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自転車狂詩曲

   * 1 *


 もうすっかり秋も深まってきた今日このごろ。吹き抜ける風も冷たさを帯びてきてる。
 さっきも帰り道、そろそろこたつを出す頃かな、なんてリュウジと言い合ってた。
 そんな中でもさすがに小学生ってなもんで、近所に住んでるケイタは今日も元気に半ズボンでオレの家に現れた。膝小僧がかわいいな。
 「元気だなあ、ケイタ。寒くないの?」
 「ぜんっぜん!!」
 ふっくらした頬がピンク色。まったく、オレも何年か前はこんなんだったのかな。

 「それで? 今日はどうした?」
 「うん。あのさあ、ハヤトにたのみたいことがあってね」
 「そっか。よしよし、聞いてあげよう」
 「ほんと? わ~い、ありがとハヤト」
 ケイタはオレに懐いてる子だ。弟がいたらこんな感じなのかもな、ってときどき思う。 ちなみにケイタの仲良しの友達・カズマくんの兄さんは、ハンゾウだったりする。

 「あのさ、ぼく大きくなったらバイク乗るっていったでしょ?」
 「ああ。オレが教えてあげる約束だったからね」
 「うん。それでね、あの──ちょっとはずかしいんだけどね」
 ケイタは上目遣いにオレを見た。そして背伸びをして、オレの耳許に内緒話の要領で囁く。
 「ぼく、実はまだ自転車のれないんだ」
 「え──自転車?」
 「うん。あのね、こないだカズマにいわれた。バイク乗るんだったら自転車くらい乗れないと話になんない、って」
 「……ああ、でも──」

 実はオレ、ちょっとたじろいでいたりする。でもそんなことに気付く様子もないケイタは、当たり前のようにこう続けた。
 「だからね、ぼく、自転車乗れるように特訓してほしいんだ、ハヤトに」
 「え──ああ、まあ、そうだね。そうかもしれないな、うん」
 「でしょ? だから教えてくれる?」
 くりくりっとしたケイタの目が、オレにすがりついてきた。
 それを見たオレの、オレへの命令──ウマイ事言ッテ切リ抜ケロ!!!

 「あ~~~、ケイタ。ごめんな。今日はオレ、ちょっと都合悪いんだ。ほら、あのさ、今日はリュウジたちと集会ってか会議ってか、なんかまあそんなことになってて、急いでる。だからその件は、また今度にしてくれるかな?」
 嗚呼、きっとオレ、声がうわずってただろうな。相手が素直な子供でほんとに助かったって具合だ。
 「え~、そうなんだ。んじゃあしょうがないよね。そしたらさ、またこんど教えてくれるよね」
 「うん、ケイタ。約束だ」
 「ぜったいだよ?」
 「当然。一度した約束を破ったりしたら、リュウジに叱られるからね」
 「きゃはははは。それじゃ安心だね!! じゃあまた来るね、ハヤト」
 「そうだね、そうしてよ」
 ばいばい、と手を振ってから道を走って去っていくケイタの後ろ姿を見つめて、オレはごめんと謝った。
 ほんとのこと言って──今のオレにはその約束を果たせる能力はないんだ……。

 幼稚園にあがる年齢になるより前から、オレが親父に教えてもらって乗ってたのはポケバイだった。
 ときどきはサーキットに連れて行かれて、レースなんかにも出てたな。
 その頃から誰にも負けないっていう意志はあったんだ、オレ。
 ……って、そんなことはこの際どうでもよくて。
 そんな子供時代を経てきたオレの生活には、自転車が入る余地なんて皆無だった──って、これは言い訳かな?
 そうなんだ。オレ、自転車って乗れないんだ。たぶん。

 たぶんと言ったのは、ろくに乗ったためしがないから。昔からウチには自転車ってそう言えばなかった。
 一度も乗ったことがないわけじゃない。ちょうどケイタくらいの歳のときに、やっぱり友達連中に誘われて、友達の自転車を借りたことがあった。
 たしか派手にすっころんだ記憶があるな。
 それから中学のときにもやっぱりそういう話になって。その時はほんの少しだけなら直進はできたと思う。いや、曖昧だけど……。

 要するに、オレは自転車に乗れない男だってのが今現在の動かし難い事実。
 ケイタ、きっと明日もウチに来るんだろうな。正直に乗れないって言うのもちょっとためらわれるし、けど嘘つくのも何だし。
 よし──とりあえずケイタと数日、顔を合わせないようにしよう、ってオレは考えた。
 しかもそれだけじゃなくて。ケイタに自転車教えてあげる約束をしちゃったから、どうにかその資格を身につけないといけない。
 ここはひとつリュウジに相談してみようかな、って思いついたんだ。

 やれやれ。子分を持つのもラクじゃないね。なんて。
 とにかくオレは速攻で自分の部屋に行って、数日分の着替えやらを大きな鞄に詰め込んでから、ふたたび外へ出ることにした。
 出がけに店先で、お客に預かった単車のマフラーをいじってた親父にオレは言う。
 「ちょっと出てくる。もしかしたら数日帰らないかも。目的を達成するまで帰れないと思う。ケイタが来たら忙しいって言っといて」
 「おや? 家出か? 我が放蕩息子よ」
 のほほん、とした声を親父は出した。
 そう、親父はさっきのオレとケイタの話はしっかり聞いてた。しかもオレが自転車に乗れないのを知っている。
 「──誰のせいだよ、もう。そもそも何でウチには自転車ないんだ?」
 「必要ないからだろうな、やっぱり」
 ……これだよ。親父ときたら、しらばっくれてあごひげをいじってる。

 「あのさ、ひとつ訊いてもいい?」
 「なんだ? 我が自慢の放蕩息子」
 「親父ってさ、自転車乗れる?」 
 あっはっは、と口を大きく開けて親父は笑ったんだ。
 「当たり前だろ? じいちゃんが教えてくれたからな」
 「……親父、ちょっとはじいちゃんを見習ってくれたらよかったのに」
 「俺は俺の道をゆくんだ。悪いか?」
 もう答える気にもならなくて、オレは鞄を抱えなおして外へ出た。

 ガレージから大急ぎで単車を引きずり出してエンジンをかける。
 別に誰に見られてもまずいことなんてしてないんだけど、どことなくやましい気分なのはケイタに対する自責の念なのかな。
 オレのマシンは今日もいい音してる。それが今のオレにはちょっとばっかり忌々しいな。
 ──嗚呼、お前にばかりかまけてた代償がきたよ。
 ため息まじりにマシンに向かって呟いて、それからオレは走り出したんだ。
 
 そうだ。オレ、ケイタにはリュウジと会議って言ったもんな。そしたら今からリュウジに会ったらその点は実質嘘じゃなくなるってわけだ。
 向かい風に顔をしかめて、自分に言い訳してるオレ。
 やっぱりちょっと後ろめたいみたいだ。



   * 2 *


 「よう、リュウジ」
 リュウジの部屋の窓の下まで単車をつけると、おそらくマシンのエンジン音を聞いてそれとわかったリュウジが窓を開けてくれた。読みかけらしい雑誌を手に持ったまま見下ろすリュウジにオレは手を振る。
 「どうかしたか、ハヤト」
 「ああ。実はオレ、リュウジに折り入って頼みがある」
 「頼み? 何だ、言ってみろや」
 「いや──大きな声では……」
 「ん? おかしな奴だな、ハヤト」
 なんて言いながらも、リュウジはそのまま外へ出てきてくれた。

 「つーかハヤト。まるで家出でもするみてえだな」
 単車のリアにくくりつけた荷物を見るなり、リュウジの第一声がそれだった。
 「ああ。親父にも同じこと言われた」
 「わはははは。気が合うなあ。親父さんと」
 「って、そんな場合じゃなくって、リュウジ」
 「ああ、そうか。で、何だ? 頼みってのは」
 「うん。あのさ、オレを自転車に乗れるように特訓してくれないか?」
 オレに対してさっきケイタが言ったこととまったく同じ頼みを、こんな歳になって口にしなけりゃいけないオレ。どうか哀れんでほしい。
 「え──自転車だと?」
 そしてオレはかくかくしかじか──こんな荷物を持って前向きな家出を決意するまでの経緯をリュウジに話して聞かせた。
 
 話の途中で招き入れられたリュウジの部屋。こうなった理由とオレの意志とをひととおり理解してくれたリュウジは、腕組みしたまま眉間にしわを寄せていた。
 「なるほどな。俺、ちっとも知らなかったぜ。まさかハヤトが自転車に乗れないなんてよ」
 「乗れないっていうか、真剣に乗ったことないっていうか、本気で練習したことないっていうか……」
 「どれだって一緒だろ? 現に困ってるんだから」
 「まあね」
 オレはため息を禁じ得ない。我が身の情けなさへのため息だ。
 
 「でもな、ハヤト。自転車に乗れるようになるまでってのは、努力と根性と汗と涙と擦り傷の結晶なんだぜ?」
 「擦り傷──ああ、なんとなく予想つくな」
 「正直言って、あれは物心つく前に覚えとくもんだ。その方が恐怖感ねえからな」
 「うん。オレもそう思った。中学のときにね」
 「わかってるなら話は早いけどな」
 リュウジはこくりと首を縦に振ったんだ。

 「よし。それでもハヤトは自転車に乗れるようになるつもりなんだな?」
 「もちろんそのつもり。だってケイタと約束したからね」
 「そしたら──覚悟はできてるな?」
 「あ、ある程度だったら……」
 「まあ、そんなら大丈夫だろ。たとえ転んだって、コウヘイに殴られたこと思い出せばどってことねえ痛みだろうからな!!!」
 「え、いや、あれは必死だったから」
 「ハヤト、そしたら自転車は必死じゃねえのかよ!!!」
 「あ──」
 そうだった。オレ、痛いことなんて関係ないくらい必死にならなきゃいけないんだった。

 「──だろう?」
 オレの意識の変化みたいのが、リュウジには伝わったみたい。
 「そしたら、どっか人目につかねえとこで練習すっか。付き合ってやるよ」
 「悪い、リュウジ。恩に着る」
 リュウジに向かって拝むように手を合わせた。
 「でさ、ついでと言ったら何だけど、オレ、目的達成するまで家に帰らないつもりなんだ。その間、リュウジのとこに泊めてもらってもいい?」
 「いや、それはここよりいいとこがあるな」
 「え──?」
 「人目につかなくて、間違ってもケイタが来そうもないとこ。お誂え向きに舗装された場所まで完備。でもって、宿泊も可能となったらあそこ以外にゃ有り得ねえ」
 「あそこって?」
 「鬼浜寺。ダイゴんとこだ」
 ああ、なるほど。確かにリュウジの言うとおりだ。あそこだったらいろんな意味で安心かもしれない。
 
 「そしたら俺、ダイゴに電話で掛け合うわ。ちょっと待ってろな、ハヤト」
 「うん。頼む。悪いな、リュウジ」
 「いいってことよ!!! 俺だってハヤトを自転車ぐらい乗れるようにしてやりてえからな」
 あの──リュウジ、なんかむやみに目がきらきらしてるのはオレの見間違いか?

 とにかく、リュウジは電話をとった。ダイヤルしてしばらく待つ。と──
 「オウ、オレだ。リュウジ──って、あれ? なんだお前、ノブオか?」
 おいおい、リュウジ間違えてるじゃん!!!
 「まあいいや。ついでだしな。ノブオ、いま暇か? だったらちょうどいいぜ。お前も今からダイゴんとこ集合な!!! 理由? 来りゃわかるぜ。ああ。んじゃまたあとで」
 まくし立ててリュウジは電話を切った。
 「ノブオも来るってさ。よかったな、ハヤト。みんなで応援するぜ!!!」
 「……間違えただけじゃん」
 「わはははは、そんなこと気にすんな!!! んじゃ気を取り直して──と」
 
 ふたたび電話を手にしたリュウジは、今度こそダイゴとつながったようだった。
 首尾よく約束をとりつけてくれたから、あとはもうオレが気合い入れるだけ。
 リュウジの部屋を出るころには、オレはもう覚悟ができてた。

 転んでも泣いたりしない。
 擦りむいても痛くなんかない。
 絶対乗れるようにならなくちゃ。そうじゃなきゃ帰れないんだから──そんな数々の自己暗示をかけてみようと努力してる。
 リュウジとふたりで単車に乗って、ダイゴの家の鬼浜寺を目指してる途中のことだ。
 
 単車だったらエンジンあるから、よっぽどのことがなければ転ぶことなんてない。
 それでもオレはあえて危険を冒しにゆくところ。
 赤ジャージに負けないくらい熱血指導者な予感をはらんだリュウジは、オレの前を単車で走りながらときどき振り返ってくる。

 「逃げないってば。もうオレ、観念してるから」
 信号待ちでそう返したら、リュウジは満足そうな顔をした。
 きっと今ごろ、オレのスケジュールか何かを勝手に考えてるんだろう。
 リュウジの中では何時間受講したら卒検ってことになってるかな、とか想像しながら青に変わるのを待つ。
 足止めを食ってるオレたちの横を、自転車の女子中学生がすり抜けてく。
 彼女にも辛い練習期間があったに違いないんだよな。
 よし、オレもがんばろうかな──って思ったとこでちょうど青になった信号を、オレは無意味ににらみ付けていた。



   * 3 *
 
 
 「あのさ、補助輪ってんだっけ? あれついてるのってないの?」
 いきなり乗ってみるようにと実車を渡されて、オレは少なからずたじろいでいた。
 「すまんな、ハヤト。あいにく家にはこういう自転車しか置いておらん」
 「てゆーかダイゴさん、それ普通ですからね~」
 「オラ、ハヤト!!! なんでもいいから試しに乗ってみろや。ちょこっとだけでいいからよ」
 「ああ、うん。それじゃあ──」
 自信なく頷いて、それからオレはおそるおそる足を置いたペダルを漕いでみようと試みた。

 今日はここ、鬼浜寺でオレのための特訓が開催されている。
 敷地内の、お墓参りに来る人のための駐車場がオレの鍛錬の場だ。平日の夕方とあって、車の姿はひとつもなかった。
 特訓の目指すところはオレが自転車に乗れるようになること、この一点。
 子供の頃から単位=馬力の二輪車にしか馴染みのなかったオレが、単位=自力──しかも決まって1人力だ──の二輪車に挑戦することになった経緯は、手っ取り早く言えばプライドと嘘をつかない意志のたまもの。

 とにかくオレは3人に見守られながら、サドルに腰掛けて右足をペダルに乗せた。
 ペダルを動かすと、それにつれて車輪が前に進む。
 「あ、動いた」
 「当たり前だろ!!! だって動かしたんだからよ」
 「そりゃリュウジには当たり前かもしれないけどさ。オレには馴染みがないから」
 「ハヤト。しゃべっていると危ないぞ?」
 「そうっスよ~。いいから、ほら、左足も地面から離して」
 ノブオに言われて、オレはちょっと悩んでから右足も地面に戻した。

 「左足もって、どのタイミングで離せばいいのかわかんない。だって、両足とも地面から離したら確実に転ぶよな?」
 「だからハヤト、転ばねえように漕ぐんだろ? 漕いでる限りは倒れねえもん。ちょっと貸してみろ」
 言ってリュウジはオレを自転車から降ろして、自分がサドルに跨った。
 「ほら、こうだろ? で、ちょっと進んで勢いついたらこんどはこっちの足をペダルに乗せて──でもって、こんな感じだって」
 鮮やかに──とオレには見えた──リュウジが自転車を操るさまを見せつけられて、オレは感心してしまった。そのまま駐車場を大きく一周してもとの位置に戻ってくる。

 「お~、リュウジかっこいいな」
 「わはははは、これが普通だぜ。なあ、ダイゴ? ノブオ?」
 「その通りっス。ああ、でも兄貴はかっこいいっスけどね~」
 「押忍。ハヤトは理屈で考えすぎているのでは? 理屈が先行する歳になってからだと確かに大変かもしれんな。体が覚えれば大したことはないのだが」
 「うん。そうは思う。転んじゃいけないって意識あるからね」
 ほんとにこれって、子供時代に覚えておくべきだったよな。ちきしょう、親父め。

 「でもハヤトさん。誰だって最初は転びますからね~」
 「ノブオの言うとおりだぜ!! 転ばなきゃ覚えないからな」
 「そっか。そうだよな」
 「第一、転んだとこで大したダメージねえだろ? 自転車の練習にライダースーツ着用なんて聞いたことねえぜ、俺」
 「あはははは。だって、安全だろ? リュウジ」
 たしかにリュウジの言ったとおり。オレのいでたちはつなぎのライダースーツだ。ほんとはメットとグローブも持ってくるかどうかも悩んだとこだった。
 「けれどもいきなり転ぶことを念頭においては辛いだろう、ハヤト。俺が後ろを支えておいてやろう」
 ダイゴがそう言って、自転車のリアに手を添えてくれた。
 「ほら、これなら転ぶ心配はないので」
 「ありがと、ダイゴ。なんか安心だな」
 それじゃあ気を取り直して、ということで。

 ダイゴが後ろを支えてくれているという安心感があったから、それからの練習はそれなりに進んでいった。
 「右足を乗せて、ちょっと漕いだら左足──と」
 「そうだ、ハヤト。両足を乗せたら間を空けずに漕ぐ」
 「了解、ダイゴ」
 全身の筋肉が硬くなっているのを感じた。視界は極端に狭くて、まっすぐ前を見る余裕しかない。
 おそるおそるペダルを漕ぎ進むオレ。太股に不自然な力が入っている。
 すこし離れたところまで来たころには、なんだか汗ばんでいるのを感じてた。
 
 ダイゴについてもらってよたよたと自転車を操って、どうにかこうにか駐車場を小さめに一周してもといたところに戻ってきて一旦停止。
 緊張のせいか、心臓がどきどきしてる。
 「ハヤト!! ちっとは速度上げてけや。あんまゆっくりだとそれだけ倒れやすいぜ」
 「え、そんなもんか? だってスピード出したらいざって時に止まれないだろ?」
 「ダメっすよ、いざって時のことばっかり考えてちゃ。いいっスか、ハヤトさん? 自転車乗れるようになるまでって誰でも痛い思いをするもんなんですから」
 「そう……だよな、ノブオ」
 自転車道の先輩たちのアドバイスを受けて、オレはいちいち頷いた。
 頭には入ってくるけど、体に解らせてやるにはもうちょっとかかりそうだな。
 「よし。ではハヤト。今度はもう少し速度を上げてみよう。大丈夫だ、お主は最速なのだろう?」
 「あはは。まあね。単車だったらちょっとはね」
 「押忍。それは幸いだ。そのスピード感を思い出せばいい。エンジンの代わりがおのれの足になっただけゆえ」
 「え~と、チューンするのに時間かかってもいい?」
 冗談めかして言ってみた。まあ、お許しはもらえなかったんだけどね。

 ダイゴについてもらって駐車場を何周かして、なんか肩が凝ったなって思ったころに一旦小休止を挟んでもらって。
 それから、今度はダイゴに代わってリュウジが後ろについてくれた。
 そしたら──リュウジってばスパルタで。
 駐車場を半周したとこで違和感を感じたから後ろに向かって話しかけてみた。けど、反応なしで。
 あれ、って思ったときには遅かった。
 「って、うわ~!!!」
 ……転んだ。しかも派手に。
 
 「リュウジ、なんで手を離すんだよ……」
 オレは擦りむいた手の甲を舐めながらリュウジに言った。
 「わはははは、それが愛の鞭ってやつだぜ!!!」
 「うわ、兄貴の愛の鞭!! ハヤトさん、幸せ者っスね~」
 「……どうもね、ノブオ」
 「けれども推定5mは直進できていたな、ハヤト」
 にこりと頬を緩ませて、ダイゴが褒めてくれた。
 「だろう? これくらいしねえとダメだ、こういうのは。ダイゴ」
 「押忍、リュウジ。肝に銘じておこう」
 「ええと、せめてダイゴには優しくしてほしいんだけど……」
 「甘えちゃダメっス、ハヤトさん!!!」
 「はいはい、了解」

 そんなわけで、練習は暗くなるまで続いたんだ。
 本日の成果は──転倒6回。頬とか、ライダースーツにかばわれていないところにいくつも擦り傷作ったよ。



   * 4 *


 夕方までの特訓を終えて、リュウジとノブオは自宅へ引き上げた。
 オレは自在に自転車を操れるようになるまで家には帰らない覚悟で出てきたから、そのままダイゴのところに泊めてもらうことになっている。
 
 風呂を借りたら、傷がお湯に沁みた。
 傷がないところも痣ができていたり、やけにいろんな筋肉が張ったりしてるのがわかる。
 それから図々しくも夕飯をご馳走になって。

 そして今、ダイゴの部屋に到着したところ。
 「ああ、なんかダイゴの部屋って久しぶりに来たかも」
 「そうだったか? ああ、大勢のときは広い部屋へ通ってもうらうからな」
 「うん。夏にみんなで押し掛けたときもそうだったしね」
 居心地がよくて落ち着くダイゴの部屋。
 しっかりと片づいていて、物が少ないわけじゃないけれどすっきりした印象だ。
 
 「相変わらずきれいにしてるなあ、ダイゴ」
 「うん? そうだろうか」
 「オレの部屋なんかとんでもなく荒れてるもん。ガラクタとかおもちゃとかつい増えるから。でもまあ、リュウジのとこも大差ないけどね」
 「ああ」
 と言ってダイゴはちょっと笑った。
 「リュウジのところは、あれは物が多すぎるのだろうな。雑誌とかな」
 「そうそう。捨てられないらしいんだよね、雑誌。暇つぶしに買ったどうでもいいやつもなかなか捨てられないって言ってた」
 「わかるような気もするな」
 「でもって、必要なものはしまい込んで見つけられないんだって」
 そう言いながら、そんなリュウジの姿を想像して吹き出した。ダイゴもつられて笑ってる。
 
 「その点、ダイゴは見上げたもんだね。几帳面でさ」
 「そうか? まあ、そういう性分なのだろうな」
 オレが見つけたのは、本棚に並べてある小学校からの文集の列だった。
 「こんなのも、ちゃんと古いのから順番なんだよね、きっと」
 「ああ。おそらくそうなっているな」
 「ちょっと見てもいい?」
 ダイゴが頷くのを確認してからオレが適当に手に取ったのは、小学校5年生のときの文集だった。表紙には『希望』って題字が書いてある。
 「おう、懐かしいな。置きっぱなしにして久しいから。そうだ、5年生だとリュウジの作文も載っているはずだな」
 「へえ。同じクラスだったんだ」
 「押忍──ああ、これだ」
 ページをめくるダイゴの太い指が止まった。示す先は、やたらと大きな字で書いてある元気のいい印象の文章。
 「どれどれ」
 オレはダイゴと首をつきあわせて、リュウジの作文を読んでみた。
 
 『こないだ会ったなまいきなやつ』
 ふつう文集ってのは将来のゆめとかそんなのを書くもんだけど、おれはそんな遠い未来とかには今はきょうみがない。
 そんなことより、こないだあったわすれちゃいけねえことを書きのこしておきたい。
 ダイゴといっしょに学校から帰るとちゅう、おれはそいつに会った。
 そいつは別の学校のやつで、はじめて会ったのに、いきなりおれをにらみつけてきた。
 おれは「なんか用か」って聞いたんだけど、そいつはおれを見てにやにやしてた。
 それで、「用がないんだったらそんなふうに見るな」って言ったら、そいつは「ぼくに命令するつもりなのか」とか言って、急になぐりかかってきた。
 なんかよくわかんないまま、けんかになった。
 おれだって頭にきてたからがんばったんだけど、そいつもけっこう強かったんで決着がつかなかった。
 そしたらダイゴが「まかせておけ」って言ってくれて、そいつに、じゅう道のわざをかけてくれた。おれとそいつはおなじぐらいの強さだったけど、ダイゴはもっと強かった。
 それでそいつはにげてった。おれはダイゴをそんけいした。
 おれが言いたいことは、ダイゴは強いっていうことと、それから意味もわからずに他人をにらみつけたりそういう人にだけはなるもんかっていうことだ。
 けんかしちゃいけないってことじゃない。
 ただ、無意味にけんかを売るような男にはなるもんかって思った。
 それでもって、いつかはだれにも負けない、ダイゴにだって負けない強い男になってやる、ってそのときそう決心した。だからあのなまいきなやつと会ったことは、おれにはいいことだったのかもしれない。
 大きくなったらどういう人になりたいかと聞かれたら、おれはこう答えることにする。
 おれは、男の中の男になりたい。

 「へえ。男の中の男か」
 ひととおり読み下したオレは、小学生らしく平仮名ばっかりの大きな字で書かれた作文にリュウジの過去を見た気がしてた。
 「こんなことがあったんだ、ダイゴ?」
 「あったのだろうな。記憶にはないが」
 「ふうん。そう」
 「けれどそういえば、ある日を境にリュウジは逞しくなったように感じたな、俺は」
 「じゃあこれがきっかけだったんだ、きっと」
 「そうかもな。実際その頃、柔道技もいくつか教えたことがある」
 「なるほどね。転機ってやつだ」
 「押忍。おそらくは」
 とはいえ、リュウジがこのことを今でも覚えているのかどうなのか。
 何にせよ、小学生時代のリュウジを垣間見たオレの感想は──
 「リュウジって変わんないね。今でも」
 「そうだな。あの性分は一生ものだろう」
 ダイゴと頷きあってみた。

 「でさ、このなまいきなやつってのがさ、もしかしてコウヘイだったら笑うよな」
 とか言ってみたら、ダイゴが難しい顔をした。
 「案外そうかもしれんぞ、ハヤト。しかもコウヘイのほうは覚えていたりするのかも」
 「あはははは。コウヘイ、執念深そうだからね」
 とか冗談交じりにオレは笑ってみたけど、ダイゴはひとり神妙な顔をしてた。

 それからオレは、めくった次のページにダイゴの書いた作文を見つけた。
 いつも冷静なダイゴなのに、その時はあわててオレから文集を取り上げようとしたのがおかしかった。
 「なんだよ、そんな恥ずかしがることじゃないだろ?」
 「いや──やはり照れるので」
 「いいじゃん。リュウジのだけ読んだのがリュウジにバレたら、きっと怒るよ?」
 「そうか……」
 いくぶん視線を外したダイゴは観念したみたいに、オレの好きにさせてくれた。

 ダイゴの書いた作文は『写経と柔道』って題がついてた。
 どっち心を落ち着けてやらないといけないから、お互いにいい作用を及ぼしあっていると思われて、とてもいい修行になるっていう内容だった。
 達筆なのは子供の頃からだったみたいで、文章も整っていた。
 ぜんぜん記憶ないけど、オレはこれくらいの頃どんな作文を書いていたんだろう。なんとなく郷愁を呼び覚まされる感じだ。
 よし、オレも家に帰ったら押し入れを探してみようかな。
 その為には自転車に乗れるようにならないといけないんだよな……。
 急に現実に引き戻されたオレは、昔のリュウジみたいに頑張ってみようかなと思ってた。



   * 5 *

 
 いつもだったらリュウジが窓の外でオレを呼ぶ声で目を覚ますんだけど、今日はダイゴに揺すり起こされた。
 ぼんやりと目を覚まして見たのは、見慣れない天井だった。
 ああそうか、とオレはダイゴの家に泊めてもらってたのを思い出して、ダイゴにおはようと答えた。
 いつのも時間になると、ご丁寧にリュウジがここまで迎えに来た。
 呼ばれてオレたちが外へ出たら、リュウジはここらに住み着いてる猫たちに囲まれてうれしそうな顔してた。

 そして放課後は、また鬼浜寺まで戻ってきての自転車特訓だ。昨日と同じくライダースーツに着替えて、オレは教官3人の待つ駐車場へと向かった。
 「ハヤトさん、筋肉痛とか大丈夫っスか?」
 「うん。それなりにきてるな」
 「力入れすぎてんだよ、ハヤトは」
 「押忍。逆に力を抜いた方が真っ直ぐに走れると思う。周囲にも目がいくだろうし」
 「そ──か。でもさ、緊張しちゃうからどうしてもね」
 「わからなくもねえけどな。そのうち慣れるだろ。そうじゃないと困るよな、ダイゴ?」
 「いや、俺は別に」
 「ああ、そうか。いつまでもお邪魔してられないか。悪いね、ダイゴ。きっと今日も帰れない」
 「そしたら、明日は帰れるようにがんばりましょうぜ、ハヤトさん」
 「了解!!」
 
 そして今日もオレは、自転車道を究めようと気合いを入れる。
 最初はダイゴに後ろを支えてもらいながら走り出して、任意のところで手を離してもらう。
 そしたらいくらかは自走できて、でもダイゴがいないことに気付くとそこで安定感を欠いて、足をつくタイミングが合わないと転ぶ。それを繰り返し繰り返し。

 カーブがうまくいかなくて何度目かに転んだとき、リュウジが大きくこう言った。
 「あ~、惜しい。ハヤト、いまけっこう長いこと走れてたのに。ダイゴが手ぇ離してたのわかってただろ?」
 「うん。なんとなくね。でもまだ直進が関の山だよ」
 「そうっスね~。やっぱりカーブが苦手っぽいっスね」
 「押忍。俺がついていてやっている時もそうだが、ハヤトはカーブで体を倒しすぎているのではないか?」
 「あ、それオレも見てて思いましたよ、ハヤトさん」
 「え? そう? 自覚ないけど」
 「ああ。そうか。ハヤトはアレだ。チビの頃から単車乗りだからな。単車のときの感覚が染みついてるんだろ、体に」
 納得、ってな表情でリュウジが言った。
 「うん。言われてみればそうかもしれない。そうか、体は起こしたままでいいのか」
 「そうだ。それさえ体に覚えさせてやれたら、晴れて路上教習だぜ!!」
 「了解!! そしたらもうひと頑張りしないとね」

 きっかけはケイタに教えを請われたこと。そこから始まったオレの自転車特訓は、どうにかちょっとは進歩してきてるっぽい。
 なんか、自分で走れるようになるかもしれないって考えたら、けっこうわくわくしてきてた。
 どこかしら懐かしい気分だ。多分、ずっと昔に親父に初めてポケバイを教えてもらったときのことを心のどこかが覚えてるんだろうな。

 その日の練習も夕方遅くまで続いた。
 教官たちに指摘されたことを意識し始めたら、転ぶ回数が格段に減った。
 「よっしゃ。これなら明日は路上へ出てもいいだろ」
 一番星の見えるころ。すり寄ってきた猫を抱いたリュウジがそう言ってくれたのが、やけにうれしかった。
 
 翌日。オレの自転車修行は3日目を迎えていた。
 今日はリュウジもノブオも、家から自転車に乗ってここまで来てる。路上教習に伴走してくれるつもりなんだそうだ。
 「そしたらまず、ダイゴの支えなしで走ってみろ、ハヤト。駐車場を転ばねえで3周できたら外へ出てみようぜ」
 「3周か。あんまり自信ないなあ」
 「ダメっスよ!!! そんな顔するもんじゃありませんぜ、ハヤトさん。せっかく走れるようになってきたのに、ネガティブなのはよくないと思うっス」
 「いいこと言うぜ、ノブオ!!!」
 「えへ。兄貴、アザ~っス!!」
 うれしそうだな、ノブオ……。
 「けれども昨日の感覚を体が覚えていれば、さして苦になることはないと思うぞ。少なくとも二輪車の筋はいいはずなのだし」
 「ダイゴの言うとおりだぜ!! お前ならできる、ハヤト」
 「そうだね。うん。よし、やってみる」
 仲間たちの声援を受けて、オレは闘いのスタートラインに立った──あ、闘いってのは自分自身との闘いのことだけど。

 はじめはおそるおそる漕ぎ出したオレ。
 けど、昨日と一昨日の練習で、ある程度スピードに乗らないと倒れやすいってことは了解してた。
 体の力は極力抜いて。それからまっすぐ前だけ見てたら、外へ出たとき危ないんだよな。
 それから気をつけるべきはカーブ。単車のときみたく体を倒しすぎないように心がける。
 胸に刻んだ数々の教訓を思い出しながら、とにかくオレは自転車を走らせている。
 まだ肩に力が入っているのは自分でもわかってるけど、それでも最初の一周、次の一周と靴底を地面に擦ることもなく積み重ねていくことができた。
 うん。なんか今日は行けそうな気がする。
 半周向こうでリュウジたちが並んでオレを見てる。
 オレが出るいつもの勝負のときにも目にする光景だけど、単車に乗ってるときなんかより格段に緊張するんだよな、オレ。
 そんな風に思いながらのラストの半周を、危なっかしいながらも何とかこなして。

 「は~。肩こるね」
 ブレーキを掛けたあと、冗談めかして言ってみた。
 「おっしゃ!!! やればできるじゃねえか、ハヤト」
 「あはは。なんとかね。転ぶと痛いから」
 リュウジが手放しに褒めてくれるのって、なんかくすぐったい。そんなの慣れてないから。
 「うわ~、ハヤトさん、成長しましたね。オレ、感無量っスよ……」
 「おい……泣くなよ、ノブオ。オレが恥ずかしいじゃん」
 「まあ、そう言うな、ハヤト。ノブオも心から応援していたのだし」
 「うん。ありがとな、ダイゴのお陰だ。もちろんノブオも」
 「うわ~~~ん、ハヤトさん……」
 「わはははは、ハヤトがノブオ泣かしてるぜ!!」
 そしてオレはノブオが泣きやむまで、背中をさすってやっていた。やれやれ。なんだかな。



   * 6 *


 「おし!!! そんじゃ外へ出てみるか。特攻隊長」
 ノブオが落ち着いてから、リュウジがオレにそう言った。我知らず心臓が高鳴る。
 「あ──ああ、そうだね。うん」
 「何だよハヤト。弱気じゃねえか? 特攻っつったらお前の得意分野だろ?」
 「特攻……いや、こっちはまだ経験浅いからさ。でも本気で特攻かけたらオレ、何しでかすかわかんないよ?」
 「わはは!!! いいじゃねえかよ。それで度胸つけろや!!!」
 リュウジに背中をどやしつけられたんだ、オレ。
 いいのか──? 仮免のオレ、本当に特攻なんて、いいのかな……。

 オレの自転車修行もようやく終盤に入ったみたいだ。
 それぞれ自転車に乗ったリュウジとダイゴ、タカシの3教官に連れられて、オレは教習所──ダイゴの家だけど──を出て、ついに町の中へ自力で自転車を漕ぎだした。
 いつも単車で走るときみたいにリュウジの先導でオレが続く。今日はダイゴとノブオがオレの脇についてくれる。
 「ハヤト、無理せんでいいから」
 「うん、ダイゴ。ありがとな」
 「あ、ハヤトさん。その先右ですよ。曲がり角、ちょっと段差っス」
 「了解、ノブオ」
 左右から言われるのに答えるだけで、オレは精一杯だ。
 もちろん話しかけてるふたりの顔を見てる余裕なんか皆無。

 「ハヤト、どうだ? 路上は」
 振り向いたらしいリュウジが訊いてくれたけど、やっぱりオレには余裕がない。その顔を見ることは叶わずに、声のする方向からそれを推量しただけ。
 「どう、って……。なんか緊張する。こんなとこで転ぶの嫌だしね」
 「いいじゃないっスか。転んだってオレらが慰めてあげますよ、ハヤトさん」
 「いや、慰めとかそういうのはどうだっていいんだよ、ノブオ」
 ノブオの軽口に適当に答えるのが関の山なオレ。
 「でも、たまにはみんなで自転車も悪くねえよな。なんつったって、走りながらしゃべったりできるしな。単車と違って」
 「押忍、リュウジ。けれどもまあ、ハヤトはその領域にはまだまだだがな」
 「ホントっすね~、ダイゴさん。だってハヤトさん、おでこに汗かいてますもんね」
 「も~~~、オレは一生懸命なんだよ!!! ちょっとは放っておいてくれってば」
 「わはははは、ハヤト怒ってるぜ!!! 珍しいな」
 …………。いいんだ、もう。オレはオレの道を行くから。
 転んだら前も左右も道連れだから。

 路上教習のコースは、いつも単車で流すルートと同じようなものだった。その順路を車道ではなくて、路肩を走る。
 ここまではさすがに転んだりはしなかったけど、町中を抜けて海沿いの国道へ出るころにはオレはもう全身の筋肉が硬直してた。
 「リュウジ、オレ疲れた……」
 「ん? そうか? まだいくらも走ってねえけどな?」
 「しかし無理もないのではないか? ハヤトは初めて外を走るのだから」
 「兄貴、ちょっと休みません? さすがに辛そうっス、ハヤトさん」
 「そうだな、ノブオ。そうしてやるか。こんなとこでギブアップされたら困るもんな」
 「……悪いね、みんな」
 オレは詫びを口にする。目はまっすぐ前を向いたまま、誰の顔を見ることもできなかったけど。

 「おっしゃ!!! んじゃ河原で一息つくか」
 ちょうど川の手前の信号で停止したときに、リュウジがそう言ってくれた。
 国道を川に沿って左折すると、道は町に続くなだらかな坂。
 それから逸れた本道ではないほうを選ぶと、河川敷まで続く少し急な坂道だ。
 「ハヤト。先は坂道だが平気か? 初めてだろう?」
 オレの左でダイゴが言った。
 「坂……ね。うん。大丈夫じゃない? ゆっくり走れば」
 「ハヤトさん。坂道はいつもブレーキに手を添えてたほうがいいっス」
 「ノブオ!!! 違うだろ? 下り坂は全力疾走だ。ノーブレーキが漢を磨くんだぜ」
 リュウジが人の悪い笑い顔を見せて、こんなふうにアドバイスしてくれる。
 「あ、兄貴っ! そりゃ、オレ自身だったらもちろんノーブレーキっス!!! ただハヤトさんにはまだ……ねえ?」
 「ええと……オレ、いいや。この際、漢になれなくっても」
 「そんな弱気でどうすんだ、特攻隊長ともあろう者が」
 って、面白くなさそうな顔しないでほしいなあ、リュウジ。
  
 青になった信号を渡って、オレたちは海を背にした方角へと走り出す。
 路肩の幅が狭いから、今度は4人で一列になって道を行くことになる。
 オレの後ろからダイゴが声をかけてくれた。
 「坂に入ったらペダルは漕ぐなよ、ハヤト。自然に進むゆえ」
 「あ、そうか。危なかったなあ。ありがと、ダイゴ」
 ついうっかりするとこだった。ペダル漕がないと転ぶって意識があったからね。
 オレは両手でブレーキをすこし握りながら坂を下る。
 ノーブレーキ派のリュウジもノブオも、オレにつきあって速度を落としてくれている。

 町へ続く本道を逸れて、河川敷までの急な坂に入った。ここから下りる道は舗装されているからなんとか行ける。下りきったら砂利だから、そこがゴールだろう。
 先頭のリュウジの後ろでおっかなびっくりハンドルを握るオレ。
 よし、ここを抜けたら休憩だな──っていう一瞬の気のゆるみがあったのが災いした。
 がこん、と前輪に衝撃を受けた。大きめの石かなんかに乗り上げたみたいだ。
 予期しなかった感覚にオレは慌ててしまう。
 よろけた体勢を立て直そうとするのに意識をとられて、ブレーキから手を離してた。
 しかも前輪の向いた方向が、前を走るリュウジを巧く交わす向きだったもんで──

 「オイ!!! ハヤト、どうしたんだ? 急にスピード出すなや!!!」
 リュウジの声がオレの背中にぶつかってきた。
 ブレーキを解除したオレのマシンはリュウジを追い越してた。
 嗚呼、単車だったら絶対こんなふうにはならないはずなのに。
 こんなミスをオレが冒すはずがないのに。
 わざと転んででも止めたほうがいいんじゃないか?
 ああ、そうか、ブレーキか。そうだった──って、もう遅い!!!



   * 7 *


 いっぺんににいろんな思いを交錯させたオレの思考は、次なる衝撃に一旦回路が切断された。
 どこにどう突っ込んだんだかわからないけど、何かにぶつかってオレの自転車は動きを止めたことは理解できた。
 反動で、オレのカラダは一瞬宙に浮いたような気がした。
 転んだどころの騒ぎじゃないな、これは。
 自転車って危険な乗り物だな、ってオレはおぼろに思ってた。
 近寄ってくる聞き覚えのある声はどれも慌てた感じでオレの名を呼んだりしていた。

 とにかく起きあがろうとして、なぜか閉じてたまぶたを開いたオレ。
 そうしたオレの瞳に映ったもの──それはあろうことか、鬼工の紺色とは違う、黒の学ランを着た誰かの背中だったんだ。
 その背中越しに見えるのは、自転車を降りたリュウジの姿。
 ふたりは距離を置いて向かい合っている。ああ、これってよく見る光景だ。

 「ゴラァァァ!!! 貴様等、一体これは何の真似だ?」
 「済まなかった、コウヘイ。これは事故だ。故意じゃねえぜ。ちゃんと謝る」
 リュウジが言った。学ランの背中の主──コウヘイは、それに構わず体の向きを変えて、転んだままのオレに視線を移した。
 「ちっと会わねえうちに、不意打ちとは卑怯な技を覚えやがったな、特攻隊長」
 「いや、そんなつもりじゃない。悪かった」
 「やる気なら正面からかかって来いやァァァ」
 
 リュウジとちょうど入れ違いで盲腸を患って入院してたコウヘイが退院して、たしかそろそろ4、5日ってとこだ。
 あと3日もしたら挨拶しねえとな、ってリュウジが昨日言ってたな。
 その頃には傷跡も痛まないだろう、って。自分の経過と照らし合わせて、そんなふうに。
 偶然とはいえ、結果的に久々の対峙となった暗黒一家総帥のコウヘイは、前にオレを殴りつけたときと変わらぬ気迫でオレを見た。
 手には愛用の木刀。ってことはもう元気になったんだな、なんて思考回路のオレ。さっき頭でも打ったかな。
 
 どうやらオレは、坂を下りきったところの段差に引っかかって転倒して、勢いで自転車からすっ飛んだ体をたまたまそこに居合わせたコウヘイに激突させてしまったんだそうだ。見ていたダイゴがそう教えてくれた。

 事故だとリュウジが説明したけれど、さすがに怒ったコウヘイは聞く耳を持ってはくれない。当たり前だとは思うけど。
 額に青筋を立てるコウヘイ。脇にはハンゾウたちいつもの面々が控えていて、奴らは一触即発の状態で──
 「とにかくハヤトは単車ほど自転車が巧いわけじゃねえんだ」
 「そのような苦しい言い訳が通るほど俺が甘いとでも思うか? リュウジよ」
 「だけど真実なんだから仕方ねえだろ?」

 睨み合うリーダーふたり。
 相次いで盲腸で入院したリュウジとコウヘイが間近で対峙するのは、両者の退院後初めてのことだった。
 嗚呼、こんな場面でオレときたら起爆剤なんかになるつもりはなかったんだけど……。
 「いいんだ、リュウジ。オレが悪かったんだからオレが謝ればいいんだろ?」
 オレは言ったけど、コウヘイはすかさずこう返す。
 「謝って済むほど鬼浜町が平和だとでも思っているのか? 特攻隊長」
 にやり、とコウヘイは白い頬に笑いを浮かべる。予想通り次の言葉はこれだった。

 「そんなにやりたいのなら相手してやる。いつぞやの約束とやら、ここで果たしてもらおうか? 来い、リュウジ」
 「いや──だが、コウヘイ。俺は……」
 「何だと?」
 リュウジの前に進み出たコウヘイが低く言う。
 「貴様の部下の失態だ。貴様が責任をとるのが定石だろう?」
 言いざま、コウヘイは木刀を素早く構えて地面に叩きつけた。
 「勝負だ、ゴラァァァ!!!」

 リーダー同士に勃発した対決を止められるような者は、どちらの軍勢にもいない。
 オレもダイゴもノブオも、黙ったままゆくえを見守っている。
 対する暗黒側も同じだ。けれどもハンゾウがひとりだけ、一瞬コウヘイの背中に声をかけようとした──が、コウヘイに一瞥されて思いとどまったようだ。

 コウヘイは猛り狂う炎のようになっている。
 すでにコウヘイの目にはオレが映る余地はなかったようだ。
 目の前に立つリュウジのみを捉えたその視線の先で、リュウジはなんだかいつもの対決のときとは違う表情をしていた。
  
 真正面で間合いをとるリュウジとコウヘイ。
 久しぶりに見る光景に、オレたちは息を呑む。
 「ふん、思い知るがいい」
 言うが早いかコウヘイはリュウジめがけて殺到した!! 手持ちの木刀を振りかざして、リュウジの位置に振り下ろす。
 きわどいところでリュウジはそれを避けて、腰を下げた体勢でコウヘイに叫ぶ。
 「オイ、コウヘイ!! お前、まだ──」
 「私語は慎め。真剣勝負の最中だ」
 コウヘイは声を辺りに響かせる。同時に今度は、木刀を捨てて素手でリュウジに躍りかかっていった──!!!

 応戦するリュウジが拳を握る。
 最初の一太刀はリュウジが受け身だ。頬に喰らったけれど、倒れずに持ちこたえる。
 握ったおのれの拳で頬を拭って、リュウジは観念したような表情を見せてコウヘイを見据えた。
 「お前、そこまでして──それじゃ仕方ねえな」
 忌々しげに低く言ったリュウジが、今度は仕掛ける側だ。
 一歩前へ出て間近でコウヘイを捉えて、素早く後ろに振りかぶった拳を顎へ見舞う。
 「ぐ……ッ」
 食いしばった唇の端から血をにじませて、コウヘイは呻いた。
 とは言え、こちらも百戦錬磨のつわものだけあって倒れるようなことはなかった。

 互いに一撃ずつを与えあった両者は、再度立ち位置を正面に戻して向き合った。
 どちらももう、口を開かなかった。無言の対峙が時間の流れをゆるやかにする。



   * 8 *

 
 そう言えば──オレは考えていた。
 コウヘイは退院してからまだ一週間も経っていない。リュウジのときのことを照らし合わせてみれば、まだ通院してるんじゃないのか?
 仮にリュウジがコウヘイの腹を狙ったらここは簡単に切り抜けられるだろう──いかに精神力が強かろうと、通常ではない肉体が訴えればいかなコウヘイでも折れるはず。
 けど、リュウジがそこを狙うとは思えない。 
 ただでさえ弱みにつけ込む漢ではないのに加えて、自分の体をもってして、敵の状況を知っているはずだから。

 多分、オレのそんな物思いは当たっていたんだと思う。
 次にコウヘイが狙ったのはリュウジの腹だった。
 リュウジはそれを受けても大したことはない様子──というか、いつも通りの痛み方をしただけだった。
 見ていたオレも、ダイゴもノブオも上げかけた叫びを押しとどめられたから。
 
 リュウジのそれへのカウンターは、思った通りコウヘイの腹ではなかった。
 執拗に顎を狙っている。さっきと同じ箇所への攻撃だ。
 さすがに2度目は、コウヘイにも効いたようだった。
 逆にそれが、コウヘイの怒りへ油を注いだらしい。
 「貴様──」
 吐いた唾には血が混じっていた。

 「こんな悠長な闘いなど、俺は望んではいねえぞ!! 全力で来いやあああああ!!!」
 叫ぶなり、コウヘイは素早くリュウジの懐へと躍り込んでいった!!
 リュウジはまたしても腹にコウヘイの拳を受けて──結果、ついに河川敷の砂利へと背中をついた。

 避けようとすれば避けられた間合いだった──少なくともオレにはそう見えた。
 けれども避ける気がないって感じでもなかった。
 そう、言うなればリュウジは一瞬ためらったような顔をした、そんな気がした。
 喰らうつもりで喰らったのではないと思う。
 ただ、なにがしかの迷いがあったから交わせなかったとでもいうような。

 「貴様、どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むのだ?」
 上半身を起こしかけるリュウジに、冷ややかな言葉をコウヘイは投げた。
 リュウジは何も答えない。
 「故意に受けて故意に倒れるなぞ、俺が解らないとでも思っているのか?」
 「何を──コウヘイ」
 「ふん。さっきから黙っていれば。リュウジ、貴様いま本気ではなかったのだろう?」
 「…………」
 「俺はなあ、そういう手加減こそ一番腹が立つのだ。何度言ったらわかる? 俺は貴様と、久しぶりに真剣に手合わせしてえんだぞ、ゴラァァァ!!!」
 
 コウヘイの顔をみれば、それが強がりだとは思えなかった。
 敵の病後を気にしているのが明らかにわかるリュウジは、慮った相手に罵倒を受けて奥歯を噛み締めるような顔になる。
 そして──
 「オウ、解ったぜ、コウヘイ。俺が間違っていた」
 一段と低いトーンでリュウジは応えた。そう──それは凄惨な覚悟を秘めた声だった。
 
 両者の間の空気に漂うものは、緊張と互いの自尊心だった。
 同病を患って先に快復したリュウジの遠慮も、ただいまの闘いの発端となったコウヘイのオレへの憤りも、いまとなっては完全に消し飛んでいるように思う。

 リュウジは先程までと較べものにならない鋭い眼光でコウヘイを見遣り、対するコウヘイはそれを受けて、心底好戦的な表情を浮かべている。
 まるで、久々の対峙を楽しんででもいるようなふたりの雰囲気。
 見守るオレたちも、また対面を陣取るハンゾウたちも絶対に立ち入れないような「気」がそこには確かにあった。

 「ふん。かかって来やがれ、リュウジ」
 「言われるまでもねえぜ!!! 望みどおりやってやる」
 リュウジもコウヘイも、あとは何も語らなかった。
 ただ、見ている者たちへは長く長く感じられる時間を、勝負者ふたりは瞬間に魂をこめて立ち回っていた。

 リュウジの拳が風を切る音をさせて、コウヘイに躍りかかる。
 それへ反応して、コウへイは横っ飛びに立ち位置をずらすけれどもリュウジもそれを予想していたようで、拳はコウヘイに追いすがる。
 とはいえ勢いは減じていたらしくて、大したダメージを与えるには至らなかった様子。
 対するコウヘイの反撃は、今度はリュウジの頬へ向かう。
 見切るなり、リュウジは自らの掌で敵の拳の威力を削いだ。
 攻めつ守りつの構図。力が伯仲しているのがわかる。
 川からの風は冷たくオレたちを責める。けれども対戦中の両者の周囲には、陽炎が見えるような気がした。

 幾つかの攻防が展開したあと、リュウジは眉間に皺をよせて大きくひとつ頷いた。
 これ、覚悟が決まったときの顔だ。
 見るや、リュウジは後ろへ大きく一歩退く。そして──
 「いくぜ、コウヘイ!!!」
 辺りに声をこだまさせて、リュウジは勢いをつけてコウヘイに挑む。
 そのリュウジの目の色から出方を読んだかのように、コウヘイは腰の位置を落とす。
 受け太刀一方では済ますまいという表情が見て取れる。
 
 迎えた次の間合い──
 両者はどちらも決して体を退かず、ただおのれの攻撃力のみを頼みにして錯綜した。
 肉を打つ、響きのない音が風にさらわれることなくオレの耳を打つ。
 目をそむけてはいけない。これがオレたちの総隊長、漢・リュウジの生き様なのだから。



   * 9 *


 ゆるやかに──ゆるやかに、ふたつの体が河川敷の砂利へと倒れ伏すのを見ていた。
 コウヘイの拳はリュウジの脇腹を確実に、迷うことなく捉えた。
 そして、リュウジも覚悟の一撃を、この闘いで初めてコウヘイの腹の左側へとめり込ませていた。
 どちらも変わらぬ威力の応酬が、両者の背中を地へと導いた。
 
 小さく呻いたのは誰だろう。
 大きく嘆息したのは誰だろう。
 リュウジかもしれないし、コウヘイかもしれないし。もしかしたらオレ自身だったのかもしれない。
 何もかも判然としないけれど、それでも時間はたゆまずに流れているらしい。これもまたゆるやかに。

 時がのろのろと過ぎる気がするのは、リュウジもコウヘイも倒れたまま動かないからだ。
 いつもは優勢・劣勢が明らかに生じるので、こういう展開は珍しい。
 どちらも体を起こそうともがき、そうしながらも無意識に打たれた部分を手で押さえている。

 「引き分け──か? ダイゴ」
 オレはやはり黙って見守る仲間の耳許にこう囁いた。
 振り向いたダイゴは、重々しく首を縦に振る。
 「押忍、ハヤト。もうこれ以上の闘いは無意味だろう」
 そうオレに答えて、ついでに逆側にいた心配顔のノブオの肩にぽんと触れてからダイゴはリュウジとコウヘイの前へと出ていったんだ。

 「もう──よかろうな?」
 重々しくダイゴが口を開いた。
 その声にはじかれたように、辛そうにしながらもリュウジとコウヘイは同時に上半身を起こした。
 「両者とも。今日のところは引き分けでよろしいな?」

 ダイゴの言葉の意味を解したリュウジは、掠れた声で応えた。
 「ダイゴ……俺はまだやれるぜ」
 「いや、リュウジ。続きはまたにすべきだ。そもそも俺たちはそうした理由でここへ来たわけではなかろう?」
 「ああ──」
 ダイゴの言にはかなり説得力があった。

 時を同じくしてそれを聞いたコウヘイは、よろめきながら立ち上がって表情を歪めている。無意識のように手を添えているのは右の脇腹だった。リュウジは一度も直接そこを狙わなかったけれども、やはり痛むのかもしれない。
 「幾つになっても水を差すのはお手のものとでも言うのか? 鬼浜寺の」
 「押忍。どう言われても結構」
 「貴様は変わらんな。リュウジ劣勢と見るや──いや、もう語るまい」
 言い募る声は、リュウジのそれよりもひどく掠れていた。

 「さあ、リュウジ。もう行こう」
 「──ダイゴ」
 リュウジの目を見てダイゴは決然と言った。審判の下した判断は覆らないといったところか。
 「ハヤト、休めなかったが大丈夫か?」
 「あ、うん。オレは──平気だ」
 「押忍。それならよいな」
 ダイゴは頷いて、ノブオの手助けでリュウジが立ち上がるのを待っていた。
 立ち上がりつつリュウジは、コウヘイを見遣る。
 ふたりの視線の間には、いまだ燃え残った炎がくすぶっているようだった。
 オレは最後にコウヘイに向かって弁明を試みる。
 「コウヘイ、さっきは悪かった。オレ、本当に自転車はやっと仮免の段階なんだ。信じてくれなくてもいいけど」
 
 波乱含みだったオレの自転車教習の路上実習は、そのあと無事に鬼浜寺まで戻って終了したんだ。
 明日もまた続きをやるってリュウジは言ってたけど、今日は晴れて家に帰れる予感だ。
 鬼浜寺でようやく一休み。オレは張ってる筋肉を揉んだりしてる。
 でもって、思わぬ激闘を経てきたリュウジは、縁側に陣取って幾つもの擦り傷をノブオに手当されていた。
 「うわ……っっっ!!! 痛えぞ、ノブオ!!!」
 「ああっ、スミマセン!!! でも兄貴、消毒はちゃんとしとかないと……」
 「オウ、わかってる。けどよ、沁みるんだぜ、それ」
 「もう。じっとしててくださいっス~」
 はじめこそ決着がつかなかったことに不服そうだったリュウジだけど、ここまで戻ってくる間に黙っていろいろ考えたんだろう。今はいつも通りのふっきれた、さっぱりした表情をしていた。
 
 「まあ、こんなこともあるよね」
 リュウジとノブオの別の意味での攻防戦を見ながら、オレはダイゴと話している。
 「うん? 引き分けのことか」
 「そう。リュウジ、納得してなかったけどさ」
 「押忍。コウヘイに遠慮しすぎていたな。リュウジはまだやれなくもなかっただろうが、一撃で倒すを得ないとなれば勝負は長引く。そうしたら逆に、コウヘイをもっと痛ませる。そのようなジレンマが見えたのだ、俺には。だから割って入った」
 「ふうん……。やっぱり喧嘩勝負はオレにはムリだな。そんな駆け引きできないよ」
 まあまあ、というように、ダイゴはオレにいつもよりも目を細くして微笑んだ。

 「ところでダイゴ。気付いた?」
 「何をだ?」
 「リュウジの作文。あのとき会った『生意気なやつ』はやっぱりコウヘイだったんじゃないの?」
 ダイゴがふたりの喧嘩を止めたときのコウヘイの言葉。こないだ読ませてもらったリュウジの小学生時代の作文を思い返すとしっくりとはまるんだ。
 「ああ──あの口調からするとおそらくは。リュウジは気付いていないようだが、そうなのだろうな」
 「何年も前のことなのに、コウヘイってやっぱり執念深いかも……」
 
 なんだかんだ言って、因縁のふたりなんだなあと思う。
 現在のリュウジが総隊長たる漢となるきっかけは、おそらくコウヘイとの出会いから続く一本道。
 不思議な感じだなあ。

 「さ、終わりましたよ、兄貴」
 「オウ、ノブオご苦労。今度はもうちょっと優しくな」
 縁側からリュウジのいつもと変わらない声が聞こえてきた。
 「よし、そんじゃ明日の路上に備えてもうちょっと練習しとこうぜ、ハヤト!!! 駐車場、空いてるか? ダイゴ」
 「押忍。もうじき日暮れだからな」
 「ええっ、まだやるのか?」
 「何だよ、文句あるのか? 練習ってのはな、やってやりすぎることなんてねえんだぜ!!!」
 「はい、その通りです……」
 オレはふくらはぎを拳固で叩きながら立ち上がった。
 そう。リュウジのこんな熱心なところも、きっと幼い頃のコウヘイに会ったのがきっかけに違いないんだ。
 コウヘイに秘かに感謝してみる。おかげでオレはいい自転車乗りになれそうだ。



   * 完 *


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