いつの間にか梅雨が明けていたんだな。
梅雨は──実は少し苦手なほう。
あの独特な重い、湿った空気が気持ちをよどませるから。
まあ、本格的な夏になったらなったで、毎日暑いやら怠いやらって文句言って暮らすんだろうけど、それでも多少は空気が乾いているからマシってもんかな。
ともあれ、ここ数日の天気のせいか、リュウジはやたらと気分がいいみたいだ。
放課後、ウチの店まで修理中の単車を取りに来る途中に思いついたようにリュウジは言った。
「なあハヤト、海いこうぜ海!!!」
「ええ、昼間っから海かよ、リュウジ」
「オウ!!! きっと気分いいぜ」
「まあ──断る理由もないからいいけどね」
そして促されるままオレはリュウジをともなって、海までの道を歩いた。
数日前にせつない気持ちで浜に下りたときとは明らかに違うリュウジの表情が、なんだかえらく輝いている。
「俺さ、夏って好きだな」
「そうか?」
「ああ。なんか意味なくわくわくしねえ?」
「はは、小学生みたいだな」
「なんだとぅ?」
そして、学ランのまま砂浜へ。
ん〜、なんか不似合いだなあ、オレたち。
夏服シーズンなのに詰め襟を頑として脱がないのが悪いのか。
浜に着くなり靴を脱いで、リュウジはやにわに波打ち際へと駆けてゆく。
「おおい、ハヤト、早く来い!!! 水、気持ちいいぜ」
「ははは、そんなにはしゃがなくても」
「ええ、何? 聞こえないぜ、ほら、早くこっち!!!」
「はいはい」
オレのことなんてそっちのけのリュウジは、もはや膝までズボンをたくし上げて足を波にすくわれるままにしている。
楽しげなリュウジに倣って靴を放り出して、オレも素足を波に浸してみた。
「お〜、たしかにいい気持ち」
「だろ? いや、ほんとに海辺に住んでて幸せだよな、俺たち」
「同感だな」
「お、可愛いのが来るぜ。こっち来いや!!!」
誰かが散歩の最中にリードを離したんだろう。毛並みのいい大きな犬がリュウジめがけて突進してきた。
「おおお、ジョン! 元気だったか? よしよし、そうかそうか」
はふはふと息をつく犬の背中を撫でながら、リュウジは言う。
「なんだかな、懐いてるな。リュウジ、その犬知り合い?」
「いや、全然初対面だぜ」
犬はリュウジの絆創膏つきの頬を、ピンクの舌でべろべろ舐めている。
「え、でも名前。ジョンって?」
「ああ、こいつ、きっとジョンだろ? こういう風貌のやつはたいていジョンだ、8割の確率で」
「おいおい、適当なことを」
「適当なもんかよ。だってツラがそんな名前だし」
もはや犬はしっぽを大きく振りながら後ろ足で立ち上がって、リュウジに半身を預けている。
「犬、いいなあ。俺も飼いたいぜ。でもウチは飲食店だもんな」
こう見えて、リュウジは動物好きなのだ。相変わらず犬の首をさすりながらリュウジは言う。
「あ〜、もう、連れて帰りたいぞ!!!」
ぎゅっと抱きしめざま、勢い余ってリュウジと犬とはもつれるように波打ち際に尻餅をついた。
「わはは、リュウジ──」
夏ってだけで気分が高揚するってのは、まるで子供だな、リュウジ。
と──遠くのほうから呼ぶ声が。
「お〜〜〜〜〜い、そんな遠く行くなよぅ!!」
「ワン!!!」
リュウジとさんざん戯れていた犬が、その声を聞くや否や浜へと駆け戻った。
「もう、置いていかないでくれよ。追いつけないって、そんなに走っちゃ」
飼い主とおぼしきは、中年男性だった。すっかり息切れしている。
飼い主殿は、波に濡れたリュウジを見やって言う。
「ああ、もしかしてウチの犬がご迷惑おかけしました?」
「いや、全然。こっちこそ遊んでもらったぜ」
飼い主殿に首をさすられながら、犬はリュウジを見ている──いたいけな瞳で。まるでノブオみたいな瞳だと思った。
「それじゃあ、遊んでいただいてどうも」
と、飼い主殿は犬の首輪にリードをくくりつけながら言った。
「こっちこそありがとよ、ジョン、またな!!!」
「ワン!」
呼べば応えるあたり、犬っていうのは案外飼うと楽しいのかも──オレもさすがにそう感じていた。
「あれ──?」
会釈して立ち去りざま、飼い主殿が振り返った。
「お兄ちゃん、こいつの名前知ってました?」
「ああ、ジョンだろ?」
「ワンっ!」
「──? まあ、いいか。じゃあ、どうも。ほれ、今度はゆっくりな、ジョン」
「ワン!」
首をかしげながら立ち去る主と、名残惜しげな従をしばらく手を振ってオレとリュウジは見守っていた。
「あいつの名前、ほんとにジョンだったんだ」
「ああ、まさにジョンだな──」
ジョンが飼い主殿に木ぎれを投げてもらっているのが遠目に映る。
「犬、可愛いな」
「ああ──」
こんなとき、まるで寂しい子供めいた顔をするのだ、リュウジは。
なだめる親の心持ちってこういうのかもしれない、などと考えながらオレは言う。
「な、今度動物園でも行こうか?」
「お、賛成!!!」
「ダイゴとノブオも誘ってさ」
「そうだな。あれでダイゴも動物好きだもんな」
ようやく晴れたリュウジの表情が、陽射しをうけて照っている。
いよいよ鬼浜町に夏が来た──そんな気分を柄にもなく味わってみた。