* 1 *
さて今日は何すっかなあ──の休日の朝。
昨夜は気合い入ってたもんで、家に戻ってきたのは明け方近くだった。
そのくせ、睡眠時間のわりに不思議とスパッと起きられるあたりが休日ならでは、だな。
たまにはパチンコ店にでも行ってみるかな、なんて思いながら着替えなぞしていると、どうしたことかいつもの声が窓の外からオレを呼ぶ。
「オイ、ハヤト!!! 頼む、起きてくれい!!!」
あれ、学校じゃないのにこの時間にリュウジ──? 訝りながらオレは窓を開け放つ。
「チィ〜ッす」
応えながら通りを見下ろすと、そこには白い上っ張りを着込んだリュウジの姿があった。
「オウ、助かったぜ。よく起きてたな、褒めるぜハヤト」
「ああ、起きてたけどね。どうかした──」
「どうかしたもどうかしないも!!! そんなこと後でいいから速攻下りてきてくれ、頼む」
オレに言わせも果てず、リュウジの怒号が街路樹を震わせる。
「オ、オス、了解」
いついかなる時だって、オレはリュウジに頭が上がるわけがなかった。ましてや『頼む』などと言われてしまったら逆らう術は皆無で。
「あ、単車のキー忘れるなよ!!! 急いでるんだからそこんとこ夜露死苦ぅ!!!」
一体どうしたって言うんだろうか。
なんともあわてふためいているリュウジの気迫に問い返すことも叶わずに、オレは急かされるまま上着に袖を通した。
さて、エンジン音は今日も至極快調なり。
「ハヤト、時間わかるか?」
単車のリアにまたがりながら、リュウジが訊く。
リュウジの着込んだ白い上っ張りは、彼の家の営むラーメン店のお仕着せだった。
そして、手には大事そうに何やら包みを持っている。
「え〜と、10時まであと10分かそこらかな」
言ってやると、リュウジの焦りが増した。
「やべぇ、間に合わねぇかも」
「どこへ何時までに?」
「南町三丁目、10時。いけるか?」
「オーライ、特攻で!!!」
オレはリアを振り返り、片目をつぶってみせた。
距離を考えると、残された時間は結構なタイトロープ。
だが、オレは行く!
きっとオレなら行けるとリュウジが頼ってきたのだから。
なんだか誇らしかったから、ひときわ大きな音をさせてオレは単車を発進させた。
* 2 *
南町は川向こうの町、わりと栄えている大きな町だ。
その南町の駅前にあるホテルがオレ達の目的地だ、と信号待ちの間にリュウジに告げられた。
「10時まであと5分か。微妙だな」
「ハヤト、頼むぅ!!! なんとか間にあってくれい」
「オス、了解。飛ばすぜ」
オレは頷いて、青になった信号に突っ込んでいった。
通り過ぎた交差点の前にある交番からお巡りが視線を送っている。やべぇ、昼間からノーヘルだよ、オレ達。
捕まるわけには行かねーぜ、とオレは速度を上げてゆく。
道を急ぎながら感じる、背後のリュウジの手にした包みから漂う香り。
訊ける状況ではないのだが、何らかの食べ物が入っているらしい。
リュウジが店の上っ張りを身につけていることから察するに、これは或る意味「出前」なんだろうな。しかも、よっぽど重要な。
こう見えて、リュウジは手先が器用だ。
実家がラーメン店ということもあるし、料理の腕前は大したものなのだ。
先週、選択科目『家庭科』の調理実習で、リュウジの作ったチャーハンは先生をもうならせた逸品だった。
オレはリュウジと同じ班だったけど、まったくもって出る幕なしだった。
リュウジは手早く作り上げ、おまけに自分で食材を持ち込んでまで、オプションでスープとシュウマイを付けるという荒技に出た。
「へえ、リュウジさすがに職人芸だね」
「当然!!! って、見とれてないでさっさと卵割れや、ハヤト」
「ああ──あ、いけね。殻入った」
「気合いが足りねえぞ!!!」
調理室のフライパンではなく、こちらも持ち込みの自前の中華鍋を振るうリュウジの顔。確かに気合い入ってたなあ。
実習が終わって放課後に試食したダイゴとノブオもそろって絶賛していた。
「すげえっす、うまいっす、さすがっす、泣けるっす〜〜〜」
とノブオが涙声を上げるやら、
「おお、ごっつあんです」
ダイゴも彼にしては目を見開いてたたえるやら。
「喜んでもらえて光栄だぜ。な、ダイゴ。こっちのシュウマイどうだ?」
「最高ス」
「そうか、ならよかった。ダイゴは確かシイタケ嫌いだったよな」
「ウス。あの匂いがどうも」
「フフフ、それでも旨いと言ってくれるなら成功だ」
「ああ、そういえば入れてたな、シイタケ」
「オウ。シイタケ嫌いにもイケるようにと思ってな。生シイタケにしてみたぜ」
「芸が細かいっす、兄貴〜〜〜!!!」
本当に泣き出さんばかりのノブオの顔を思い出して、オレはちょっと笑ってしまった。
いよいよタイムリミットまであと2分。
どうやら間に合いそうだ。
次の信号のきわに、リュウジの指定したホテルがある。
折しも差し掛かった最後の信号は、赤。駅前だけあってぶっちぎるには交通量がありすぎた。
「間に合いそうだぜ」
ブレーキを掛け、振り返ってオレが言うのを聞いてリュウジは頷く。
「よくやった、ハヤト!!!」
一言返すや否や、リュウジはバイクを降りて、信号の変わる前に駆けだした。
胸の前には大事そうに抱えた包み。
リュウジの後ろ姿がホテルの正面扉に滑り込むのを見送って、オレは青になった信号を通過した。
さて、リュウジの大事なお得意さまはどんな人なんだろう?
* 3 *
駐車場に単車を停めて、オレはリュウジの姿を探した。
駅前で一番高級そうなそのホテル──サウス・アヴェニュー・ホテルとかいう洒落た名前らしい──は、外観だけでオレを圧倒している。
一瞬気後れしたものの、オレはとにかくリュウジの入っていった正面玄関に突入。
「すいません、さっき赤いリーゼントの漢が通り過ぎたと思うんですけど」
フロントの清潔感あふれる女の人に訊いてみた。
「はい、あちらのメインダイニングへ向かわれました」
どう考えても場違いなオレに対してもこんな受け応え──さすがのプロ根性だぜ。
どうもっス、と頭を下げておいて、オレは示された方角へ足を向ける。
ブーツのかかとが音を立てない絨毯に、さらなる違和感をかき立てられた。
メインダイニング=レストランのことのようだ。
中を覗くと、窓際の奥まった一角にひときわ目立つ赤い髪──リュウジが立ちつくしている。
遠目から見ても背中の筋肉を強張らせているのがわかった。
なぜやら気圧されて、オレは近くに行くのをためらっている。
窓際のテーブル席に着いているのは、おばさんふたりとお姉さんひとり、それからこちらに背を向けている男がひとりの4人だった。男はスーツ姿、女性たちはそれぞれ着飾った身なりをしている。とくにお姉さんは着物を着ていた。
リュウジを見て、男は立ち上がり、お姉さんはびっくりしている様子だ。
よくは解らないけれど、その一角に緊張感が漂っているのが感じられる。
オレは思わずごくりと唾を呑んだ。
リュウジとお姉さんの間で二言、三言のやりとりがあった。
と思いきや、リュウジが突然体の向きを変え、オレのいる入り口に猛ダッシュで近づいてくる。
「待って、リュウちゃん!!!」
「おい、コラ、リュウジ!」
お姉さんと男が同時に叫ぶ。
けれどもリュウジはろくに前も見ないでオレの横をすり抜けていった。
「あ、おい、リュウ──」
声を掛けたものの、まったくオレに気付きもしないで、あっという間に正面玄関へ走る。
途中、ホテルのボーイさんにぶつかったリュウジは、さっきまで大事そうに抱えていた包みを落としたのだが、まったく意に介さない様子で一目散だ。
「あ、すいません。それオレの連れのです」
尻餅をついたボーイさんに言って包みを受け取り、オレはダイニングを振り返った。
リュウジを追って出てきた、リュウジを「リュウちゃん」と呼んだお姉さんはおろおろしている。
「あの、これ。多分リュウジはあなたにお届けするつもりだったはずなので」
オレは咄嗟に包みをお姉さんに渡した。
淡い紅色の着物姿の、色白でやさしい目をした人だった。
「え? これ? 私?」
「はい、きっと」
オレはにこりと応えておいた。
そして──
「おい、ハヤトじゃないか? 一体……」
「はい? ──!!!」
オレはその時気付いたのだ。
スーツの男が、オレたちのクラスの担任教師だったことに。
「なんで先生こんなとこに?」
「俺か? 俺は、まあ、見合いだ」
「お見合い──ですか」
「そんなことよりお前らこそ、どうして──」
オレは担任の問いには答えず、ふたりにお辞儀をしてその場を走り去った。
そうか、そういうことだったのか。
ようやく腑に落ちたオレは、今度こそ必死でリュウジの後を追いかけた。
* 4 *
正義一貫、硬派一心で鳴らすくせに、実はリュウジは女性に惚れっぽい。
いつも街角で鉢合わせる女の子に、秘かに熱い視線を投げかけていたりするのをオレ達は知っている。
しかも──リュウジはなかなか相手に想いを通じさせることができない、不器用なタイプだ。
オレ達男連中には絶大に支持されている漢の中の漢なのに、女性達はそこまでリュウジに思いを寄せないようなのだ。
「しかしリュウジの兄貴はなんでモテないんスかねえ? オレだったら絶対嫁に行きたいっス」
なんて、はばかりなくノブオあたりは言っているのだが。
とにかく、今日の一件はどうもその辺と何か関連があるに違いない。
リュウジの性質とか行動パターンを誰より知っているのは、きっとオレだから。
オレは正面玄関から疾走していった赤い髪を目で探しながら単車のエンジンをかけた。
リュウジの逃げ足は速い。陸上部からお呼びがかかったことがある程だ。
そんなわけで、すでに何処かに走り去ってしまったリュウジがこんな時行きそうな場所に見当をつけて、オレはホテルを後にした。
ちょっと振り返ったら、担任と着物のお姉さんが玄関に並んでオレのほうを見ていた。
いつもだったらノーヘルをとがめられるだろうに、さすがに今日の担任は大声を出すことなくオレを見送ってくれた。
おそらく傷心したリュウジが向かうと目星をつけたのは、海岸だ。
いくら速く走れるとは言っても、さすがに単車のスピードを振り切れるわけはない。
オレの推測がハズれていなければそろそろ追いつくだろうと思った矢先、目の前を走るリュウジの姿を捉えた。
リュウジの一歩前に単車を停めて振り返る。
「あ──ハヤト」
「おう。乗ってくだろ?」
「……おう」
いつになくしゅんとしているリュウジがリアに乗り込む。
そのまま言葉もかけずに、オレは単車を発進した。
きっとリュウジが目指していたに違いない海岸のほうへ向けて。
* 5 *
鬼川を渡り、海岸線の国道を少し行くと浜に下りられる。
信号待ちでも一言も声を発しなかったリュウジを後ろに乗せたまま、オレは浜へと下りていった。
砂地にタイヤを取られるギリギリのところで単車を停める。
海風に少しなびく赤い髪に、オレは訊いた。
「何か飲む?」
「おう、じゃあいつものやつ」
「オス、了解」
オレが少し離れた自販機まで往復する間に、リュウジは波打ち際に陣取っていた。
「はいよ、いつもの」
「お、感謝」
リュウジの好きなイチゴ牛乳を手渡してやると、オレもリュウジの隣りに腰を下ろす。
しばらく無言でリュウジが海を眺めていたから、オレも一緒に寄せる波を見る。
シーズン直前の午前中の海岸はまだ静かで、穏やかで。潮の香りが心地よい。
カポン、と金属音を立ててリュウジがイチゴ牛乳の缶を開けた。
そして──リュウジは沈黙を破る。
「マキ姉って言ってさ」
「うん?」
「キレイだったろ? 着物の」
「ああ、さっきの」
視線は海に向けたまま、リュウジが語り始めた。
こういう時、オレはいつも相づちを入れるだけ。
「マキ姉が高校生のころから大学卒業するまで、ウチの店でバイトしてたんだ」
「へえ」
「俺より10歳上だったか。俺が中学行く歳までずっと一緒にいてな。俺、本当の姉ちゃんみたく思ってたんだ」
「うん」
「料理の基礎もマキ姉に習った」
うなずきかけて、俺は缶コーヒーをすする。
「マキ姉もさ、シイタケ嫌いでな」
と言うと、リュウジはふっと頬をほころばせた。
「中華屋なのにさ。笑うよな」
「確かに大変かもな……」
「でさ、いつも言ってた。シイタケも干してなければ大丈夫なのに、ってな」
「ああ、それで調理実習のとき」
「おう。アレな、ダイゴには内緒だけどマキ姉の実験台だ」
「わはは、なるほど」
内緒、と立てた人差し指を口許に持ってくるリュウジがやたらと幼く見えた。
記憶の中のマキ姉さんの弟に戻っているのかもしれない。
「先週、マキ姉からウチに電話あってさ。見合いするんだって言って」
「──」
「俺、もう急にどうしていいかわからなくなった。喜ばしいんだか、悲しいんだか。ただ、どうしても見合いの前に俺のシュウマイをマキ姉に食べて欲しいと思った。なんでだかな」
「マキ姉さん、シュウマイが好きだった?」
「ああ、好きたっだんだが、シイタケ入ってなかったらいいのにっていつも言っていた。だから、ガキだった俺はいつか絶対マキ姉の好みのシュウマイを作ってやるって決めてたわけだ」
リュウジは少し照れたようにオレの顔を一瞬見た。
「さんざん悩んだんだがな。でもやっぱり思ったら最後までやらないと気が済まないもんで、今朝、こないだ練習したとおりにシュウマイ作って、さあ出掛けるかと思ったら単車のエンジンが調子悪くて」
「ああ、それでオレのとこに、か」
「おう。今日は引っ張り回してすまん、ハヤト」
「いや、全然」
素っ気なく言ってみたけれど、オレは誇らしい気持ちでいっぱいだ。
リュウジがオレを頼ってきてくれたことが、とてつもなく誇らしい。
オレは潮風を胸一杯に吸い込んでみた。
* 6 *
そして、またしばしの沈黙。
空には雲が白い。波頭も同じくらい白い。
「俺さあ、マキ姉のこと、好きだったんだろうな……」
いつになく消え入りそうなリュウジの声。オレは何故だか胸がせつなくなった。
だから、リュウジの逞しい背中を数回、ぽんぽんと叩いてやった。
「食べて欲しかったぜ、俺の力作。あ〜あ。俺、シュウマイどこへ忘れてきたんだっけな」
「あの包み? あれ、リュウジが落としたからオレがお姉さんに渡しておいたぜ」
「え、本当か?」
「ああ」
オレが親指を立てると、リュウジの顔がほころんだ。
「よくやってくれたたぜ、ハヤト。やっぱりハヤトを頼りにして正解だったぜ」
「わはは、どうも」
オレは──オレは照れ笑いしてしまう。無条件にうれしい言葉だったので。
なんとなく背中がむずがゆい自分が、ただおかしい感じ。
もう大丈夫、というふうに頷いて、イチゴ牛乳を飲み干すと、リュウジは立ち上がった。
単車のところまで並んで歩く。
「あ〜、帰ったら単車直さねえとな」
「エンジンおかしいいんだっけ?」
「おう。なあハヤト、今日、親父さんは?」
「店にいるよ。多分」
「じゃあ診てくれっかな。つーか、運ぶの手伝ってくれるよな、ハヤト?」
「ん〜、しかたないなァ」
とか言いながら、オレはブーツの砂を払っている。
「なあ、頼むぜ、ハヤト」
「……オレがリュウジの頼みを断れたことって、あったっけ?」
「そう来なくちゃな!!!」
ばちん、とリュウジの手のひらがオレの背中に降ってきた。
──正直、かなり気合い入って痛かった。
つと、リュウジが話題を変えてきた。
「にしても、マキ姉の見合いの相手って、なあ」
「ああ、担任だったんだよな。オレもびっくりした。つーか一瞬気付かなかった。赤いジャージじゃないから。リュウジも知らなかった?」
「当然。でも、まあ、アレはねえな」
「え?」
「アレはうまく行くわけがねえ、ってことだ」
不敵に笑んで、リュウジは胸の前で腕組みをした。
「あいつ、絶対マキ姉のタイプじゃねえもんな」
ようやく声の張りがいつものリュウジと一緒になった──オレは安心していた。
「へえ、そう。じゃあマキ姉さんのタイプって、どういう感じ?」
「ふん、決まってるだろ。俺のような漢だって」
「え、あ、そうなんだ」
「おい、ハヤト! てめえ今笑っただろ?」
「いや、え〜と……」
嗚呼、風神さま。この不器用で純粋な漢と巡り会えてオレは真実しあわせです。
本気でないリュウジの平手を頬に感じながら、オレは今日もここにいる。
世界の他のどこでもない、リュウジのいる鬼浜町に。