放課後を待たずに5時間目が終わってすぐに裏門から学校を出た。6時間目は自主休講ってことにして。
 
 人目につかない裏通りにあるちいさな公園に寄り道をする。
 ベンチに座るとフウカがポケットから顔を出した。周りが安全だと気配から察知すると、自分から出てくるようになっている。
 「ハヤト。学校、いいの?」
 「うん。今日は天気がいいから」
 「……わたしのせい?」
 「あはは。まさか。オレってもともとそういうタイプだしね」
 フウカを掌にのせて、できる限りの小声で話す。誰かが通りかかっても怪しまれないように。
 
 「さて。今日はどっちの方角へ行ってみようか?」
 フウカの浮かない顔を消させたくて、オレはつとめて陽気な声を出してみる。小声だけどね。
 「ええと――そうね。ちょっと考えてみる」
 言って、フウカは手を合わせて目を閉じた。
 空のほうから誰かのお遣いでやってきたと話すフウカは、途中で仲間とはぐれてしまったんだそうだ。
 その仲間を捜して、流れ流れてオレと出会って。
 行きがかり上、オレは近頃暇さえあればフウカの示した方向にむけて単車を走らせている。
 フウカが仲間と再会を果たすまでのオレの使命がそれだったから。

 彼女の言葉を借りれば、オレと波長が合ったんだって。本来、フウカの存在はオレたちのような普通の人間の目には見えないらしい。猫と子供と、一握りの敏感な人にしか見えないのだと。
 そういう意味では絵に描いたような鈍感なオレが彼女と会話しているのは奇蹟に近いと我ながら思う。
 そう。だからオレはダイゴと顔を合わせづらいんだ。
 ダイゴは選ばれた、一握りの敏感な人間に違いない。現に何かを感じているみたいだし。
 
 何かの音に耳を澄ませるようにしているフウカを見ながらオレは思う。
 もしもダイゴが何かに気づいていて、もしもダイゴにもフウカが見えるとして――それならそれで協力してくれるんじゃないか、なんてことを。
 そしたらもっと早く仲間を見つけてやれるかもしれない。そしたらフウカは喜ぶのかもしれない。
 けれどもこれはオレのわがままで――オレはフウカとふたりだけでいたかったんだ。

 ああ、やっぱりオレって――そこに思い至ってしまった自分にどきりとしているオレを知ってか知らずか、そのときフウカは目を開いてオレに笑いかけた。
 「ハヤト。今日は海岸線を西に行ってもらってもいい?」
 「うん、了解。西だね。そしたら急ごう。せっかく時間があるんだし、できるだけ走ろう」
 フウカがありがとう、と頷いたとき、通りかかった野良猫がフウカを見つけて唸っていた。
 そうか。見えるんだ。
 
 真冬の海は、夕方の陽差しを映してきらきらしている。
 海はいつ見てもいいな。
 そういえばあこがれてた、オレ。誰かとふたりで海岸線を単車で走るのを――なんて。

 目標は人捜しみたいなもの。手がかりとなるのはフウカの感じる相手の気配だけ。
 だからオレは、ちょこっと走っては路肩に単車をとめて、その都度フウカに問う。
 「どう? こっちでよさそう?」
 「ちょっと離れたかも」
 「戻ったほうがいいの?」
 「ええと、ちょっと戻って北のほうに向かえるかしら」
 「うん、了解」
 こんなことをくり返し、くり返し。
 日が落ちるまでをこうして過ごす風の強い冬の日々。ほんのりと心のどこかがあったまっているオレは、来年から案外冬がそんなに嫌いじゃなくなるかもしれないな、なんて思ってみる。

 結局、収穫なし、だった。
 そろそろ帰ろうか――ということになったのは、すっかり日が落ちて、だいぶ気温も下がってからのこと。
 鬼浜町からはだいぶ遠くまで来ていたことに我ながら驚きながら、一応フウカに了解を得てからもと来た道をたどり始める。
 帰り道の途中でコンビニに寄って、肉まんと缶コーヒー、それからフウカのためにビスケットを買う。駐輪場の片隅の、人目につかないところを選んでオレはフウカをポケットから呼び出した。
 「フウカ。お腹すいただろ?」
 「うん。ありがとう、ハヤト」

 ちいさなフウカと、彼女の好きなビスケットを左の掌にのせる。オレは右手を缶コーヒーであっためながら、フウカを見ていた。フウカは人形みたいなかわいらしい指でビスケットの端っこを持って、えいっ、とばかりに断片を折りとってから満足そうに口に運んでいる。、
 「え――なに?」
 「いや、べつになんでもないけど?」
 「やだな、そんなに見ないで。恥ずかしいから」
 「あはは、それは悪かった」
 「もう。笑うことないでしょ」
 色白の頬にすこしばかりの薔薇色を掃いて、フウカは不満を口にする。
 それがまたとんでもなくかわいくて――口には出さないけど、オレは表情にそう混ぜ込んでフウカを見る。
 すると彼女はわざとのようにオレから瞳を逸らすんだ。
 「――だめだよ、ハヤト」
 「え? なにがだめなの?」
 「うん……なんでもない」
 一瞬だけうつむいてそう言って。けれども次に顔を上げたときにはもうなんでもなさそうな表情でフウカはオレに笑いかけた。

 ほんとは彼女が言いたいことは解る気がする。
 もともとの住む世界が違うから、とか。いつか帰らなきゃ行けないから、とか。
 けれどもそれは少なくとも『今』ではない。
 だからオレはあえて気づかないふりを決め込んで――人差し指でフウカの透けるような淡い色の長い髪をなでていた。
 先のことなんてどうでもよくて。ただ、この瞬間にオレがフウカと一緒にいることだけが真実で――そう思うことだけが今のオレの支えだった。
 
 帰り道の途中でも、もしかしてフウカが何か気配を感じたりしているかもしれないから所々で単車を止めて、フウカに問いかけて。
 そうこうしながら家までたどり着いたのは、22時を過ぎていた。
 居間でテレビを見ていた親父とお袋に声をかける。
 「ただいま」
 「おかえりなさい。ご飯は?」
 「うん。食べる。着替えてから」
 「おう、遅かったな、我が自慢の放蕩息子」
 「え、そう? 割と早いほうじゃない? 今日は」
 振り向く親父に答えるオレ。
 「早くはないだろう? これから合流するのか? 仲間連中とは」
 「……え――?」
 「今夜は集まりなんだろう? さっきからリュウジが何度か電話してきている。一度はここまで爆音轟かせて来たくらいだぞ。ハヤトはまだ帰らないのかと」
 「リュウジ……? あっ」
 そうだった。親父に言われて思い出した。
 今夜は集会だったんだ。

 その晩、オレは初めて集会に欠席した。
 明日の朝、リュウジはどんな顔してオレを迎えに来るだろう。心配させたくないんだけど……フウカを。
 こんなときでもそこに意識のいく自分に皮肉めいた笑いを捧げて、枕に頭を預けた。
 耳を澄ますと、フウカの寝息が鼓膜に届いた。なんだか安心するな――。



   * 6 *
 
 
 朝から空をどんよりとした色の、低くて厚い雲が覆っていた。
 昨日集会をサボったオレへのリュウジの対応は――いかにも機嫌悪そうな言葉数。
 いつもだったら何くれとなくリュウジのほうから話しかけてくるのに、今日ばかりは意図的と思われる無言が続く通学路。
 リュウジが怒っているのは承知。けれどもいつもと同じ時間に、わざわざ遠回りしてまでしっかり迎えに来てくれるところがリュウジらしいというか。

 「リュウジ。あの……昨夜は」
 「オウ。忙しかったらしいな」
 「うん――まあ」
 どんないいわけも聞いてもらえる雰囲気じゃなかった。
 リュウジはきっとオレが集会を欠席したことそのものじゃなくて、一度行くと言ったのに連絡もなくそれを破ったことへ怒っているんだと思う。
 「あの、ほんとに悪かった。オレ」
 「――――ああ」
 滅多に見られないリュウジの静かな不機嫌を目の当たりにする。コウヘイに啖呵を切っているときなんかよりよっぽど凄味があった。

 気まずいまま午前中を過ごしたリュウジとオレ。
 昼休み、弁当を食べ終えたところでノブオがリュウジを連れに来た。何か見てほしいものがあるとかで。
 ひとりになったのをこれ幸いと、オレは屋上へ行くことにした。
 フウカと話をしたかったから。

 階段を上がりきったところの重い鉄扉を開くと、空が近い。
 今日の空は雲が低いから、より近く感じるんだろう。おまけに風も強くなってきた。
 フウカを出してやろうとポケットに手を突っ込んだときだった。
 背後からぽんと肩を叩かれて、オレは思わず飛び上がりそうなほどびっくりした。
 「うわ!!! ――って、ああ。ダイゴか」
 「押忍」
 いつもどおりの落ち着き払ったダイゴの姿に、あからさまに慌てた顔のオレ。対照的だな。
 「……どうかした?」
 「いや。ただハヤトがここへ上がるのが見えたので、少し話しでもしようかと」
 「ああ、そっか」
 オレはポケットに右手を入れて、『悪いけどちょっと待ってて』の意味を込めてフウカの住まう銀細工を撫でた。ほんのり指先に熱が伝わってくる。
 
 ダイゴと並んで鉄柵にもたれかかって空を見る。
 「雪でも降りそうだな」
 「うん。降るかもしれないね」
 ここは海が近いからそんなに雪は降らないんだけど、今日はほんとに降るかもしれないような空模様だ。
 「それで? 話って?」
 「ああ」
 「昨日の集会のこと? あれはオレが悪かったよ。リュウジは納得してくれないけど」
 「そのことは、まあな。リュウジは根が一本気なのでな」
 「……許してもらえるかな、オレ」
 「大丈夫だろう。ハヤトにだって事情があるのだろうし。それを説明すればリュウジも理解するだろう」
 「事情――かあ」
 そればっかりはオレにはちょっと言えないんだ。でも、そうしないことにはリュウジの気持ちをほどくことはできない、ってダイゴは言いたいようで。

 「ハヤト。俺は本来、立ち入ったことを訊くのを善しとはせんのだが」
 ダイゴは正面からオレを見て切り出した。
 「お主、最近何か変わったことがあっただろう?」
 あったのではないか、ではなく、あっただろう、という強い意志をもったダイゴの言葉。
 「…………」
 肯定も否定もできないオレは、また空を仰いだ。きっとダイゴは肯定ととるんだろうけど。

 空はいよいよ灰色で、風もさっきより強くなっている。
 我知らず、最近ついた癖みたいにポケットに手を入れると、銀細工はまるで息を潜めるようにひんやりと触れたオレの指先に冷気を放った。
 「詮索したりするつもりではないゆえ気を悪くしないでほしいのだが」
 ダイゴはオレにこう問う。
 「近頃のハヤトには、別の大きな『気』を感じるのだ、俺は」
 「それが――?」
 「よくは解らんのだが、とてつもなく大きな『気』でな。本来ならば近寄り難いような」
 ダイゴが言っているのは、明らかにフウカのこと。それはわかるのだけれど、近寄りがたいっていうのはオレには理解できない。
 
 「近寄りがたい? そんなこともないと思うけれど……」
 「ハヤトにはそうは思えないということか」
 ダイゴは唸って腕組みをする。
 「それで? それがどうかしたのか?」
 「それもよくは解らん。ただ、その『気』にハヤトが包み込まれて、ともすると挙げ句取り込まれてしまうように感じるのだ」
 オレを正面から見ていたダイゴは、つと言葉を切って目を閉じる。
 まぶたの裏に何かが映っているんだろうか――もしかしたらフウカの姿が。

 「とにかく、気をつけたほうがよいのかもしれんと思って」
 「気をつける……そんな大袈裟な?」
 「言い方がよくなかったようだ。つまり、そうだな」
 と、ダイゴは目を開く。
 「ハヤトはハヤトであること、自分をしっかりもっておれば大丈夫だと思うゆえ」
 「うん。それなら大丈夫だ。オレはちゃんとオレだから」
 ダイゴが言いたいことは何となくわかる。
 ダイゴの感じるフウカの放つ『気』は、本来こういったことに鈍感なオレが感じるものよりも強大であるらしいこと。
 それから、オレがそれに取り込まれてしまうことへの警鐘。
 たしかに――オレは出会ってからの数日というもの、フウカを最優先していた。それできのうの集会をサボって、リュウジの機嫌を損ねて。
 
 「リュウジのことは、そう心配いらないとは思うが」
 ダイゴはオレの心中を察したように――ダイゴはいつも鋭い――やんわりと笑ってみせる。
 「とにかく筋を通しさえすればな」
 「うん。そうだよね。オレ、もうちょっとちゃんと謝るから」
 「そうするといいかもしれんな。とまあ、それはよい。俺が言いたいのはな、ハヤト。縁あって出会った存在というものは――」
 ダイゴは何か重要そうなことを言いかけたんだけど。
 ちょうどそこで鉄の扉が派手な音をたてて開いて、むこうから赤いリーゼントが現れた。
 
 「ハヤト!!! 寒いってのにま~たここかよ……ってダイゴも一緒か」
 「押忍」
 「んじゃまあいいか。ダイゴも何か言ってやれよ。ハヤトここんとこなんか変じゃねえ?」
 わはははは、なんてリュウジは笑っている。それを受けたダイゴもまた頬をゆるませていて。
 「ええと……リュウジ」
 「うん? なんだ、ハヤト」
 「あのさ。昨日、悪かった。オレ、どうしても行かなきゃいけないとこがあって……」
 「ああ、そのことか。もう忘れたぜ!!! 俺はそういうのは飯喰ったら忘れる主義だぜ」
 ほんのさっきまで明らかにオレに対して怒っていたはずのリュウジだったけど、普通に戻っている。ほんとに飯のせいかどうかはわからないけれど、なんとなく助かった。
 「まあ、あれだ。ハヤトだってお年頃だからな」
 うひひ、って笑いをリュウジは見せた。
 「いや、そういうことでもないんだけど……っていうか……」
 「ともかく次はちゃんと来いや!!! ハヤトがいねえと気合い半減だぜ」
 うん、とリュウジにオレはうなずいた。ポケットの中の銀細工はふたたび熱を帯びている。



   * 7 *


 天気予報によれば、今夜遅くから海沿いのこのあたりだけ、局地的に風と雪が猛烈な勢いで発生する可能性が大なのだとか。
 リュウジと肩を並べての帰り道。
 昨夜のオレの失態は、リュウジにはどうにか許してもらえたみたいだ。昼休み、オレがダイゴと話しているあいだに、ことによるとノブオが何か口添えでもしてくれたのかもしれない。
 
 「そんなのって珍しいよな。このあたりで雪なんて」
 「うん――あ、もう降ってきてるね。ほら」
 リュウジの制服の肩に、はらりと舞い降りる雪の結晶を見つけて指さした。
 「オウ!!! ほんとだぜ」
 空を見上げてリュウジはどことなくうれしそうだ。
 「なあ、ハヤト。積もると思うか?」
 「ん~、どうかな」
 「たまには積もると楽しいと思わねえ? いつもの町が真っ白になるとこ、見てえな。俺」
 こんなときのリュウジは幼いんだよな。犬みたいな目、とでも言うか。
 
 「ハヤト。なんか知らねえけどよ。よかったらそのうち聞かせてくれよな、ハヤトの話も」
 別れ際にリュウジはこう言った。オレは従順にうなずいたんだ。
 うん。もうすこし経ったらリュウジにも会ってもらおう。時期を見てフウカを紹介しないとな。

 ――そんなことをその時考えていたオレって、なんておめでたい奴だったんだろうな……。

 家に帰って、ようやくポケットの銀細工を取り出した。
 今日はなんだかんだで、一度も学校ではフウカを外に出してあげられなかったんだ。
 見慣れた薄い靄が目の前に現れて、それが晴れるとフウカと会える。
 「フウカ。ずっと中で息苦しかった?」
 「ううん。大丈夫。そんなことよりハヤト。昨日、やっぱりわたしのせいで……ごめんね」
 「謝ることないってば。リュウジもわかってくれたしね」
 「……うん。でもほんとにごめん、ハヤト」
 ぴょこんとお辞儀する姿に想いをこめて笑みを返して、それからオレはフウカにビスケットを食べさせてあげる。そうしながらとりあえず着替えて。

 着替え終わって、机の上にのっけたフウカを振り返ると、机の前の窓にかかったカーテンをめくろうとしていた。フウカのちいさな手には余る業だからオレが手を添えてやる。
 「ん? 外、見たい?」
 「ちょっと天気が気になるの」
 「ああ。今日は暴風雪になるかもしれないって天気予報が出てるね」
 「――やっぱり」
 「え……やっぱり、って?」
 オレの問いかけに、フウカは答えなかった。ただ窓の外の低い空に目をやっている。
 
 「ハヤト。こんなお天気の日だけど、行ってもらってもいい?」
 「うん。オレはもともとそのつもり」
 「ありがとう、ハヤト。わたしハヤトと会えてよかった。ハヤトが親切にしてくれたこと、ずっと忘れないから」
 「あはは。何言ってるんだ、フウカ? 別れの挨拶じゃあるまいし」
 「……そうね。ごめんなさい、ハヤト」
 「だから、謝ることないってば。さっきから謝ってばっかりじゃん」
 フウカは首を傾げてほろりと笑った。なんだかあんまり楽しそうじゃなかったのが気になる。

 今日は東の方角に行ってほしいとフウカが言った。
 いつもよりも確信めいた表情をしていた。そしてこう続けたんだ。
 「あのね、この天気、わたしと仲間のせいかもしれないの」
 「え? 天気って、これから暴風雪になるかも、って?」
 「そう。わたしと仲間がはぐれたから、あるじが心配してこちらに働きかけているのかもしれない。もっともわたしひとりじゃもとの世界とコンタクトもとれないから確認する術もないけれど……」
 空のほうからきたというフウカ。
 オレなんかでは到底計り知れない力とでもいうものを持っているらしいと今更に気づかされた。
 凜とした面差しを見せて、フウカはオレを見返している。
 よし、オレだって男だから。いとおしいフウカのために今日も走るよ――緊張しながら思う。

 革のジャケットの襟を立てて単車に跨った。雪をよける意味で、メットとゴーグル装着だ。
 フウカは胸のポケットへ。
 学校からの帰りにはちらちらと舞っていた雪だけど、さっきよりもいくぶん粒が大きくなってる。
 たしかに風がとても強くて、降る雪は地面に向かってストレートに落ちる軌跡を描くことなく、滞空時間が長そうだ。

 フウカの言ったとおり、オレは海岸線を東に向かって単車を走らせた。
 鉛色の空が暗い色の海面の上を覆っている。定まらない方向を向けて散る雪の断片。
 これといった原因なく、ただ不安をあおる大気がオレを包んでいるような気がする。

 つと感じるところがあって、オレは路肩に単車を停めた。
 すると胸ポケットからフウカが顔を出しかけて、あまりの強風のためかすぐに引っ込んだ。
 慌ててオレはしばらく先に見えるコンビニを目指して単車を出した。髪が風になぶられる。
 ようやくコンビニの建物の陰の、風を遮るところで落ち着いてフウカと会話できる体勢になった。
 「ハヤト。近いと思う。もうちょっと先まで行ってもらえる?」
 「うん。了解」
 ふたりして緊張した顔を見交わす。
 「このまま海岸線でいいのかな?」
 「そうね。でも向こうも移動しているみたい。また折を見て呼ぶから」
 「わかった。それじゃ行こうか」
 フウカがポケットに収まるのを確認してから、オレはあらためて単車に跨る。
 
 オレの好みにチューンしたマフラーからの音も、今日はごうごうと吹く風にさらわれている。
 さて、東へ――そう思い定めてコンビニの駐車場から出ようとしたところだった。
 
 後方から近づいてくる単車が3台あった。ちらりと振り返ると、どれも見たことのある装飾が施されている。
 コウヘイのマシン、それからゴンタとタカシのマシンのようだ。
 ちっ、とオレは舌打ちをする。
 こんなところで関わり合いたくない相手だから。だってオレは暇じゃない。
 車列の切れ目を狙って、オレは車道へと乗りだした。よもや奴らに追いつかれたりしないように。望まない勝負なんかにならないように――そう祈りながら。

 天気のせいか、車列のスピードは全体的にスローだった。運悪く信号にもたびたび足止めを喰らう。
 そうこうしているうちに、ついに3騎に追いつかれてしまったんだ。
 車列の先頭で信号待ちのオレの左右にゴンタとタカシがぴったりと寄せてくる。コウヘイはオレの背後にいるらしい。
 ふたたび舌打ちをするオレは、両側のふたりの視線を感じている。
 何も今じゃなくてもいいじゃんか――大声で言いたい衝動に駆られる。けれどもそんな場合でもないので、オレは信号が変わると即座に飛び出した。

 向かい風が車体を煽る。両側からの邪魔に翻弄されてオレはなかなかぶっちぎることができないでいる。
 「ちきしょう。遊びじゃないってのに」
 呟きも風に吹き消されてゆく。

 苛立ちのままにオレは単車をふかす。
 両側にこちらから当たりを仕掛けていって、なんとか車体を前に出そうと試みる。
 タカシはいいとして、こんな風の日には重量と安定のあるゴンタは有利とみえてなかなか怯まない。
 それでもオレは特攻隊長の名にかけて、勢いをつけて前へ出た。
 よし、このまま突っ切っていかないと。
 しばらく前にはまた車の列がある。それに囲まれる前に奴らの包囲から抜けだそうとするんだけれど――
 ようやくゴンタとタカシを振り切ったオレの眼前には、今度は後ろから回ってきたコウヘイの、黒の単車が立ちはだかっている。



   * 8 *


 勝負宣言もなく行きがかり上始まった、3対1のバトル。
 奴らはおそらく遊びの延長なんだろう。対するオレには急がなきゃいけない理由がある。
 こちらはオレの単騎という不利があろうとも、そこはオレのプライドが負けを許すわけはない。
 だって仮にもオレは特攻隊長なのだから。
 そして敵方3人の中には、オレの宿敵、向こうの特攻隊長・ハンゾウの姿がないのだから。
 
 3人のうちの2人までを交わして、あとはコウヘイとの一騎討ちまで漕ぎつけた。
 いよいよ雪が本格的に降ってきている。
 強い風に舞いながら路面に落ちていく雪のかけらを蹴散らして、オレは懸命に先へ先へとマシンを駆る。
 今日のコウヘイには余裕があった。遊びの延長と考えるところからくる、それは余裕に違いない。こんな天気でもいつもどおりのノーヘルがそれを物語る。
 余裕という面に関してはいつもだったらオレがひけを取るようなことはないんだけれど、今日は違う意味で追いつめられていたというか、本来ならば余計なことに気を取られている場合じゃなかったから、焦りがあったんだと思う。
 右側からマシンを寄せてくるコウヘイを、一瞬やり過ごし損ねた。
 ハンドルが大きく左にとられる。
 すぐさま体勢を戻そうと試みるけれど、そのときにはすでにコウヘイのマシンはオレの前を遮っている。
 
 嗚呼――こんなときでさえなかったら。
 胸ポケットにいるフウカを想うと、そこが隙になるのは承知。オレの心の動きなんて知るよしもないコウヘイに、敢えてふたたび並ばれて横やりを入れられる。
 けれどもオレは踏ん張らなきゃいけない。
 今日は誰も助けてくれない。というよりも、オレは単車勝負においては誰の助けも必要ないだろ?
 自己暗示だって重要なテクニックなんだから――オレがいちばん速いんだから!!!

 そう意識したとき。
 オレのマシンはまるで追い風を受けたかのように、否、まさにそのときひときわ強く吹いた風に煽られて、ぽんと前に出たように思えた。車体がやたらと軽くなったような錯覚。
 同列に並んでいたコウヘイのマシンも同じように煽られなければ嘘だとは思うんだけど、どういうわけかオレひとりに吹いた、それは追い風だったようにも感じた。

 とにかく、理屈なんてどうでもよくなっている。
 オレはこの場を切り抜けようと必死で体をマシンに預けた。
 もう信じられるのはお前しかいなのだから――と言い聞かせて。
 オレをこのまま先へ急がせてくれと祈りながら、エンジンを全開へと導いた。

 最初に振り切ったゴンタとタカシはもとより、気づけばコウヘイをもはるか後ろに置いてきていたみたいだ。
 オレの周りにまとわりつく派手な単車の姿はひとつもなかった。
 そればかりか、さっきまで国道を埋めていた悪天候で先を急ぐ車の列さえも、まるで神隠しにでも遭ったかのように消えていたんだ。
 不自然なほどの静寂と、不自然なほどの空白感がオレの四囲を満たしている。

 前を見ても後ろを見ても、見慣れた国道4649号線には人影も、車の姿も見あたらない。
 ただごうごうと唸る強い風に舞う雪の白い礫だけがオレの視界をちらちらと遮っている。
 思い立って路肩に単車を停めて、胸ポケットをのぞき込む。
 フウカの紺色の瞳がオレを見ていた。
 相変わらず風が音をたてている。今日のオレはメットもかぶっているし本当の意味で聞こえたのではないと解るけれど、オレは聞いたんだ――先を急いで、と。近頃では耳に馴染んだかわいらしい声を。
 まるで鈴を振ったときのような、かわいらしい音色を――。

 うん、了解、と合った視線の先にそう応えて、オレは先を急ぐことにする。
 きっと近いと予感しているんだと思う。フウカの目指すところが。
 そしてオレは不自然なほどに無機質に思える海沿いの国道を突っ走ったんだ。
 しばらく先へ行くと、左手に暗黒水産高校。そして右手には『夕映え木立』。
 何かがあるなと鈍感なはずのオレにすら、鳥肌のたつような予感があった。

 以前にも奇妙な体験をした暗黒水産の向かい側、『夕映え木立』が見えるところまで来た。
 いよいよ吹き付ける風雪は激しさを増している。
 もともと雪が降ること自体がそう多くない海沿いの鬼浜町を包む天気は、吹雪と呼ぶにふさわしい感じだ。
 ここで単車を停めないといけないような気分がしたので、オレは己の第六感に従うことにした。
 
 「フウカ」
 呼びかけて胸ポケットに視線を落とす。中からフウカを取り出すには風が強すぎた。
 「ハヤト。近いと思うの」
 「うん。このまま先でいいの?」
 「たぶん。ああ、早くしないと。やっぱりあるじがこちらに近づいている証拠かもしれなくて、この風と雪の具合」
 「そう――なんだ」
 「あるじが直接こちらに働きかけると、こうなりやすいの。だからわたしたちがお遣いをするために存在するの。そのわたしたちが手間取っていたから、きっと……」
 空からあるじのお遣いでやってきて、その途中でフウカは仲間とはぐれてしまったと言った。
 出会ってから数日来、オレは仲間を捜すためにフウカと一緒に奔走していて。
 ――いよいよなのか、という緊張感がオレを包んでいる。
 「よし。じゃあもう少し走ろう」
 こくりとフウカは頷いた。
 オレはふたたび雪の中、不自然なほどに車の姿のない国道を行く。

 次の大きなカーブを超えたら暗黒水産の目の前を通り過ぎる。
 なぜだかわからないけれど、オレの心臓は鼓動を早くしていた。
 何かの予感――そう、オレはその『何か』を心のどこかで確信していたんだと思う。

 奴の姿が瞳に映った瞬間に、どこか安堵したような気がするから。

 一目でわかる見慣れた、そして闘い慣れた奴の単車が暗黒水産の手前の路地から国道へ乗り出してきた。
 予期したとおりハンゾウのマシンだ。
 オレの勘なんて鋭いわけじゃないのに、どういうわけかここでハンゾウに遭う気がしていた。
 
 初めて見るメット姿のハンゾウ――おそらく奴からしてもメットをかぶったオレは初めてだろう。
 お互いに顔はわからなくても無視できる間柄ではないから。奴とオレは。

 単車を駆っているときに公道で出会ったが最後、とでも言うか。
 遊んでなんていられない、こんな大事な時なのに。
 ハンゾウよりももっと気にかけるべき相手が間近にいるのに。
 心ではわかっている。
 なのに、目に見えない何かに駆り立てられているかの如く、オレは一歩先を行くハンゾウに単車を寄せていった。
 
 空からは吹雪。
 強い風、それから体にたたきつけるように降る雪。
 海沿いの鬼浜町には有り得ない光景だ。
 メットからはみ出した髪の毛がもつれて、凍えてる。
 がらがらの国道には、前にも後ろにも人気がなくて、見えるものといえばハンゾウのマシンと、並んだオレのマシンだけ。
 バトルなんてしてる場合じゃないのに、体が止まるのを厭う。
 
 爆音マシン2台が火花を散らしあっているにも関わらず、まったくの無音が国道に流れているようだった。
 風の音にかき消され、雪の質感に吸い取られ――
 そしてオレは何かに取り憑かれたかのように、ハンゾウに激しくつっかかっていった。
 タイヤが滑る感じが皆無なのが不思議のようで、当たり前のようにも感じられて……。



   * 9 *

 
 風と雪の嵐が海辺の町を支配していた。
 その中に存在するようにと定められたのがハンゾウとオレだけのような。
 否、ハンゾウとオレ、そしてオレのポケットをあっためているフウカがいる。
 たしかにフウカがオレとともに存在しているのを感じている。
 
 フウカのために雪の国道を海に沿って走らせて、何かに導かれるようにハンゾウと行き合ったオレ。
 そんな場合じゃないってのは百も承知だ。
 それなのに、互いをそれと認め合ったが最後、オレとハンゾウは競わないわけにいかない使命を帯びているかのように先を争って道をゆく。
 
 いつものバトルのルートではないからそれと決まったゴールなんてないんだ、と途中で気がついた。
 それでも、オレはハンゾウよりも一歩前を走ることだけを念頭において単車を駆る。
 狙うところはハンゾウも同じだ。
 ゴーグルめがけて雪が吹き付ける。
 海側からの風が単車を横から揺さぶる。
 
 すこしだけオレが先行したかと思いきや、次の瞬間にはハンゾウが前輪の分だけオレの前へ出る。
 挽回せんと息を呑んで、眉間に力をいれてから低くした体を単車に預ける。
 ハンゾウに並んだ。そのまま多少はオレのほうが先に出たと思う。
 そうしてハンゾウとオレは、ただひたすらにゴールも定めずに国道4649号線を闇雲に走っていた。
 速度はほぼ互角。
 互いに認める好敵手は伊達じゃないんだ。だからどちらかが振り切る、なんてことは有り得ない。
 
 このまま何かきっかけがあったら先に出られるのに。
 何かきっかけがあったら――そう、さっきコウヘイをかわしたときみたいに追い風でも吹いてくれたら。オレだけを後押しするような、不思議な風が吹きさえすれば。
 
 このままじゃ決着がつかない。正直言ってオレは焦っている。
 フウカの目指すものを通り過ぎているんじゃないか?
 かといってこのまま勝負をおりるのはオレの自尊心が許さない。
 けれども今日はフウカのために走っているわけで――。

 そんな板挟みにあえぎながらハンゾウに先行を許したオレに、待ち望んだ風が吹いた。
 ふわりと軽い浮揚感が後輪を後押ししたかのように思える。
 ――よし。このままオレだけ一歩先行できさえすれば、ハンゾウを振り切れるはず。
 そんなふうに思ったオレだけど、その思惑は見事にはずれたんだ。

 確かにオレのマシンは後輪がすこし浮いたはず。
 見えない力なんだか奇妙な風なんだかに掬われて、オレの単車は速度計には反映されないけれどもポテンシャルを上回る走りをしたはず。
 なのにまったくもって並んだハンゾウとの差が広がらない。
 いったい何でだろう?

 答えは簡単。
 ふたたびオレを包んだ、コウヘイには吹かなかった不思議な追い風は、同じくハンゾウにも吹いていたからだった。
 
 オレは見た。
 オレの前に出ていたハンゾウの単車の後輪が国道のアスファルトからほんのすこし浮くのを。
 それから、摩擦を生じさせるべきアスファルトから離れたタイヤから、靄が発生していたのを。
 どこかで見た覚えのある靄。
 雪の白と似た、幾分青みがかった白い靄。
 そう――この色は最近の目には馴染んだ白だ。
 露天商で偶然手に入れた銀細工から、オレのかわいいフウカが出てくるときに見るやつとそっくりな色合いのそれは、次第にふたつのマシンを音もなく包んだかに見えた。

 白い靄を見た瞬間、オレの意識はふっと遠のいたのかもしれない。
 勝負の最中に気を抜くなんてことは絶対にしないはずのオレなのに、おのれの高鳴る鼓動を自覚したそのとき、周囲の景色が異質なものになっていることに気がついた。
 いつしか単車のスピードメーターは0km/hを示している。
 我知らずオレは単車を停めていた。
 そしてまた、熾烈なバトルを繰り広げていたハンゾウも。

 オレが国道を走り出して、行き合ったコウヘイらをぶっちぎった後あたりから確かにおかしな感じだったとは思う。
 周囲にあった車列が消えていたわけだし。
 ただ当たり前のようにハンゾウと出くわして、そんな場合でもないのにいつものように速度を競って――そうした結果、さらにおかしなことになっている。
 
 鬼浜町の東側の、暗黒水産を数km過ぎたところ。
 オレとハンゾウが前輪を同ラインに並べて単車を停めた、ここはちいさな漁港だ。
 空を覆う雲は分厚く、海の色は暗い。
 そちらの方角を振り返れば、いまだ雪と風とは強く鬼浜町界隈にたたきつけているらしい。
 にもかかわらず――オレとハンゾウのいる、海に張り出すようになったこの場所には静けさがあった。おかしなことに雪も風もない。寒さすらも感じなかった。

 ごくり、と自分の喉が鳴るのを、遠くで吹きすさぶ風の切れ間に聞いた。
 左の胸がやたらと熱い。
 心臓に覆い被さるように位置するポケットのその中にはフウカがいるんだ。
 
 オレはポケットに右手をやさしく差し入れた。
 指に馴染んだあたたかさがオレの全身を包み込む。
 中指にすがりつくフウカの感触を確かめて右手をポケットから抜く。
 すぐ横にハンゾウがいることなんてもうどうでもよかった。
 今までリュウジにも、気にかけてくれていたダイゴにも内緒にしていた存在を露わにすることを何とも思わなかった――いや、むしろそうすべきだと感じていた。

 てのひらをあたためるちいさなフウカ。紺色の瞳。透けるような肌。オレのいとおしい存在。
 「ハヤト」
 オレの名をフウカは呼んだ。耳に馴染んだ、鈴の音によく似た声。
 そしてオレを正面から見つめてちょこんとお辞儀をした。
 「ハヤト、どうもありがとう」
 「……フウカ?」
 オレが問うと、フウカは笑顔を見せる。心持ち影が混じり込んでいるようにも見える。
 「ハヤトのおかげで会えたわ。連れのセツカに」
 「え……?」
 フウカの視線を追う。その先にはハンゾウがいて。
 よく見ればハンゾウの左側の肩にちょこんとちいさな誰かが乗っかっていて――

 フウカと同じような格好をしたちいさきもの。透けるような銀色でフウカよりは短い髪の毛、瞳は明るめの紫色。
 ハンゾウが何かを呟く。ちいさきものがそれを受けて頷く。そんな光景を眺めているオレ。
 ああ、そうか。
 フウカの仲間はここにいたんだ。ハンゾウとともにいたんだ。
 偶然なのかな。それとも必然なのかな。
 
 ぼんやりと思って、てのひらに視線を戻した。
 「ハヤト。今までほんとうにありがとう。わたし、ハヤトのことはずっと忘れない。ハヤトがわたしのこと忘れても、わたしはずっと見守っているから」
 「フウカ? 一体何を言っているの? オレ、忘れるとか……そんなこと」
 せつない耳障りの言葉たちを、オレの意志は飲み込むのを拒んでいる。
 「ハヤトと波長が合ってよかった。楽しかったよ。セツカとはぐれて心細いはずなのに、心のどこかではこのまま……ううん、なんでもない」
 切なそうに笑むフウカ。オレは情けないことに言葉のひとつも出ないでいる。
 ただ目にフウカを焼き付けたくて。
 オレの恋したちいさなフウカを――。

 そのとき空から大きな風が吹いた。
 立っていられないほど強いというわけではなく、言い表すなら大いなる力を秘めたとでもいうような。
 どこか暖かくすら感じるその風がオレたちのいる漁港を包んだ。

 夜の海に、空のどこかから強い一条の光が差し込んでくる。
 まばゆい光に包まれて、そして体が軽くなるような感覚。
 何が起こっているのかなんてどうでもよかった。
 ただてのひらから、フウカの軽いながらも確実に存在する気配が次第にうすれていくことが真実悲しかった。
 オレの手を離れたフウカは宙に舞い、同じくハンゾウの肩から浮かび上がった仲間と手を取り合ったのを見た。
 そしてあの白い靄が生まれて――空に吸い込まれていったんだ。
 
 オレの目がフウカを捉えたのはそれが最後だった。
 あとに取り残されたオレ、それからハンゾウはしばらくの間ぽかんと空の一点を見つめて黙っていた。
 
 空になった左の胸ポケットが冷たい。
 喉の奥がしょっぱかった。鼻の奥がつんとした。
 それと、耳の奥で銀細工の鈴が、鳴らないはずの音をたてたのをはっきりと聞いた。
 もしかしたらオレは泣いているのかもしれない。
 もしかしたらハンゾウも同じかもしれない。



   * 風にのって鈴の音が  完 *


 
 
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