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各話御案内/不器用な特攻隊長


 不器用な特攻隊長 1-1
 不器用な特攻隊長 1-2

 不器用な特攻隊長 2-1
 不器用な特攻隊長 2-2

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不器用な特攻隊長

   * 1 *


 「お、早かったなみんな。あれ? ハヤトももう来てるのか。まあいいや。ノブオ!!! ちょっと悪い。手伝ってくれや」
 「あ、は~い。兄貴」
 厨房ののれんの奥からリュウジが呼んで、ノブオが嬉しそうに近づいていく。
 「俺も手伝うか? リュウジ」
 「いや。ダイゴはそこにいてくれや。あとでできた料理を運んでもらうときに呼ぶから。ってか、ひとりにしとくとハヤトが何しでかすかわかんねえからな」
 「え、オレ? 別に何もしないってば」
 「──ハヤト。忘れたか? こないだお前、勝手にテーブルに置いてある酢とラー油を混ぜたろ? あれな、あとで俺、しこたま怒られたんだぜ」
 「え~、そう? 便利かなって思っただけなんだけど」
 「その発想がおかしいんだよな、ハヤトは」
 ため息混じりにリュウジはふたたび厨房に引っ込んだ。

 昨日のライブのちょこっとした疲れを引きずっているオレがいる、ここは昇龍軒。リュウジの家のラーメン屋だ。
 ライブって言ったらその後には『打ち上げ』がつきものなんだって、どこで仕入れてきたのかそんな情報をもとに、リュウジが自ら企画してくれた催しだった。
 お店の昼と夜の営業時間の合間を貸してもらって、一丁前にそんな会の主役格に据えてもらってるオレは幸せ者なんだな。きっと。
 
 しばらくしたら千晶ちゃんと玉城も来ることになっている。
 オレも準備のできたころに来るように言われてたんだけど、家にいてもなんか手持ちぶさたで。ダイゴとノブオの指定された集合時間には、オレもここへ到着していた。
 厨房から漂ってくるいい匂いに包まれながら、オレとダイゴはなんとなく会話を交わす。
 「それにしても、ようやく終わったなって感じ。昨日は夜、なかなか眠れなかったな」
 「慣れないことで疲れたろうな、ハヤトも」
 「ほんとにね。まあ楽しかったけど。でも生活そのものが落ち着かなかったよ、ここんとこ。ろくに走りにも行けなかったから」
 「なるほど。ハヤトはそちらの方がよほど馴染みの深い生活だろうから」
 「そうそう」
 責任を果たしたあとの開放感と虚脱感。いつもの生活に戻れる安心感。それらが胸に去来してた昨夜のオレは、本当に眠りが浅かったらしい。リュウジは信じてくれないだろうけど、学校休みの今朝は、なんと目覚まし不要の7時起きだったんだ。

 「あ~、それにしても早くみんなで走りに行きたいな」
 「押忍。言われてみればご無沙汰だな、それは」
 ダイゴはいつもより目を細めてオレに微笑んだ。
 うん、きっとみんな待っててくれたんだろう。オレが重責から解き放たれるのを。
 「けれどハヤト。皆で走りに行くのはよいのだが」
 「ん? どうかした?」
 「いや。聞いておこうと思っていたのだが」
 深い声でダイゴが先を続けた。

 「ハヤトはこれからどうするのだ?」
 「これから……って言うと?」
 「今回の目標はとりあえず昨日のライブだったろう? いざそれを終えた後はどうするのかと思ってな。千晶さんと玉城とハヤトの3人編成は、これからも続くのか?」
 「え──それはどうなんだろ?」
 正直言って、オレはライブ以降の身の振り方なんてまったく念頭になかった。
 最初誘われたきっかけは昨日のライブのお手伝い、ってことだった。
 その後のことなんて、言われてみれば誰も考えていなかったような。
 いや。玉城なり千晶ちゃんなりのビジョンには何かしらあるのかもしれないけれど、少なくともオレはまったく想定外って具合。
 そうだなあ。だからとぼけてるんだ、オレは。とか一瞬思ったあとに考えを巡らせる。
 
 しばしの沈黙のあとに、オレはダイゴにこう答えたんだ。
 「ふたりはどう考えてるかわかんないけど……オレはさ。ひとまず昨日で一段落ってふうに考えてる」
 「そうか」
 ダイゴは大きく、一度だけ頷いた。
 「ああ。とくにこれ以上を期待されてるわけでもないしね。それに、コウヘイじゃないけどあのふたりにはオレより巧いギタリストがついてしかるべきじゃないかな。オレじゃ音の隙間を埋めるのが精一杯だけど、そうじゃなくてきちんと筋の通ったギターが入ったほうが理想的だと思わない? ダイゴ」
 「技術云々は俺ごときではよくわからんがな。音楽は得手ではないので」
 ちょこっと照れたようにダイゴは言った。

 「それに──さ。オレ、やっぱみんなと一緒に単車乗ったりしてたほうが性に合ってるかなって」
 とりとめもなくオレはダイゴ相手に話を続ける。
 「音楽のある生活も捨てたもんじゃないけど。それなりに練習すればそれなりに巧くなるのかもしれないけど。でもオレ、負けず嫌いだからね。とりあえず今日明日にタカシに勝てるようになるのはムリじゃない?」
 「それは、まあ仕方のないことかも知れんな。キャリアが違うのだから」
 「だろう? オレは負け試合はこりごりだよ。勝てる分野に力を入れるほうがオレの性には合ってるかも。だからって逃げるつもりはないんだけど」
 厨房で響いているリュウジの威勢いい声と、ノブオのいきいきした返事を聞いていたらオレはこう続けざるを得なかった。
 「オレにはさ。リュウジがいて、ダイゴがいて、ノブオがいて──っていう生活のほうがしっくりくるんだよ。もちろんほかの仲間たちも大事だ。だけど結局はこのメンバーの中に存在してる自分がけっこう好きだからね」
 自然に顔がほころんでる、オレ。それを見てダイゴもほんのり笑顔になった。

 「それに、ほら。オレが違う行動してると、なんかリュウジが心配するっぽいから」
 「ああ、それはあるな。ここのところハヤトよりもリュウジのほうが落ち着かなそうだったな」
 「うん。これ以上世話の焼ける奴ってリュウジに思われるのもしゃくだからね」
 ダイゴと話していたおかげで、オレの意志は決まっていた。
 オレはこれまでもこれからも、鬼浜爆走愚連隊の特攻隊長。二足の草鞋を履けるほど器用な奴ではない、仲間と一緒が好きな単車乗り。ただそれだけの男だってことを我ながら再認識していた。

 「こんちわ~、リュウジ」
 そんなとき店先のドアが開いて、玉城がひょっこり顔を見せた。声を聞いてリュウジが厨房から姿を表す。
 「お招きありがとね」
 「オウ、玉城!!! よく来たな。さ、そっち座っててくれ。そしたらハヤトのお守りは玉城に任せるか。悪い、ダイゴ。ちょっと手伝ってもらっていいか?」
 「押忍。何なりと」
 答えたダイゴが立ち上がった。入れ替わりにオレの正面に玉城が座る。
 
 「ハヤト、昨日はどうもね」
 改まってオレに握手を玉城は求めた。ふっくらした手を握り返してオレは答える。
 「いやいや。こっちこそいい経験になったよ、玉城。一生に一度くらいはああいうとこでスポットライト浴びるのも悪くないよね」
 「わはは。一度って言わずに何度でもいいもんだよ、ハヤト」
 「うん。玉城はそうかもしれないね。でもオレはさ。どっちかっていうと暗い夜の街路灯に照らされるほうが性に合ってると思う」
 「え? どういう意味?」
 「オレの闘いの場は、舞台より夜の国道かな、って思って」
 あとで千晶ちゃんが来たらふたりにちゃんと話そう。
 オレはオレの日常に戻るつもりだってことを。
 
 リュウジの得意料理が盛られた皿がテーブル狭しと並んだころにタイミングよく千晶ちゃんが現れて、これで全員集合だ。席に着いたオレたちは、それぞれコーラやらウーロン茶やらの注がれたコップ──オレはビールのがいいって言ってリュウジにひっぱたかれた──を手にしてる。
 「よし。それじゃ始めようぜ!! ほれ、千晶ちゃん。乾杯の音頭夜露死苦ぅ!!」
 「え? あたし? リュウジがやるのかと思ったけど──それじゃつつしんで。昨日のライブ、おつかれさま。でもって、リュウジたちもサポートありがと。そんなわけで……カンパ~イ!!」
 「オウ!!」
 「乾杯っス~!!!」
 
 目の前に並んだ、中華メインの宴会料理はもちろんリュウジの作だ。今まで何度もご馳走になっているんだけど、今日のはとくにおいしく感じる。
 きっと気分が盛り上がってるせいだと思う。
 オレの出たライブの打ち上げだっていうことも、また気の合う仲間とわいわいやってるっていう状況も。
 雰囲気っていうのは最大のスパイスだね。



   * 2 *


 餃子やらチンゲンサイの炒め物やらを端からつつきながらの打ち上げの宴。オレたちは気安く会話を交わし合う。
 「そういえばみんな、何か楽器できたりしない? リュウジはおいといて。ノブオくんとかどう?」
 骨付きの鶏の唐揚げを片手に、千晶ちゃんがこう訊いた。ノブオが答えるより先にリュウジがひとこと入れてる。
 「オイ、俺は論外なのかよ!!!」
 「まあまあ。訊くだけムダってことでしょ?」
 「ちきしょう、玉城め……」
 あはは。うん、笑いも上質のスパイスだ。

 「オレはですね、千晶センパイ。自分で言うのも何ですけどね。口笛うまいっス」
 「ってノブオ。それは楽器じゃねえだろ?」
 「そうっスかね、兄貴。でも笛だし……。犬くらいは呼べますぜ。あと動物園に行ったときも結構便利っス」
 「ノブオ。ハヤトじゃねえんだから無理にとぼけなくてもいいんだぜ?」
 「え? オレかよ……」
 心外だなあ。みんな笑ってるのがさ。
 
 「じゃあダイゴは?」
 今度は玉城がダイゴに話を振る。
 「いや……楽器と言えるかわからんが、必要に駆られて木魚を叩くくらいか」
 「も、木魚って……ダイゴさん。うはは」
 「オイ!!! ダイゴまでそんなこと言うのか?」
 「そんなこととは? リュウジ」
 「だ~か~ら~、そういうのはハヤトに任せておけってのに」
 「それは済まん。俺は真剣に答えたつもりだったのだ」
 「なんだ。みんな一緒じゃん。やっぱりいいよな、仲間って」
 そう言ったら、意味不明にリュウジがオレの額をぺしっと叩いた。
 なんだよ、結局リュウジはオレに突っ込みを入れたいだけじゃん。

 「で? 昨日は千晶ちゃんはどこ行ってたんだ?」
 一段落したあと、つと思い出したようにリュウジは千晶ちゃんにこう尋ねた。
 昨日ライブを終えた直後、千晶ちゃんは名刺を持った大人の女の人についてどこかへ行ったんだった。
 「ああ。うん。ちょっとね。悪くない話をもらって」
 ふわりと髪を掻き上げながら、千晶ちゃんは先を続けた。
 「さっき電話で玉城くんには話したんだけどね。きのうの人、芸能関係っていうの? そういう人だったの」
 「芸能──?」
 「うん」
 すこし照れたように千晶ちゃんはリュウジに頷いた。

 「うちのプロダクションに所属している子でギターできる女の子がいるから一緒にやってみませんか、って。そういうお誘い」
 「えええ!!! ってことは千晶ちゃん……」
 「千晶センパイ、それって──!!!」
 「何というか、大きい話のようだな」
 聞かされたオレたちは、揃っておろどいて口をぽかんと開けている。

 「そうか。でも千晶ちゃんっていろいろレッスンとか通ってるんだったよね? 将来はそっちの道へ行きたいってこと?」
 「うん、ハヤト。まあね、少しは考えてたんだ」
 「それじゃあ本当にいい話なんだ」
 オレはなんとなく──肩の荷がおりたような気がしてた。
 「でもよう、千晶ちゃん。その女の人って怪しい感じじゃなかったか? 気を付けたほうがいいんじゃねえの?」
 「あ、それは平気だと思うよ、リュウジ。名刺に書いてあったのは聞いたことのある社名だったし」
 「だったらなおさらスゴイっスね、千晶センパイ……」
 「どうなんだろうね。まだよくわかんないけど」
 千晶ちゃんはいきいきとした顔をしていた。
 まるでリュウジが勝負に勝ったときに見せるような、そんな表情。

 「で、さっきその人と、そこに所属してるギターの弾ける女の子に会ってきたとこ」
 「それで、その子はどうだった?」
 玉城が真剣な表情で千晶ちゃんに訊く。
 「うん。話も合うし、うちらのユニット形態にも興味ありそうだった。本人の見た目は色白でちっこくて、かわいい感じの娘だったな」
 「へ~。弾けそう? 普通に」
 「あ、ビデオ見せてもらった。テクはぜんぜんOK」
 「それはよかった」
 千晶ちゃんと玉城は、本当に熱意のこもった表情で話し合ってる。オレたちが入り混むスキなんか皆無な感じで。
 「とにかく一度、音あわせしてみようって相談して帰ってきたんだ。今度の日曜、玉城くん空いてる?」
 「ええと……うん。午後ならいける。昼まで野球部練習だからね」
 「了解。じゃあ午後で連絡しとくね。ハヤトは? 日曜、どう?」
 「え──オレ?」

 急に千晶ちゃんに問われて、ただこの急展開を見守っていただけのオレはどきりとする。
 「オレは……その」
 「何よ、ハヤト。はっきりしないね」
 「……うん。っていうかさ。オレ、実はただの特攻隊長に戻ろうかと思って。それを今日はふたりに言おうかと考えてたとこなんだ」
 内心迷いながらも、一度思いを口にしてみると素直に、きっぱりと言葉にすることができたような気がする。
 「ちょうどいいな。ギター弾ける娘が入るんだったら、オレは辞退しやすいよ」
 「何言ってんの? ハヤト」
 千晶ちゃんは目をまんまるにしてオレをまっすぐ見つめてる。
 
 「オレさ、あんまり器用なほうじゃない。だからギターにかかりっきりになると、鬼浜爆走愚連隊の特攻隊長としてのオレが疎かになっちゃうんだ……」
 「おい──ハヤト?」
 オレが言うのを聞いて、リュウジが疑問符をぶつけてくる。
 「お前、そんなふうに言うのか? せっかく千晶ちゃんも玉城もお前に期待してるのに。それを蹴る気なのかよ!!!」
 「リュウジ。そんなつもりじゃない」
 「だったら続ければいいだろうが!!!」
 「そうっスよ、ハヤトさん。せっかくいい感じなんっスから!!」
 オレはさっきずっと話していたダイゴと目を見合わせた。語らないままのダイゴの雰囲気がオレを後押ししてくれる。
 「うん。でもオレの意志はいま言ったとおりだ」
 そして──場には静かな沈黙が流れた。
 言わなきゃいけない思い言葉を言い終わったオレは、なんだか妙に疲れていた。

 「ハヤトの言いたいことはわかった。なんとなく」
 しばらく後、納得行かない顔してるリュウジとオレを見比べて、千晶ちゃんは言った。
 「でもさ。ギターは2本あっても悪くないから、新曲できたらソース渡すね。もし都合がよかったら本番だけでも飛び入り歓迎ってことにしとくよ、ハヤト。だってハヤトがいると女の子集まるし」
 「千晶ちゃん!!! そんなこと言っていいのかよ!!!」
 「落ち着きなよ、リュウジ」
 そう口を挟んだのは玉城だった。
 「リュウジが一番わかってあげなきゃ。ハヤトはさ、きっといっぱい考えたんじゃない? それでこう結論したんだろ? 自分がいま何をするべきなのか、ってさ」
 ああ──ほんの短期間そば近くいただけなのに。千晶ちゃんも玉城も、オレのことをわかってくれているみたいだ。

 「森園の言葉に倣って言うとね、リュウジ。相棒さんはリュウジの右腕としての自分を何より大事にしたいってことなんだと思うよ」
 玉城が言うのを聞いて、なんだかオレは今さらになって腑に落ちた感がする。
 そうか。オレはそう言いたかったのかもしれない──だけど、さすがに自分じゃそんなふうには言えないよな。
 理解してくれたふたりの音楽仲間に、オレは心の中で最大限の感謝を述べた。
 気持ちがつながっているってのは有り難いことだね。

 オレのせいでいっときテンションの下がった打ち上げの場だったけど、そこからは玉城とノブオが盛り上げてくれて助かった。
 何事もなかったようにとは言えないけれど、いつしかふたたび他愛のない会話が戻ってきて──いくらか間を置いたらリュウジもどうにか納得してくれたみたいだ。
 以後のオレのスタンスは、いつでも歓迎してもらえるゲストってことで落ち着いたらしい。
 「さっそく新曲を月曜日に学校に持っていくからね。覚悟しといて、ハヤト」
 玉城が笑ってそう言った。それを受けて、千晶ちゃんが微笑む。
 「そうそう。つかず離れずのマイペースでも、ギターと接していけばいいよ。せっかく弾けるんだかもったいないって。ね、リュウジ?」
 「ん? ああ、そうだな。ハヤトはのんびりしてっからな。そんなんでもよかったら、しばらく面倒みてやってくれるか? 千晶ちゃん。玉城」
 「あはは。それくらいお安いご用だよ」
 「世話をかけて悪いな。ほら、ハヤト。お前もちゃんと挨拶しとけや」
 「え、あ、そうだね。ええと──これからもよろしくね、ふたりとも」
 後頭部をリュウジに押さえ込まれて無理矢理お辞儀させられた。
 うん。これでいいみたい。何よりリュウジが納得してくれれば、オレはそれでOKだ。

 さんざんご馳走になって、たくさん話して、よく笑って。
 昇龍軒の夜の営業が始まるっていうのでオレたちの打ち上げはお開きになった。
 最後の最後まで、リュウジは千晶ちゃんと玉城に言っていた。
 「もう、ほんっとに手間のかかる奴だけど、ハヤトをよろしく頼むぜ」
 まるで保護者だな。
 
 そしてオレたちはそれぞれ帰途につく。最後まで方向が一緒なのは、このメンバーでは千晶ちゃんだ。千晶ちゃんは電車でとなりの駅まで帰る。オレは駅の逆側が家。
 あれこれ話しながらの帰り道。夕暮れ刻が鬼浜町に訪れる時間だった。
 駅前についたとき。別れ際に千晶ちゃんが、オレに耳打ちした。
 「あのね。ハヤトだけに言っとくね。紹介してもらった娘。同い年でね、すっごくかわいいの。あたしの好きなタイプ」
 言い終わった千晶ちゃんは、ほんのり頬を染めてたんだ。
 「え──そうなんだ」
 「そうなのよ、ハヤト。えへ、久しぶりにこれって恋かも~」
 乙女な男子高校生・千晶ちゃんが恋する対象は女の子だっていうことは、まったく知られていない事実。
 リュウジも知らない。玉城だってきっと知らないはずのこと。

 「それじゃね、ハヤト。ほんとにまた一緒にやろうね! ムリしない程度でいいから」
 「うん。こっちこそ。たまにはお邪魔させてほしいよ」
 「OK!! いつでも待ってる~!!」
 小走りに改札を目指す千晶ちゃんは──見てるこっちが照れるくらいのいい笑顔をしてた。
 オレは手を振り返しながら、あらゆる意味での千晶ちゃんの成功を一番星に祈ることにして空を見上げてた。



   * 完 *

各話御案内/歌と和弦の日々

 
 歌と和弦の日々 1-1
 歌と和弦の日々 1-2

 歌と和弦の日々 2-1
 歌と和弦の日々 2-2

 歌と和弦の日々 3-1
 歌と和弦の日々 3-2

 歌と和弦の日々 4-1
 歌と和弦の日々 4-2

 歌と和弦の日々 5-1
 歌と和弦の日々 5-2

 歌と和弦の日々 6-1
 歌と和弦の日々 6-2

 歌と和弦の日々 7-1
 歌と和弦の日々 7-2

 歌と和弦の日々 8-1
 歌と和弦の日々 8-2

 歌と和弦の日々 9-1
 歌と和弦の日々 9-2
 歌と和弦の日々 9-3

歌と和弦の日々


   * 1 *


 秋も深まったこの時期、この時間。
 見上げれば夜空に貼り付いているのは冬の星座の並びだった。って、オレも有名なオリオン座くらいしかわかんないんだけど。

 ここは夜の鬼浜駅前だ。オレたちはいま、歌声に聴き入っているところ。
 男声にしては高音域の、むしろハスキーな女声に近い歌声が夜の空気を彩っていた。どことなく甘えるような、それでいてしっかり芯のある耳にやさしい声。
 それに絡み合うように奏でられるギターの音色。ときに主役を歌に譲り、息の合間を縫って和音を主張している。
 歌声の主は、性別は男子、心は乙女で知られる鬼工のアイドル・千晶ちゃん。それにギターを添えているのは、同級で野球部の玉城だ。
 放課後、夜に駅前で歌うから暇だったら来てね、って千晶ちゃんに誘われた。だからオレたちは4人して駆けつけたんだ。

 千晶ちゃんの歌を聴くのは初めて──いや、遊びで歌っているのは聴いたことあるけど──のオレたちは、正直言って驚いていた。
 とんでもなくいい声だったもんだから。
 夜はもうかなり冷えるんだけど、千晶ちゃんの歌声はのびやかであたたかにアスファルトに響いていた。

 自作とおぼしき曲を8曲ほど歌った千晶ちゃんは、いつしか取り巻いていたオレたちを除いて10人くらいの聴衆たちに向かってお辞儀した。共演の玉城もそれに倣う。
 これがステージのはねた合図なんだと理解して、オレたちはようやく千晶ちゃんに声をかけたんだ。

 「来てくれてありがと。みんな」
 「いや。こっちこそお招きありがとうな、千晶ちゃん」
 どちらからともなく、リュウジと千晶ちゃんは握手していた。
 「千晶センパイ、すっごくステキでしたよ~。ねえ、ダイゴさん?」
 「押忍。寒いなかで歌うのは大変だろうに。いい声だった」
 「あは、ありがとね。ノブオくん。ダイゴ」
 さらりと前髪を掻き上げて、千晶ちゃんは微笑んだ。
 
 「あ、玉城。おつかれさま」
 「うん、ハヤト。寒いとね、手がかじかむよ」
 そう言って玉城は両手を擦りあわせている。小柄で人なつこい独特な表情をもつ玉城はもともと演劇部出身で、いまは何故か野球部の一塁手。ギターを弾けるっていうのはオレたちも今日まで知らなかったんだ。
 「曲とか、玉城がつくったの?」
 「え~と、半々かな。千晶ちゃんが作ったのと僕のと。詞はぜんぶ千晶ちゃんだけどね」
 「へえ。特技があるってかっこいいな」
 「そうかい? ハヤト」
 なんて話していたら、千晶ちゃんが話に加わった。
 「あのね、玉城くんはもともとピアノが本業なんだよ。ハヤト」
 「あ、そうか。聞いたことあったな」
 ちらりと玉城を見たら笑ってこくりと頷いた。
 幼少時代に通ったピアノ教室で、コウヘイとタカシが一緒だったって前に聞いたのを思い出したんだ。
 
 「ほんとはピアノ弾きたいんだけどね。でもギターはこういうのには必須だから。僕がピアノで、別のギターが仲間に加わったら最強だねって千晶ちゃんとも。ね?」
 「そうね。ギターと鍵盤と歌って構成にしたいかな。今度ライブハウスでやることになってるから、その時にはそうしたいの。ね、リュウジ。だれか知り合いでギター弾ける人っていないの?」
 千晶ちゃんがそう言ってリュウジに視線を投げかけた。
 「うん? ギターなあ。少なくとも俺には無理だぜ」
 「あはははは。期待してないって、リュウジには」
 「……そうかよ!!」
 わはははは、なんて一同で笑ってみる。
 そうだった。リュウジ、音楽センスは今ひとつなんだ。リズム感は悪くないんだけど、悲しいメロディの歌を長調に変えてしまう漢として名を馳せているわけで。

 「はい、みなさんコレどうぞ」
 そんな中、自販機にあったかい飲み物を買いに行っていたノブオが戻ってくる。
 「あら、ありがとね、ノブオくん」
 「オウ、ノブオご苦労」
 「何話してたんですか? 楽しそうに」
 「誰かギターが弾ける者を知らんか、という話で、千晶さんは少なくともリュウジには期待していないと言ったのだ」
 「うはは、ナルホド、ダイゴさん。兄貴にはちょっと……ねえ?」
 「何だと? ちきしょう、ノブオいい度胸してやがるな」
 「う、うわ、スミマセン、兄貴ぃ~」
 リュウジがノブオを軽く小突くのをみんなで笑って見ていた。

 「あ、でも確かハヤトさん弾けるんじゃなかったでした? ギター」
 「──え?」
 ノブオが言ったのを受けて、オレは一同の注目を浴びていた。
 「ああ、そういやハヤトの部屋にギターあったな」
 「なに? ハヤト弾けるの?」
 「い、いや、弾けるってほどのもんじゃなくって……」
 千晶ちゃんに問われて、オレは少々たじろいでいる。
 「ただ中学の頃、遊びでちょこっとコード覚えただけだよ。そんな、人前で披露するような腕前じゃなくってね」
 オレは掌を振って『ムリムリ』と意思表示を試みる──んだけど。
 千晶ちゃんと玉城はふたりで目を見交わしあってて、オレの様子なんかにはお構いなし。

 「ハヤト。コードは弾けるんだよね?」
 「え、ああ、まあ多少……」
 もごもごと玉城に向かって答えるオレ。
 「コード弾ければ充分でしょ? 千晶ちゃん。そんな激しい曲でもないし、僕がピアノ弾くから、逆にギターは和音だけでも充分彩りになる」
 「うん、そうね。確かに」
 千晶ちゃんは玉城に向かって首を縦に振る。
 「いや、だからオレ、そんな……」
 なんだか矛先が思いっきりオレに向いてるじゃん? オレ、無理だろ?

 そして千晶ちゃんは、リュウジに向かって頭を下げる。
 「リュウジ、悪いんだけどおたくの特攻隊長をしばらく貸してもらえる?」
 「えええっ!!!」
 そう来たか──決定権はオレにはないのか!!!
 リュウジの答えなんか聞かなくてもわかるよな……。
 「オウ、そんなに頼まれたら断るわけにはいかねえもんな。よし、ハヤト。行け!!!」
 オレの背中をどやしつけるリュウジの掌。体が冷えてるから結構痛いよ……。

 「ええっと……オレ、自信ないんだけど」
 「ハヤト!!! お前それでも特攻隊長か? 闘いに挑む表情じゃねえだろ、それは!!!」
 「いや、闘いっていうか……」
 リュウジはオレの肩に手を置いて、真正面からオレを見据えた。
 「いや。これは闘いだ。千晶ちゃんと玉城にとってはな」
 「あ──」
 「わかったか、ハヤト? 俺は真剣勝負と見たからな。だから手を貸してやるべきだと言ってるんだぜ? 多少の不利なんかいつもものともしねえだろ? だからハヤトはウチの特攻隊長なんじゃねえか」
 リュウジはオレを諭すように言い募る。
 「ハヤト、これは総隊長命令だぜ。存分に闘って来い」
 みんながオレを待っている。オレがリュウジに向かって『OK』と答えるのを──。



   * 2 *
 
 
 ギター持参で登校するのは、オレが鬼工に入ってから初めてのことだった。
 オレのギターはエレアコ──アンプにつなぐこともできるアコースティックギターだ。
 中学のころ、友達と組んで弾き語りみたいなのを練習するために手に入れた品。
 これはオレの、っていうか、実は親父との共有品。半分ずつ出資したから共有ってことになってる。
 オレにギターを教えてくれたのは、昔取った杵柄とか言ってる親父だったんだ。
 朝、リュウジの迎えで出掛けるところを見た親父がこう声をかけてきた。
 「おや、放蕩息子。ギターなんて持ち出してどうする気だ?」
 「なんかね。千晶ちゃんのライブに飛び入り参加することになっちゃって」
 「何? ライブ!!! 代わりに出てやっても構わんぞ」
 「……ほんとはそう願いたいんだけどね。是非とも」
 子の心、親知らず。なんて。
 
 迎えた放課後。玉城が野球部の練習を終えるのを待ってから、軽音楽部の練習室を借りて、とりあえず初日の今日は音合わせをやってみようってことになってる。
 オレはそれに先だって、弦くらいは交換しておこうと考えて一旦外へ出た。リュウジが付き合うと言ってくれたから、一緒に商店街の楽器屋へと向かう。
 「なんだ、ハヤト。まだそんな自信なさげな顔してんのか?」
 オレの顔をのぞき込んでリュウジが言った。
 「うん……。オレ、ぜんぜん巧くないし。ブランクあるからさ」
 「ブランクなんて、練習して埋めればいいじゃねえか!!」
 「まあね。そうだけどね。あ~、オレこないだから練習してばっかりだな」
 ついこないだまでは、必要に駆られて乗れなかった自転車をマスターするのに四苦八苦してたとこなんだ、オレ。
 「わはははは。人生、何事も鍛錬だ」
 まあ、リュウジが言うのは一理あるよな。それにもう逃げられないのは明らかなんだし。

 話しながら歩いて、いざ目的地へ。
 不思議なもんで、2年ぶりくらいで入った楽器屋の独特な香りを嗅いだらオレの気持ちはずいぶん方向を変えたみたい──そう、まっすぐ前の方向へ。
 弦を選びながら、オレはリュウジにやっと笑いかける気になった。
 「巧くなくたって、やる気でカバーできればいいか」
 「オウ、その意気だぜ!! それでこそウチの特攻隊長だ」
 「あはは。攻め気でね」
 言ったらリュウジはうれしそうだった。守るよりは攻めるほうが得意だからな、オレ。

 それから学校へ戻って、教室で弦を新品に交換して。
 その最中に、千晶ちゃんからもらった曲の入っているCDで予習のオレ。
 弦を張りつつ曲を聴いて、さっきもらったコード譜に目を通していると、気分がのってきた感じ。
 交換し終わった弦をチューニングしたところで、オレはコードを鳴らしてみた。
 「お、いい音するな、それ」
 「そう?」
 「なんか、こう、味にたとえるとまろやかな感じだな」
 「あはは、まろやか、ね」
 あまり音楽向きではないリュウジがそんなふうに評する。うん、先入観のないリュウジがそう言うんだったらそうなんだろう。
 「千晶ちゃんの声に合うんじゃねえの?」
 「うん。そうだといいね」
 そしてオレは時間になるまで、しばらく曲とギターに没頭していた。
 リュウジは向かいに座って、ときどき『いい曲だな』とか独り言みたいに呟きながらオレの様子を眺めてる。
 なんだか珍しく、平和でゆるやかな時間を過ごしてるな。たまには悪くないよね。

 夕方、そろそろ5時という時間。
 野球部の練習をひとりだけ早めに切り上げてきたという玉城が合流すると、さっそく音合わせをしようという段取りになった。
 軽音部の、小さいほうの練習室。薄汚れた部屋で、年季の入ったドラムセットが置きっぱなしになっている。
 
 「なあ、玉城」
 「なあに? リュウジ」
 どうも気になるらしくてオレについてきたリュウジが、これまた備え付けの古びたピアノの前に座った玉城を呼んだ。
 オレはチューニングを確認しながらやりとりを聞いている。
 「音楽やる奴が野球っての、平気なのか? 突き指とかするんじゃねえの?」
 「あ~、まあね。気をつけてはいるけどさ。でも、野球は比較的安全なほうじゃないかな、グローブつけてるから」
 「とか言って。ほんとは断れなかっただけじゃなかった? 森園くんの勧誘を」
 「あはは。そうとも言うね、千晶ちゃん」
 「そうか。森園な。あいつも強引だからな」
 納得したと言わんばかりのリュウジの語り口だった。

 「言えるね。リュウジも森園主将の頼みを断れないクチだから」
 チューニングを終えたオレがひとこと添える。
 「あ、ハヤトOKになった?」
 「うん。完了」
 千晶ちゃんに答えると、とたんにオレは妙に緊張する。単車勝負でも滅多にしないような胸の鼓動を感じるんだ。オレ、小心者だな。
 「そしたら試しにやってみようか。ハヤト、どれか少しは覚えた曲ある?」
 「ええとね、昨日の最後にやったやつなら行けそうだな」
 コード譜を開きながら、オレは玉城に答えている。
 
 「よし。それじゃ、まずそれからいこう──いっせ~の」
 ドラムがいないから、カウント出しは玉城の仕事みたいだ。
 それにしても『いっせ~の』はないんじゃないかな、なんてくすっと笑ったら、妙な緊張はほろりとほどけていた。
 
 最初のコードをかまえていざ音を出したら吹っ切れた。
 玉城の弾くピアノにリードされて、オレもなんとかついていけてるみたい。
 前奏からAメロへ。千晶ちゃんの声が乗っかってくる。マイクは使わない生声だ。だからオレもアンプにつながずの生音を使う。
 わりに力強いタッチの玉城のピアノに負けない声量を持った千晶ちゃん。最初は押さえ気味に音を出してたオレだけど、Bメロに入るころにはちょこっと強めに弦を弾く。
 サビで一気に曲は盛り上がる。千晶ちゃんの声が練習室を震わせる。玉城も果敢にそれに向かっていって、オレもつられるようにしてピックを持つ指に力をこめる。
 なんていうんだっけ──ああ、相乗効果っていうんだ。
 お互いの出音につられるようにしてその曲のラストを迎えるころには、オレは久しぶりにハーモニーを奏でる一員でいられたことがやけにうれしく感じてた。
 けっこうコード間違えたけど、Bメロへ移るきっかけも間違えたけど、なんとか1曲を乗り切った。
 うわ、掌に汗かいてる。オレ。

 「ハヤト!! あんたできるじゃん!!!」
 「ほんとだね。これなら心配いらない感じ」
 ふたりがそんなふうに言ってくれた。オレは照れ笑いで頭を下げる。
 ああ、音楽って楽しいんだ。そうだな、楽しいって字が入ってるもんな。
 「ちぇ。いいよなあ。楽しそうでよ。俺にも才能あったらよかったぜ」
 そんなオレたちを見てたリュウジがちょっと不満そうに頬を膨らました。
 「あはははは。リュウジ、拗ねないの」
 千晶ちゃんはリュウジの背中をたたく。
 「そんじゃ俺もまぜてくれるか? 千晶ちゃん」
 「え……それは──」
 リュウジを除く3人で笑っちゃった。あ、マズい。リュウジの目が怒ってる。
 ……帰り道、きっと一発くらいは小突かれるな。オレ。



   * 3 *
 

 放課後を音楽でいっぱいにした生活をはじめて3日が経過している。
 鬼工に入ってからも、中学のころもまったく部活動とは無縁だったから、放課後に用事があって学校に残っているっていうのが慣れない感じ。
 でも充実してるんだなあ、こういう活動って。うん、悪くないかも。

 本日の練習終了後、それぞれに片づけなんかをしながら話してる。
 「日に日に慣れてくるよね、ハヤト」
 「そうかな? 千晶ちゃん」
 「うん。歌ってて楽しいもん。ね、玉城くん?」
 「だね。うん。合わせるたびにしっくりなじんでくるよ、ハヤトは」
 にこりと笑って玉城が言った。

 「でもさ、ハヤトだんだん慣れたらさ、ちょっと走り気味かもな」
 ここで言う『走る』は『先走る』の意味。自分だけ演奏のペースが早いってことだ。
 「あ、そうか。うん、気をつける」
 そんな即席バンドメンバーの会話を手持ち無沙汰に聞いてるリュウジが口を挟む。
 「玉城!!! それは仕方ねえな。だってハヤトはウチの特攻隊長だからな」
 「……ってリュウジ、そんなに威張らなくても」
 千晶ちゃんがちょこっと困ったように笑ってる。

 オレたちの練習時間は、野球部の練習にも出ている玉城を待ってからだから、けっこう遅い時間になりがちだ。
 集合まで教室で個人練習してたりするんだけど、そんな時にもリュウジはなんとなく付き合ってくれたりしてる。
 ふらりといなくなったかと思ったら、道場でダイゴが赤ジャージに柔道トレーニングをつけているのを見に行っていたり。
 それでまた戻ってきて、ごく自然に練習室でオレたちの様子を眺めていたり。
 
 学校の前で千晶ちゃんたちと別れて、リュウジとふたりになった帰り道。
 めずらしく面白くなさそうな顔を見せたリュウジが言った。
 「いいなあ、ハヤトはよ。最近忙しそうで。俺だけ暇だぜ」
 「え、ああ、まあ忙しいことは忙しいけどね。でもリュウジだってそんな暇じゃないだろ? 赤ジャージの応援とかさ」
 「まあな。でも俺自身は暇なんだよな。あ~あ、たまには走りにでも行くかな」
 「これから? じゃあオレも一緒に走るよ」
 「いや、ハヤトは忙しいんじゃねえの? 今日うまくいかなかったやつ練習するって言ってたじゃねえか」
 「あ……」
 「ほらな」
 あんまり見たことのない苦笑いをリュウジは浮かべていた。
 
 「オラ、忙しい奴は早いとこ帰れや。仲間に迷惑かけてる場合じゃねえだろ? 本番まであと何日もねえんだし」
 「うん。じゃあ今日は悪いけどそうしとくよ。リュウジ」
 「別に何も悪いことなんてねえって。そんじゃな、ハヤト。また明日。寝坊すんじゃねえぞ!!!」
 「え~と、努力します」
 リュウジの家の前での別れ際。いつも通りの挨拶でさよならしてきたんだけど、オレはどことなく罪悪感だった。
 リュウジがあんな顔してるのは、オレが付き合い悪いせいなのかもなって思ったから。
 千晶ちゃんと玉城に義理を欠くような真似はリュウジが許すわけはない。
 けれどもああ見えて、誰かと一緒にいるのが好きなほうのリュウジを放っておくのも気がひけて。
 あはは、なんだろ。オレってやっぱり忙しいのかな──ギターを背負い直しながら、オレはオレで苦笑いしてた。

 次の朝。
 いつもと同じに窓の外で怒鳴るリュウジの声で目を覚ましたオレは、寝ぼけ眼で見たリュウジの顔に少なからずぎょっとした。
 「リュウジ──? どうしたんだ?」
 「うん? ああ、これな。いや、べつに大したことねえぜ」
 照れ隠しみたく笑ったリュウジの顔には、いつもと逆側にも絆創膏が飾られてた。それだけじゃなくて、口の横あたりが腫れてるみたいだ。紫色っぽくなっている。
 「昨日、何かあったのか?」
 「ああ──まあ多少はな。ってハヤト!!! お前いつまでパジャマ着てるんだ? ほら、早く顔洗って着替えてこいや」
 「あ、そうでした。しばしお待ちを」
 答えてオレは窓を閉めた。
 顔を洗いながら思う。リュウジ、昨日喧嘩したんだな。いつもだったらひとりの時は受け流すんだろうに。
 よし。今日はリュウジがいくら止めても一緒に走りに行こう。鏡の中のオレにそんなふうに意見してみた。

 その放課後のこと。
 教室で、いつもみたいにリュウジと、今日は千晶ちゃんも一緒に玉城が来るのを待っていた。
 手遊びにギターを弾いて、ときどき千晶ちゃんが歌を乗せて、リュウジがハーモニーになっていないハモりを入れようとしてちょこっと笑って、飽きると雑談なんかして。
 そしたら教室に野球部のユニフォーム姿の玉城が入ってきた。
 「待たせて悪いねえ」
 「ううん。大丈夫。こっちはこれでも練習できてるし」
 千晶ちゃんは玉城にそう答えて、オレもこくりと首を縦に振る。
 「それでさ、悪いついででホントに悪いんだけど。僕、今日は練習できないっぽい」
 申し訳なさそうに、玉城がぺこりと頭を下げた。

 「ん? 玉城、どうしたんだ? 怪我でもしたか?」
 「いやいや。そんなんじゃないよリュウジ。今日、これから野球部の緊急ミーティングの招集がかかってね。森園から。ちょっと抜けられそうもない感じ」
 「あらま、そうなんだ。んじゃ仕方ないよね」
 「うん。ごめんね千晶ちゃん。明日はちょい早めに上がれるように森園に頼んどくから」
 「いいよ。ムリしないで。野球部も大事だもん」
 「悪いねえ。じゃ僕、行くね。また明日!!」
 手を振ってから、玉城はきびすを返して走り去ったんだ。

 「それで? ふたりはどうすんだ? このままここで練習か?」
 玉城の足音が遠ざかると、リュウジがこう訊いた。
 「そうね。このままでもいいけど。ハヤトどうする? 練習室のがいい?」
 「ええと──それじゃここで続けよう。それで、悪いけど今日はオレも早めに上がりたいんだ、千晶ちゃん」
 「あ、そう? なんか用あるんだ」
 「うん。たまには走りに行こうかと思って。総隊長を誘って」
 「──? オイ、ハヤト……」
 リュウジが意外そうな顔でオレを見た。
 「ふうん。ナルホドね。ハヤトの気持ちもわかるなあ」
 ほろりと千晶ちゃんは笑った。さすが千晶ちゃんは細やかな気遣いを持ってるな。解ってくれて助かった。まあ、リュウジにそれが伝わったかどうかはナゾだけど。

 変則の2人構成での練習は、思ったよりも細かいミスが露見しやすいから案外効果的だったみたい。
 短い時間だったけれども、明日につながるいい練習だったと思う。
 となりで見てるリュウジが、いつになくオレの演奏に厳しい耳でいろいろ指摘してくれる。それも純粋に的を射ている意見だったりするわけで。
 そうしながらも、オレの気持ちは高ぶっていた。数日ぶりに夜の国道を走る──もう寒いだろうけど、気分よさそうだ。



   * 4 *


 「まったくよう。ハヤト、こんな大事なときにサボっていいのかよ? 夜、ちょっとでも弾いておいたほうがいいんじゃねえのか?」
 とか言いながら、リュウジのマシンのエンジン音がいつもよりテンション高めに聞こえるのは気のせいかな。
 「あはは、まあね。でもたまにはいいじゃん。息抜きってことで」
 「まあな。でもハヤトはいつでもあんまり緊張感ねえからな。それで息抜いても大丈夫なのか? 俺は心配だぜ」
 わはは、と笑い混じりに軽口を叩くリュウジ。機嫌がよさそうでオレもうれしいよ。

 オレが手伝っている──もしかしたら足を引っ張っている──千晶ちゃんと玉城のユニットのライブ本番は、今週末に迫っている。
 ここのところそっちにかかりっきりだったから、単車に乗ること自体が珍しくも数日ぶりだったりするオレ。
 リュウジがせっかくだからとダイゴやノブオにも声をかけていたみたいで、とりあえずはいつもの集合場所へとふたりで単車を走らせた。
 うん。やっぱり単車は気分いいね。見慣れたリュウジの背中へ呟いてみる。
 
 リュウジと連れだって河川敷へ降り立ってダイゴたちと合流した。川から吹く風がもうとんでもなく冷たいことに今さらながら気付いてた。
 「日に日に寒くなってくね」
 「ホントっスね、ハヤトさん」
 応えたノブオは首をすくませている。ほんとに寒いから。
 「ハヤトは特に寒いだろうな。脂肪がなさそうなので」
 「え~、どうだろ。でもダイゴだって脂肪じゃなくて筋肉だろ?」
 「まあそれはそうだが。けれど見ている分にはハヤトのほうが寒そうに感じるだろう」

 「お前ら、そんな寒いか? 俺、べつにどってことねえけどな」
 オレたちのやりとりを聞いてたリュウジが言葉を挟む。
 「え? 兄貴、そうっスか? 一番薄着なのにな」
 「ノブオ、気合いが入ってりゃ寒さなんて全然──ぶえっ……くしっ!」
 「あはははは、って、リュウジくしゃみしてるじゃん!!!」
 「え──ああ、気のせいだ。ハヤト」
 ああ、やっぱり落ち着くな。いつもの仲間はすごくいい。
 軽い笑いを寒気に混ぜ込みながら、我ら鬼浜爆走愚連隊は国道4649号線へと乗り入れていった。

 リュウジを先頭にして走るオレたち4人。
 夜の空いた時間の国道にマフラーからの音を響かせてる。
 最近馴染みの、練習室で聞く歌声と楽器の音とは全然違うけれど、どっちもオレの魂に訴えかける愛おしい、美しい音だ。
 頬に冷たい風。目にいつもの海沿いの風景。耳には好ましい音。
 全身の感覚をフルに使いながら、オレは夜の楽しみに興じているんだ。
 
 途中、お巡りさんと鉢合わせして振り切ったりするのもまた一興。
 しばらくして通り沿いのコンビニに立ち寄って、飲み物と肉まんであったまるのもまた一興。
 いつもより足を伸ばして遠くまで走って、適当なところでまた鬼浜町へと折り返してくるオレたちが──奴らに遭遇するってのもまた一興なんだろうか。

 後ろから追いかけてくる爆音を聞いて、オレは振り返る。
 思ったとおりコウヘイたちのマシンが近づいてきている。
 奴らはオレたちを追い越して、進路をふさぐように単車を停めたんだ。
 「ほう。今日はお揃いのようだ。こんなところで油を売っていてよいのか? 特攻隊長」
 リュウジを一瞥したあと、コウヘイはまっすぐにオレへ視線を寄越して訊いた。
 路肩に停めたオレたちの単車を、国道をゆく車の列が次々に追い越していく。

 当たり前のようにオレたちの前に立ちはだかるコウヘイら暗黒一家。
 コウヘイに名指しで問われたオレは応える。
 「別に油売ってるつもりなんかないけど? どういう意味だ?」
 「ふん。まあ別に構わねえがな。貴様がどこで何をしていようと」
 コウヘイはなんだか意味不明な言葉をオレへと投げた。
 よく見れば暗黒一家の本日の構成は、コウヘイとハンゾウ、それにゴンタの3人きりだった。何か違うと思ったら今日はタカシがいないんだ。
 
 強い視線を絡め合うオレとコウヘイの間にリュウジが割って入る。
 「手前には関係ねえだろ、コウヘイ。ウチのハヤトは自分の思うとおりに行動する男だぜ。それだけの自信と度胸がある証だ。それに何の文句があるんだ?」
 「別に何も」
 「だったら何で俺たちの行く手の邪魔ばっかりするんだ?」
 リュウジは腹の底から声を響かせる。両手はぎっちり拳を握っていた。

 「オラ、答えろや、コウヘイ!!! 何でもねえなら呼び止めねえだろ?」
 「何でもねえと言っている。それとも、貴様のほうから昨日の続きを望むのか?」
 にやりとコウヘイは笑いを顔に浮かべた。
 リュウジはいつもと逆の、右の頬に貼った絆創膏を無意識のように撫でている。
 昨日の続きとコウヘイは言った。
 リュウジは詳しいことは言わなかったけれど、やっぱり昨夜はコウヘイと揉めたようだ。
 オレの知らないところでリュウジがコウヘイと闘って、しかも手傷を負うなんて今までなかった。そのこと自体に、オレは腹が立つわけで。

 「リュウジ。オレが行く」
 リュウジの肩を叩いてオレが一歩前へ出た。
 「ああ? 貴様が出るのか、特攻隊長。ならばハンゾウ、行くか?」
 「……それも悪くない」
 オレの顔を薄く笑いながら見ているふたり──暗黒の総帥と特攻隊長。
 奴らを強く見返しながら、オレはマシンに戻りかけた。

 けど──
 「オイ、ハヤト。お前が行ってどうするつもりだ? 理由もなく闘うなんて俺は許さねえからな!!!」
 リュウジの怒号がオレの耳をつんざいた。オレも強い語気でリュウジに言い返す。
 「理由? あるさ。昨夜リュウジはひとりでいるときに暗黒一家にヤられたんだろ? そんな卑怯なことってないじゃないか!!! オレは怒ってる」
 「ハヤト!!! お前、冷静になれや」
 「冷静? オレ、ちゃんと冷静だ。だから真っ当に怒ってるんだ」
 「いくらハヤトでも勝手な真似は許さねえぞ!!!」
 リュウジがいきなり握った拳を開いて──平手でオレの頬をしたたかに打った。

 「────っ……」
 一瞬目の前が暗くなる感じ。そんな中で聞くリュウジの声。
 「お前、そんな場合じゃねえだろ? 今もし怪我でもしたらどうすんだ!!! どうかしてるぜ。ハヤトが喧嘩っ早くてどうすんだよ。らしくもねえ」
 「あ──」
 やっと頭が冷えた。そうだね、リュウジの言うとおりだ。
 オレは今そんな場合じゃない。確かに。反省しきりに目を開いてリュウジを見た。
 
 「ふん。内輪揉めなぞ見たところで面白くもねえ。さっさと……」
 コウヘイが苛つくのを途中で遮って、リュウジが決然と言い放つ。
 「いや、ハヤトは出ねえ。今日は誰も出ねえからな、コウヘイ!!! 昨日はあれで気が済んだんだろ? だったらもう放っておけや。ほかにに用もねえようだし」
 リュウジはいかにも機嫌悪そうに単車に戻ってシートに跨った。
 目でオレたちを促して──そしてオレたちはリュウジに従わないわけにはいかなくて。

 オレたちはそれからふたたび走り出した。海からの風は強かったけれど、オレはリュウジの平手を喰らった頬に熱さを感じていて。だからちっとも寒くなかったんだ。



   * 5 *
 
 
 「ハヤト。いよいよだな」
 「うん。緊張するね、さすがに」
 「わはははは。それがハヤトらしくねえって言うんだ」
 今日は付き添い役を買って出たリュウジが大きく笑って見せる。
 あはは、なんて一緒に笑ってみたら、多少は緊張も……ほぐれてないけど。

 ついに千晶ちゃんと玉城のユニットのライブ当日がやってきた。
 ひょんなことからオレがギターで参加することになって、練習に練習を重ねて迎えた今日なんだ。
 練習の日々の合間に走りに行って暗黒一家と揉めたとき、自ら売られた闘いを買おうとしてリュウジに叱りとばされて以後、リュウジのオレへ対する監視の目はとっても厳しくなってた。
 学校で練習するときはおろか、脱出しないようにとか言って家までついてきたりして。
 そうじゃないときは1時間おきに電話がかかってきたりして。
 しかも、最近喧嘩っ早いのは栄養が偏ってるんだって言って、カルシウムのサプリメントを飲まされたりもして。
 とにかく、リュウジはオレの世話を焼くことに必死になってたみたい。
 なんだかな。オレ、そんなに手間がかかるかな。

 そうした日々を経てきた今日。
 隣町にあるライブハウスまで、今日は駅に集まって一緒に行くことになっていた。
 真っ先についたのはリュウジとオレだった。ふたりで千晶ちゃんと玉城を待ってる。
 「でもあれだ。ハヤトは実際巧くなったよな、随分」
 「あはは。ムリに褒めても何も出ないってば。リュウジ」
 「ん? いや、そんなんじゃねえよ。俺がお世辞言えると思うか?」
 ああ、言われてみれば確かにそうかもしれない。
 それじゃ素直にいただいておこう、とリュウジに笑ってみせた。

 「やっぱりな、巧い人と一緒にやれば何でも上達するんだよな。引っ張られるってのかな。そんなんじゃねえ?」
 「ああ、確かにそれはある。基本的には玉城と千晶ちゃんがいれば成立するとこに入ってるからね、オレ。邪魔しない程度には成長しただろ?」
 「うんうん。ハヤトのおかげでいい感じになったと思うよ。ね、玉城くん?」
 「ほんとに。音に厚みができたし、隙間が埋まった分に僕も遊びでアドリブ入れられるから楽しいし」
 「お、千晶ちゃん、玉城」
 リュウジと話しているうちに、千晶ちゃんとキーボード持参の玉城──さすがにライブハウスにはピアノは置いていないんだそうだ──が到着してた。いつの間にか会話に参加してたんだ。

 「なあ、ふたりとも。ウチの特攻隊長はなかなかいいだろ?」
 「あはははは。うんうん。リュウジ、悪かったね。忙しいのに手を借りちゃって」
 「いいんだぜ、千晶ちゃん。ハヤトにとっちゃ何事も修行だからな!!!」
 リュウジが言ったのを聞きながら、玉城がオレに耳打ちをした。
 「ハヤト、君も苦労するね。大将が熱血だとさ」
 「あ、わかる? そうか、玉城のとこも森園主将がそうなんだ」
 「うん。リュウジとそっくり。他人事とは到底思えないんだよね」
 「うん? 玉城、何か言ったか?」
 「えええっ……!!! いや、何でもないよ。ね、ハヤト?」
 「そう。こっちのことだ」
 玉城とオレは慌てて手を振った。横では千晶ちゃんがくすくす笑ってる。
 リュウジはだいたい察しがついてたみたいだったけど、それ以上何も言わなかった。
 ……助かったな。
 
 「さて、それじゃそろそろ行こうか。みんな」
 千晶ちゃんの一声に、オレたちは振り返る。
 「だね」
 「了解!!」
 「よっしゃ!!! 気合い入れてけよ、お前ら!!!」
 リュウジの声は勝負の前の景気づけのよう。ある意味勝負だから合ってるか。納得。

 電車でたった2駅の距離。この辺までだったら単車で流すときにも通らないことはないんだけど、まるで遠征に来たような気分がするのは何でだろう。
 おそらくそれは、縄張り意識みたいなもんなんだろう。
 リュウジ以下オレたちは、ホームというか地元でのポジションを守ることに精一杯だ。
 だから案外、いざ地元を離れると何が待っているのかわからないっていう緊張があるのかもしれない。
 しかもオレにとっては、ステージらしいステージに立つのは初めての経験だし。

 ライブハウスの前まで辿り着いたオレは、自分のふたつの掌で両方の頬をぴしゃりと叩いてみた。
 「どうした? ハヤト。気合い入れてるのか?」
 「うん。なんか緊張してきちゃったからね」
 「わはははは。そうか。それなら俺がやってやろうか?」
 「え、あ、いや、それは遠慮しとくよ、リュウジ」
 オレはこないだリュウジに平手を喰らったのを思い出して、逃げ腰になってた。
 「そうだよ、リュウジ。せっかくハヤト目当てにチケット買ってくれた女子がいるんだからね。彼女たちにハヤトの腫れたほっぺを見せるわけにはいかないのっ」
 「え……? そうなのか? 千晶ちゃん」
 そうなんだ。オレに加勢してくれる千晶ちゃんの意外な言葉に驚いた。知らなかったな。

 「確かにね。ハヤトは今回、集客力に大いに貢献してくれたよ」
 「玉城。お前までハヤトを甘やかすんだな? 覚えておけよ、あとでどうすっか」
 「あは、リュウジ。そんなに妬くことないでしょ? いいじゃないの。仲間が人気者で何が悪いのよ」
 困ったように千晶ちゃんがリュウジの背中を叩いた。
 「いや、別に俺は妬いてるわけでも悔しいわけでも、納得いかねえわけでも……」
 「リュウジ。千晶ちゃんはそこまで言ってなかったような」
 あ~あ、かわいそうに。突っ込んだ玉城は、リュウジに思いきり睨まれてたよ。

 そんな前奏を挟んでから、オレたちはライブハウスに入っていった。
 そこは細い階段を下りきった地下2階にある老舗のライブハウスで、親父に話したらびっくりしていた。昔、同じステージに立ったことがあるんだそうだ。
 約束された時間に到着してみると、最初のリハーサルが始まったところだった。
 こういう、いくつかのバンドが出るライブっていうのは通常『逆リハ』の形が用いられるんだって玉城が教えてくれた。
 逆リハってのは、出演順が遅いほうから順にリハーサルをやる、ってこと。
 だから今リハーサル中のバンドは、本番ではオレたちの次に出演することになってるらしい。本日4つのバンドが出るうちの、オレたちの出番は2番目だそうだ。
 
 今日の催しは、高校生バンド限定ライブなんだとか。千晶ちゃんが言うには、女の子だけのバンドがひとつと、ここらじゃ同世代には割と名の知れた美形男子のバンドがひとつと、あとひとつはパンクバンドなんだって。
 音からすると、今リハ中なのはパンクバンドのようだ。
 照明を落としてあるから薄暗い客席に荷物をおろして、チューニングの準備にとりかかろうとオレはギターケースを開ける。
 
 「ん?」
 ちょうどその時オレの肩をたたく手があって、振り向いてみたらリュウジがステージに向かって指をさしてた。
 なんだろう──そう思って示す方向を見たオレの目には。
 「あ──れ? ギター、タカシじゃないか」
 そう。本日共演のパンクバンドの構成員のひとりは見知ったピンクのモヒカンだった。
 複雑そうなリュウジの横顔。
 嗚呼、こんなとこでまで奴らと遭遇しちゃうのか。オレたちは。



   * 6 *


 ライブ当日のリハーサルがたった今終わったところ。
 今日は千晶ちゃんもマイク使用だし、玉城の生ピアノじゃなくてキーボード。だからオレも自前のエレアコギターをアンプにつないで音を出した。
 ライブハウスの人に言われたことに従ったり、問われた専門用語に答えられなくて玉城に助けを求めたりしながら、どうにか乗り切った。

 終わった後に一旦楽屋へ行ってみたけど混雑していたから、リュウジとオレは外へ出てきて座り込んでいる。
 「そうか。リュウジは知ってたんだ。今日タカシのバンドと一緒だって」
 「ああ──、まあな」
 珍しく歯切れのよくないリュウジの話し方だった。
 「もしかして、こないだひとりのときにコウヘイたちと揉めたのって何か関係あるんじゃない?」
 「別にねえよ、そんなの。第一ハヤトが首を突っ込む問題じゃねえし。そんなこと心配してる場合じゃねえだろ? 本番まで集中な、ハヤト!!!」
 「あはは、了解。そうする」
 リュウジにそう返して、オレは楽屋から持ち出してきてたギターを膝にのっけてコードを鳴らしてた。こうしてるとちょこっと落ち着くのが不思議だ。
 
 さっきちょこっとリハーサルで聴いたタカシのギター。場慣れしている感があって、大したものだった。勢い重視のパンクだから高度なテクニックが要るジャンルじゃないみたいだけど、なんかこう、巧いんだなって思えるオーラが出てた。
 けどオレ、初心者に毛の生えたようなもんだし。張り合おうなんて思っていないし。
 本来負けず嫌いなオレだけど、半面開き直るもの案外得意。これが勝負だとしたら、オレがタカシに敵うわけないからね。オレはオレの道を行くことにする。

 「ああ、ここだ。ノブオ」
 「ほんとだ──あ、ハヤトさん、兄貴!!! チュ~っス!!!」
 「オウ、ダイゴ、ノブオ!!!」
 そうこうしているうちに、ふたりが陣中見舞いにきてくれた。
 「ハヤト。差し入れだ。」
 「悪いね、ダイゴ。ノブオ」
 ダイゴに差し出されたのはドーナツ屋さんの袋だった。
 「リュウジ、いただく?」
 「いや。俺はいい。それはお前ら3人への差し入れだからな!!!」
 「あはは、別にいいのに。リュウジって堅いよね」
 「ホントっス。オレ、兄貴の分もって思って、いちごのやつ選んだっスけど……」
 まあいいから、とリュウジに促されて、オレは一旦ギターとドーナツを持って楽屋へ戻った。

 「千晶ちゃん、玉城。これダイゴとノブオから差し入れだって」
 「あ~、いたいた。ハヤト。そろそろ呼びに行こうかと思ってたんだ」
 「オレ? 何かあった? 玉城」
 「うん。ちょっと曲順変えようか、って。玉城くんと相談してたとこ」
 「あ、そうなんだ。どんなふうになる?」
 「えっとね、真ん中にしてた曲、やっぱ盛り上がるからラストにしたいの。で……」
 千晶ちゃんが曲順表を指さす。玉城が鉛筆で矢印を何本か書き入れる。書き直したものをライブハウスにもう一度出さないといけないらしい。
 見守るオレは頷きながら自分用の曲順表を広げて、玉城と同じように矢印を入れて。ともすると混乱しそうになる曲名の横に出だしのコードを幾つか書き込んで。
 「そうかそうか。ここからはこっちに繋げたほうがいいのか」
 「うん。ここでMC入れたいな、って」
 ふたりの真剣な表情。よし、オレも男にならなくちゃいけないよな。

 ヘアスプレーの匂いが染みついた狭い楽屋を4分割で使う本日の出演者たち。
 オレたちの陣取ったとなりはタカシたちのものらしき荷物があった。メンバーは外出中みたいで、オレはすこし安心した。なんか顔合わせにくいような気がしてたから。

 「うん。じゃあこんな感じでいこっか」
 「だね。そしたら僕、これPAさんと照明さんに渡してくる」
 「お願いね、玉城くん。じゃああたしはお化粧の続きに戻るかな」
 玉城が書き直した曲順表を持って楽屋を出て、千晶ちゃんが鏡に向き直る。
 「それじゃオレ、リュウジたちのとこ行ってるね、千晶ちゃん」
 「うん。あ、ついでにミネラルウォーター買ってきて、玉城くんのも」
 「了解」
 そうしてオレは、もう一度外へ出る階段を上がった。

 うん──きっとこんな光景が目に入ってくるんじゃないかな、って予想はしてた。だって状況が状況だし、もういい時間だし。
 ライブハウスの前の路地には、まもなく開場時間だからお客とおぼしき人々がすでに大勢集まっていた。
 その中で人混みがあえて避けている異様な空気を醸しているあたりに、オレは確信めいた視線を送る。
 やっぱり、か。
 無視するわけにも当然いかないので、そっちに近づいていった。
 
 「これはこれは。お揃いで」
 無言のままの視線の応酬を続けている連中に外側から声をかける。
 と、3対3の睨み合いをしていた面々がそれぞれオレを振り返った。
 「ハヤト!!! 馬鹿、お前、何で出てきたんだ?」
 慌てたようにリュウジが言うのに、オレは落ち着いて答えた。
 「うん。お使い。ミネラルウォーターがいるんだって」
 「ほう。余裕だな、特攻隊長」
 「どうも。オレ、緊張しすぎると開き直る体質だからね」
 なんて言葉を返す先は──当たり前のようだけど暗黒一家のコウヘイだ。
 「今日、タカシも出るんだね。オレぜんぜん知らなくて。彼、ギター巧いな」
 オレは挨拶がわりに、純粋にタカシを讃えてみる。コウヘイは何も答えなかった。

 「オレは飛び入りだから大したことないけど、ウチのメインのふたりはコウヘイも知ってる顔だ。だから期待していいよ。ふたりとも真剣だし。いいもの聴けると思うから」
 何の偽りもなく、煽るようなつもりもなくオレは言ったんだけど。どうしたことかダイゴとノブオが慌ててオレのシャツを引っ張った。
 「ハヤト。ここは放っておいて早く買い物に行ったほうがよい」
 「そうっスよ。何もここで揉めなくたって」
 「揉める? なんで?」
 「ああ、もう。ハヤトは!!! いいから早く行けや!!!」
 なんだかわからないけど、オレは言わないほうがいいことを言ったらしいと今さら悟る。
 説明してもらったりは出来そうもない雰囲気だった。コウヘイらはオレを嫌な目つきで見ていた。仕方なくリュウジたちの言に従って場を去ろうとしたとき──
 
 「あ、総帥。ハンゾウさん、ゴンタさん──あ……」
 自分の先輩らの姿を見つけたタカシが近づいてきて、同時に目に入ったらしいオレたちに微妙な視線を寄越した。
 「タカシか。今な、鬼浜の特攻隊長が挨拶に来たところだ。お前も挨拶しておくといい」
 「そ、総帥……。いえ、今はそんな」
 「言ってもいいんだぞ。玉城のピアノで共演するギターは自分ひとりのはずだってな。特攻隊長に思い知らせてやるがいい」
 「え……?」
 何を言われているんだかわからなくて、オレは間抜けな顔をコウヘイに向けた。
 
 場の空気が揺れた。騒ぎを起こすつもりはないとは言え、リュウジは鬼気迫る表情でコウヘイを睨む。
 リュウジが何か言おうと口を開きかけるのと同時に──タカシが大声を出した。
 「総帥!!! すみませんがここは穏便に頼みます。オレにとっては大事な闘いの前なんです。大丈夫──オレ、今日は敵の特攻隊長に負けたりしませんです!!! だから今は……」
 細い体を張って、タカシはおのれの総帥に強く言ったんだ。その姿は逞しくさえ見えた。



   * 7 *


 本日のライブイベントが始まった。
 最初の出演は、地元の女の子バンドだった。
 オレたちの出番は次。楽屋で3人揃って、最後の打ち合わせをしたりしている。
 「ハヤト。ここんとこ間違えないでね。きっかけ、ハヤトからだから」
 「うん。気を付けるよ、千晶ちゃん。あとは走らないように、だよね?」
 「そうそう。抑えめに頼むよ~、特攻隊長どの」
 オレはくすりと笑って、玉城に向かって親指を立ててOKの合図を送る。

 「ハヤト、大丈夫? 緊張してない?」
 「ん。わりと平気みたい。オレって開き直るほうだからね」
 「それは心強いなあ。僕はがっちがちだからね~、いつも」
 「え~、ウソばっかり。玉城くんが緊張してる顔なんて見たことないよ」
 「あ、それ心外だな、千晶ちゃん。どうせ僕は腹話術の人形みたいな顔してますよ」
 「あはは。そんな意味じゃないってば。ごめんごめん」
 こんなふたりの会話を聞いてると、緊張してる暇なんてないかも。助かるね。

 「あのう──」
 オレたちの会話を聞いていたやつがひとり。オレがつとめて気にしないようにしていた楽屋の片隅から出てきたのはピンクのモヒカン──暗黒一家のタカシだった。
 「タカシ。どうかした?」
 タカシとはピアノ教室での幼友達だったという玉城がそう返す。
 「えっと、あの。特攻隊長」
 「ん? オレ?」
 「……はい。あの、さっきの総帥のこと。あれ、何でもないですんで」
 真実、済まなそうな表情でタカシは言う。
 「とにかく本番前にスミマセン……」
 「そっか。じゃあオレ、気にするのやめとくわ」
 いつもの敵味方ってのは、今日のオレは度外視だ。
 だって、今日はタカシとは同じステージに立つ仲間……って言ったらおかしいけど、少なくとも『同志』であることには変わりないから。
 
 「あのさ。暗黒の1年くん」
 「あ、はい? 何でしょう?」
 千晶ちゃんが問いかけるのに、かしこまった顔をタカシはしてた。
 「あんた大将に遠慮しすぎなんじゃない? 普段はいいけどさ。今日みたいなときって、どっちかって言ったら大将は脇役じゃないの。それなのにあんたが大将の尻拭いしてどうすんのよ。大きくなんなさいよ」
 千晶ちゃんが言うと、タカシは小さく肩を落としたんだ。
 「千晶ちゃん。そんなにタカシを責めちゃいけないな。タカシだって本番前だよ?」
 「あ──そうだよね、玉城くん。ごめん、言い過ぎた」
 「いえ……」
 「でも、千晶ちゃんが言うのも一理ある。タカシがコウちゃんを無条件に慕っているのはわかるけど。でもさ、もっと自己主張してもいいときもあるのかもね」
 タカシは黙ってうつむいたままだった。

 そんな様子を見ながら、オレは思っている。
 タカシと同じようにリーダーを慕う1年生のノブオは、タカシよりも恵まれているのかなって今まで感じていたんだけど、実際はどっちも変わりなく可愛がられているのかも。
 さっきのコウヘイの剣幕ときたら、すごかったから。
 それってのは可愛い後輩を思ってのことなんだろうから。
 「まあ、いいじゃん。お互い部下思いのリーダーを持つと苦労することもあるってことで納得だ。オレは」
 オレが肩をぽんと叩いて言ってやったら、タカシはなんでか目を潤ませていた。
 こいつも案外苦労してるのかもね。

 さて、本番は目前だ。
 オレは出番前にもう一度、鏡の中のオレを見直した。
 衣装は着慣れた特攻服。千晶ちゃんには笑われたけど、これがオレの闘いに挑む正装だから着ないわけにはいかないんだ。

 最初のバンドの演奏が終わって、女の子ばかりのメンバーが楽屋に戻ってきた。
 それと入れ替わりにオレたちは、いよいよ舞台袖へと向かっていく。
 最後にチューニングをもう一回確認して、それから深呼吸。

 「ハヤト。玉城くん」
 花柄のシャツのステージ衣装を着た千晶ちゃんに呼び止められてオレは振り返る。
 「よっし、気合い入れてこう!!!」
 「お~う!!!」
 「OK!!!」
 円陣を組んで、中心に向かって伸ばした手を触れあわせた。
 こういうのってどこのバンドでもやる儀式みたいなものなんだろう。
 いっぱしのバンドマンになった気がして少し優越感のオレ。 
 緊張していないと言ったら嘘になるけど、背筋にぴりっと走る戦慄みたいなものには慣れている。うん。いつもの闘いの前とそっくりだ。
 そんな風に感じたから、きっとオレはできるんだって思いこむことに成功した。
 ここで決めるのがオレだろ? オレが一番だろ?

 客席の照明が落とされて、ステージ中央の千晶ちゃんにピンスポットが当たった。
 ざわめきの止んだ客席にちらっと目を向けたけど、リュウジたちとコウヘイたちがどこにいるのかはわからなかった。
 
 「じゃあいくよ。いっせ~の」
 あはは。本番でも『いっせ~の』って言うとは思わなかったな。
 玉城のカウント出しの声がいつもとまったく一緒だったから、オレはすんなり曲に入っていけた。
 玉城の鍵盤に合わせて弦をはじく。8小節の前奏を経て、千晶ちゃんの声が乗ってくる。
 乙女な男子高校生の甘い歌声は、その場に居合わせたお客さんたちの心にきっと響くんだろうな。
 ミドルテンポの耳にやさしい1曲目から、2曲目はアップテンポの弾む曲。
 そこまで終わると千晶ちゃんのMCを挟むことになっている。
 「は~い、こんばんわ。初めての方も毎度の方もどうぞよろしくぅ!!! 今日はゲストに我らの特攻隊長・ハヤトを呼んだよ」
 なんて千晶ちゃんが言うのを承けて、オレはお辞儀なんかしてみた。すると──
 「ハヤトさぁん!!!」
 「……え?」
 意外にも客席から声を掛けられて、きょとんとしてしまった。
 「オイ!!! ハヤト、なんて顔してんだ? ビッとしろや!!!」
 「え、あ、リュウジ。えっと、了解」
 遠くから聞こえるリュウジの怒号にそう返したら──なんか受けてる。こっちは大真面目なんだから、みんな笑うことないのになあ。
 
 続く3曲目。こちらはせつない恋の歌だ。千晶ちゃんの歌唱力が冴え渡る。
 千晶ちゃんも玉城も、ずいぶんステージ慣れしているみたいだ。
 それに引っ張られるように、オレも今日は調子がいい。案外本番には強いのかも。
 ピアノ歴はかなり長いんだそうな玉城は、ところどころにアドリブを入れる。玉城の作曲による4曲目は、耳に残るコード展開がウリ。
 歌の止む間奏部分ではオレも手をとめて、玉城ひとりに場を委ねる。
 その指が生み出すきれいな旋律に、思わず一瞬聴き入ってしまうほど。

 初めて踏んだステージを、オレはすごく楽しいと感じてた。
 スモークマシンのオイルの独特な匂い。色とりどりに光るライトたち。
 それらがオレたちのために使われているっていうのが誇らしい。

 曲も進んですでに終盤にさしかかっている。この曲が終わったら、次は最後の1曲だ。 よし、最後まで突っ走るか──弦を強くピックで叩いたのがまずかったらしい……。



   * 8 *


 「え、嘘だろ……?」
 ぷつん、と手応えを感じたオレは、抱えたギターの1弦が切れたことに気付いてあわてふためいている。

 この曲のエンディングから続けてラストの曲に突入する予定で盛り上げていた最中のこと。強めのピックを当てたからなのかどうなのか。弦の切れたままのギターを鳴らし続けているオレだけど、こういうトラブルなんてはじめてだから内心おろおろしまくってる。
 上手の立ち位置から、下手の玉城に目配せしてみた。
 玉城も気付いたみたいで、あらら、って顔をしてる。
 ちょうど後ろを振り向いた千晶ちゃんも、えっ? って顔でオレを見た。

 さて、どうしたもんか。このまま最後まで行っちゃうか?
 生きてる弦はあと5本あるし──けど、ウチの構成はドラムもベースもないから、いかにラストがコードをかき鳴らすだけの派手目の曲だって言っても、ごまかしが利くかな?
 玉城がちょこっと困った顔で千晶ちゃんと視線を交わしながら、アドリブで曲を伸ばしてる。ふたりはそうしながらオレを見て──頷いた。
 うん。このまま行けって意味だ。よし、了解。
 本番にはトラブルはつきものだからね。開き直りの意地でもってオレは頷き返して、このまま最後の曲の最初の和音を作るべく、左手のポジションを構えなおした。
 
 ちょうどその時だった。
 舞台下手の袖から腰を低めた人影がステージを横切ってきて、オレの前に現れた。
 彼は手持ちのギターをオレに手渡して、オレのギターを受け取る仕草を見せる。
 オレは肩からストラップをはずして、彼に弦の切れたギターを預ける。そして彼の差し出した楽器を肩にかけた。
 そうしている間に彼は屈み込んで、アンプにつないだシールドを差し替える作業をしてくれている。

 「大丈夫ですぜ、特攻隊長。ちゃんとチューニングは合ってますんで。アコギじゃなくて悪いけど、弦は6本生きてます」
 オレを助けるための作業を素早く終えて、立ち去り際にオレに耳打ちしたのは、出番を次に控えたパンクバンドのギタリストだった。
 「ありがとう。恩に着る」
 玉城の弾くアドリブの中でそう呟いたのは、彼の耳に届いたかな。
 彼──ピンクのモヒカンのタカシに。

 タカシのギターは白のレスポール。オレのエレアコよりも重いから、肩にずっしり来る感じ。
 気を取り直して左手のポジションを決めて、オレは玉城に目配せを送る。
 さて、行こう。これが最後だ。
 アコースティックな楽器編成の3人組によるラストナンバーは、形態からは有り得ないほど熱い曲。
 ロックどころかパンクに近いのかな? 編成の限界に挑むかの如く、弾むリズムを叩くのは玉城の鍵盤。千晶ちゃんの歌も、腹の底から声を出してる感じで客席を盛り上げる。
 オレはふたりの音の隙間を縫うようにして、弦をかき鳴らした。
 照明はランダムにチェイスしながらオレたちを煽る。それにつられて進む曲のペースは、いつもより速かった。
 オレ、疾走気味かも。いや。オレだけじゃないよな。玉城も千晶ちゃんも、同じくリミッター解除と見た。
 
 ああ、最後にこの曲を持ってきたのは正解だったね。タカシのギターの音色はぴったり合ってる。いつも対立関係なのに、手助けしてくれて本当に助かった。
 なんて言うんだろ。やっぱり同胞っていうのかな。普段とは違う繋がりを感じた。
 陶酔感の合間に舞台袖に目を遣ったら、出番前のタカシのモヒカンが曲に合わせて揺れていた。

 最後の曲をどうやって締めたんだったか、もう思い出せない。
 舞台の照明が暗転して、次に客電が灯って──そしてオレたちは舞台袖に引き上げた。
 袖で待っていたタカシに借りたギターを返しながら、オレはきちんと頭を下げた。
 「タカシ。どうもありがとう。助かったよ」
 「……ああ。どういたしまして」
 なんか変な感じ。いつもだったらこんな挨拶する関係じゃないから。オレたちは。
 タカシは急いでチューニングを合わせなおすと、それっきりオレを見ようともしないでメンバーたちと言葉を交わして気合いを入れてた。さっきオレたちがやったのと同じような円陣を組んで。

 舞台袖から楽屋への通路の片隅に、オレのギターは立てかけられていた。
 驚いたことに、切れたはずの1弦は新しいものに張り替えられている。
 タカシって案外いいヤツなのかもしれないなあ……。

 最高潮の興奮を引きずったまま、オレたちは楽屋に戻った。
 「おつかれ、ハヤト。どうだった?」
 「うん。おつかれ、玉城。楽しかったよ、オレ」
 「ハヤト!!! あんたやっぱり肝っ玉が違うよ」
 「あはは、そうかな。千晶ちゃん」
 オレたちは肩をたたき合ってにこやかに、でもテンション高めのままお互いに労いの言葉を掛け合ってる。
 
 「よく乗り切ったと思う。トラブルあったのにね」
 タオルで汗を拭いながら、千晶ちゃんが言った。
 「ああ。でもアレはタカシのおかげだね。どうにかなってよかった」
 「まあね。あれでもタカシは機転がきくから」
 タカシとは古い付き合いである玉城がこう評した。
 「ふうん。暗黒の1年くんって、そんな子だったんだ」
 「そう、千晶ちゃん。あいつさ、中学のときに一緒にバンドやってたことあってさ。そのときもいろいろと。演奏は熱いくせにどっか冷静なんだよね」
 オレたちは着替えをしながら、玉城の話をしばらく聞いてた。

 そうか。前に一緒にやっていたのか。コウヘイが玉城のピアノにこだわっていたのを思い出す。
 コウヘイとタカシと玉城は、子供の頃一緒にピアノ教室に通っていた仲だったという。
 玉城のピアノと一緒にやっていいギターはタカシだけだってさっきコウヘイが言っていた。こないだ揉め事になる寸前だったきっかけはどうやらそれだったらしい。
 ふたりが認めるピアノ弾きの玉城──その腕は確かなものだってオレにもわかる。
 その腕を自分の舎弟だけのものにしたいって思ってるんだとしたら、コウヘイってああ見えてとてつもなくタカシのことを可愛がってるってことじゃないか?
 ああ、そうなんだ。今になってわかったような気がする。
 敵ながら奴らも結束、堅いんだな。

 着替えを終えて楽器をしまって、それから一息ついて。
 その後オレたちは敬意を表して、タカシたちの演奏を聞くために客席へ降りていった。
 ドラムの刻む早いビートの曲を立て続けに突っ走るタカシらのバンドは、大いに客席を湧かせている。
 飛んだり跳ねたりの演奏者。それに続く観客たち。
 なんか知らないけど、その盛り上がりの真っ只中にリュウジとノブオが巻き込まれているのを確認して、オレたちは顔を見合わせてちょこっと笑った。
 暗黒一家の面々は、前のほうの隅っこで盛り上がるでもなく冷静にタカシを見てる。
 
 確実に場慣れしているタカシの、物怖じしないプレイは正直言ってかっこよかった。
 自信満々な音。ときどき入れるコーラス。派手な動き。目を引く何かを持っている。
 曲間の静けさを狙って、千晶ちゃんがオレに耳打ちした。
 「ねえ、ハヤト。暗黒の1年くんってすごいね。彼って舞台に立つために生まれてきたのかも」
 オレもそう思う。タカシがあんなにやる男だとは思わなかった。
 ええと──今日の舞台を勝負にたとえるならば、オレはタカシに完敗だ。
 いくらか悔しい気分だけど、拍手を惜しむつもりはないよ、タカシ。



   * 9 *

 
 すべての演奏が終わったあとの、スピーカーから何の音も出ていない、しょんぼりと客電が灯っただけのライブハウスっていうのは寂しい感じがするもんだって初めて知った。
 清算を済ませて──意外とチケットが売れたそうで、自腹はほとんど切らないで済んだって玉城が言ってた──、店員さんたちに挨拶をして。
 それから一緒に出たバンドの人たちと握手したりして。
 そうしてオレと玉城は、荷物を持ってライブハウスの外へ出た。

 冬の夜がアスファルトから伝わってくるけど、外の路地を埋めてるお客さんたちはまだ熱気を残しているみたいで、オレ個人も似たようなものだったし、思ったほど寒くないのが不思議だった。
 いくつかできた人だかりを縫って、リュウジたちが近づいてくる。
 「オウ、ハヤト!!! おつかれ」
 「うん。ありがとう、リュウジ。みんなも」
 「押忍。ハヤト、なかなかよかった」
 「ホントっスね。玉城センパイも、すてきでしたよ~」
 笑顔を湛えて口々に言ってくれるオレの自慢の仲間たち。今日はほんとに有り難かった。

 「野球部の連中は? 森園主将、来てたよね?」
 「ああ、あいつらもう帰ったよな、ダイゴ」
 「確かトレーニングがてらと言って、さっき走っていったな」
 「あはは。こんな時でもランニングなんだ」
 オレは思わず笑ってしまう。
 「そうそう。そういう男だからね、森園は。でもさっき、僕には挨拶してったよ。ハヤトにはなかった? それはごめんね」
 玉城はすまなそうにそう言った。
 
 「それで? 千晶ちゃんはどうした?」
 「うん。何かさっき名刺持った女の人に声かけられてね。それで先に出てった」
 重たそうにキーボードを持ち直しながら、玉城が答える。
 「そうか。何だろうな?」
 「さあね。でも、よかったんじゃない? ほら──奴らいるから」
 顎で示した先にいる奴ら。本日出演者のひとりを応援しにきた、その物騒な人影たち。
 「オレたちは揉め事なんて日常茶飯事だけど、できたら歌い終わったあとの千晶ちゃんをかかわらせたくないから」
 
 ほら、思ったとおりだ。
 オレと一瞬視線が合ったかと思うと、コウヘイはこちらに向かってくる。ハンゾウとゴンタが付き従ってきている。タカシはまだライブハウスの中にいるみたいだ。
 「玉城」
 「なんだい? コウちゃん」
 幼友達のふたりは、それなりに笑顔で向き合った。けど、コウヘイの笑顔ってのはいつもと同じ物騒な雰囲気で。
 「今日は僕らのも聴いてくれたんでしょ?」
 「……ふん」
 「それよかさ。タカシ、巧くなったね。タカシのギター、久しぶりに聴いたけどさ。練習してるんだろうね」
 
 玉城の言葉に応えることなく、コウヘイは玉城をまっすぐ見つめて低い声を出した。
 「玉城。タカシとの約束を覚えていないのか」
 「約束?」
 「中学を出るときに言ったそうじゃねえか。タカシに、また一緒にやれるのを待っていると」
 「ああ──うん。言ったね」
 「それなのに何故、タカシではないギターと組むのだ? 筋を通せや、ゴラァァァ!!!」
 コウヘイの怒号に、そこら中にいた人たちが振り返る。
 「コウちゃん。悪いけどこんなとこで目立つのはやめとこうよ」
 「そうだ。玉城の言うとおりだぜ、コウヘイ──言いたいことがあるんならちゃんと冷静に話せばいいだろうが。ゴラァァァじゃねえだろ!!!」
 コウヘイと負けず劣らずのボリュームで叫ぶリュウジの声。
 「ちょっと──リュウジこそ落ち着いてってば」
 オレが言ったくらいじゃ収まりがつきそうにない。
 何か不穏なものを予感してか、ライブハウスの前からはだいぶ人が減っていた。

 「リュウジ。ここはいいから。これはオレとコウちゃんとタカシの問題だから」
 すでに熱くなっているリュウジの前で、両手を広げて玉城が言った。
 「ちゃんと冷静に話せるだろ? コウちゃん」
 「ふん。どうだかな。貴様のところの総隊長が邪魔をしないのならば考えるが」
 「──何だと、コウヘイ……」
 奥歯を噛み締めるような表情で、リュウジは低い声を絞り出す。
 
 「本当は、俺はもう昔のことなどどうでも構わん。おそらくタカシもそうだろう。玉城のピアノにタカシらの音楽が合うとも思わねえし」
 「だったら何でそんな、昔のことを持ち出してつっかかってくるんだ?」
 「お前は黙ってろ、ハヤト」
 つい黙っていられなくて口を出したけど──リュウジに止められた。
 「コウヘイは面白くねえだけだ。自分らの仲間だった玉城が、よりによってウチの特攻隊長と組むことが。逆恨みもいいとこだぜ」
 「余計な口を挟む気か、リュウジ。それが何を意味するか、わからん貴様ではあるまい?」
 「おう。充分承知だぜ。本番も終わったことだしな。いつハヤトに手を出されるかと肝を冷やしてたからな、俺は」
 言い放って、リュウジは熱意を込めてコウヘイを睨んだ。きつく拳を握っている。
 そうだったのか──オレ、コウヘイに狙われていたんだな。
 リュウジがそう言ったので、今さらながらに思い至った。
 それでリュウジは練習期間から今日まで、やけにオレにつきっきりだったのか。

 「ふん。それは上等じゃねえか、リュウジよ。俺等の本番はここからだな?」
 「当然!!! 移動しようぜ、コウヘイ。少なくとも俺らの舞台はここじゃねえ」
 「ちょ──リュウジ……」
 オレは慌ててリュウジの激した背中に声をぶつける。
 「黙ってろって言ってるだろうが!!! 俺はコウへイにハヤトを舐められてずっと納得できなかったんだぜ?」
 リュウジの怒りの原因はそこか──仲間思いな総隊長がにらみ付けているのは、後輩思いの敵の総帥。
 「でも今日はやめとこう、リュウジ。オレは何ともないから」
 「ハヤトの言うとおりだ。今日の主役はリュウジでもコウヘイでもなかろう?」
 「うるせえ!!! これがやらずにいられると思うのか?」
 オレやダイゴの言葉は、リュウジに一喝されて空気に凍り付く。

 「そもそも悔しくねえのかよ、ハヤト!!! お前、コウヘイに馬鹿にされてんだぜ?」
 「別にオレは悔しくなんかない」
 リュウジの激情を見て、オレはつとめて冷静に答えた。
 「だって、オレはタカシにはギターでは敵わないと思うから。足許にも及ばないからね」
 「ハヤト!!!」
 「舐められるのも当たり前だよ。玉城のピアノにはもったいないから。オレの腕前」
 「ふん。弁えてるじゃねえか? 特攻隊長」
 「ああ。それくらいはね」
 背後からかかるコウヘイの声に、オレは振り向かないで言い返す。
 「だからそれが納得いかねえってんだ!!! 自分から屈してどうする気なんだ? 俺はちっともタカシに負けてるなんて思わなかったぜ?」
 「あっはっは。リュウジ。貴様の耳はどうなっていやがるんだ?」
 「何──だと?」
 珍しいことに、コウへイは声をあげて笑った。それが確実に、リュウジの逆鱗に触れたらしかった。

 「覚悟しやがれ、コウヘイ!!!」
 言いざま、リュウジは身構えた。
 嗚呼──場所を移すことすらしないまま、ここで事を起こす気なのか!!!
 「馬鹿、リュウジやめろ!!!」
 オレは慌ててリュウジの背後に回って羽交い締めにしようと試みる。
 だって、こんなとこで喧嘩なんかしたら、玉城たちが次からここで演奏できなくなっちゃうんじゃないか?
 リュウジの力強い腕は、いとも簡単にオレの戒めなんか解いてしまいそうになる。
 「リュウジ、頼むから──」
 オレが泣きそうになりながらリュウジに言ったのと時を同じくして。

 「総帥!!!」
 悲鳴に近い甲高い声が、裏通りのライブハウス前に轟いた。
 地下から通じる階段を上がってくるなり事に感づいたらしいその声の主は、リュウジとコウヘイが火花を散らす真っ只中へと躍り込む。
 「頼みます。拳を下げてください。おふたりとも、どうかここは……」
 きっぱりとそう言って、ピンクのモヒカンはコウヘイに深く頭を下げ、続いてリュウジにも頭を下げて。
 それだけに飽きたらず、両者の間のアスファルトに崩れるように膝をついて土下座をしたのだった。

 「タカシ──?」
 おのれのリーダーに名を呼ばれるも、顔を上げようともせずにタカシは言い募る。
 「総帥がオレのことを思ってくださっているのはわかってます。けど、だったらここで騒ぎを起こさないでください」
 中途半端になってしまった拳をコウヘイは一旦収める。さすがに割って入られたとあってリュウジも面白くなさそうではあったが、しかたなしに一歩下がった。

 「総帥。ここはオレの戦場でも聖地でもあるところなんです。オレ、またここへ出て、ここから大きくなるのが夢なんです。だから頼みます」
 「俺に指図するつもりか? 俺がそれを飲むと思うのか? タカシよ」
 「総帥がどうする気なのかはわかりません。けどここは退けません。いくら総帥でも」
 「だったらどうするのだ? タカシ」
 「それならば……失礼します!!!」
 弾かれたように立ち上がって姿勢を正したかと思うと、タカシは腰を折って一礼をして

 ──コウヘイの頬を開いた掌で打った!!
 ──すぐさま回れ右したかと思うと、今度はリュウジの頬にも……。

 相次いで『ピシャリ』と聞こえたふたつの乾いた音に、一同は呆気にとられてしまった。
 今日聞いたどんな音よりも、それは魂のこもった音だったかもしれない。
 改めてオレは思う。
 今日のオレは、タカシに完全に敗北したと言わざるを得ないな、そんなふうに。

 玉城を含めたオレたちは、5人で空いた電車に揺られている。
 向かいの座席に座ったリュウジの脇にはにはダイゴがいる。こんなとき、ダイゴは黙ったまま隣にいてくれるだけで気持ちが落ち着くのをオレも知っている。だからリュウジのことはダイゴに任せておいたらいいんだろう。
 
 オレの両脇にはノブオと玉城が座っている。
 黙っているのも落ち着かなくて、オレはノブオを相手に話し出した。
 「な、ノブオ」
 「はい? ハヤトさん」
 「あのさ。タカシって時々すごいんだな」
 「ええ……。正直言って、自分とこのリーダーに手を出すなんてオレだったら考えもつきませんね」
 「だよな。オレだって、リュウジに平手なんて絶対ムリだ」
 あはは、とオレは力無く笑った。

 「うん。でもさ、タカシって昔からそういうとこあるから」
 ふたりの幼い頃を知る玉城が、遠い目をしながら話した。
 「ああ見えて、自分の分野には一線を引くからね。今日のコウヘイは、タカシの陣地で勝手に喧嘩しようとしたようなもんだから」
 「それはわかるけどさ。それでもコウヘイに楯突くなんて思ってもみなかった」
 「ああ──でも、暴走したコウちゃんを止められるのってタカシだけだった。自分から殴られに行って、それでコウちゃんの怒りを静めたりとか」
 「あいつ、案外冷静で頭脳派だったんっスね。玉城さん」
 「頭脳派……そりゃどうかな。わりと本能だと思ってたけどね、僕は」
 元来本能でコウヘイを止める男・タカシの今日の行動は、少なくとも確固とした意志によるものなんだろう。
 「どっちにしても、オレはあいつには負けたな。今日は」
 ほんのり笑って口にした言葉には、嘘もなく、悔しさもなく。ただ素直にそう思えた。
 車窓の外で鳴ってる踏切の警告音がやたらと耳に残っている。

 ライブハウスからは2駅の鬼浜町。ひとつめの駅を過ぎたから、家につくまであと少し。
 改札を通るまでにはリュウジの気分も少しは落ち着いてるかな。
 そうだったらオレは、別れ際にリュウジにちゃんと言わないといけない。
 今日はありがとう、と。
 練習をはじめてから今日までのこともありがとう、と。
 もしもいつかまたこんな機会があったら、その時こそリュウジに悔しい思いをさせないようにするから、と。
 心の中でいくつかの言葉を準備しながら、窓の外の景色が流れるのを見る。
 
 そして、電車は鬼浜駅の構内へ滑り込もうとしていた。
 ちらりとリュウジのほうを見たら視線があった。
 その表情は、もういつもと変わらない晴れ晴れした顔で。
 よし。改札を抜けたら本番だ。
 オレはリハーサルしてた言葉のうちのいくつかをリュウジに向けて放つつもりで、座席から立ち上がって肩に愛用のギターを担いだんだ。
 


   * 完 *


各話御案内/新米教官の自尊心


 新米教官の自尊心 1

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