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矜持対決新春編

   * 1 *


 それにしても正月っていうのはなんて平和なんだろう。
 いつもより寝坊したり、いつもよりだらだらしたりして過ごすことを指して『寝正月』なんていう素晴らしい呼び方まで用意されているんだから。
 そんなわけで、オレはいわゆる寝正月を満喫しているわけだ。
 とは言え、そろそろリュウジあたりが襲撃かけて来そうな気はするけど。
 そんな予感がはずれた試しはないんだけど。

 部屋で寝転がって、のんびりと小さい画面のテレビを見てる。
 今年はお笑いタレントが生中継する番組がけっこう多いな。
 へえ、元旦過ぎても神社には大勢人が集まってるんだ──なんて考えてたとこで部屋の扉が急に開く。
 「オウ、ハヤト!!」
 「あ──びっくりした。リュウジか」
 「なんだよ、びっくりしたってのは。あ~あ、だらしねえなあ。ほら、菓子こぼしてるぜ」
 「ああ、そりゃ失礼。今日は単車じゃないのか? 音もなく現れたからちょっとびっくりしただけだよ」
 「ん? ああ、今日は自転車だぜ。これからハヤトを誘って自転車でカッ飛ぼうかと思ってな」
 笑って言いながら、リュウジは手にしている単車のそれよりはずいぶんちいさい鍵をオレの目の前に出したんだ。

 「え、自転車で? それは珍しいな」
 「だろう? そんな寝てばっかりじゃ体がなまるって。ほら、行こうぜ!!」
 「う~ん。自転車か。そういやしばらく乗ってないなあ……」
 ちょこっと不安なオレ。実は小さいころから自転車を覚えるチャンスがなかったオレは、去年の秋に特訓の末、ようやく乗れるようになったばかりなんだ。
 「大丈夫だって!!! 一度覚えりゃそう簡単に忘れるもんじゃねえから、自転車は」
 「そうか。なら──うん。いいよ。どこ行くんだ?」
 「さて、どこにするか?」
 リュウジはとくに行き先なんて考えていないらしい。考える顔をしながら、オレの横に並んで座って、なんとなくテレビの画面を見はじめた。

 「ほう。初詣か」
 テレビの中継は、まだ神社の境内の模様。
 そんなに気合い入れて見てたわけじゃないから実際どこの神社だかわからないけど、大きな社殿のあるところ。
 どこかで見たことのある風景な気がした。案外近いとこなのかもしれない。
 鬼浜町の近くには、神社仏閣で有名が観光地があるから。
 「うん。リュウジは行った?」
 「そういやまだだな」
 「オレもだ。大晦日の除夜の鐘で満足しきってたよ」
 「わはは。除夜の鐘は寺だろ? 初詣は神社じゃねえかよ」
 「……うん。知ってたけどさ」
 「よし、そしたら神社行くか!! 国道しばらく行ったらあるだろ? 大きい鳥居の神社」
 「あるね。ってか、神社だったらもっと近くにあるじゃん」
 「だから、ちっとは遠くへ行こうぜ!! どうせハヤトは運動不足だろ?」
 「まあ──そうとも言えるけど」
 こうなったらリュウジはてこでも動かない。
 オレは観念して、出掛ける支度にとりかかることにした。

 髪をセットするからと、リュウジを部屋に残して洗面所へ行った。
 そしたら直後にリュウジの大声が、家中に響き渡ったんだ。
 「ハヤト、大変だ!!! ちょっと戻ってこいや!!!」
 ──なんだなんだ? 一体どうしたんだろ?

 部屋へ戻ると、リュウジはテレビにかじりついていた。
 「どうした?」
 「いいから、ちょっと見てみろや」
 言われて従うと──画面には、男女ふたりが映っている。
 あ、あれ? 知った顔じゃん。
 「え、赤ジャージ? とマキ姉さんじゃないか!!」
 「オウ……」
 さっきからやってる中継番組は、お笑いタレントが初詣客にインタビューしてるやつ。
 ただ今そのターゲットにされているのがどうやら赤ジャージとマキ姉さんってことだ。

 リュウジとオレは、ものも言わずに画面を食い入るように見てる。
 『ええと、おふたりはご夫婦ですか?』
 『い、いや、滅相もない!!』
 タレントふたりにマイクを向けられて、あからさまにたじろいでいる赤ジャージ──なんでか羽織袴を着てる。
 『じゃあ恋人同士ってことですね? いよっ!!』
 『そ、それも少し違う──』
 『ま~た、照れてんですね、彼氏ぃ~』
 『はい、では彼女に訊いちゃいましょ。そんなおふたりの今年の目標はズバリ──?』
 カメラが晴れ着姿のマキ姉さんに寄った。
 マキ姉さんの横でひたすらおろおろしている赤ジャージ。
 それを後目に、マキ姉さんはほんのり笑って──決然とこう言ったんだ。
 『結婚です』
 
 「えええっっっ!!!」

 ────同じように驚愕の声を上げてた。
 オレも、リュウジも。それからテレビ画面の向こうにいる赤ジャージも……。

 度肝を抜かれたオレたちは、そのまましばらく黙っていた。
 出掛ける支度の途中だったオレだけど、なんとなく座ったまま。
 リュウジも急かすわけではなかったし……。
 
 「なあ、ハヤト」
 しばらく経ってから、リュウジが口を開く。
 「ん? なに?」
 「今のな、驚いたよな?」
 「うん。かなりね。マキ姉さんって大胆だね」
 「ああ。俺もそこまで度胸があるとは知らなかったぜ」
 「さすが武道の心得があるってことなのかな」
 「さあな……。でもそれだったら赤ジャージだって、なあ」
 「あ、そうか。そうだね」
 「それよりか、心配じゃねえか? 今の、もしかして佐藤先生見てたりしたらどうなると思う?」
 リュウジにしては珍しく思案顔を作ってる。
 「どう──なるんだろう」
 「わかんねえけどよ」
 
 なんだか出掛ける気を削がれたオレたちは、そのまま部屋でなんとなく過ごした。
 初詣って気分じゃすでになくなっていたから。
 リュウジも珍しく言葉が少ない。
 
 なんとなくテレビのチャンネルを変えてみたけど、どこも似たようなお笑い番組をやってる。
 こんなふうに気もそぞろなときでさえなければ笑えるのかもしれないけどな。



   * 2 *
 
 
 偶然にも初詣に行った先で、テレビ取材を受けてたマキ姉さんが爆弾発言を放ったその翌日のこと。
 おそらくどこからか、それは暗黒水産の佐藤先生──マキ姉さんの実兄で、赤ジャージの若い頃からの因縁ある人物──の耳に入ることは必至だろうと予測が立つわけで。
 とにかく一度、みんなで赤ジャージのところへ行ってみようとリュウジが招集をかけた。
 
 一旦、本日は正月休業中のリュウジんとこの店に集合したオレたち。
 前もってすこし話そうと、店の中で向かい合う。
 「ダイゴ、昨日のテレビは見たか?」
 「ああ。見るとはなしに見ていたらな。驚いた」
 「ノブオは?」
 「オレは、たまたま見てた母ちゃんが気付いて、呼ばれて見たんスよ。いや、ほんとにびっくりっスよね」
 「そうか。みんな見てたんだ。なら話が早いね」
 「そうだな。つーか、あれ見たら正直、佐藤先生はどうすると思う?」
 リュウジはオレたちにこう投げかけた。
 
 「えっと……ものすごく怒るんじゃないっスかね」
 「うん。オレもそう思うよ、ノブオ」
 「とは言ったものの、あれはマキ姉さんが言ったことだろう? 先生がそう言ったのならまだしも」
 「ああ、そうか」
 オレたちの中では比較的落ち着いて、ダイゴは言った。
 「だが──やはりいい気持ちはせんだろうな。決着がついておらんのだし」
 「だろう? ダイゴ。俺が言いたいのもそれだ」
 リュウジが頷いて同意する。

 「ダイゴ、実際のとこ赤ジャージの練習の成果はどんなもんだ? 仮に今すぐ勝負しても何とかなるもんなのか?」
 「ふむ……。以前よりは格段に闘えるはずだが、どうだろうな。マキ姉さんもあと少しと言っていたが」
 「そうなんだ。じゃあほんとはもう少し経ってからのほうがよかったのか」
 「理想はそうなんじゃないっスか、ハヤトさん。けど、ねえ。状況が状況だから──」
 「よし。とにかく赤ジャージんとこ行ってみようや!! 家にいるかどうかわかんねえけど」
 「うん。ここでこうしてても埒が空かないからね」
 「もしかして学校の道場にいるかもしれないっスよ? 覗いてったほうがいいかも」
 「ああ、その線はあるかもしれんな。または土手を走っている可能性も」
 「そしたら考えられる範囲でいくつかあたってみるか」
 そうリュウジが宣言したのにオレたちが同意したときだった。

 「おい、いるのか? 貴様等」
 店の正面の扉が外から開けられて──現れた顔。
 電気が奥半分しかついていない店内、しかも入り口からの逆光で見るその表情は、とてつもなく不穏なものに見えた。
 背後に控えるスキンヘッド。こちらはまったく表情が窺えない。
 「コウヘイ……か?」
 「ふん。お揃いで何をしてやがる?」
 「何だって関係ねえだろ!!! お前こそ突然こんなとこまで、何の用で来たんだ」
 リュウジの問いに、コウヘイは薄く笑った。
 「ほんの新年の挨拶だ」

 「へえ、それはそれは」
 コウヘイの意外な言葉に思わず口をついて出た。そしたらコウヘイに睨まれた。
 「特攻隊長よ。貴様、冗談も通じねえのか?」
 「冗談──なのか。重ね重ね意外だね。まさかコウヘイが冗談なんて言うとは思ってなかった」
 「いい根性してんじゃねえか、ゴラァァァ!!!」
 正月気分の鬼浜町にも、やっぱりコウヘイの怒号が止むことはなかったようだ。
 「せっかくだから挨拶代わりに勝負してやろうか?」
 コウヘイの左を守るハンゾウがオレを見る。
 「ハヤト、ちょっと下がってろや」
 ついその気になって、OK──と言おうとしたところをリュウジに制された。

 「コウヘイ、挨拶ってのはそういうことなのか? だったらごめん被るぜ。俺たちはこう見えても忙しいんだ。またにしてくれ」
 「ふん。残念ながら俺等も暇なわけではない」
 言ってコウヘイは、革の上着の懐に手を入れた。
 そして何かを掴み出す。
 「俺等はこれを預かってきたのだ、鬼浜工業の者どもよ」
 コウヘイはリュウジに、懐から取り出したものを手渡した。
 それは折り畳んだ白い紙──表に筆で何かが書いてある。まさか年賀状ってこともないだろう。
 手にしたリュウジは、書き付けてある文字を読んだ。
 「果たし状──か」
 「言っておくが俺から貴様へ、ではねえぞ、リュウジよ。それは我が暗黒水産の佐藤先生から託されたものだ」
 「佐藤先生が──!!!」
 聞いたオレたちは素早く視線を交わしあった。
 「貴様が渡すべき相手は言うまでもねえよなあ、リュウジ?」
 リュウジは何も言わない。リュウジの背中を見ているだけのオレはこう予想する。
 おそらくリュウジは、強い目線でコウヘイを睨んでいるのだろう。コウヘイの面白がる様子でそれとわかる。

 「さて、俺等の用事は済んだな。お望みとあらば、心おきなく挨拶の一つや二つ貴様にしてやらんでもねえ。前哨戦とでもいくか?」
 「──オイ、ノブオ」
 振り向かないままリュウジが呼んだ。
 「は、はい、兄貴!!」
 「厨房行って塩持ってこいや!!」
 「了解っス!!!」
 ノブオが厨房に駆け込んだと見るや、コウヘイがにやりと笑ってこう言った。
 「塩などどうするというのだ?」
 「昔っからありがたくねえもんには塩を撒いて清めるってもんだぜ。なあ、ダイゴ?」
 「押忍」
 「ふん。貴様に呪われでもしたら敵わねえなあ、鬼浜寺の」
 格段に面白くなさそうな顔になったコウヘイが、ハンゾウを促した。
 「ハンゾウ、引き上げだ。つまらん土産はたくさんだからな」
 「了解、総帥。続きはまた今度だ」
 ハンゾウの最後の言葉は、オレへ向けられたものだった。
 オレは腕組みして、大きく頷いてコウヘイとハンゾウの背中を見送った。

 「あ、遅かったっスか、兄貴? ──これ」
 「オウ、ご苦労、ノブオ!! ダイゴ、頼んでもいいか?」
 「お安いご用」
 ノブオが厨房から持ってきた塩の盛られた小皿は、ダイゴの手に渡る。
 ダイゴはそれをつまんで玄関に向けて撒いた。
 念仏か何かを唱えながら──。



   * 3 *


 「そうか。ご苦労だったな、お前たち」
 「オウ、いや、俺らは大したことねえけどよ」
 新年の挨拶もそこそこに、赤ジャージを前にしたオレたちはなんだか赤ジャージの放つ気がぴんと張りつめているのを感じている。

 おそらく赤ジャージの居所を知らなかったからだろう、コウヘイがリュウジんとこの店まで届けに来た佐藤先生から赤ジャージへの果たし状は、リュウジを経由してどうにか受取人の懐に収まったところ。
 「まあな。予想はしていたのでな」
 何かを吹っ切ったような表情を見せる赤ジャージは、学校の道場にいた。最初に家に行ってみたけど留守で、そのままランニングコースと思われる川沿いを辿ってここまで来たんだ。

 赤ジャージはオレたちが来たときのまま、畳敷きの道場の中央に正座している。
 その正面に同じく正座をして、リュウジが向かい合った。
 「赤ジャージ。マキ姉はなんだって?」
 「ああ……つまり、その……何一つ言っていけないことを言った覚えも、嘘をついた覚えもないので、と」
 赤ジャージは言いにくそうに口にした。おそらく照れているんだと思う。
 それを見て、オレは後ろから声をかける。
 「もしかしたらマキ姉さん、こういう機会を狙ってたのかも」
 「どういうことだ? ハヤト」
 「だって先生と佐藤先生って、どっちも筋を通すことが男としての道理だと思って退かないから。女性はもうちょっと複雑にいろいろ考えてるんじゃないの? よくわかんないけど」
 そんなに大きい声は出さなかったけど、オレの言葉が道場に響いた。
 なんでかみんな、黙ってしまう。

 「へ、へえ──俺にはよくわかんねえけどな、ハヤト。でもハヤトが言うんならそういうもんかもしれねえよ……な? 赤ジャージ」
 「あ、ああ。そうかも知れん。だが、約束を違えるのはよしとせんわけで……」
 「うん。何も約束を破ってまでってことじゃないと思う。さすがにね。でもさ、いい機会だと思ったんじゃない? 普段は言えないだろうけど、主張したい自分の気持ちもあるんだって先生たちに伝えたかったのかな、って」
 「確かにな。赤ジャージが勝たねえとマキ姉の気持ちの行き場がねえもんな」
 リュウジが言うと、赤ジャージはうなだれて畳の一点を見つめた。

 「とにかく赤ジャージ、勝負は受けるんだろう?」
 「無論。ここで退くような真似をしてはマキさんに申し訳が立たぬ」
 「そうっスよ!!! そうじゃなくっちゃ、赤ジャージ先生!!」
 「ああ」
 「先生、勝負はいつだって?」
 「明日午後3時と指定されている」
 佐藤先生からの果たし状をしまっている柔道着の胸に手をやって、赤ジャージが答える。
 「そしたら試合前に、ちょっとでも練習しとかねえとな!!! ダイゴ、相手してやれな」
 「押忍。着替えてくるので待たれたし」
 「いつも済まんな、ダイゴ」
 「謝ることなんてねえだろ!!! そんだけみんな応援してんだぜ」
 リュウジがつとめて明るく言ったのに、ノブオとオレは頷いて同意した。
 ちょっとだけ赤ジャージの顔が笑みを作った。

 そしてそれから、夕方近くまで試合前日の特訓は続いたんだ。
 赤ジャージとダイゴが幾度となく投げたり、投げられたりを繰り返す。
 そんな光景をリュウジとノブオ、それからオレは壁際に並んで座って見ていた。
 「でも、あれっスよ、ハヤトさん。赤ジャージ先生ね、前よりかずいぶん柔らかいっスよ。受け身とるときなんか」
 「ふうん。かなり練習してたもんね」
 「ハヤトもちっとは訓練つけたらどうだ? お前、体わりと堅いだろ?」
 「え、そうかな?」
 「わはははは。ハヤトさん、兄貴に特訓してもらうといいっスよ~。きっと喧嘩強くなるっス」
 「いや、オレ……今のままの自分が気に入ってるからいいや」
 「ほらな。そう来ると思ったぜ!!!」
 なんて小さく笑い交わしているところで、ダイゴが呼ぶ。
 「リュウジ、悪い。すこし手伝って欲しい」
 「オウ!!! 何でも言ってくれ」
 そしてリュウジは畳の中央へ行った。

 「先生はまず目で見て感じ取ってほしい」
 そう言ってから、ダイゴはリュウジと組む姿勢を作った。
 そして、赤ジャージとリュウジとふたりに教えるようにこう語る。
 「おそらく佐藤先生は背中を狙ってくるだろう──こういうふうに」
 と、ダイゴはリュウジの背中に手を回す。体格差と経験の差から、簡単に投げられそうだ。
 「そうきたらむしろ、こう応戦したほうが効果的かも知れん。リュウジ、俺の襟を持って引き付けてみてくれ」
 「ええと──こうか?」
 「そうだ。なるべくぎりぎりに引き付けて好機を狙う。ここぞという場面を体感したら仕掛けどころだ」
 組んでいるリュウジも、見ている赤ジャージも真剣な表情だ。
 ダイゴとリュウジの力が拮抗している。そうか。体格差があってもリュウジは闘いには慣れているから、それなりに勘はあるみたいだ。
 
 おそらくダイゴは教えるための力の込め方だったんだろう。
 しばらく組み合った末、リュウジが軽く腰を落としたかと思うと──
 「せいやーーーっ!!」
 気合いの咆吼もろとも、ダイゴの巨躯を投げた。
 さすがにダイゴは素早く受け身をとった。鮮やかな身のこなしだ。
 「どうだ? 先生、こんな感じだが」
 「わかった。襟だな。やってみよう」
 かくして今度は赤ジャージとダイゴが組むこととなる。

 「うわ、俺が柔道でダイゴを投げることなんてあるとは思わなかったぜ!!!」
 オレたちのそばへ戻って来ながら、すこしリュウジが感激しているのがおかしい。
 「すげえな。俺も鍛えてもらうかな」
 「あ、じゃあオレも!!! それからハヤトさんも、ね?」
 「え──いや……。でも、ちょっと気が変わったかも。オレがダイゴを投げたらかっこいいかな?」
 ……ええと、なんでふたりとも無言なんだ?

 その日の特訓は、赤ジャージのかなりの緊張感が生む好感触があったとダイゴが言っていた。
 決戦は明日、ここ鬼工の道場にて──
 駐輪場までみんなで並んで歩く間、張りつめた空気を想像して、オレもやにわに緊張してきた。
 「なんか、オレ、今日眠れないかもな……」
 思わず呟いたんだけど。
 「何か言ったか、ハヤト? 俺の聞き間違いか? まるで寝言みてえな台詞言ってたような気がするけど」
 「いや、寝言じゃないって!!! むしろ今夜は眠れないかもって言ったんだけど……」
 ……ええと、なんで3人とも無言なんだろ──。



   * 4 *

 
 きっかけがあれば音を立てて割れそうなほどに張りつめた空気が場を占めている。
 見慣れたはずの鬼工の道場なのに、こんなに違う雰囲気を持っているのが不思議だ。

 赤ジャージと暗黒の佐藤先生の真剣勝負が始まろうとしている。
 畳の中央に立つふたり、それから今日の審判はダイゴだ。
 広い道場を占めているのは対戦者のふたりとオレたち、それから暗黒一家の4人きり。
 本当はこの試合のゆくえを誰よりも案じているだろう女性――佐藤先生の実妹で、赤ジャージの恋する相手、さらに言うとリュウジが子供の頃から慕っていたひと――マキ姉さんはこの場にはいない。
 男同士の意地と矜持を賭けた勝負の気を乱すから遠慮する、ということらしい。
 昨夜マキ姉さんに電話したらしいリュウジがそうオレたちに伝言したから。

 ダイゴの右と左で両雄が試合開始を前にした挨拶を交わしている。
 頭を下げながらも、強い視線同士が絡み合うのが見て取れた。
 「では――始め」
 ダイゴの太い声で号令がかかった。
 次の瞬間を迎えるやいなや道場にはさっきまでとまた違う色が空気に混じったような気がした。
 まるで対峙するふたりの呼吸がそれをもたらしているような。

 いかなる思いを胸に秘めているとしても、いざ闘いに臨む心境っていうのは純粋に勝利への執念が勝ると思う。オレだって時には勝負に挑む立場だからそれなりに理解できるつもり。
 立ち位置をじわりじわりと変えながら、組むより先に視線の応酬をしあう赤ジャージと佐藤先生。
 そして――先に仕掛けていったのは赤ジャージだった。
 互いの距離が近づいただけで、さっきよりも道場には緊張感が増している感じだ。
 
 ダイゴが予想したように、佐藤先生は赤ジャージの背中をとろうとしているようだ。
 なんとかそれを交わしながらチャンスをうかがう赤ジャージ。
 余裕なんか一切ない表情が赤ジャージの内心を窺わせる。
 また、有利な側の佐藤先生もまったく同じような表情を見せている。手抜きや手加減はもとより考えていないんだろう。

 ふたりはがっぷりと深く体を組んだ。
 見守る誰かの息を飲む音が聞こえたような気がした。もしかしたらオレ自身のものかもしれないけれど。
 拮抗するふたつの力の限りを見守る。
 ほどなくして力の均衡の破れ目が見えた――かと思うと、素早い身のこなしで佐藤先生が足を一歩外へ踏み出した。
 一気に体勢を変えて、赤ジャージの背中に手を回す。
 ダイゴに教わったように背中を意識していたとは思うけれど、手練れの者にしかわからないほんの一瞬の隙みたいのができていたのかもしれない。
 
 あっ――とオレたちが声を出す暇さえなかったと思う。

 狙いと逆に、赤ジャージの襟を佐藤先生が掴んだかと思うと、そのまま体の向きを入れ替えて赤ジャージを背中へ回した。
 そして腰を低く落として――赤ジャージの襟をぐいっと引きつけるようにして、佐藤先生の体落としが赤ジャージを襲った。
 
 静まりかえった場内に、いくつかの音が響く。柔道着のこすれる音。赤ジャージの体のどこかが畳に着地するものだと思われる音。
 仕掛けられた赤ジャージは、畳に背中をつけずに持ちこたえるために必死に受け身をとっていた。

 「技あり」
 ダイゴの判定はこれだった。
 どうにか開始早々瞬時に決着、という自体は免れたみたいで安心だ。
 けれど――受け身をとった後の赤ジャージは、畳に尻をついたまますぐには立ち上がらなかった。
 「どうした、赤ジャージ?」
 壁際で、オレの隣に座っていたリュウジが声を響かせる。
 リュウジの声でオレたちを振り向いた赤ジャージが応えた。
 「ああ――いや。一瞬、頭がぼんやりとしてな」
 
 「ええっ!! 先生、頭でも打った?」
 赤ジャージのあまり覇気のない声にオレは思わず慌てる。
 けれども赤ジャージはオレに手を振ってから立ち上がった。その後、頬を数回手のひらで叩いてからこう続けた。
 「いや。もう大丈夫だ。佐藤、勝負のさなかに失礼した」
 「大事ない」
 「ダイゴ、再開を頼む」
 「――押忍」
 
 ダイゴの号令でふたたび始まった、赤ジャージと佐藤先生の勝負はそれからも熱気のこもった――見ているオレも手に汗握る展開だった。
 時間ぎりぎりいっぱいの土壇場に至るまで、もしかしたら逆転できたりするのかも、なんていう期待を持たせてくれるほどに赤ジャージは意地を見せていた。
 
 押さえ技で有効をひとつ、投げ技で効果をひとつのポイントを取っていた赤ジャージだったけれども――残念ながら最後の最後で佐藤先生の掬い投げが鮮やかに決まって。
 「一本」
 ダイゴの判定する声が、勝負の終わりを告げたんだ。

 「惜しかったな、赤ジャージ。ひょっとすると何か起こしてくれるかと思ったぜ」
 「ほんとっスね、兄貴」
 「うん。でも越えなきゃいけない壁はあまりにも高いよね」
 ちいさく言葉を交わしあうオレたち。向かいの壁際に居並ぶ暗黒一家どもの勝ち誇った顔がいっそいまいましい。
 
 そうしながら、畳の真ん中で両雄が握手を交わすのを見ている。
 「今日のところは私の勝ちだ」
 佐藤先生の深い声が赤ジャージにかけられた。
 「ああ。そう易々と勝たせてもらえるとも思わんしな。けれども今まで訓練をしてきたし、存分に現在持てる力は出したつもりだ、俺も」
 「無論。以前よりはましになっていた。少なくとも私からポイントをとるところまでになっていたことがその証拠」
 そう言って、佐藤先生はダイゴをちらりと見た。視線が合って、ダイゴはお辞儀をする。

 「お主の心情は充分に伝わった。だが、約束は約束。我が妹の言をすぐにそのまま実現させてやるわけにはいかんな」
 「無論。こちらも情けにすがる意志はないさ」
 「とはいえ私は、こう見えても妹が憎いわけではないのだ。また、お主の闘いぶりにも多少は感じることもなくはない」
 「――――」
 赤ジャージは返答に困ったような顔をして、佐藤先生を見た。
 すると佐藤先生はすこし表情をゆるめた。
 「どうだ? 今度はお主の得手の剣道で闘ってみるか? 私もまるで心得がないわけではないのでな」

 これは佐藤先生からの恩情なんじゃないか? 剣道だったら、どう考えても赤ジャージが有利に違いない。
 赤ジャージはさぞ晴れ晴れした顔をするんだろうと思ったオレたちだったけど――
 「ケン……ドウ――? はて、それは何を示す言葉だったか……?」
 冗談を言う状況なんかじゃないところで放たれた赤ジャージの言葉に、一同はどう反応していいかわからないでいた。



   * 5 *
 
 
 沈黙を破ったのはリュウジの声だった。
 「おい、赤ジャージ? 冗談言ってる場合じゃねえだろ?」
 「冗談――何がだ?」
 「赤ジャージから剣道とったら一体何が残るってんだよ!!!」
 「……そう言われても、なあ」
 明らかに困った顔で赤ジャージは答えた。

 「お主、もしや先程、やはり頭を打ったのか?」
 佐藤先生も心配そうな声で赤ジャージに問う。
 「さて。打ったような気もするが。あまり良く覚えていないのだ。朦朧としてな」
 これはもしかしてまずいんじゃないか――オレはノブオと顔を見合わせる。
 対面の壁際に陣取る暗黒一家たちは、さして表情も変えずにオレたちのやりとりを見守っているといったふう。
 
 「先生。オレたちのことをわかる?」
 たまらずオレも立って、リュウジの横に並んだ。
 「ああ、勿論。お前はハヤトだろう? リュウジと、ダイゴと、ノブオだ。それから佐藤と、あちらは佐藤の教え子達だ。間違っているか?」
 「うん、正解」
 「そしたら佐藤先生の妹は誰だ? 赤ジャージ」
 「それは――マキさんだ」
 そのリュウジの問いには照れたように答える。
 
 「ならばお主の得手は何だ?」
 「――――」
 おかしなことに、佐藤先生のその問いにだけ赤ジャージは答えられないんだ。

 それからみんなでいろいろと質問を投げかけてみたけど、どれにもよどみなく、おかしいこともなく赤ジャージは答えた。
 それなのに、いざ『剣道』と問われると黙ってしまう。何度試しても結果は一緒だった。
 「大丈夫か? 赤ジャージ。病院行ったほうがいいんじゃねえか?」
 「そんなに大袈裟なものではないと思うのだが……」
 なんて本人は言っているけれど、オレたちは内心はらはらで。
 「おいおい。そんな顔するな、ハヤト。少し疲れて、神経が高ぶっているだけだろう。明日になったら思い出しているさ」
 わはは、と声を出して笑う赤ジャージだったけど、本当は自分でも心配なのかも。あまり目が笑っていなかったから。
 「とにかく明日になっても思い出さなかったら病院だな、赤ジャージ」
 リュウジは無理矢理に赤ジャージに頷かせた。
 
 「こんにちは、先生。兄さん――」
 ちょうどその時に道場の扉が開いて、姿を見せたのはマキ姉さんだった。
 「ああ――マキさんっ」
 「ええ。いかがでしたか? 先生」
 「いや……それが不甲斐ない結果で」
 そう答えながら、赤ジャージはきまり悪そうに頭を掻いている。
 「って、マキ姉!!! そんなことよか赤ジャージなあ……」
 そしてリュウジは事のいきさつをマキ姉さんに話して聞かせたんだ。
 明日になってもこの調子だったら必ず病院へ連行してやってほしいと頼みながら。

 「うん。わかったわ、リュウちゃん。任せておいて。わたしがちゃんと先生の様子を見るから。ねえ兄さん? こうなったのは兄さんが原因の一端ですから、それくらいの義理と義務とがあるわよね?」
 「マキよ。おまえはそう言うがな。そもそもの原因はおまえが公衆の面前であのようななことを言ったことにあるのであって」
 マキ姉さんは、佐藤先生のその言へはノーコメントだった。
 ただ、何も悪いことを言ったつもりはないという意志だけがにじみ出ているような。
 さすがに芯の強い女性だなあ、とオレは思う。
 そうか。ここに惹かれたんだろうな。赤ジャージは。

 「大事にならなきゃいいがな」
 赤ジャージと佐藤先生、それからマキ姉さんを送り出して、今日はさすがに大人しかった暗黒一家も追い出してから道場を軽く掃除したあとの帰り道。
 健康が取り柄のリュウジは、真実に心配そうな顔をしたままそう言った。
 「ほんとにね。一晩寝たらふつうに戻ってることを期待しよう」
 「ああ。そうだとよいがな」
 ダイゴも口数少なく――それはいつものことだけど、重い口調で応える。
 「でも、オレ母ちゃんに聞いたことあるんっスけど――」
 オレたちの後ろを歩いていたノブオが切り出した。
 
 「なんだ? ノブオ」
 「ええ、兄貴。ずっと前に、どっかの海辺で釣りかなんかしてて、それで失踪騒ぎを起こしたタレントがいたらしくて」
 「うん? タレント――」
 「そうなんっスよ。もともとはものまねをやる人で。でね、いなくなったのとはずいぶん距離の離れたとこで見つかって、聞いてみたら記憶がなかったらしいんっス。本人に何が起きたんだか記憶がないからわかんないんですけどね」
 「ふうん。記憶喪失」
 オレがつぶやいたのにノブオは頷く。
 「最終的にあらかたのところは思い出せたらしいんっスけど、どうしても思い出せないことがひとつだけ」
 「それが何だ?」
 「それが――ですね、ダイゴさん。自分が今まで培ってきた芸、ものまねのことだったそうで」
 「え――それって、なんか赤ジャージのことと似てるんじゃない?」
 「……そうっスね、ハヤトさん」
 ノブオの発言に、しばらくオレたちは黙りこんだ。
 そろそろ夕方が近い。風が冷たくなってきている。

 「ノブオ。そのタレントってのは今はどうしてるんだ? 何年も前のことだろう? 結局は思い出せたんだろ? 芸っての」
 「いえ、兄貴。その人、今は俳優やってるみたいですけど、ものまねはやってないって母ちゃんが」
 「…………」
 もしかしたら赤ジャージも、そのタレントと同じことなのかもしれない。
 オレたちが想像しているより深刻ってことも充分考えられるんだと、ノブオの話を聞いて気づかされた。

 「もしも剣道のことを思い出せなかったらどうなるんだ? 赤ジャージ」
 むしろ黙っているのがつらくて、オレはリュウジに投げかけた。
 「どう――って、そんなの俺にわかるわけねえだろ、ハヤト」
 「そう……だよね。悪かった」
 うん。ただ、リュウジに言ってほしかっただけなんだ、オレは。
 心配ないんじゃねえの? とか、そういうことを。
 リュウジに言われたらなんか安心できそうな気がしたから。

 「ハヤト。いま俺たちが気をもんでも仕方ないだろう」
 「うん。そうだよね、ダイゴ」
 「けれども仮に、そのタレントと同じ症状になった場合でも、先生の場合は何とでもなるさ。今一度、剣道を修めればよいだけの話だ。おそらく無意識のどこかに記憶はあるだろう。体さえ反応すれば、思い出せなくとも覚え直すことはできるはず。ハヤトだって一度忘れてしまったとしても、また単車に乗れるようになるとは思わんか?」
 もともと楽観的とはほど遠いはずのダイゴがオレの背中を叩きながらこんな風に言ってくれた。
 きっとオレの弱い内心を慮ってのことだと思う。
 オレはなかばダイゴを拝むようにしながら、ありがとう、と頭を下げた。



   * 6 *

 
 そのまま数日が流れて、ついに冬休みが終わる日になっている。
 赤ジャージの様子は、マキ姉さんを経由してリュウジからオレたちに時折伝えられている。
 今日もリュウジの招集で河川敷に集合したオレたち。集まるたびの挨拶代わりがこれだ。
 「リュウジ。あれから何かわかったのか?」
 「オウ、ダイゴ。今日はな、CTとかいうやつで調べたらしいんだが、そっちでも特に異常はなかったそうだぜ」
 「へえ。昨日の脳波測定もなんともなかったんっスよね?」
 「うん。そうだったよね、ノブオ」
 「ああ。だもんで、特におかしいところは見つからねえってことのようだ」
 「でも――相変わらず?」
 「みたいだな。マキ姉が見たところによると、自分の家にあった竹刀にも見覚えがねえって言うんだそうだ」
 「それは重症のようだな」
 「試しに外で振らせてみたらしいんだが、到底段持ちの素振りには見えなかったと」
 
 「一体どうしちゃったんっスかねえ。赤ジャージ先生」
 「さあね。病院でもわかんないんじゃね……」
 オレとノブオは肩をすくめ合う。
 「ほんの何か、きっかけがあれば記憶の引き出しの鍵が外れることもあるからって医者が言ってたらしい。マキ姉が言うにはな」
 「きっかけ、か。折良く明日から学校が始まるしな。休暇中よりはきっかけも多かろう」
 「そうっスね、ダイゴさん」
 「そしたら明日からまた俺らも忙しくなるってことだな!!! よし。じゃあ正月休みの締めくくりってことで行くか!!!」
 「おう!!!」
 リュウジの号令に唱和して、そしてオレたちはそれぞれ単車に跨った。
 今日は休日最後ってことで、ちょっと遠くまで走ってみる予定になっている。
 聞き慣れた4つのエンジン音が絡み合うのを感じるのが、やっぱり今年もオレの一番気持ちのいい瞬間になりそうだな、なんて思う。

 まだ日のあるうちの国道を走る。
 明日からはまた学校だから、平日のこんな贅沢な時間に大手を振って走れるのは今シーズンではひとまず今日が最後になる。
 海沿いの国道を東へ向かう。だいぶ先に見える半島までのツーリングだった。
 途中の、昼間でもうすら寒いような気がする、おばけが出るっていうトンネルを通ったとき。ダイゴを振り返ったらいやな顔をしてた。
 ダイゴには何か感じるものがあるのかも。よかったなあ、オレは。そういうの鈍感で。
 
 半島の突端はマグロで有名な漁港だ。さかな料理屋なんかが軒を連ねている。
 オレたちは、そのへんの適当なおみやげ屋に単車をとめて一休みすることにした。
 店内に入るなり、あったかさと食べ物のいい匂いがふわりとオレたちを包む。
 「お、なんかうまそうな匂いするな」
 「あれっスね、兄貴」
 「なに? ノブオ」
 「ほら。レジのとこっス。湯気が出てる」
 「何か蒸しているようだな」
 せいろの近くまで寄っていったら、お店の人が説明してくれた。
 匂いのもとは、ここらの名物だそうだ。肉まんに似たようなやつだけど、肉じゃなくてマグロが入ってるんだって。
 
 「へえ。そんなのあるんだな。珍しいぜ。食ってみるか!!!」
 なんてリュウジが言うのにみんなして乗って。
 ほかほかに蒸してあるマグロ入りまんじゅうは、ジューシーでおいしかった。
 夜に走る国道も確かにオレは好きだけど、こういうことが楽しくもある、昼間に走るのも悪くない。
 まあ――ほんとはオレたちの単車は目立つから、あんまり昼間向けじゃないけどね。

 オレたちには珍しく、そんなちょっとした昼間のツーリングを楽しんだあと。
 いつもの河川敷まで戻ってきたころにはすっかり夜になっていた。
 
 「さすがに混んだな、夕方の道路は。すり抜けも容易じゃなかったぜ」
 「それは仕方ないだろう。国道だしな」
 「でもオレ、走り足りない感じだな。せっかくならラストは思いっきり飛ばして締めたかったよ」
 「うはは。ハヤトさんらしいっスね~」
 「うん。そうかも。オレ、ちょっと休んだらもう一度走ろうかな。遅い時間に」
 別に誰を誘うでもなく、オレは思ったままを口にした。
 「おう、そうかハヤト!! そしたら俺もつきあうかな」
 「あ、兄貴がそうするならオレもっス!!!」
 「皆、そうするのか。ならば俺とて遅れをとるわけにはいかんな。今日は調子もよいし」
 なんだかんだみんな一緒だ。オレはちょっとうれしかった。

 「そしたら夜にもう一度集合にするか? それともうちでラーメンでも食うか?」
 「その選択肢があるんだ。そしたらオレは迷わずリュウジんとこだな」
 「俺もハヤトに賛成だ」
 「やった~!! 兄貴、オレはワンタン麺でお願いしま~っス!!」
 「よっしゃ!! じゃあそうしようぜ。ひとまず移動だな。夜の河川敷は冷えるって誰かさんが文句言い出す前にな」
 「……って、オレを見て言うことないじゃんか、リュウジ」
 「あ。ハヤトさんってば別の文句言ってますぜ、兄貴」
 「けれどハヤト、震えているのではないか?」
 「――確かに寒いけどさ」
 「ほらな。俺の思った通りだぜ!!! 特攻隊長が凍えないうちに動こう。あ~、それに赤ジャージのことも心配だからな。早いとこ帰って、マキ姉に電話しねえとまずいぜ」
 ああ、そうか。
 ちょっと楽しかったんでオレは不覚にもその心配事はすっ飛んでいたな……。
 微妙に反省しながら、オレはリュウジに頷いて愛車に戻った。

 外灯もろくにない河川敷。土手から下ってくる坂の近辺には多少はあるけれど、降りきってしまうとかなり暗い。夜は遠くの鉄橋を通り過ぎる電車の室内灯と、土手の上を通り過ぎる車のヘッドライトが主な照明器具だったりする。
 そのとき、そんなオレたちの目の前を明るくした光源があることに気づいた。
 そしてそれは、オレたちが出立の準備を整えると同時に、土手から続く坂を下りてきた。
 そう――明るさと一緒に、オレたちのマシンと変わらない爆音を連れて。
 
 「ほう。こんなところにいようとはな」
 オレたちは土手へ上がるところだった。けど、土手から下ってきた奴らが行く手を阻む。
 「こんなとこにいたらいけねえのか? コウヘイ!!」
 「ふん。いけねえとは言わねえがな。リュウジよ」
 ちょうど坂に差しかかるところで行き合うこととなったオレたちと暗黒一家。
 ぽつんとある外灯の青白い光を浴びて、リュウジとコウヘイは壮絶な睨み合いを仕掛けあっているのが見える。
 「こんなところで油を売っていてよいのかと俺は言っている」
 「別に油売ってるつもりなんかねえぜ!!! お前、何が言いたいんだ?」
 「貴様等の教師はもういいのか? まだおかしなままなんじゃねえのか?」
 ――ああ、そのことか。もしかしたらコウヘイは、赤ジャージのことを心配しているんだろうか。

 なんていうオレの思いは、次のコウヘイのひとことで打ち砕かれることになる。
 「我が暗黒の佐藤先生に楯突くからあのような結果になるのだ、貴様等のところの教師は。だいたいが情けねえということ。あれしき受け損ねるなぞ愚の骨頂ではないか?」
 「なん――だと? お前、赤ジャージを馬鹿にする気かよ!!!」
 なにやら笑いすら浮かべながらコウヘイは言い放つ。
 それを聞いてリュウジが黙っているはずがなかった。
 ――いや、リュウジだけじゃなくて。オレだってつい体を乗り出していた。
 両方の手のひらは、我知らず拳を作っている。



   * 7 *  


 オレたちの冬休みの最後を飾るもの――それはいつもと何ら変わらない光景みたいだ。
 見慣れた河川敷での見慣れた諍い。
 リュウジとコウヘイが強い視線を放ち合っている。
 「そもそも貴様のところの教師が出過ぎた真似をしすぎているのだ、リュウジよ」
 「どういう意味だ?」
 「誰あろう佐藤先生の肉親に懸想して、その上よりによって柔道で佐藤先生に勝利しようなどという魂胆が浅知恵だと言っている」
 
 「それは少し違うのではないか?」
 落ち着いた声でダイゴが言いながら、一歩前へ出る。
 こうした際に口を挟むほうではないダイゴがそうするのは珍しいこと。よほどの思いがあるのだろう。
 「そのような軽々しいものではないと思うが。現に先生はあれから真剣に柔道を修めるために日々努力しておるし、マキさんへの想いが軽々しいようにも見受けられん。また佐藤先生もそれについてはお主よりは理解しているように考える」
 「何――貴様、解ったような口を利きやがるなあ、鬼浜寺の」
 「大体が、それほどまでに人を想うということをわからんお主ではないだろう? 理屈ではなく、勝ち目ではなく、立場でもなく――といったことを」
 
 ダイゴがそう言うと、コウヘイは一瞬間をおいた。
 辺りをほの白く照らす水銀灯からは距離があるので、その顔色は窺えない。
 けれどもそののち、コウヘイは凄まじい怒号を放った。それの意味するところはおそらく身に覚えのあることをダイゴに指摘されたから――ってのはオレの考えすぎだろうか。
 「貴様――それはどういう意味だ? 貴様に俺の何がわかると言いやがるんだ、鬼浜寺の? 俺はなあ、そういう見透かされたようなことを言われるのが気に喰わねえんだ!!」
 激するコウヘイに対してダイゴは無言で威圧した。
 それがさらなるコウヘイの怒りを買ったような気がした。
 「貴様、その気なのだな? よし――ゴンタよ。行け」
 「フンガー!!!」
 そしてオレたちと対峙した側――暗黒一家は、総帥コウヘイの一声に導かれてゴンタを前へと進ませた。

 「リュウジ。どうする」
 オレの前に立つダイゴが指示を仰がんとリュウジを振り返る。するとリュウジもコウヘイに負けじと声を張った。
 「オウ!! こうなったら引き下がるのは漢の道じゃねえぜ。ダイゴ、このまま受けられるな?」
 「押忍。ではリュウジ、謹んで」
 右の拳を開いた左の手のひらで受け止めながら、ダイゴは深呼吸ひとつするとゴンタの目の前へ出る。
 しんしんと冷え込む河川敷に、青白い炎が灯る。
 背筋がより寒くなるほどの緊張感と互いの軍勢の熱い思いが相俟って空気をかき混ぜているかの如く。
 
 ダイゴとゴンタの、ルール不問の喧嘩勝負が始まった。
 これが赤ジャージと佐藤先生みたいな柔道勝負だったら基礎からしっかりやっているダイゴが遅れをとるわけなんかない。
 けれどもそんな道理の通用する勝負ではこれはなくて――のっけから激しい拳が互いの体を、また顔面を襲撃しあう。
 「覚悟――ドッセーイ!!!」
 「う……がっ」
 肉を打つ鈍い音。砂地を捉える靴の裏が滑る音。
 「フンガー!!!」
 「ぐはっ――」
 拳のうなる音。食いしばった歯の間から絞り出される音。

 隙を見せたほうが負け、より気合いの入ったほうが有利。
 けれどもゴンタも、もちろんダイゴもそれぞれの矜持を賭けてこの新年初顔合わせに出陣しているんだから、意識の上ではまるっきり互角だ。
 吹きすさぶ夜の風の中、それを明らかにするような攻防が繰り広げられていていた。

 力の釣り合った同士の対決は、そう易々と決着するものではない。
 とは言え、今日のダイゴの気合いは壮絶な何かを秘めていた。
 赤ジャージにずっと稽古をつけていたダイゴ。その胸の内にコウヘイの言がどう突き刺さったのかはオレにだって想像できる。
 リュウジだって、オレやノブオだって面白いわけはない。けれどダイゴはおそらくもっともっと、口には出さないけれど納得いかないに違いない。

 「フン――ガァァァ!!!」
 そのとき、思い切り振りかぶったゴンタの拳がダイゴへまっすぐ向けられた。
 あ――まずい!!! オレは思わず声を出しそうになったけれども、当のダイゴはとても落ち着いて身を翻すことでやり過ごした。
 「うお……ッ」
 相手に衝撃をもたらすと信じて疑わなかった拳が宙を切る感覚に、ゴンタは体のバランスを崩した――よろりと膝を地面につきかける。

 ウェイトのあるゴンタはその分俊敏さに長けているわけではないのは予想通り。
 この隙をダイゴが狙わないはずがない。
 ゴンタが立ち上がるところを狙いすましたように、ダイゴが逆に腰を落とす。
 と、半身をゴンタの内懐に滑り込ませて同時にゴンタの着ていた革ジャケットの襟に手をかけた。
 「せーーーい!!!」
 腹の底からの声もろとも、ダイゴはゴンタの巨体を肩越しに投げた。
 ゴンタの巨躯が夜の冷えた地面にどうと倒れる。
 それは道場で見せるダイゴの勇姿さながらの鮮やかさだった。

 決着はついた。
 ゴンタは地面に背中をついたまま起きあがらなかった。
 「よっしゃ!! ダイゴよくやった!!」
 「押忍」
 リュウジは握った拳をぶつけ合う仕草をして、ダイゴの勝利を讃えた。
 ダイゴは白い息を弾ませて、額の汗をぬぐっている。

 「さあ、これでいいな? コウヘイ」
 リュウジは一歩コウヘイに近づいて、倒れたままのゴンタの体を見下ろすようにしてこう言った。
 「……ふん」
 「今日は俺らの勝ちだ。文句ねえな?」
 コウヘイは何も答えない。かわりに地面に唾を吐く。
 「赤ジャージを馬鹿にしたことを俺は許すわけにはいかねえぜ。腹の虫は治まらねえが、いいかコウヘイ。今度赤ジャージがお前らに姿を見せるときには必ず謝らせてやっからな!!! 覚えてやがれ」
 そう捨て台詞を残して、リュウジは自分の単車に戻ろうとした。

 だけど――
 「貴様――腹の虫が治まらねえってのはこっちの台詞だろうが!!!」
 突如としてコウヘイがリュウジの背中に向けて怒号を放った。
 「何だと?」
 「俺はなあ、貴様と一戦交えるのを楽しみにしていたのだ」
 不遜に笑うコウヘイを、水銀灯が照らしていた。
 「その必要があるのか? 今うちのダイゴがそっちの親衛隊長をのしたじゃねえか!! それで終了ってのが俺らの流儀だろう?」
 「流儀もへったくれもねえのが俺等ではねえか? 闘いたいときに闘う、以上だ」
 言いながら、コウヘイは手持ちの木刀を唸らせた。
 「かかってこいや、ゴラァァァ!!」
 嗚呼――いったいどうしたことだろう。
 いつにないコウヘイの粘り腰がリュウジの顔色を変えさせた。



   * 8 *


 「そこまで言うなら今日は特別だぜ!!! 俺だってこのままじゃ寝覚め悪いしな。赤ジャージのためにも」
 ことの発端は記憶の混乱した赤ジャージを揶揄したコウヘイの言にリュウジが、それからダイゴが強く不快を示したこと。
 そこから続くダイゴとゴンタの喧嘩勝負はダイゴの勝ちでその場を締めたはずだったのに、コウヘイがリュウジに再戦を望んで、それをリュウジが結果的に受けたことになる。

 「結局、貴様も自分で闘うのが漢だと思うだろう?」
 にやり、と片方だけ唇の端をつり上げた横顔をコウヘイは見せる。半ばうれしそうでもあるかのように。
 「そしたら遠慮なく行くぜ!!」
 コウヘイを目で捉えつつそう声を響かせたリュウジは、すでにとっていた戦闘ポーズから素早く握った拳を容赦なくコウヘイに向けた。
 最初の一手、右の拳は避けられてしまったが、続けざまに繰り出した左がコウヘイに追い縋る。
 リュウジの攻撃はコウヘイの腹に突き刺さった。
 「ウ……」
 短く詰まった息を漏らしてリュウジを睨むコウヘイの目。凄まじいまでの強さを滲ませている。

 「効いたようだな」
 「――黙れ。私語は慎むがいい」
 言いも果てずにコウヘイは、握りしめていた木刀を構えなおす。
 冷えた外気を斬るようにして、振り下ろされたそれはまっすぐリュウジへと向かって軌跡を描いた。
 ちょうど続く攻撃を仕掛けようと一歩を前に出していたリュウジを木刀が襲う。乾いた音が辺りに響いた。
 「ぐ――っ」
 オレの位置からはよく見えなかったが、おそらく右肩から肘にかけて当たったんだろう――リュウジはそこを押さえて低く呻いた。
 
 「どうだ? 拳が握れねえだろう?」
 「うるせえ!!! 私語は慎めって言ったのはお前だろうが!!!」
 怒鳴りながら何度か手のひらを握って開いての動作をリュウジは見せる。痺れているのかもしれない。
 「――そんなもん、握れなくたって何とでもなるぜ」
 リュウジは声を張らずに低く言う。それが余計に凄味があった。そして。

 「オラ――ぁぁぁっ!!!」
 いっとき前の声音とは打って変わって、今度はよく通る声を響かせる。
 それとともにリュウジは、思い切り勢いをつけた平手打ちをコウヘイにかました。
 ばちん――とコウヘイの頬が鳴る。
 その威力というよりはリュウジのいつにない出方に、コウヘイは一瞬戸惑ったのかもしなかった。
 「貴様。馬鹿にするのも大概にしやがれ」
 「うるせえ!!! 黙って受けやがれってんだ」

 すでに闘いの発端が何だったかなんてどうでもよくなっているんだと思う。
 初めは互いの出方を窺うようにしながらだったリーダー同士の意地の対決は、そこから激しさを増した。
 コウヘイの木刀を交わしながら、おそらく右手の感覚が戻っただろうリュウジの拳が炸裂する。下から突き上げるような顎への一撃は鮮やかに決まった。
 さりとてコウヘイも受ける一方であるわけもなく、巧みに守りの薄いところを突いてくる。さすがに脛は庇いきれなかったようでリュウジが苦しんでいる。
 
 そこだけ空気の色が違うような闘いの場。
 と――リュウジが珍しい攻撃に出た。
 コウヘイの、木刀を握った手の甲に渾身の平手打ちを見舞ったんだ。
 「ウ……アっ」
 多分それは予期せぬ攻撃。短く叫んだコウヘイは手持ちの木刀を取り落とした。
 そしてそれは、何の因果かリュウジの足下近くまで転がっていったんだ。

 最初、リュウジはコウヘイの落とした木刀を蹴飛ばそうとしたように見えた。
 けれども不意に動きを止める。
 かと思うと、逆にそれを拾い上げた。

 「俺は武器は好きじゃねえから心得がねえけど、これは俺にも使えると思うか? コウヘイ」
 言って、リュウジは木刀の先を持ち主に向けた。
 「――知ったことか」
 絞り出すような低い声で答えると、コウヘイは唾棄する。
 
 リュウジは拾った武器を構えた。
 一歩を踏み出して――
 「せいやぁぁぁっ!!!」
 かけ声もろともコウヘイに殺到する。
 けれどもそれは空を切ったのみだった。逆の勢いを受けて、リュウジはすこしよろめいた。
 「貴様、無様な笑えねえ冗談は大概にし――」
 「リュウジ!!」
 そのとき、コウヘイが機嫌悪そうにリュウジを罵倒する言葉を吐くのに被さるように、土手の上から声がかかった。
 場を埋めていた一同は、リュウジとコウヘイも含めて声のほうに目をやった。
 
 土手の上の外灯にぼんやりと浮かんでいる姿。はっきりとしないけれど――声は聞き覚えのあるもので。
 そして声の主は、瞬時に土手を駆け下りてリュウジたちの戦闘の最中へ入っていった。
 「リュウジ、お前、そのような」
 「あ、赤ジャージ……か?」
 木刀を手にしたままのリュウジは、きまり悪そうに担任教師を見ていた。
 
 喧嘩などするなと諫められることを一同は予見していた。
 特にコウヘイは邪魔をするなと言わんばかりの目の色を赤ジャージに向けている。
 ところが、だ。
 「佐藤の教え子は、まあそれなりとして、お前のはそもそも構えがなっておらんのだ」
 そう言うなり、赤ジャージはリュウジの手に力なく握られているコウヘイの木刀をとったんだ。
 「握るときには左手小指に力を入れ、ほかは添える程度。右手はやんわりとと授業で教えただろう? いつもサボってばかりいるから様にならんのだ」
 「――え?」
 まったくの突然の成り行きに、オレたちは面食らっていた。
 そんなことにはお構いなしに赤ジャージは続ける。
 「ほら、こうする。お前の右手に力を入れすぎるから巧くさばけないのだ。加えて言うなら足も開きすぎている」
 「あ、赤ジャージ……お前」
 授業のときに見たことあるのと同じフォームで、赤ジャージはコウヘイの木刀を振り下ろした。
 そう――竹刀を扱うのと同じさばきでもって。

 「どうだ。俺は格好いいだろう? 俺から剣道を取ったら何も残らんとお前が言っていたように」
 さも自慢そうに赤ジャージは胸を張る。
 すでに闘いのことなんてそっちのけになっている状態のオレたちは、顔を見合わせた。
 「先生、思い出してたんだ。剣道のこと……」
 オレの言葉に疑問符を赤ジャージは投げかけた。
 「うん? 何だ? ハヤト」
 「ええと、先生、記憶は戻ってたんだな、って」
 「それはどういう……あっ!!!」

 赤ジャージの我ながら驚いたというような反応から読み取れたのは――実際にあとで語られたのはこれだった。
 通りすがりに人の気配に足を止めて、見下ろしたところにいたのがオレたち。
 リュウジとコウヘイの闘いを見て、止めようと思ったけれどあまりにリュウジの木刀さばきが情けなかったので、ついつい教師という立場よりも剣道を修める者としての意識が先立ったのだ、と。
 しかも、たった先程まで掛かっていた記憶の引き出しの鍵が、それこそ無意識のうちに外れたのだ、と。
 記憶がなくなっていたのにも、思い出せたことについてもまったく自覚がなくて、とにかく反射的にとった言動だったのだ、とも。

 「コウヘイ!!!」
 すこしの間、赤ジャージと顔を見合わせていたリュウジが振り向いて言った。
 コウヘイの手には、赤ジャージから返された木刀が収まっている。
 「約束だ。お前、赤ジャージに謝れや!!」
 「何?」
 「赤ジャージを馬鹿にしたことを俺は許すわけにはいかねえぜ。そもそもダイゴがそっちの親衛隊長をのした時点で約束できてただろ?」
 「そんなの知らねえな。それより俺等の決着はまだじゃねえか。水を差されたからなあ」
 幾分赤ジャージを気にしながらもコウヘイは言う。
 「決着は後回しだぜ。とにかく謝れや!!!」
 そして両者は、またしても矜持をかけた睨み合いとなる。

 「ふたりとも」
 リュウジとコウヘイの間に割って入ったのは赤ジャージだった。
 「今日はこのくらいにしておくように」
 「そんなの赤ジャージの知ったことじゃねえだろ!!! 俺にも俺のプライドってもんがあるんだぜ」
 リュウジは吼える。コウヘイは静かに、だが結果的に邪魔だてされて面白くないことを隠そうとはせずにいる。
 「リュウジ。それから佐藤の教え子よ。それぞれの持つ自尊心については俺にだって理解はできるさ。俺にだって若い頃にはいろいろあったのだし――佐藤とも、な。だが、今日に関しては少なくとも俺は佐藤の教え子に謝られる筋合いではないさ」
 「何だと?」
 「俺はどうやら剣道についての記憶が戻ったようだ。それは誰あろう、佐藤の教え子のおかげなのだから」
 そして赤ジャージはコウヘイに目を向けて――頭を下げた。
 「君は乱闘の際でもきちんとした構えをしていた。暗がりで見ても、ああ、いい構えだと思ったのだ。それを見て反射的に、俺は自ら長年親しんだ記憶を取り戻せたように思う。それに引き替えリュウジは、まあ――」
 そこでいったん赤ジャージは言葉を切った。
 
 「君は基礎からやっているようだな、剣道を」
 「――――」
 コウヘイは言葉に出さずに赤ジャージにほんのちいさく頷いた。
 「せっかくだから伸ばすといい。どうだ、今度手合わせしてみるか?」
 それへは肯定も否定もしない。けれども最後にコウヘイはこう赤ジャージに残してから仲間を促してその場を去ったんだ。
 「先に佐藤先生との手合わせの約束があると伺っておるので、今は遠慮させていただく所存」
 
 結局のところ、リュウジとコウヘイの闘いそのものは中途半端に終わってしまった。
 けれどもリュウジはそれなりにすがすがしい顔をしている。
 ようやく単車に乗って、土手の上で赤ジャージと別れて――さすがに喧嘩ばっかりするんじゃないとリュウジは拳骨をもらってた――から、やっとのことでリュウジんとこの店までたどり着いたオレたちはラーメンをごちそうになりながら話してる。
 すっかり冷えた体に、あったかいラーメンが染み渡っていく。
 「でも、よかったよなあ。赤ジャージ」
 「押忍。瓢箪から駒といったところか」
 「そうっスね~。あれでも役に立つことあるんスね。暗黒一家も」
 「あはは。ほんとだ。コウヘイさまさまだ。って、そうでもないか。リュウジの構えがいまひとつだったおかげって説もあるけど」
 「……何? いま何て言った、ハヤト!!! お前、偉そうに言うなあ」
 軽い平手を頬に頂戴したけど、それでもリュウジは笑ってた。
 
 「さて、そろそろ行くか、走り直しに!!!」
 そしてリュウジは改めてそう言った。
 「あ、ちょっと待って。オレまだ食べ終わらないから」
 「わはは。ちょうどいいや。後から追いついて来いや、特攻隊長!!! ほれ、ダイゴ、ノブオ。先に出ようぜ!!!」
 「押忍」
 「は~い、兄貴!!!」
 「あ、だからちょっと待ってってば……」

 3台のマシンにエンジンがかかる音を聞きながら、オレはスープの最後の一口をすすっていた。
 なんだかんだ言って、リュウジは赤ジャージがふつうに戻ったことがうれしいに違いないんだ。
 うん。だから気分が逸っているんだ。
 オレのこと置いてけぼりにしたのは――意地悪とかそんなんじゃないってオレは信じてるよ……。



   * 矜持対決新春編  完 *



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