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これまでのおはなし

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我が名にかけて

   * 1 *


 「たまにはあっちにも挨拶行かねえとな」
 「ああ、美山瀬。そうだね。でも山は寒いだろうな。早く春になるといいのに」
 「わはは、また寒いとか言ってるよ、ハヤトは!!!」
 「うん。だって、こないだ電話したら、雪が積もったって言ってたから。テツが」
 「いいじゃねえかよ。むしろ湖が凍ったら楽しいと思わねえ? ワカサギ釣れるかもな!!!」
 「え、いや……あそこはいないんじゃない? ワカサギ」
 「そうか?」
 なんて、雑談しながらの帰り道。
 まだまだ冬真っ盛りだけど、すっかり日が長くなったことだけは明らかに感じられる。
 春もそんなに遠くはないのかも。

 「そういやこないだ、千晶ちゃんがな」
 と、思い出したようにリュウジが言いかけた矢先だった。
 並んで歩いていたリュウジとオレの真ん中を通って、何やら茶色の物体が駆け抜けていく。
 それは長毛種のでっぷりとした犬だった。ちらっとオレの目をかすめたのは、その犬の口にくわえられた黄色いもの。
 「お。元気なのが通ってったな」
 背の低い後ろ姿をリュウジが目を細めて追いかけた。
 「あはは。リュウジは犬好きだからね」
 「オウ!!!」
 とか言ってたら、次に聞こえてきたのは火のついたような泣き声だった。
 ちょうど通りかかった路地から聞こえてくるそれは、ちいさな子供のものとおぼしい。

 「うわ~~~ん、ぼくのぼうしが……」
 路地をのぞき込むと泣き声の出所はすぐそこにいた。横にはお母さんらしき人がおろおろしている。
 「あら、そんな泣いたら……でも、困ったわね」
 「ん? どうかしたのか?」
 リュウジが声をかけた。お母さんは振り向いて、男の子のほうは泣きながらリュウジに答える。
 「――っ、ぼくの……ぼうし。わんちゃんがね」
 「風に飛ばされたところを、持っていかれちゃったんです」
 お母さんがそう付け加えてくれた。

 「犬――さっきのか?」
 「ああ、そういえば何か黄色いものを咥えてた。さっきの」
 「よっしゃ!!! ちょっと待ってろや!!!」
 言うが早いかリュウジは来た道を駆け戻る。
 視界の先にはさっきの犬がいる。
 リュウジのこんなときの走りは見事だなあと見守りながらオレは思った。これだけ走れるんならちゃんとやったら体育の成績は芳しいだろうにな。もっとも出席日数が物を言うのか。
 体の大きなその犬の走る速度があまり速くないのも幸いしたみたいだ。
 リュウジは犬に追いついて、後ろから羽交い締めにしたっぽい。
 距離があるのでよくは見えないけれど、きっとリュウジのことだから解放してやったときには頭か背中かを撫でてやったんだろうな。よしよし、いたずらするなよ、なんて言いながら。
 
 オレと親子のいるところまで意気揚々と戻ってきたリュウジの右手には、毛糸でできた黄色い帽子が握られていた。
 てっぺんにぼんぼんがついてる。ハンドメイドの風合いだ。
 「リュウジ、おつかれ」
 「オウ、返してもらえたぜ、ハヤト!!! あいつ、意外とものわかりのいい奴で助かったぜ。よかったな、ぼく」
 男の子の目の前にしゃがみこんで、リュウジは戦利品を男の子の頭にかぶせてやった。にっこりと笑いかけている。
 「うん!!! ありがと、おにいちゃん」
 「どうってことねえぜ。それよか今度は風が吹いたらちゃんと押さえておけな。その帽子、気に入ってるんだろ?」
 「うん。そうするね。これ、ママがつくってくれたの。だからだいじなの」 
 涙に濡れた目をこすりながら男の子はリュウジに笑いかけた。そしたらリュウジは帽子ごと、男の子の頭を撫でてやる。
 うん、さっきの犬にもこうやったんだろうな。なんとなく想像できる。

 「本当にありがとうございました」
 若いお母さんがリュウジに言った。その声を聞いて、思い出したようにまだちいさい男の子はお母さんのコートのすそを握りしめた。
 「いや……とんでもないです」
 照れたようにリュウジが言った。耳の後ろをぽりぽり掻いてる。

 「まあ、あれだ。気をつけて、ってことで」
 「ええ。わたしが不注意だったからいけなかったです」
 買い物袋を片手に、空いたほうで男の子と手を繋いでお母さんが言う。
 「お礼――ってほどではないけれど、これ……よろしかったら」
 お母さんが差し出したのは、買い物袋から取り出したプリンだった。男の子の目がそれを追いかけてる。
 「わはは。いや、もらえません、それは。だって今日のおやつだろ? なあ?」
 「うん!!!」
 男の子は素直にいい返事。
 「ってことだから、俺は気持ちだけで」
 「本当に重ね重ね気をつかってもらっちゃって……」
 お母さんはリュウジにぺこりとお辞儀した。

 「あの、せめてお名前だけでもうかがっていいですか?」
 「ん? 俺? いや、名乗るほどのもんじゃないんで!!! そしたら俺らはこれで。こいつが寒いと機嫌悪いんすよ」
 「え――オレ?」
 とか言いかけたら、リュウジに腿の後ろをつねられた。
 「それじゃ、ぼく。母ちゃんとなかよくな!!!」
 「うん。おにいちゃんもおともだちとなかよくね~」
 「オウ!!! まかせとけ」
 そしてリュウジと男の子が握手を交わしたのを潮に、オレたちはその場を辞したんだ。

 うん。これこそリュウジらしい逸話だな、なんてオレは思う。
 人の役に立ったところで名前なんてどうでもよくて。その場だけのつながりだって、ちゃんと礼儀と笑顔を忘れなくて。
 オレたちの総隊長はこういう気持ちのいい漢なんだ。
 ……だったら女の子にもててもおかしくないのにね。
 「ん? なんか言ったか? ハヤト」
 「え? いや、何も言ってないけど?」
 あらためてふたりで歩きながらのひとり思い――いけね、もしかしてオレ、何か呟いてた?
 
 「まあいいや。そんなことよりな、ハヤト。さっきの話の続きだけどよ」
 「え~……何話してたっけ?」
 「だからな、こないだ千晶ちゃんが」
 ああ、そうか。千晶ちゃんの話をしてたっけ。数分前を思い出しながらオレは頷いた。
 「なんて言ったっけ? ほら、千晶ちゃんの新しい女の子の友達。ええ……」
 「ああ、千尋ちゃん、だったね」
 「そうだそうだ!!! その千尋さんがな。単車の免許とろうとしてるらしくてよ」
 「へえ。そうなんだ」
 「でな。まず単車の速度に慣れるのに、リアに乗っけて走ってもらえねえか、って。千晶ちゃん、自分じゃ自信ねえからって俺に言ってきてな」
 「あはは。そんなこと頼まれたんだ、リュウジ」
 「――なんだけどよ。でも俺、さすがに女性を乗せて走るってのは……まあ、そのう……だから、な? ハヤト。力になってやってくれるよな?」
 「え、オレ? いいじゃん、頼まれたのリュウジなんだからさ。リュウジが乗せてあげれば」
 「いや……そのう」
 あはは。リュウジ、照れてるよ。
 うん。これもリュウジらしいよな。やっぱり女の子には弱いんだ。



   * 2 *


 日曜日のこと。
 ゲーセンに行くというリュウジに誘い出されて商店街を目指す。今日はノブオとダイゴも一緒だ。現地集合ってことになっている。おそらく夕方から走りにでも行こうってことになるんだろうな。
 オレ個人的にはせっかく時間があるんだったらほんとはパチンコ屋のほうが楽しいんだけど……そんなのリュウジが許してくれるわけないからね。仕方ない。
 
 オレの家は目的地から見て、駅を挟んで逆側だ。
 駅を抜けたところでダイゴに合った。
 「押忍、ハヤト」
 「あ、ダイゴ。今日はもう用事済んだ?」
 「それは朝から始めて午前中のうちにな」
 「そうか。なら時間たっぷりあるね」
 「ああ。おかげさまで」
 お寺の息子のダイゴは、休日はあれこれ忙しいことが多いみたいだ。今日はそのすがすがしい表情と、この時間のリュウジからの招集に応じたってことがふたつながら物語っているとおり、お勤めは終了したってことらしい。いろいろ大変そうだな。
 
 「ダイゴ、ゲーセンってよく行く?」
 「いや、あまり。少なくともひとりでは行かんな」
 「オレと一緒か」
 「リュウジは好きだからな、ゲーム」
 「そうそう。ノブオもね。似たもの同士だから」
 なんて話しながら目的の場所まで歩く。
 
 リュウジの行きつけのゲーセンは表通りから路地を一本入ったところにある。その裏手は公園だ。
 公園の前に差しかかったとき、すべり台で遊んでいる子供たちの中に見たことのある帽子を見つけた。
 あれ、と思って目をとめたら、すべり台を降りてきたとたんにその帽子をかぶった子がオレのところに駆け寄ってきた。
 「おにいちゃん!!!」
 「ああ、こないだの」
 そうだ。見覚えある黄色の帽子は、こないだリュウジが犬から取り戻してあげたやつだ。
 「あの、ぼうしありがとう」
 「あはは。オレは何もしてないから」
 男の子はオレを見上げて笑ってる。
 「えっと、赤いおにいちゃんは? 元気?」
 「うん。きみとおなじくらい元気だよ」
 「そっか!!! じゃあよかった。また会いたいなあ、赤いおにいちゃん」
 「そうか。それじゃ伝えておくよ」
 そして公園の中から、男の子の友達らしきが呼んだのを潮に、男の子はオレにばいばい、と手を振って友達のもとに戻っていった。

 「あの子供は知り合いか? ハヤト」
 「うん。こないだリュウジがさ」
 公園の前にしばし立ち止まって、ダイゴにリュウジと犬と帽子のいきさつを簡単に話して聞かせた。
 ダイゴはちいさく何度も頷きながら聞いてくれている。
 「名乗るほどのもんじゃない、ってのがリュウジらしいよな」
 「確かに。それがリュウジの漢気なのだろうな。だからああいった子供の心にも残っていくのだろう」
 「そうだね」
 そういえば、ダイゴも犬と子供が好きなんだって言ってた。そこが似通っているのは、きっと子供時代にリュウジがダイゴを尊敬していたってことから派生しているのかもな、なんて思う。
 
 「あ、いけね。リュウジが待ってるな」
 公園の真ん中の時計台を見上げてオレは言う。
 「押忍。あまり待たせると焦れるだろうから」
 「あはははは。オレ、毎朝待たせてるけどね」
 なんて言いながらも、ダイゴとオレはリュウジの待っているゲーセンへと急いだんだ。

 公園のそばのゲーセン。ここはリュウジのテリトリーだ。
 ダイゴと連れだって中に入ると、リュウジはすでに熱戦を繰り広げていた。
 「オッス、リュウジ」
 「あああ、ハヤト、今ちょっと大事なとこだから話しかけ……うおおおおおっ!!!」
 オレを振り返ることさえせずに、リュウジはひたすら画面を凝視している。
 
 画面は宇宙空間で、自分は戦闘機らしきに乗って闘っている――ってことらしい。
 ひとつのピリオドを終えたらしいリュウジに、オレといっしょに戦況を眺めていたダイゴが声をかけた。
 「ほう。巧いものだな」
 「当たり前だぜ!!! 俺はゲームのために生きてるからな、ダイゴ」
 そしてまた画面は次に切り替わる。
 「こりゃ当分終わらないね、ダイゴ」
 「そのようだ」
 「オレたちも何かやる?」
 「そうだな。そうしよう」
 
 リュウジは好きに遊ばせておいて、オレはダイゴと一緒にダーツなんかで遊んでみる。
 ……やっぱりオレはあんまり巧くない。3本に1本は的に当たらないといった始末。
 対するダイゴはなかなかの成績。高得点エリアをねらい打ちって感じだ。
 「ダイゴ、なんか手慣れてるよね」
 「まさか。俺は初めてだが」
 「ええっ、そう? オレ、何度かやったことあるんだけどなあ……」
 って言ったらダイゴが笑った。
 「――まあ、そんなときもあるだろう。また、向き不向きというか、そういうことも……」
 「ダイゴ……あんまフォローになってないよ」
 「それは失礼した」
 オレはダイゴと目を見合わせて、力なく笑ってみた。

 「ここにいたのか!!!」
 しばらくしてからリュウジが現れた。
 「うん。ダイゴ、巧いんだよね。ダーツ」
 「そんなことはない。ただのまぐれだろうが」
 「って、リュウジは手に何を持ってるんだ?」
 「ん? これか?」
 とリュウジが見せてくれたのはかわいらしいぬいぐるみだった。
 「ほれ、あれで獲ったんだぜ。ハヤトにやるよ」
 「え、あ、ありがとう……」
 オレの手にリュウジが無理に押しつけてきたのは、ピンク色をしたイルカだった。クレーンゲームの景品らしい。
 
 「ほう。何をやっても巧いのだな、リュウジ」
 「まあな!!! ダイゴもやってみようぜ。これにもコツみてえのがあってよ。ほら、こいつなんか特に丸っこいだろ? こういうのを獲るときはな……」
 レクチャーするリュウジ。ふむふむと興味深そうに聞くダイゴ。
 今度はふたりしてクレーンゲームに移動することにしたらしい。
 オレは抱いた大きめのぬいぐるみを手すさびに撫でながら、ふたりの後についていく。
 ってか、オレ、こういうの似合うのか? いい年してぬいぐるみなのか?
 ……けど、よく見たらカワイイ顔してるな。まあいいか。

 クレーンゲームに熱中するふたりを横目に、オレはイルカに話しかける。
 「そういえばノブオ、遅いよね」
 イルカは何も答えない。当たり前か。かわりにリュウジがこう言った。
 「そういやそうだな。どうかしたかな?」
 とか心配そうに言いながらもボタン操作に余念がないリュウジは、見事にこんどは白い、羊のぬいぐるみを獲得してた。……鬼だな。



   * 3 * 
 
 
 ゲーセンの入り口扉に近い一角にあるクレーンゲームでリュウジが腕前を披露して、コツとやらを伝授されたダイゴが数百円に及ぶ健闘ののちに景品を釣り上げ――
 そうした喜びの瞬間をオレが見守っていたその時だった。

 「あ――兄貴ぃ……」
 入り口の自動ドアが開いたと思ったら、弱々しい声とともに見慣れた姿が現れて、リュウジの顔を見るやいなやその場にくずれおちたんだ。
 「うわ、ノブオ? 一体どうした!!!」
 「お、遅くなって……すみませ――ごほっ」
 「そんなことどうだっていいってのに!!!」
 リュウジが大声を上げると、店内にいたお客や店員たちが一斉にこっちを向いた。
 そう、彼らの注目の的になっているのは膝を折っているリュウジと、入り口付近に倒れ込んでいるノブオ――ノブオの服は泥だらけで、顔は鼻血を出していて、口の端も切れていて。
 とにかく尋常な雰囲気じゃなかったから、オレたちはノブオを連れて店の外へ出た。
 ダイゴがノブオに肩を貸してやって、ここから一番近いリュウジの家まで移動する。
 
 夜の営業を前にした昇龍軒は、厨房では仕込み中のようだ。
 客席のテーブルに怪我をしたノブオを座らせて、とにかく話を聞こうということになった。
 リュウジが家からもってきた救急箱を開けて、消毒液でノブオを手当してやる。
 「あつッ!!! しみるっスよ、ハヤトさん……」
 「そんなこと言ったって、仕方ないだろ? 怪我してるんだし、しみるのは当然だってば」
 「もっとやさしくしてくださいっス~」
 「ノブオ。飲むか?」
 ダイゴが給水器から水を注いできて、ノブオに差し出した。
 「あ、すみません、ダイゴさん……うわ、口の中もしみるっス」
 ノブオは顔をしかめた。あ~あ、目の上、ちょっと腫れてるな。
 
 「で? 一体何があったんだ?」
 いったん厨房に顔を出しに行ったリュウジが戻ってきて、ノブオに問うた。
 ダイゴが貼ってやった絆創膏を撫でながら――ほっぺたの、リュウジのやつと同じ位置だ――ノブオは答える。
 「えっと――裏の公園のところを通ったときに、ですね。そばの路地でたぶん中学生だと思うんっスけど、カツアゲされてたんす」
 ここまで言って、ノブオはコップの水を飲み干した。
 「ほう。それで?」
 「ええ、兄貴。オレ最初、その声だけ聞いて、あれ?――って思って、見てみる気になったんっス。で、路地をのぞいたらですね。中学生から小銭を巻き上げようとしてたのが知った顔だったんっスよ」
 「何――?」
 「で、オレ、出てってひとこと言おうとしたら、そいつ、中学生に向かってこう言ったんっスよ。『俺は鬼浜工業のリュウジって者だ。文句があったら鬼工まで来るんだな』って!!」
 「は? 何だと?」
 リュウジが気色ばむ。まあまあ、とオレはリュウジの膝に手を置いた。
 「それ聞いたら、オレ、いてもたってもいられなくなって。で、その場でそいつをとっつかまえて――ええ、喧嘩っスね」
 「ノブオ、お前――」
 「あ、兄貴!!! そんな怒らないでくださいっス。反省してるっス。いつもひとりで勝手に喧嘩するなって言われてるの、忘れてたわけじゃなくって。どうしても許せなかったんっス!!!」
 
 なるほど――とオレたち3人は顔を見合わせた。
 たしかにノブオはよくリュウジに言われているんだ。独断で勝手にことを起こすな、って。
 でも、こんなことに出くわしたら、オレだって黙っていられないだろうな……。
 だって、リュウジは感謝されるべきときにだって名乗ったりしないんだから。
 「それで、ノブオ。お前が喧嘩した相手とは? 知った顔だったのだろう?」
 「はい、ダイゴさん。どうってことない奴っスよ。兄貴とは似ても似つかない奴っス。あんな雑魚ごときに手こずった自分が恥ずかしいんっスけど……」
 「もしかして、タカシ?」
 「ええ……そうっス、ハヤトさん」
 本日の熱き殊勲者は、うつむきながらそう答えた。

 「そんないきさつがあったんじゃ仕方ないよね、リュウジ」
 オレはノブオの頬に貼られた絆創膏を指でつつきながらリュウジに言った。
 「ああっ!!! 痛いっスよ、ハヤトさん。もう」
 小声で抗議するノブオは、そうしながらもリュウジの出方をおそるおそる窺っている。
 
 「まあ――そうだな。漢には退くべきところとぶっこむしかねえところってのがあるしな」
 リュウジがそうオレに答えると、ノブオは大きく吐息した。
 不機嫌そうなリュウジだったけれども、それはすでにひとりで喧嘩をしかけたノブオに対するものではなかったんだし。
 「その通りだな。ノブオにとっては絶対に退けるところではなかったろうな。リュウジの名が騙られることがどれだけ面白くなかったかと思えば、な」
 そう加勢してやりながら、ダイゴはリュウジに向かって頷いた。
 「兄貴――ダイゴさん」
 ノブオは従順な犬みたいな目でリュウジを見てる。その視線は次にダイゴを捉えて、オレにたどり着き、もう一度リュウジに戻った。
 「ノブオ」
 「は、はいっ、兄貴」
 「お前、無論勝ったんだろ?」
 「当たり前っス!!! 手こずったのはお恥ずかしい限りですけど、オレの執念のが上でしたからね。奴が倒れ込むまでオレ、攻撃し続けましたです」
 「そうか」
 リュウジは誇らしそうに腕を組んだ。
 「そしたら今日の遅刻と喧嘩は不問だぜ!!! ノブオ」
 「兄貴!!! ありがとうございます」
 ノブオは瞳を潤ませている。よっぽど安心したのかな。

 「不問ってか、逆だよな。お前、俺のために闘ってくれたんだろ?」
 「いえ、そんな……畏れ多くて」
 「わはははは!!! いいじゃねえかよ。俺はうれしいぜ」
 言ってリュウジはノブオの肩に手を置いた。
 「俺はノブオみてえな後輩に恵まれてよかったぜ。なあ、ダイゴ?」
 「押忍。よくやったと思う。流石にリュウジに仕込まれただけはある」
 「だろう? 俺の教育がいいんだよな」
 「よかったな、ノブオ。リュウジ喜んでるよ」
 ノブオは照れたような笑いを見せる。
 「ありがとな、ノブオ!!!」
 「あ、兄貴ぃ~~~!!! 身に余るお言葉……」
 そしてノブオはちょこっと泣いてた。よっぽど感激したんだろうな。
 
 泣きやんだノブオは、もちろん被害に遭った中学生に本当のリュウジがどういう漢かとくとくと説明して帰ってきたんだと話した。 
 中学生はちゃんと理解していたようで安心した、とも。
 泥まみれで血を流して、そんな状況でもそれを怠らなかったのは見事だと思った。
 うん。ノブオもだんだんいい漢に近づいているのかも。

 「そろそろ店が開く時間ではないか? リュウジ」
 壁の時計を見てダイゴが言った。
 「そうだな。ぼちぼちだ。もういっぺん外へ出られるか? ノブオ」
 「ええ、もちろんっスよ、兄貴――って、ハヤトさん!!! そこは痛いんっスよ~」
 「あはは。つい、ね」
 「やめといてやれってのに、ハヤトは」
 なんてリュウジに小突かれた。
 
 「夜は走りに行くとして、それまでもうちょっと時間つぶそうぜ!!! ノブオ、俺がクレーンゲームの秘技を伝授してやるぜ」
 「うわ、ありがとうございま~っス、兄貴」
 そしてオレたちはふたたび町に戻った。外灯が点るまであとすこしの時間だった。



   * 4 *  


 昼休みが終わる寸前のこと。
 「あ~、もう駄目だ。ハヤト、俺もう我慢できねえから帰るぜ」
 なんだかそわそわしてるなあと思ったら、リュウジはいきなり立ち上がって言うなり、鞄を手元に引き寄せた。
 「え? 何を突然……」
 「いやな、今日は楽しみにしてた漫画の新刊の発売日でな。放課後まで待ってたら売り切れるかもしれねえって思ったらいてもたってもいられねんだ。だから俺、もう行くわ。後は頼んだぜ!!!」
 「漫画? って、おい、リュウジ――あ~あ」
 思い立ったら即行動のリュウジを止めることなんて、オレにできる芸当じゃないな。赤いリーゼントはあっという間に廊下に消えていった。

 幸か不幸か5時間目は自習だった。英語の担当の先生が昨日から風邪で休んでいるんだそうだ。
 オレは苦手な代返をする機会がひとつ減って大いにほっとした。6時間目は実技だからきっと大丈夫のはず。
 あとは帰りの学活で赤ジャージの目をやりすごせればいい感じかな。
 なんて考えながら昼寝でもしようかな――といったところで、教室の前の扉ががらりと開いた。
 
 「リュウジ、ちょっと来い」
 そう言いながら姿を現したのは赤ジャージだった。
 え――? 何でよりによってリュウジなんだ? これ、さすがに代返効かないよな?
 「なんだ? リュウジはいないのか?」
 嗚呼、もう逃げも隠れもできないな……。
 「ええと、リュウジは頭痛と腹痛でさっき休暇に出ました」
 「なんだと? そんな苦しい言い訳が通るとでも思っているのか? ハヤト」
 「さあ」
 としか答えられないオレって、つくづく応用力がないよな。

 「とにかくリュウジはいないということなのか?」
 「ええ、まあ。諸事情で」
 「仕方ないな。ではお前が代理で来い、ハヤト」
 「ええ!!! 何で?」
 「いいから早く来るんだ。あまりお待たせできる相手ではない」
 しぶしぶオレは席を立って赤ジャージについて廊下へ出た。

 「まったく、こんな時に。お前も少しは止められないものか? ハヤトよ」
 「え、オレ? 絶対ムリだな。相手が悪いよ」
 「そうか」
 などと話しながら、着いた先は応接室。
 少なくとも普段のオレにはまったくもって関係のない一室だ。入学してから一度たりとも扉の向こうを見たことさえなかったし。
 赤ジャージは軽く咳払いをしてから扉をノックして、続いてノブに手をかけた。
 「失礼します」
 深く頭を下げる赤ジャージにつられて、オレもお辞儀をしてから中へ視線を巡らせる。

 「ご苦労さん。して、リュウジ君は――?」
 切り出したのは教頭だった。応接室のテーブルについていたのは教頭と、もうひとり。
 見覚えのないおばあさんだった。
 「ええ。それが、教頭先生、体調が思わしくないとかで早退をしたようでして。誠に申し訳ありません」
 そして赤ジャージは、入室するときよりもさらに深々と礼をした。
 「まあ――風邪でもひいてしまったのでしょうか。いけませんわ。だとしたら、それはやはり私どもの責任ではないのかしら」
 赤ジャージの言葉を聞いて、おばあさんがゆったりとした口調でそう言った。
 「こんな真冬に寒い思いをなさったのですから――そうですよね」
 「いえ、そのような。元来、健康だけが取り柄の人間なので、ご心配なさらないでください」
 赤ジャージは慌てておばあさんに答えた。
 このおばあさん、誰なんだろ?

 初めて入った応接室の空気は、オレの知っている鬼工のどことも違う空気を醸している。
 なんか居心地よくないなあ、と思うのはきっと緊張しているせい。
 現在オレと時間を共有しているのは赤ジャージと教頭、それから上品な身なりをした、上品な雰囲気をもっている見知らぬおばあさん――そんな普段のオレにとって馴染みのない空間に包まれたオレは、身の置き所がないような感じ。

 とにかく座るようにと教頭に合図されて、オレは赤ジャージのとなりへ腰を下ろす。
 ……こんなゆったりしたソファになんて、もちろん座り慣れていないもんだから、余計に居心地がよろしくない。

 「こちらの坊ちゃんはどなたですか?」
 おばあさんが赤ジャージに問う。
 「はい。これはハヤトと申しまして、リュウジと親しい友人です」
 「あら、そうですか」
 おばあさんは、ふわりとやさしくオレに笑いかけた。本当に上品な物腰だよな。
 赤ジャージにこっそり膝をつねられて、あわててオレは会釈した。
 「ハヤト――です。はじめまして」
 いったん頭を下げたあとに正面から見たおばあさんの顔はふっくらとしていて、それを見たらすこし落ち着いた。

 「ハヤト君。こちらは鬼川のそばにお住まいの方で、この方のご主人様は――」
 「教頭先生。それは結構ですのよ」
 「ああ――これは失礼いたしました、奥様」
 と言って、教頭はおばあさんに深く頭を下げた。教頭のこんな姿は初めて見るな。
 ってことは、おばあさんのご主人は、よほど立派な人物なのかもしれない。
 「ハヤトさん。私は単なるリュウジさんに恩のあるおばあちゃんですわ。ただそれだけ」
 「リュウジに、ですか?」
 「ええ、そうよ。今日は一言お礼を言いたくて押しかけてきてしまったのですけれど……」

 そしておばあさんはこんなことを話してくれた。
 昨日の午前中、おばあさんのふたりのお孫さんたちが川原で愛犬の散歩をしていたときのことだそうだ。
 お孫さんたちは小学生と幼稚園の姉妹で、犬は小型犬。
 彼女たちは行き合った大きな野良犬と睨み合いになってしまったという。
 姉妹はおびえ、逃げ出すこともできずにいたらしい。そして愛犬はお姉さんのほうが手にしていたリードをゆるめた隙にやにわに逃走し――川へ入ってしまった、と。
 
 「そこにたまたま通りかかった方が勇敢にも救ってくれたのですよ。わたしの孫たちと愛犬を。孫達の前に立って野良犬を追い払ってくれ、野良犬が逃げてゆくと同時に川へ入って、愛犬を拾い上げてくれました。ご自分が濡れるのを厭わず、川へ入るときにとっさに脱いだ上着で、愛犬をぬぐってまでくださったそうなのです」
 おばあさんはうれしそうに話してくれたんだ。
 そして話の最後はこう締めくくられた。
 「上の孫がその方にお名前を伺ったところ、『鬼浜工業のリュウジ』さんとおっしゃられたということで、私はそれだけを頼りにこちらへ参ったのです。ああ、それにしてもきっと川の水がお体に障ったのでしょうね……」
 おばあさんは申し訳なさそうに表情を曇らせた。
 
 帰り際におばあさんは、オレの手をふんわりと握りしめてこう言った。
 「今日は直接お礼を申し上げられなかったのは残念でしたけれど、どうか宜しくお伝えくださいね。孫達も愛犬も、あなたのおかげで助かりました。どうもありがとうございます、と」
 「ええ。確かに伝えます」
 オレは微笑みを返しながらおばあさんの手を握り返した。
 
 なるほど、そんなことがあったんだ――
 おばあさんのちいさな後ろ姿を見送りながら、おぼろげに思う。
 確かにリュウジのしそうなことだよな。弱い者に助力を惜しまない、見返りも求めないでとにかく突っ走る漢、それが我らの総隊長――だけど、なんか引っかかるんだ。



   * 5 * 

 
 「あ、いたいた。ダイゴ、ノブオ。ちょっといい?」
 「押忍。どうかしたか? ハヤト」
 「うん。ちょっと」
 「あれ? 兄貴は?」
 「うん。先に帰った。漫画の新刊がどうのこうの言って」
 「ああっ!!! そうか、今日はその日っスね、ハヤトさん!!!」
 「……いや、それはオレは知らないけどさ」
 
 放課後になって、オレはダイゴとノブオにさっきの応接室での一幕を話した。
 オレが言葉を切るや、ノブオは心配そうにオレに訊く。
 「へえ。そんなことが――感動的な話っス!!! ハヤトさん、それで兄貴って風邪なんっスか?」
 「見た目はそんなことなさそうだったけど? 今日は朝から普通だったし、第一それが昨日の午前中のことだとして、午後も夜も元気だったじゃん?」
 「ああ、そうっスよね。兄貴、なんでもないといいっスけど……」
 
 「確かに聞けばリュウジの取りそうな行動だとは思うがな」
 どダイゴは首を傾げた。
 「ちょっと最後の展開が、な」
 「あ、やっぱりそう思う?」
 「ああ」
 オレとダイゴは顔を見合わせた。
 「え? どっか変でした?」
 「うん。な、ダイゴ」
 「そうだな。ノブオ、仮にリュウジがそれをしたとする」
 「ええ。兄貴だったら放っておけるわけないっスもんね」
 「それは俺も同感だ。見かけたらリュウジなら必ずそうするだろう。だが、訊かれたところでリュウジが名乗ると思うか?」
 「あ――言われてみれば……」
 「そう。オレもまさにそう思ったよ、ダイゴ。なんかちょっと、妙だよね」
 そしてオレたち3人は、しばし沈黙していた。

 「とにかくオレ、おばあさんに伝言頼まれたからリュウジのとこへ行こうと思うんだけど……」
 なんか煮え切らないオレ。
 「そうだな。それはそうしたほうがよかろう。俺も一緒に行こう」
 「ですね。じゃあ兄貴んとこ行きましょう!!! オレ、読み終わってたら次に借りることになってるんっス。新刊の漫画」
 そんなこんなでオレたちは学校を後にした。

 リュウジの家まで行ってみたけれど、まだ帰ってきていないみたいだった。
 「もしかして漫画が売り切れで、何軒か回る羽目になっているのかもしれないっスね」
 「へええ。そんなに人気なんだ。って、情熱的だなあ、リュウジも」
 「オレにはわかるっス~」
 「まあな。それはそれでリュウジらしいとも思うがな」
 さて、どうしたもんかと考えを巡らせるオレたち。思いついたようにダイゴが言う。
 「川原に行ってみるか? 犬の散歩ということは、その姉妹に会えるかもしれんな」
 「ああ、そうか。普通は夕方にするよね、散歩」
 「そうっスね。昨日はたまたま日曜だったから午前中だったかもしれないし」
 「よし、じゃあ決まりだ。一度川原へ行ってみよう。それからまたあらためてリュウジのとこへ来てもいいよね」
 
 昨日は寒い日だったけれど、今日は陽気がよかった。
 三寒四温とかそういう言葉を天気予報で使う時期だもんな。
 寒風が吹かない川原の土手は、寒がりのオレにはとてつもなくやさしかった。
 「あ~、なんかこのままあったかくなったら幸せだな、オレ」
 「今日はあったかいっスもんね~」
 「そうだな。だが俺は冬も悪くないと思う。あの背筋の伸びる感覚がな」
 「あはは。ダイゴらしいね」
 「ハヤトさんもたまにはしゃきっとしたらどうっスか?」
 「……なんだって!!!」
 なんとなくふざけてノブオを追いかけてみる。寒い日だったらそんなことしないけど。

 土手から見下ろす夕方の河川敷はおだやかな雰囲気。
 オレたちが集会する夜とはぜんぜん違った顔をしていた。
 語らうカップルがいたり、小学生がサッカーボールを蹴ってたり。
 
 「犬の散歩してる人って、けっこういるもんっスね」
 「そうだね」
 確かにノブオの言うとおり。犬を連れた人たち同士が声を掛け合う姿も見られる。
 「それで、リュウジが助けたというのは幼い姉妹と小型犬だったか?」
 「うん。たしかそう聞いた」
 「小型犬……あれっスかね?」
 「ん~、どうかな。でもあの女の子は中学生だろ? だって学校のジャージ着てるし」
 「あ、そうか」
 「あっちなんか、それっぽいよね」
 「いや、ハヤト。むしろあちらは、小型犬と言うよりは子犬なのでは」
 「え……あ、なるほど」
 
 そんな具合でしばらく土手から見ていたけれども、残念ながら該当すると思われる組み合わせらしきは見つからなかった。
 「なかなか難しいっスね。今日はお散歩お休みっスかね」
 「どうだろう。今日は家族の別の人が当番だったりするのかもね」
 「小学校は終わるのが早いからな。すでに済んでいるということも考えられる――か」
 とにかく今日のところは、ひとまずリュウジに報告する以外のことはできそうにない、と結論したオレたちは、ぼちぼち町に戻ろうということになった。

 川に沿ってしばらく歩く。
 3人で河川敷に目をやりながら、結局は海岸線の国道近くまで来てしまっていた。
 戻りながらもそれなりに河川敷を眺めてそれらしき姿を探していたオレたちだったけれど、電車の通る鉄橋が見えるところまで来たときにノブオが立ち止まった。
 「あれ――?」
 「ん? なに? ノブオ」
 「ほら、あれ兄貴っスね」
 「本当だな」
 見れば、確かにリュウジ以外にこの町では見かけない赤いリーゼントが寝っ転がっていた。
 いくら陽気がいいとは言っても、まだ冬なのにこんなところで寝てるのもおかしな話だな。

 「おおい、リュウジ――?」
 土手の上から呼びかけてみると、赤いリーゼントはむくりと上体を起こしてこちらを見上げた。
 「うん? ああ、お前らか。どうした? 3人揃って」
 リュウジは学ランの袖で、ごしごしと目のあたりを擦ってる。まさか本当に寝起きなのかな?
 「いや、尋ね人っていうかさ。ちょっと探していた人がいて。な? ダイゴ」
 オレが話を振ってみたら、ダイゴはするどくかまをかけてくれたんだ。
 「押忍。小学生と幼稚園くらいの女の子ふたり連れと、それから小型犬の組み合わせなのだが、リュウジ、見かけたか?」
 
 「わはははは!!! なにをそんな漠然としたこと言ってんだよ、ダイゴは」
 なんて笑い飛ばしながら、リュウジは立ち上がって土手を上がってきた。オレとダイゴはすばやく視線を交わし合った。
 「なんだそれは? ダイゴの友達か?」
 「いや――そういうわけではないのだが」
 やっぱり違うのかもしれないな。おばあさんのお孫さんたちと愛犬を助けたのはリュウジではないのかも。リュウジがダイゴを肘でついて絡むのを見ながら思っていた。
 
 「ところで兄貴、例のブツはどうでした?」
 「ああ、これ――な。涙なしには読めねえぜ……それでも読むか? ノブオ」
 そうか。例の漫画は感動的だったんだ。さっき目許を拭ってたのは、リュウジ、泣いてたんだな……。



   * 6 * 
 
 
 ひとしきりリュウジがノブオに読み終えたばかりの新刊漫画を褒めちぎっているのを聞いていた。よっぽど感動したらしい。
 リュウジの話を聞いただけで瞳を潤ませているノブオも、これまた単純だ。
 やれやれ――なんて、ダイゴと顔を見合わせて、話が終わるのを待っていた。

 「リュウジ。さっきさ、リュウジを尋ねておばあさんが鬼工に来たんだ」
 ようやく口を挟める段階になって、オレは機を逃すまいと早口で言った。
 「うん? ばあちゃん? 誰のだ?」
 「昨日の午前中にリュウジに助けられたっていう幼い姉妹のおばあちゃんだったんだけど」
 「――?」
 なんだそれは、とかリュウジは言いかけたみたいだ。口の形はそんな雰囲気だったから。
 けれどもリュウジはそれを言うより先に、オレたちの背後に現れた奴らに視線を奪われたらしかった。
 「なんだ、お前ら」
 リュウジの荒々しい物言いに振り返ったオレとダイゴの目に入ったのは、たった今まで物語の感動を語っていた漢を現実に引き戻すには充分すぎる奴ら――暗黒一家だった。

 時には町ですれ違うこともある暗黒一家。
 とはいえ、いつもいつも顔を合わせるたびに喧嘩になるというわけではもちろんない。
 大概はどちらかが、または双方が自尊心をかけて対峙すると決めたときのぶつかり合いがそれを引き起こすわけで。
 今日は――確実に暗黒一家側はその気だったのだと思い知らされるような8つの視線がオレたち4人を鋭く刺した。

 「貴様」
 コウヘイは迷わずリュウジのそば近くにいたノブオを見据えている。
 その視線を受けて一瞬怯んだように見えたノブオだったけれども、その小柄な体にコウヘイの向ける注視を真っ向から受けていた。
 「な――なんっスか?」
 「ほう。威勢がいいじゃねえか……」
 そう言ったあとにコウヘイはひとつ咳払いを挟む。それが落ち着いたあとはまったくもっていつもの調子でこう凄んだ。
 「鬼浜の若いの、貴様、昨日うちのを可愛がってくれたようだな?」
 
 ああ、そうだった。
 昨日、ノブオはタカシと一騎討ちに臨んだのだった。
 通りすがりに聞いたというタカシの戯れ言がノブオを逆上させて、結果として喧嘩になって――その勲章はノブオの頬を飾る、リュウジと揃いの位置の絆創膏。
 見やればタカシのほうは、口の左横が紫色に腫れているようだ。
 へえ、これ、きっとノブオがつけたんだな――などとオレは妙な感心にとらわれる。

 「だからどうしたってんだ、コウヘイ? ウチのノブオは立派に、正々堂々と闘ってお前んとこの若いのに勝ったんだろ? 俺はそう聞いてるぜ」
 「そのような青臭い正義感なぞ俺は知らねえな。ただ……」
 また言葉を切って、コウヘイは声の調子を整える。
 「俺はなあ、うちのタカシが可愛いのだ」
 コウヘイの言を受けて、オレたち4人は揃ってタカシを見た。
 トレードマークのピンクのモヒカンに、痩せた体躯。見るからに強くはなさそうなギターの上手な彼は――オレたちの視線に怯むことなくしっかりと大地に足を据えて、前を見ていた。
 へえ――昨日、ノブオもずいぶん成長したって思ったけれど、こいつもなんだかんだいっていい目をするようになったんじゃないのか?

 「それが何だってんだ? コウヘイ!!!」
 リュウジが声を荒らげる。
 受けたコウヘイは、自らの可愛がる後輩の肩に手を回しながらこう言った。
 「こいつはなあ、恥を雪ぐと言っているのだ。貴様等の若いのごときに遅れをとったおのれを許すまじ、とな」
 言ったコウヘイに視線を移したタカシがふたたび前――オレたちのほう――を向く。
 その目にはいつにない強い光が宿っていたのかもしれない。

 「鬼浜の若いの」
 コウヘイはもはや見慣れた獰猛な笑みをノブオに向ける。
 「今日は貴様にやられたりしねえからな、うちのタカシは」
 「――何ぃっ!!!」
 名指しで言われて息巻くノブオ。それを背後から押しとどめるのはリュウジだ。
 「ノブオ、ちょっと下がってろ」
 「あ、兄貴!!! でも……」
 「いいから!!!」
 
 ノブオを押しのけて自ら前に進んだリュウジは、コウヘイらに向けて大音声を放った。
 「コウヘイ!!! もとはと言えばお前んとこの若いのが原因を作ったんだろ? 見ていてそれをよしとしなかったノブオが立って、それで決着がついたんじゃねえか。一度決着したことを蒸し返すのはどうなんだ?」
 リュウジの厳しい声と視線を受けて、さすがにタカシは少々さきほどまでの強い目の色を潜めているように見えた。
 「それに、ノブオの話を聞いて俺が面白かったわけがねえ。お前んとこの若いのが何をしたか、知ってるんだろうな、コウヘイ!!!」
 コウヘイは何も言わなかった。
 リュウジは重ねて言いつのる。
 「ともかく、俺もその件に関しては腹が立ってるんだぜ。ノブオが昨日ちゃんと決着をつけて戻ってきたから俺本人が出なくて済んだんじゃねえか!!! 何だったら俺が自分で出てもいいんだぜ? 蒸し返す気だったら俺に向かって来いや、タカシ!!!」
 リュウジの張りのある声が河川敷にこだまする。言葉を切ったとたんに鉄橋に電車が通った。

 電車の音が遠ざかったとき、最初に口を開いたのはノブオだった。
 「兄貴。オレ、やりますよ」
 「――ノブオ?」
 「兄貴がおもしろくないことは、オレにだって同じくらいおもしろくないんっス!!! こいつごとき兄貴が手を汚すことありません。何度だってオレが鉄拳を見舞ってやればいいんっスよ!!!」
 「ほう。物わかりがいいようだな、鬼浜の若いの」
 「当たり前だ!!! オレは兄貴のためだったら何度だって闘うんだ!!!」
 勇ましく――そう、いつもよりもひとまわり大きく見えた。ノブオの小柄な体が。
 
 もはやリュウジも止めようとはしなかった。
 再戦する気になっている若いふたり。けしかける暗黒一家総帥。
 むしろ自分が出る気にすらなっていたように見えるリュウジだったけれども――
 「よっしゃ!! ノブオ、任せたぜ。お前の攻撃には俺の気持ちももちろん込められてるんだろ?」
 「当然っスよ、兄貴」
 ゆっくりと首を縦にノブオは振った。
 そして、リュウジはノブオの背中をばちん、と音をたてて叩いた。
 「よし。存分にいってこい、ノブオ」
 「了解っス!!!」

 かくしてオレたちは土手を降りて、鉄橋の下まで移動した。ここで過ごす町民たちから一番目につかないここは、河川敷が戦場になるときの定位置だ。
 西側にオレたち、東側に暗黒一家。これもいつの間にかのお決まりのポジションだった。
 
 言葉もないまま、ノブオとタカシの対峙が始まった。
 3対3の見守る軍勢の中心にいるふたりは、真剣なまなざしを向けあっている。
 「タカシ!! オレは何度だってやるからな!!」
 叫びざま、ノブオは最初の一撃をタカシに見舞った。
 横っ面を張られてタカシはバランスを崩しかけるが倒れるまでには至らない。
 「ケケケケケ!!! 効かないぜ~」
 打たれ強さを武器にして立ち位置を戻すタカシは、不気味なほどに鮮やかな身のこなし。
 
 そしてふたりは、互いの自尊心を賭けて闘いを進める。
 川の向こう岸で犬が吠えるのが聞こえた。



   * 7 *

 
 夕刻を前にした両軍の若手同士の攻防が続いている。
 「喰らえ――!!!」
 「うっ……」
 「効いただろっ!!!」
 「ケケケケケ!!! お返しだ」
 「うお……痛っ――」
 ノブオの繰り出す得意の平手、最初は受ける一方だったタカシの反撃。
 ダイゴやゴンタのような重量級の打撃とは違う、小柄なふたりの勝負ではあったけれどもなかなか雌雄を決するところまではいかない。
 そう――互いに攻撃力は弱いながらも、ふたりともさすがに鍛えられているようで、本当に打たれてもすぐに立ち上がれるんだ。
 
 それぞれに、自分より明らかに攻撃力が上回った相手の拳を受けたりすることもあるわけで。
 そんなことから生まれる強さとでもいうようなものが見て取れるわけで。
 だから近頃、ノブオの出る勝負の行方を見守るリュウジにも余裕があるように思える。
 きつく組んだ腕と広いその肩がこう語っているのが、ノブオには聞こえているんだろうか――ノブオ、俺はお前を信じているんだぜ、と。だから存分に闘ってこいや、と。

 リュウジをもはや崇拝といった域で慕っているノブオには、うん、きっと聞こえているんだろう。
 それはまるで神託のように。

 「オレは、お前を許すわけにはいかない!!! オレのプライドにかけて兄貴の名を騙ったお前をやすやすと許さないからな!!! そう――絶対に」
 ノブオの言葉に嘘はないはず。きっとこれから先のふたりの因縁のどこかにそれが刻まれることになる予感がオレにはしていた。
 そしてそう叫んだノブオの平手はタカシの顔の輪郭を歪ませる勢いで炸裂した。
 タカシはたたらを踏んで、冬枯れの土手に尻をつく。
 
 「ケケケ!! だからどうしたって言うんだ? オレは反骨意識の塊だからな!! 逆らうことと刃向かうことがオレの生き方だ――覚悟!!!」
 言うが早いか、瞬時に口許に浮かべていた笑いを収めたタカシの拳がノブオの腹に埋まったのをオレたちは見る。
 こうした場面で喋ることはあまりないと思っていたタカシの意識――反骨意識と彼は言った――がノブオを圧倒する。
 パンクロックが生き甲斐らしいタカシの意志を思い出す。このへんがコウヘイの生き様とリンクしているのかもしれないと頭の片隅で思いながら、大地を踏んでいたノブオの足が掬われるのを見て思わずあっと声が出るオレ――同時にダイゴも、リュウジもまた。

 「――ちきしょう、絶対許さない……」
 撃たれた腹に手をやりながら身を起こす際のノブオの言葉。熱しやすいタイプのノブオなのに、その声は低く、苦々しく河川敷の空気に乗った。
 痛みだけに言わされているのではない、それは腹の底からの台詞だったのかもしれない。
 
 ノブオはリュウジに、おそらくタカシであってもコウヘイに心酔しているのがわかる光景だった。
 正義をもってするリュウジの名を騙られたのを目の当たりにしたノブオの怒りは、手に取るように伝わってくる。
 対するタカシも、また。反骨の魂はコウヘイにも息づいているのはオレたちには先刻承知。同じくしてタカシもそれを標榜するんだから、タカシの気持ちだってわからなくもない。
 
 ノブオは立ち上がる。おそらく何度でも。
 リュウジが後ろに控えている限り、何度でも。
 そしてノブオは言うんだ。何度だって。
 「兄貴を馬鹿にするなんて100年早いってわかってんのか? オレの尊敬する兄貴は、ほかの誰でもなくって――兄貴ひとりなんだ!!!」
 叫びつつ、見舞うための拳をノブオは作る。
 それを見るや、タカシは素早く自らも構えを立て直して――

 乾いた打撃音がふたつ、オレたちの鼓膜を揺らした。
 音の奏でる波形が耳の奥から消え去ったあとには、ふたつの若い体躯が同じく背中を地面に擦りつけている。

 若手ふたりの再戦は、相打ちとなった結果どちらも即座には身を起こせずにいる。
 リュウジも、ダイゴもオレも息を呑んでノブオが立ち上がるのを祈りながら待っていたけれども、残念ながらそれは叶わなかった。
 とはいえ敵の若手――タカシも同じく立ち上がる気配はなかった。
 
 「リュウジ――」
 オレが言いかけると、リュウジはちいさく頷いてから一歩前へ進んで声を張った。
 「コウヘイ!!!」
 リュウジの声が辺りに響く。呼ばれたコウヘイは眉一つ動かさずにいる。かわりに倒れたままのノブオの体がぴくりと動いたのをオレは目の端で見た。
 「今日のふたりの勝負は引き分けだ。ポイントは半々ってとこか」
 リュウジの進み出た足下にはノブオが横たわっている。リュウジが助け起こそうとするのへ、すかさずダイゴが出て行ってノブオを担いで下がらせる。対面に陣取った暗黒側からもゴンタが同じく出てきてタカシの体をさらってゆく。

 「昨日はウチのノブオが勝ってたんだから、1.5対0.5で本来ならノブオが勝ちだ。だが、俺は半端な計算なんか得意じゃねえからな!!! お前もそうだろ?」
 「ふん。俺は貴様よりは計算が得意かもしれねえがな――だが、昨日は昨日、今日は今日だからなあ」
 哮るリュウジ。低く応えるコウヘイ。
 ふたりの間に流れる空気は、今日のおだやかな陽気とは相容れないほどの冷ややかさがあった。
 「ここは俺が決着をつけるぜ!!! 俺に手前のプライドを重ねてくれたノブオのためにな!!!」
 言うが早いかリュウジは闘争心剥き出しの体勢をコウヘイに見せつけた。
 リュウジの背中しか見えないオレとダイゴだけれども、オレたちにはわかる。リュウジがどんな顔をコウヘイに向けているかが。
 そう、コウヘイの好戦的に歪んだ表情からもそれが匂ってくるんだから。
 「出てきやがれ、コウヘイ!!!」
 「言われるまでもねえな。すっきり決着をつけてやる」
 
 宣言しあうや否や、互いにその気で向き合うリーダーふたり。
 もはや誰も止め立てする者はおらず、見守る面々はそれぞれの筆頭を信じるのみ。
 信じる力。そして信じられている度合い。どちらの軍勢もそれは拮抗しているはず――だからこそ鬼浜爆走愚連隊と暗黒一家は永遠の好敵手なのだから。
 
 「いくぜ!!!」
 「やれるもんならやってみやがれ」
 声と声が交錯する。
 最初の一撃は同時にもたらされた。リュウジの拳がコウヘイを捉え、コウヘイの、今日は素手の攻撃もリュウジに襲いかかる。
 どごん――という軽くはない打撃音が聞こえる。それを聞いて、座してダイゴの足にもたれかかったままのノブオがぴくりと身を竦めたのがわかる。
 
 「効かねえな……」
 「まだまだァ!!!」
 またも同じタイミングで発せられる言葉。どちらも強がりではなくて、言うなれば自尊心そのものから生まれいずる声。
 そしてふたたび、ふたりは拳をつくって振りかぶる。
 構えの速度もまた同時。ここででどちらかが一歩先んじれば有利と不利とを分けたのかもしれない。
 
 それは、互いに二つ目の攻撃を仕掛けようとしたときだった。
 「ダメよ――リュウジお兄ちゃん!!!」
 土手の上から振ってきた甲高いその声に、オレたち8人は思わず一斉に振り返る。
 犬が吠えるのが聞こえた。今度は川向こうからではなくて、すぐ近く――つい今、呼ぶ声がしたのと同じところから、大きくはない犬が吠えるのが。



   * 8 * 


 「待って、そっちのお兄ちゃん。リュウジお兄ちゃんを叩いちゃダメなんだから」
 リュウジとコウヘイの一騎討ちを制した声が次に言ったのはそれだった。
 闘いを制する声に、あっけにとられるオレたち――そして今まさに激闘を繰り広げている当事者たちもまた。
 
 声の主は女の子。ふたつに分けてアップにした長い髪を風に揺らしている。
 女の子はひとりではなくて、もうひとりのもっと幼い女の子と、それから小型犬を連れていた。
 彼女は手にしていた、犬につないだリードの端を幼い子に握らせてから、果敢にも土手から降りてきて――漢同士の闘いの巷に躍り出た。

 「そっちのお兄ちゃん。何があったか知らないけれど、リュウジお兄ちゃんをいじめちゃダメだからね!!! だって、リュウジお兄ちゃんは優しくて、あたしたちを助けてくれた恩人なんだから」
 女の子が言う。土手の上ではそれに同意を示すかのように、犬がワンワンと吠えている。
 
 女の子は勇敢だった。
 リュウジとコウヘイの間に立って、両手を広げて闘いを制したのだから。オレたちの誰にもそんなことはできないわけで。
 とはいえ、何かがちょっと噛み合わない。
 彼女がにらみつけている相手がぽかんと口を開いて、彼女に問う。
 「え――なんだって?」
 「だからね、リュウジお兄ちゃんとけんかをしないでって言ってるの!! 高校生なのに、そんなこともわからないの?」 
 「――は?」

 女の子が諫めているのは赤いリーゼントの漢。
 その名はリュウジ。
 だけれども、女の子はリュウジに言う。『リュウジお兄ちゃんとけんかをしないで』――と。
 幼い姉妹と小型犬。ダイゴとオレは瞬時に悟って視線を交わした。
 そしてオレたちが揃って注目した人物は、思ったとおり少々慌てていて。
 
 「お嬢ちゃん。俺は大丈夫だ。心配はいらねえな」
 女の子が庇ったつもりの背後で彼は言った。
 「リュウジお兄ちゃん?」
 振り返って女の子は心配そうに彼を見上げる。
 「これはなあ、喧嘩なんかじゃねえんだぞ。ただ、そう、挨拶の延長みたいなものだ。漢同士の、な。お嬢ちゃんにはわからねえだろうがな」
 「そう……なの? リュウジお兄ちゃん」
 「ああ。だから、こいつも本気なんかじゃねえ。なあ?」
 そう彼は、女の子を間に置いた向かいの対戦者に問いかける。
 問われたほうは意味もわからずに頷いた――そう、おそらく幼い女の子の手前だったから。

 「だから、お嬢ちゃん、気にしねえでくれ。ほら、早く行かねえと暗くなるだろう? 散歩の続きがあるのだろうし」
 「あ――うん。そうなの、リュウジお兄ちゃん」 
 「では、もう行くがいい。俺のことはもう気にしねえでくれ。第一喧嘩だとしても、俺が負けるわけがねえ」
 「あ、そっか」
 それを聞いて、女の子は納得した顔になる。
 「そうだよね!!! リュウジお兄ちゃんはわざわざけんかして確かめなくたって、誰より強いんだもんね。それで、誰よりも優しいんだもんね」
 女の子は彼に向かってそう言って微笑んだ。そして最後に体の向きを変えて言う。
 「そっちのお兄ちゃんも、リュウジお兄ちゃんのすてきなところを見習うといいわ」
 指をさされたリュウジは、あっけにとられて女の子とコウヘイを見比べていた。
 女の子は正義を讃える顔で諫めるようにリュウジを見ていて、讃えられている当の本人は、非常に決まり悪そうな表情をこっそり作っていたのをオレたちは見逃さなかった。

 「それじゃさよなら、リュウジお兄ちゃん。また困ったら助けてくれるでしょ?」
 「ああ、約束だ」
 手を振って挨拶したあと、土手をよじ登る女の子に彼――コウヘイは手を添えてやっている。
 そしてオレたちは、幼い姉妹と小型犬の後ろ姿が見えなくなるまで黙っていたんだ。

 その後、勇敢な少女によって水を差されたリーダー対決が再開することはなかった。
 ぽかんとした表情で、リュウジはコウヘイにこう問うた。
 「何だ、あれは? コウヘイ――」
 「ふん。俺の知ったことか」
 「けど、お前、あの子と知り合いなんじゃねえのか?」
 「別に」
 「別にって何だ? ってか、何でお前が『リュウジお兄ちゃん』なんだ? おい!!!」
 「――何でもねえって言ってるだろうが!!! 俺はなあ、詮索されることが一番嫌いなのだ。それから正義感というやつにも虫酸が走る」
 「正義感だと? 何だ、それは」
 「何でもねえさ。ただ――いや」

 コウヘイはリュウジに視線を向けて何かを言いかけたけれども、結局は無言のままにリュウジの前から逃れるように土手を登った。登り切ったところでごほごほと咳き込んでいたみたいだ。
 それに倣って暗黒一家の面々も引き上げていき――タカシは最後に心底悔しそうな顔をこちらに見せた――、最終的にオレたち4人だけが河川敷の鉄橋下に取り残された格好で。

 それから、得心のいっていないリュウジに、ダイゴとオレとで推測を交えながら説明してやっていたら辺りは暗くなりはじめていた。
 
 「じゃあ、あれか? コウヘイが昨日の午前中にさっきの女の子たちと、それと犬を助けたんだってことか?」
 「押忍。おそらくはそうであろう。あの女の子の口ぶりと、コウヘイの様子を見るに、な」
 「そういうことになるんだろうな。裏付けかどうかわかんないけど、コウヘイちょっと咳をしてたしね。風邪でもひいたかも」
 「そうっスね。川に入って犬を助けたんっスもんね」
 ううむ、なるほど――とリュウジは腕組みをして頷いている。
 オレが会った、リュウジを尋ねて鬼工にみえたおばあさんの孫ってのがさっきの姉妹だろうということから始まった説明を、リュウジは聞いてくれたんだ。

 「いや、そこまでは納得したとして、だぜ?」
 リュウジは眉をしかめてオレたちに疑問符を投げかける。
 「どうしてコウヘイは自分のことを『リュウジ』と名乗ったんだ?」
 「それは――おそらく、な? ハヤト」
 「そうだね。正義とか、弱い者の味方、とか、誰かを助けるっていうのはコウヘイの得意なことじゃないから、だろうね」
 「……は? 何だと?」
 「つまりは照れくさかったんじゃないの? いいことをして、自分の名前を名乗るのが。それでなんとなく、リュウジの名前を使ったんじゃないかな」
 「――ぜんぜん意味がわからねえぜ」
 
 そうだろうな、とオレは思いながら、リュウジにうっすらと笑い顔をつくって見せた。
 「まあ、いいじゃん。都合のよくないことはオレたちのせい、ってのが暗黒一家の常なんだから」
 「……ハヤト?」
 「ああ、そうかも知れんな。己の意図に染まないことがらは常に敵の仕業と騙る、その延長なのだろう」
 「よくわかんないっスけどね。ただ、コウヘイは自分らしくないって思ったのかもしれませんね。そういうことは自分より、兄貴がしそうなことだ、って」
 「うん。そんな気がする」
 ノブオの言に同意して、オレはリュウジを見た。
 リュウジはいまだ腕組みを解かずに、コウヘイの立ち去ったほうを眺めている。

 「とにかく、奴は俺の名を騙ったってことだよな……?」
 「そういうことになるな」
 ダイゴが応える。
 「じゃあ、俺はそのことに対して怒ってもいいんだよな?」
 「兄貴……?」
 「当たり前だろうが!!! コウヘイの奴、次に会ったらただじゃおかねえぜ!!! 人の名前でいい格好をするなんて、あいつどうかしてるぜ。俺の名にかけて――俺の名は俺だけのもんだって思い知らせてやるぜ」
 猛々しくリュウジは吼えた。
 それに呼応するかのように、向こう岸から犬が吠えるのが聞こえてきた。

 納得していないリュウジを囲んでの帰り道。
 こういう時のリュウジはダイゴがなだめるのが常だ。
 リュウジが同じところに居合わせたとしてもコウヘイと同じように行動しただろう、と。それは誰でも想像できるから、と。悪いことに名前が使われたよりはいいだろう、と。
 あの手この手でリュウジをなだめすかすのは――ダイゴ以外には無理なのかも。

 で、そんなふたりの後について、オレとノブオは歩いている。
 「ハヤトさん」
 「ん? なに? ノブオ」
 「結局、あいつら同じようなことしてるんっスね」
 「え? どういう意味?」
 「コウヘイもタカシも、やってること一緒っスよね。意味は違っても」
 「ああ――そうか。そうだよね。ふたりとも『リュウジ』って名乗ったのか」
 「それにしても奴ら、腹立つっス。オレだったら絶対、どんな時だって畏れ多くて兄貴の名前なんて名乗れませんもんね」
 「あはははは。そうかそうか」
 「だからね、オレにだってチャンスがあれば、兄貴のかたきをとってみたいなあって思うっス」
 前を歩くリュウジの背中に視線を寄せて、ノブオはそんなふうに呟いている。
 ある意味、似たもの同士の主従ってことは、ウチも敵方も一緒かもしれないな。
 
 「オレ、もっと鍛えるっスよ、ハヤトさん。それで兄貴の役に立つんなら」
 「お。逞しいね、ノブオ」
 「そうっス。オレはね、鬼浜爆走愚連隊の名にかけて、兄貴の脇を守れる男になりたいんっス」
 ノブオは強くそう言った。
 「うん。がんばろう、ノブオ」
 
 リュウジの名にかけて、鬼浜爆走愚連隊の名にかけて――か。
 名前の持つ不思議な力ってのは確かにあるよな。
 目に見えない、言葉の響きが織りなす呪文のような効果。
 オレの名前もどういうふうにしてか効力があるんだろうか、なんてぼんやり考えてたら、うっかり取り残されていた。
 ノブオの奴、珍しく『兄貴』の前にリュウジの名前つけてを叫びながら、前を行くふたりを追って駆けだしていった。
 
 
   * 我が名にかけて  完 *



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