* 1 *
「そんなわけで今日は夜露死苦ぅ!!」
「押忍。こちらこそ」
親しき仲にも何とやら──という言葉があるが、ただいまオレたちはそれを身をもって実践中だ。
蝉時雨の中、すがすがしい空気の漂うここ鬼浜寺にて、リュウジ、ノブオ、そしてオレの3人がダイゴに礼をする。
いつになく神妙な空気が漂っているような気がした。
「体作りももちろん大事だがな。でも、それだけじゃな」
そんなふうにリュウジが言い出したのは、ほんの昨日のこと。
勝手知ったる間柄でオレの部屋に上がり込んで、なんとなく日中を過ごしながらの発言だった。
「肉体に限らず精神も鍛えよ──って?」
「おう。まあ、そういうことだな」
「う〜ん、リュウジの言っていることはわかるけどね。メンタル面も重要だって。けど、鍛えるって……どうやって?」
何か考えでもあるのだろう。リュウジはオレがそう問うのを待っていたかのような素振りだった。
「ああ。ちょっと思うところがある。ウチな、鬼浜寺の檀家で」
「鬼浜寺? ダイゴのとこだよな」
「そうだ。ウチは先祖代々あそこに眠ってるんだ」
長きにわたってリュウジの家はここ鬼浜町に住んできたのだと教わったことがある。檀家というのもうなずける。
「なるほど。それで?」
重ねてオレは訊いた。
「それで、たまたまこないだダイゴが嘆いてたのを聞いてさ。盆前には掃除やら何やら大変なんだ、と。夏休みどころじゃないんだ、とも」
「ああ──確かに盆暮れは忙しいもんな、ダイゴは」
「だろ? そこで、だ」
もったいぶるようにリュウジは一旦言葉を切る。
「オレたちが精神修行の意味を兼ねて、掃除くらい手伝ったらダイゴも助かるんじゃねえかと思って」
「へええ。なるほど」
「ちょっとはいい案だろ? ダイゴが喜んでくれさえすればな。もしかしたら夜に集まれる回数も増えるかもしれねえし」
「うん。ダイゴ喜ぶんじゃない?」
「だよな。きっと悪い気はしねえよな」
「手伝ってもらって悪い気持ちなんて、そうそう有り得ないって」
オレが賛同すると、リュウジは満足そうに笑った。
そして、リュウジはさらに続ける。
「それに──さ。オレ、ガキの頃から一度やってみたかったんだ。本場の肝試し」
「肝試し……?」
「おう。リアルな墓場でやったら、冗談抜きで楽しくねえ?」
「え〜と、それはダイゴ云々じゃなくて、不謹慎とかそういうのに抵触する──よな?」
オレの内心など我関せずといった調子で、リュウジは鼻歌なんか歌っている。
嗚呼、完全にやる気なのだ、この漢は……。
思い立ったら一直線、すでにリュウジはダイゴに電話をかけていた。
「もしもし? おう、ダイゴ。俺だ、今な、ハヤトのとこ」
「なあ、リュウジ、肝試しは……」
「あ〜、もうハヤトは黙ってろって。あ、悪い。こっちのことだ。でな、ダイゴ」
やれやれ──だ。
こうなったらもう付き合うしかないよな、オレ。きっとノブオもかり出されるんだろうな。
苦笑まじりに肝を据え、オレは電話を切ったリュウジの満足そうな笑みを見た。
「ダイゴな、是非来てくれって」
「そうか」
「なんだ、ハヤト。そんな顔すんじゃねえよ。気合いいれてけやあ!!」
「……オス」
ま、ダイゴの手伝い自体は名案なんだから、気分を切り替えていこう。
今度はノブオに電話をかけているに違いないリュウジを見ながらそう思うことに決めた。
* 2 *
「じゃあ早速、本堂から頼む」
「押忍!!」
ダイゴの号令に従い、オレたちは本堂に向かう。
寺院に独特な香の匂い、ひんやりした空気。自然と背筋がぴんと張る感じだ。
リュウジの案で始まった、オレたちの精神修行計画──鬼浜寺の掃除行。
何事にも本気でぶつかるリュウジは、まず率先してすす払いに精を出す。
それが済んでから雑巾がけに取りかかった。
「ノブオ、もっと腰入れてけ。そんなんじゃキレイにならねえぞ!」
「え〜、だって兄貴ぃ」
「だって、じゃねえ!!! ダイゴに怒られるぞ」
リュウジの怒号が本堂にこだまする。場所のせいでいつもより響いて迫力ある声だったので、ノブオがびくりと身をすくめた。
「雑巾がけは足腰のいい鍛錬になる。しっかりやれば筋肉もつくぞ、ノブオよ」
「あ、は〜い、ダイゴさん……でもキツい〜」
「ははは、ノブオは肉体も鍛えられて一石二鳥だな」
「もう、ハヤトさんまで!! ハヤトさんだって雑巾、絞り切れてないんじゃないスか?」
「え? オレ?」
「おう、本当だ。ハヤトもしっかりな!!!」
「お〜す……」
やれやれ。オレって脆弱だな。もう疲れたよ──なんて、口に出しては言えないけれど。
午前中に本堂の掃除を終え、昼を挟んで──ダイゴの母上の作った精進料理をいただいた。とても美味しかった──、午後は境内の掃除。
竹箒なんて持つのは小学生以来だったかもしれない。
おやつにスイカをいただいた後、夕方近くになってから墓所の草むしりへと作業は続く。
「うは〜、さすがに茂ってるね」
墓所自体は日々の掃除が行き届いているのだろう、綺麗に保たれている。オレたちの割り当ては、墓所を取り囲むように茂っている木々の根本の草むしりだった。
「おう。やり甲斐あるってもんだよな、ハヤト」
「まあ、そうとも言うな」
「すまんな、皆。こまめに草取りしてはいるのだが、時期が時期だけにすぐに生えてくる」
「いいんだ、ダイゴ。そのほうがこいつらの為になる」
こいつら、と示されたのは当然オレとノブオ。
「おう、がんばるぜ」
もうすでに筋肉痛がきていたが、オレはなるべく元気をよそおって応えた。
お前もな、とノブオを見やると──
「あ、兄貴──失礼します!!!」
突然ノブオがリュウジに平手を繰り出した。リュウジの頬がぺちっと音を立てる。
「お、ノブオ──何すんだっ!!」
「いや、ヤブ蚊っス! ほら、吸われてますよ。兄貴」
「ほう。俺にビンタとは元気のいいことだな、ノブオ?」
「ええっ、そんな、ごめんなさい!!!」
「まだまだやれるってことだよな?」
「え〜と、がんばりま〜〜〜っす」
そんなわけでオレたちは、もくもくと草をむしりはじめた。
結局思ったよりやるべき箇所が多かったので、作業が終了するよりも日が暮れるほうが先だったのだが。
「残っちまったな」
リュウジは恨めしそうに山の向こうの残照を睨んでいた。
「うん。まだ半分てとこか」
軍手をはずしながらオレが応える。
「いやいや。ここまでやってもらえば充分だ。ありがとう、皆」
ダイゴはオレたちに向かって深々と頭を垂れた。
それを見たリュウジは、腕組みの姿勢でダイゴに言う。
「ダイゴよ──俺が途中で投げ出すような漢に見えるか?」
「いや、そうではないが」
「続きは明日やろう。な、ハヤト? ノブオもどうせ暇だろう?」
リュウジはオレとノブオに水を向けた。
「そうだな。せっかくだからやり終わらないと気分悪いね」
「オレはもう、兄貴と一緒なら何でも大丈夫っす!!」
そんなオレとノブオの賛同を聞いて──待ってましたとばかりにリュウジが切り出した。
「な、ダイゴ。ハヤトたちもこう言うし。ここはひとつ、決着をつけさせてもらおう。そこで──もし良かったら今夜はここに泊めてもらってもいいか?」
来た──案の定だ。そう来ると思っていたんだ、オレは。
「泊まっていってもらうのは全く問題ないが、リュウジ、本当にそこまでしてもらって良いのか? ハヤトも、ノブオも?」
「おう、無論!!! お前らも異論はねえよな? じゃあそういうことに決まりだぜ」
「やった〜、なんか楽しそう!!!」
無邪気に万歳しているノブオを見て、オレはちいさくため息をついた。
肉体疲労で忘れていたけれど、リュウジは昨日、肝試しとか言っていたような……。
まさか本気じゃないよな、リュウジ。
* 3 *
鬼浜寺掃除行部隊は、初日の修行を終えてすがすがしい疲労感に浸っていた。
古風で大きな風呂で汗を流させてもらい、心づくしの夕餉を振る舞っていただき、なんか逆に恐縮してしまった。
一息つくと、住職であるダイゴの父上が特別に説教を上げてくださった。
「南無阿弥陀仏」の念仏の意味は「無量の光明の仏に帰依します」であること、「南無三」でいうところの「三」の示すことがらが「仏法僧」であるということ。
そんなことを丁寧に、わかりやすく語っていただいたのだ。
そして、静まりかえった鬼浜寺の夜。
オレたち4人は、ダイゴに先導されて散歩に出ていた──。
さすがに気がとがめたのか、リュウジは『肝試し』なんて言葉は慎んでいたけれど、ダイゴにせがんだのだ。
「なあダイゴ。ちょっと外出てみねえ? こう、ろうそくとか持って」
「外? こんな時間にか?」
「おい、リュウジ……」
「いいじゃねえかよ、ハヤト。だって、今どきこんな、真の暗闇って場所、そうそうねえだろ? いにしえの日本の夏みたいなのを味わえるんじゃねえかと思ってよ」
「なるほど、そういうことか」
ダイゴは頷いて立ち上がった。つとどこかへ消えて、ふたたび戻ってきたダイゴの手には、なんとも古風な提灯が。
「どうだ、リュウジ? これで雰囲気出るか?」
「おう、完璧!! じゃあ行こうぜ。おら、ノブオ、狸寝入りしてんじゃねえぞ!!」
「ええ〜〜〜、オレ、暗いの怖いっすよ、勘弁してください、兄貴ぃ」
嫌がるノブオを布団から引きずり出して、そしてオレたちは縁側から下駄を履いて外へ出たんだ。
「しかし本当に暗いな、この辺りは」
街灯は遠くの道路に見えるだけ。寺の周辺はまったくの闇だ。
境内には灯籠があるのだか、そのぼんやりした灯は、より四囲の闇を強調するかのようだった。
「ハヤト、怖いんじゃねえの?」
「そんなことないって」
からかう口調のリュウジに返した。
虫の声がうるさいほどだ。青臭い、草の息づかいすら聞こえてくるような気もする。
ここはさっき草取りをし損なった辺り──墓所の外郭の木立の中だ。
「ノブオ? 大丈夫か?」
「いえ、あんまり。ハヤトさん、オレ……」
「おい、声が震えてるじゃねえか、ノブオ。恐怖を克服することは強い精神を育てるための修行みたいなもんだぞ、わかってるのか?」
「兄貴、そんな……」
まあ、そう言えば言えないこともないかもな。こじつけまで堂に入っているあたり、リュウジはさすがなのかもしれない。
「ノブオよ、早く歩け。はぐれるんじゃないぞ。俺は保証できんからな」
「えええっ、ダイゴさんまでそんなぁぁぁ」
ノブオの恐がり方がまるで子供で、オレたちはつい笑ってしまった。
しばらくオレたちは、あまり声も出さずにダイゴの持つ提灯の明かりを頼りにして歩いた。
さすがに墓地の内側に入ることはなかったものの、暗さと相俟って、充分すぎるくらい体感温度が低くなった気がした。もちろん気持ちの問題なのだが。
「なあ──ダイゴ」
急にリュウジが、珍しく掠れた声を出した。
「?」
一向はつい足を止めて、リュウジのほうを見た。
「あれって……何だ?」
リュウジの示すほうにあったのは、暗闇にぼんやり光るもの。ゆらゆらと揺れるように光を放っていた──。
オレは心臓が高鳴るのを感じた。原初的な恐怖に、声も出ない。
きっとリュウジも、ノブオも一緒なんだと思う。
こんな状況で口を開くのは、ただひとり──ダイゴの低い声が一瞬できた静寂を破る。
「あれか? あれは鬼火ってやつだ。珍しいものではないな」
嗚呼──こんな環境で育つから、ダイゴは滅多なことには動じないんだ、きっと。
恥ずかしながら、オレはすくんだ体を動かせずにいる。もちろんほかの2人も、と思いきや。
「へええ、お、鬼火って──いうのか。き、綺麗だぜ」
無理してまで言葉を放つリュウジは、やっぱり漢の中の漢なのかもしれないな──そう思いながらも、オレはいつしかノブオと手を握りあっていた。
ダイゴの言うところの鬼火はすぐに消えてなくなり、そしてふたたび耳に虫の声が戻ってきた。どこか遠くないところで猫が鳴いたのに、オレは不覚にもびくっとしてしまう。
そして、オレたちは誰からともなく散歩を切り上げる体勢に入っていたのだ。
あてがわれた部屋に戻ってきたオレは、やけに疲れていた。筋肉痛どころではない。
つとめて元気であろうとするリュウジは、さすが総隊長とされるだけのことはある。
「なんだ、ハヤトもノブオもだらしねえな。精神修行が足りねえぞ!!! なあ、ダイゴ」
「う〜む。でも怖いものは怖いのでは? リュウジは怖くないのか?」
「おう、ぜんぜん平気だぜ! さっきはいきなりで驚いたが。こうなったら何でも出てこいや!!!」
「そうか。さすがだな、リュウジは。俺だって見たくないものもあるというのに」
「え──?」
いつもは無口なダイゴが、リュウジを相手に語っている。
オレとノブオは黙って聞いていた。
「世の中にはたくさんの魂魄が溢れている。その容れ物を具えたのが人間や動物だが、容れ物をなくしても存在する魂魄というものが存在する。つまり」
「幽霊──?」
「ぎゃ〜〜〜、兄貴、言っちゃダメっす」
「おい、ノブオ……」
そんなノブオにかまわずに、ダイゴは続けた。
「実は俺には、その容れ物をなくした存在が見えることがあってな。まあ、こういう家に生を受けたのも縁というものかもしれんが。だから、というか、俺がいつも目を半分閉じているのはそのせいなのだ」
「そのせい──って言うと?」
「見なくていいものを、半分は見ないままで済むということだ」
オレたちは、いままで知らなかったダイゴの秘密を知った。
リュウジですら黙っているところを見ると、多分この精神修行計画は成功だったんだな。
オレはひっそりと、素晴らしい夏の経験をリュウジとダイゴに感謝した。
* 4 *
鬼浜寺での修行は2日目の朝を迎えていた。
朝の掃除を手伝い、本堂で住職の読経を聞かせてもらい、朝食が済むとオレたちは墓所の外郭へと向かった。
昨日やり残した、草取りの続きの作業だ。
「朝に体を使うのって、気持ちいいっスね。ハヤトさん」
「ん? あ、そうね」
鎌を使うのも昨日より巧くなったとは思うが──あいにくの筋肉痛がオレを見舞っていた。よって、本当はあまり気持ちいいとか、そういう感じじゃなかったが。
「あれ? ハヤトさん。なんか疲れてません?」
「う〜ん。ちょっとな。筋肉痛かな」
「なはははは、それは辛いっスね」
「ノブオは大丈夫なのか?」
「ええ。オレは若いっスから。ハヤトさんより1コ」
「ん?……何だって?」
「おい、コラ!! そこ、しゃべってねえで手を動かせや!!!」
いきなり叱責が飛んできた。相変わらず厳しいなあ、リュウジは。
昨夜の恐怖の出来事は、もう誰も口に出そうとしなかった。
ただ、あのあたりにアレが出たな、と考えながらそっちを見ると、ちょっと背中がぞくっと来たけど。
「あ、猫だ」
見れば、大小あわせて4匹の猫が近づいてきていた。
「なに? ハヤト、どこだ?」
「ほら、そこ」
「わ〜〜〜、カワイイっスね。親子ですかね」
「おう、猫はいいな。喉鳴らすとより可愛いもんな」
と、リュウジが鎌を置いて仔猫の喉を撫ではじめた。
「この辺りには、たくさん住み着いているのだ。野良猫どもが。ときどき餌を施してやるからだろうが」
「へえ、そうなのか。じゃあ俺、今度は餌もって来るかな」
「はは、好きだねえ、リュウジ」
「おう!!」
もうメロメロの顔つきのリュウジが大きく頷いていた。
「ギャッ!!」
と──気ままに少し離れたところへ行きかけていた親猫らしきが鋭い鳴き声を上げた。
何だ? とオレたちは一斉に顔をそちらへ向ける。
「あ──れ? 鬼……浜?」
オレたちの視線の先にあったものは、ピンクのモヒカンだった。言わずと知れた暗黒一家のタカシ少年だ。
タカシの手には、小石が握られている。どうやらそのうちのひとつを、親猫に向かって投げつけたようだ。
「この野郎、またお前か!!! 何しに現れた?」
「わ、リュウジ──いや、別になんでもないゼ」
「何でもねえってことは無いだろうが!!! 何で猫を虐めるんだ?」
すでにリュウジは立ち上がり、タカシを真正面から睨んでいた。
「い、いや、さっき公園で昼寝してたらコイツに引っかかれて、それで、仕返しに……」
哀れな瞳で、タカシは逃げ腰の体勢を見せた。
「仕返し、だと? 聞いて呆れる」
「そうだそうだ!! こんなに可愛い猫を虐めて喜ぶなんて、暗黒かっこ悪いぞ」
オレとノブオも立ち上がり、リュウジの両隣を固めた。
「ええと、ゴメンナサイ!!! ほんの出来心です!!! 堪忍してください!!!」
今まさに後ろに向かって逃げようとしたタカシだったが──音もなく背後に回り込んでいたダイゴに首根っこを捕まえられ、細い体を持ち上げられていた。
「うわ〜〜〜、ゴメンナサ〜イ!!!」
「謝るのならはじめから恥ずかしい真似はせんことだ」
そう言って、ダイゴは宙づりにしたタカシから突然手を離した。
着地の際にくずしたバランスをどうにか建て直し、タカシは逃げようとした。
そのタカシの背中に、ダイゴが凄味を効かせてこう言い放った。
「おい、おのれ、憑いとるぞ」
「は?」
「良くないものが背中に憑いておる、と言ったのだ」
「──は?」
思わず振り返ったタカシは目を見開いて、ダイゴを見つめていた。
「充分に気を付けよ。また、おのれらの総帥にもおそらく何か強大なものが憑いておるはずだ。そう忠告しておけ」
「え、ええっ? わ、そんな、ぎゃ〜〜〜〜〜ッ!!!」
もう、きっとパニックを起こしていたんだろう。
ダイゴに言われてタカシは急に叫びながら走り出していた。
よほど怖かったのか──かなり姿が遠くなるまで、木立にはタカシの泣き叫ぶ声が聞こえていた。
「ふん、退治終了だ」
そう言って、ダイゴはおもむろに鎌を持ち直していた。
いつしか猫たちはどこかにいなくなっていた。
その一幕が終わってしばし、オレたちは立ち竦んでいた。
「ええと、ダイゴ」
「何だ? リュウジ」
「さっきモヒカンに言ってたの、って──」
「ああ、あれか? ほんの冗談だ」
細めた目で、ダイゴが笑った。
「じょ、冗談って……」
「押忍。仕返しにはあの程度で充分だと思ったのだ」
「充分すぎるっす〜〜〜」
「ダイゴ、お前、冗談なんか言えたんだな……」
リュウジが妙に感心しているのがおかしかった。
「そう言や、ダイゴ、目はいつもどおり半分しか開いてなかったもんな。本当に憑いていたところで見えやしない、か」
オレが言うと、ダイゴは頷いた。
「ハヤト、正解だ。あれであの若造の精神も少しは鍛えられただろう」
「お、ダイゴは優しいな。敵の修行までしてやるのか」
「リュウジ──それ何か違う」
ともあれ、オレたちの修行はそろそろ終わりに近づいていた。
太陽はそろそろ中天。刈り取った草の青い匂いが夏の空気にとけ込んでいた。
* 5 *
足かけ2日がかりの草取りも無事終えて、オレたちはすがすがしい満足感に浸っていた。
作業終了後にまた昼食をごちそうになって、それから少々昼寝なんてさせてもらって。そんなこんなで時間はもう、ひぐらしの鳴くころになっていた。
「じゃあ、また寄らせてもらいますんで夜露……もとい、どうぞよろしく」
「はいはい、またいつでもいらっしゃい」
と、ダイゴのご両親に見送られてオレたちは鬼浜寺を後にしたのだ。
そして、のんびりと町まで歩いていった。
見送りがてら、と言ってダイゴもついてきたので、4人で肩を並べて。
「それにしても、想像以上に満足だな、気分的に」
「そうか。それならばこちらとしても良かった。こき使って気が咎めていたので」
ダイゴが安心したふうに言った。
「オレもひとまわり精神的に逞しくなったっス!」
「ほお、言うね、ノブオ」
「そりゃもう、ハヤトさん。暗がりに行くときはダイゴさんの後ろに隠れてたら安心ってことがわかっただけで、もうオレ最強っス!!!」
ノブオは相変わらずの調子だった。ある意味誰より逞しいかもな。
「なあ、今日は花火とかやらねえ? 打ち上げってことで」
急に思い立ったように、リュウジが言った。
「お、花火か。オレ、今年はじめてだ」
「わ〜い、オレも初っス〜! やりましょう!!!」
ここ2日が苦しいながらも楽しかったから、確かにこのまま家に帰るのはもったいないような気がオレにもしていた。
「おし。じゃあ決まりだ! ダイゴはどうする? 帰らねえとマズいか?」
「いや、問題ない。この人数で2日もあれだけ働いておけば、しばらくは親父の覚えもめでたいはずだ。少々遅くなっても平気だろう」
「そう来なくちゃ!」
オレはダイゴの肩をぽんと叩いた。ううむ、やはりこの筋肉は雑巾がけが作ったんだろうか。オレも精進しよう。
「まあ、暗がりに行くときは、ダイゴがいねえとノブオが最弱になるからな。いてくれて助かるぜ。なあ、ノブオ?」
「もう、兄貴ぃ〜〜〜」
などと、冗談交じりにオレたちは行きつけのコンビニに向かったのだ。
「お──?」
歩き慣れた道すがら、ときどきダイゴが背後を気にしているような素振りを見せた。気付いてオレは問うてみる。
「何? どうかした? ダイゴ」
「いや。気のせいだろう」
「何だ? 何か出たか?」
「ぎゃ〜〜〜、兄貴、やめてくださいよぅ」
「いや──背後に気配を感じたような。だがおそらく気のせいだろう」
なんだか一瞬、ぞーっとした。
「なあ、ノブオ。ダイゴの後ろって、あんまり安全じゃないかもな」
「うえ〜ん、ハヤトさん。オレもそんな気がしたっス〜」
「ははは、からかいがいがあるなあ、ノブオは」
オレは笑い混じりに弱気を追いやってみた。
だが──わずかな時間の後、オレたちは気付く羽目になったのだ。
ダイゴの感じた背後の気配が、まったくもって気のせいなどではなかったことに。
コンビニに着いたオレたちは、打ち上げ花火にロケット花火、線香花火、ネズミ花火、それからお子さま向けの手持ち花火セット──しこたま夏をかごに盛り、レジで会計を済ませた。
と、ご丁寧にレシートを改めていたリュウジが、きっと振り返って言う。
「おい、ちょっと待て。誰だよ、へび玉なんてかごに入れたのは?」
「ち、違います、兄貴。オレじゃないっス」
「ああ、それオレだ」
右手を挙げて、オレは応えた。
「おい、ハヤト。これは明るいところでやるもんじゃねえの? 暗がりでやっても面白くねえだろ?」
リュウジに指摘されて──そう言われればとようやく気付いたオレがいる。
「あ、そう言えばそうか」
「どこかとぼけてるんだよなあ、ハヤトは」
「あははは、ホントだ〜」
「うむ。ハヤトらしい」
「オレらしいって……ダイゴはいつもオレをどう見ているんだ?」
なんだかみんなに笑われた。オレって、そういうキャラクターだったんだな……。
みんなで手分けして袋を持って、いつもの河川敷へ向かう途中のこと。
ゲーセンの裏手にある公園の前にさしかかったときだった。
「おい待て、貴様等」
オレたちを足止めする獰猛な声。
それを合図に、小路に停めてあった数台の単車の影から人影が姿を現した。
「ほう、ご挨拶じゃねえか」
「ふん、挨拶なんてするかゴラァ!」
声の主は、言わずと知れたコウヘイだった。当たり前のように暗黒一家も揃い踏み。
しばし雄弁な沈黙を挟んで対峙するリュウジとコウヘイ──それへ割って入ったのはダイゴだった。
「お主ら、なにゆえに尾けてきた?」
コウヘイはちらりと視線をダイゴに移す──が、それへの応えはない。
ただ、なんとなく、だが──ダイゴを見たときのコウヘイの表情が一瞬硬くなったような気がオレにはしていた。
* 6 *
時折現れてはオレたちの行く手を阻む──それが暗黒一家なのだ。
今夜の対峙も突然かつ偶然のようで、実は必然なのかもしれなかった。
オレたちと暗黒一家は、一定の距離を保ちながら人気の消えた公園の中へと居場所を移した。
「お前らも花火、やるか?」
顔の右半分だけ笑顔を作ったリュウジがコウヘイに言う。
「貴様の冗談なぞ聴きたくもないわ!!!」
と、コウヘイはいきなり手持ちの木刀をビシッと地面に叩きつけた。
「おい、鬼浜寺の」
リュウジから視線をはずしたコウヘイは、ひと呼吸を置いてからダイゴを見据えた。
「貴様、うちの舎弟にくだらねえこと吹き込みやがったな」
見れば、ダイゴに昼間お灸を据えられたタカシが、ハンゾウに伴われてコウヘイの一歩後ろで震え上がっている。
「くだらない、とは?」
「とぼけるんじゃねえ! 俺は迷信だとかそういう得体の知れねえもんが大嫌いなんだ、ゴラァ!!! やっちまえ、ゴンタよ!!!」
「フンガー!!!」
「おい、お前ら急に何を仕掛けようってんだ!!! 筋を通せや!!!」
リュウジが声を張るが、縄を解き放たれた猛獣のごとき形相のゴンタを止めることはできなかった。
オレもノブオも、一瞬の出来事に目を奪われてしまう。
ゴンタは、巨躯にものをいわせて真っ正面からダイゴに突っかかっていった。
言葉にならない喚きをまき散らし、やにわにダイゴを捉えようと必死で突き進む。
「フンガー!!!」
「おお──!!!」
身構える暇も与えられなかったダイゴは、当然のごとく序盤は不利だ。
一度ゴンタの体当たりを食らい、バランスを失いかけた。
「ああ、ダイゴ──」
「危ないっス!!!」
見ていて、思わず握った拳に力が入る。
が、体勢を立て直したダイゴは強かった。
がっぷり組もうと仕掛けるゴンタをかわしざま、敵の背後に回り込んだ。
ダイゴも巨漢なのに、集中したときの動きは軽やかで俊敏で──一瞬の隙をついて、身を低めてゴンタの足に強烈な蹴りを見舞った。
「──ガーッ!!」
予期せぬ痛みに怯んだゴンタを今度は正面から捉え、横面を大きな拳で殴打した!!!
「ドッセーイ!」
「グ……ホッ……」
一撃のもとにゴンタは倒れ伏した。勝負あり、だ。
「押忍」
倒れたゴンタに礼をして、ダイゴはオレたちを振り返った。
「ダイゴ──!」
「やった〜〜〜!!!」
「よっしゃ、ダイゴご苦労」
「ウス」
額の汗を大きな拳で拭うダイゴは、大して息も乱さぬままでいる。鍛え方が並大抵ではないんだと改めて思い知らされた。
「そんなわけで、俺たちは行くぜ?」
労うようにダイゴの肩をぽんぽんと叩きながら、リュウジがコウヘイに言った。
「まったく、いきなり喧嘩売られて値切らずに買ってやったんだからありがたく思えや」
「──待て、貴様ら!」
リュウジのせりふに激昂したように、一層凄味を増したコウヘイがまたも遮る。
「ふん。この上まだ恥晒そうってのか? え?」
リュウジは眉を吊り上げる。
「総帥、もう──」
「うるせえ、ハンゾウは黙ってろ!! このまま引き下がったんじゃ夢見が悪いじゃねえか」
公園の水銀灯に浮かぶコウヘイの顔は、不気味に青白かった。
「仕方ねえ。今度は俺が相手だ。かかって来い、鬼浜寺の!!」
「おい、コウヘイ、何をそこまでむきになっているんだ?」
リュウジが問うのへ反応も示さず、コウヘイはひたすらダイゴを睨め付けている。
と思うやいなや手にしていた木刀を投げ捨て、コウヘイは素手でダイゴに組み付いた!!
* 7 *
そして、またしてもダイゴは喧嘩勝負を受けてたつ羽目に陥ったのだ。
今度は応じる覚悟があったせいか、ダイゴは体勢を崩すことなくコウヘイの体を受ける。
しばらく力同志が拮抗しあうかの如く、最初に組んだままの体制で両者はまったく動きを止めていた。
じりじりとコウヘイが押し、じりじりとダイゴが戻し、さらに押し──
静かな力のぶつかり合いが永遠に続くと思われたとき、突然状況が変化の兆しを見せた。
「…………」
「──?」
「…………」
ここまで聞こえはしないが、ダイゴがコウヘイの耳許に何か言ったようだった。
はじめに一言、さらに続けて一言──
と、力の均衡が瞬時に崩れた。
「ぐお──おおおおおお!!!!」
突然コウヘイがおめき出し、自ら組み手を解いてダイゴから遠ざかってゆき──公園の外へと一目散に駆けだしていったのだ。
見守る両軍の者どもには、事の成り行きがまったくつかめずにいた。
オレたちにも、また取り残された暗黒一家の面々にも。
そして、戦いの局地だった場所には魁偉な風貌のダイゴがひとり佇んでいる。
その目は、いつもよりも心持ち大きく開いているようにも見えた──。
「──行くぞ」
短くハンゾウが言い、タカシがそれに従う。まだのされたままだったゴンタを起こして重そうに肩を貸してやりながら、奴らはコウヘイの後を追った。
「やっぱり呪うんだ〜、きっと鬼浜寺のに総帥、呪われるんだぁぁぁ」
「タカシ、黙るんだ」
そんなやりとりが少し遠ざかった奴らのほうから聞こえてきていた。
「おい、一体どうしたってんだ? ダイゴ」
暗黒一家の消えたあと、オレたちは訝りながらダイゴのもとへ寄っていった。
「今日はついていただけのこと」
「はあ? ダイゴさんがついてると暗黒総帥、逃げちゃうんスか?」
「まあそんなとこだ。ノブオ」
ダイゴはすこし笑い顔をつくっている。
「なあダイゴ、組んでるときコウヘイに何か言ったろ?」
「おう、俺もそんな気がしたぜ」
「押忍──ちょっとした脅しが功を奏したのだ。だから、ついていたと」
「脅し?」
オレたちは口を揃えて訊ねた。
「そうだ」
大きく頷いて、ダイゴは続けた。
「暗黒水産高校は古戦場跡に建っているようだから、たまには供養をしてやるべきだと言ってやったのだ」
「ええっ!!!」
「そして、お主は敗戦した軍の首魁の魂に気に入られているようだから、とも」
「えええっ!!!」
リュウジもノブオももちろんオレも、それ以上の言葉を見つけることができなかった。
口を開けたまま、頭ひとつ上にある、ダイゴの無敵の表情を見つめるのが精一杯だった──。
ずいぶん時間を無駄にしてしまった後、オレたちは気を取り直して今度こそ河川敷に向かって歩き出した。
歩きながら、先程の一幕を語っている。
「それにしてもコウヘイ、ずいぶんびびってたみたいだよな。そもそも最初にダイゴを見たときから顔色が違う気がしたぜ、オレ」
「そうか? ハヤト」
「ああ。気のせいかなとも思ったけどね。ダイゴは? 何か感じなかった?」
「さあ」
ダイゴは曖昧に返事をしただけだった。
「あ、思い出した。兄貴、オレそういえば聞いたことあるっす」
「何だ? ノブオ」
「暗黒総帥の弱点は幽霊とか、そういうのだって」
「へええ。人は見かけに寄らねえな。全然知らなかったぜ」
リュウジが言った。
「っていうか、ノブオのその情報網ってどこに張ってあるんだ?」
「へへへ。そりゃ企業機密ですぜ、ハヤトさん」
ノブオは得意満面でほざいている。まったくこいつときたら。
「いやあ、でも今度こそ本当に見えたのかと思ったぜ」
リュウジが片手で花火の入った袋を振り回しながら、ダイゴに向かう。
「さて、な」
またしても曖昧なダイゴの返事。
「見えたかどうかは別としてな、昨夜夢を見たのだ」
「夢?」
「押忍、ハヤト。いにしえの合戦の夢だ。コウヘイに似た武者が討たれるシーンで目が覚めた」
平然と言ってのけるダイゴに、オレたちは血の気が引くのを感じた。
「あれは何だったのだろう、と思っていただけに、な」
「おい、ダイゴ──はっきり言って俺もう限界だぜ」
見れば、やけに憔悴しきったリュウジの顔があった。
「正直言って、俺もそんなにそういうの、得意じゃねえんだよ……」
消え入りそうな声でリュウジは告白した。
「リュウジ──そうなのか?」
「あ、兄貴?」
きっと昨夜の鬼火を見たときから、よっぽど我慢してたんだろうな。リュウジ。
そう思ったら、なんだかリュウジがかわいく見えた。
今回の修行の収穫は、精神力が勝負を制するんだ、ということ。
本日の殊勲者がダイゴだったのは、修行の最後にオレたちにお教えくださる仏様のお導きなのかもしれないな、なんて思った。
「さて、気を取り直して打ち上げに行こうぜ!」
「おう、ハヤト!!! いいこと言うぜ」
そして、オレが最終的に思ったこと。
総隊長リュウジの精神力がオレたち鬼浜爆走愚連隊の支柱になるんだ、ということ。
オレの言葉でリュウジが活力を取り戻すのなら──オレはそういう役目に徹していこうと思う。
なんかオレもちょっとは強くなったかな──と見上げると、ダイゴの細めた目がオレをあったかく見守ってくれていた。
その視線があまりにありがたくて、オレはココロの中で合掌してみた。