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春風到来



   * 1 *


 ほどけるような陽射しを感じて、いつもの河川敷を単車で走る。
 日常そのものの行為なんだけど、いつもとは気分がすこし違う。
 そうか、「日常そのもの」よりも「春そのもの」が強いんだな。

 こんなオレでも風流めいた気分になるんだから、春っていうのは――桜っていうのはすごいと思う。
 ちょこっとだけピンクに色づいた花で、重そうにたわんだ枝という枝。
 満開の桜の木立を抜けるオレの単車の速度は、いつもの速度はどこへやら。
 うっかり、というよりもうっとりしていた自分に気がついたのは、後続車のクラクションのせいだった。
 慌てて単車を桜の木に寄せてブレーキをかける。
 後続車をやり過ごして、せっかくだからとオレは単車のキーを抜いた。
 
 やわらかい太陽の光。
 なんだか空気が霞んで見える。
 土手におりて振り返れば――見事、満開。
 大きく深呼吸をして、気持ちがいいから土手に座り込んで……

 「いい加減に起きろや、ハヤト!!!」
 耳許を急襲する大音声に、びくっ――と体が反応して目が覚めた。
 ……ってことは、寝てたんだな、オレ。
 
 「またこんなところで寝てるのか、お前は」
 ため息混じりにオレを見下ろす真っ赤なリーゼント。鍛えた腕を組んだポーズであきれ顔をしてる。
 「なんだ、リュウジか。おはよう」
 「なんだ、じゃねえだろうが!!! しかも、おはようってのも違うだろ?」
 「ん? あ、そっか」
 「まったく、あいかわらずとぼけた奴だぜ。うちの特攻隊長は」
 怒った形に作った眉の下で、それでも表情はやわらかかった。
 うん。春っていいな。

 出前の帰りに通りかかってオレの単車を見つけたから――と真っ赤なリーゼントを揺らしながらリュウジは言った。
 鬼浜爆走愚連隊初代総隊長リュウジは、オレたちのリーダーだ。
 正義漢で熱血漢。半端なことは許せない、そんな漢気にあふれた存在。
 なぜか女の子には人気がないのを本人が密かに気にしているのは……知らないことにしといてやるのがオレたちのささやかなる敬意だったりもする。
 
 「何度も声かけたんだぜ? いくら暖かいって言っても、そんな無防備に眠りこけていいような時期でもねえだろ」
 白い上っ張り姿のリュウジ――実家のラーメン店「昇龍軒」の縫い取りが胸にあるやつだ――は、起き上がったオレの横に座りこむ。
 「ああ、そうだね。ちょっと冷えたかも」
 「だろう? まったく、ハヤトと来たらところかまわず昼寝だもんな。緊張感がねえってか」
 「だって、今日はこんな陽気だし」
 「何とでも言っとけ。単車に乗ってる時だけだからな、ハヤトがしゃきっとしてるのは」
 あきらめたような笑い方でオレを見た。
 
 鬼浜工業高校に入ってからというもの、リュウジと共に行動しているオレ。
 単車のテクだったら誰にも負けない自信があって、それをリュウジが買ってくれているのはさらなるオレの自信につながっていたりする。
 自然の流れで、とでもいうか。
 いつの間にか、鬼浜爆走愚連隊の特攻隊長に納まっている。

 「けども、まあ、しょうがねえか。こんな日だもんな」
 土手に寝っ転がって、見上げたリュウジがそう言った。
 彼の瞳には、すこし霞んだ青空と満開の桜の花が映っている。
 
 「桜って、いいよな。花なんか全然興味ねえ俺でも、見てるとそう思うぜ」
 まったく同感だったオレは、それ以上の言葉もないので黙ってうなずいた。
 ――けれどもリュウジの目には『うなずくオレ』は見えていなかったようで。
 「……なんだ、ハヤト? 返事もねえのかよ。そんなに俺には似合わねえって言いたいのか?」
 「え、そんなんじゃないって。ただ、なんか平和だなあ、って思っただけ」
 「そうか。そういうことにしといてやるか」
 納得したんだかどうなんだか。やっぱり環境のせいなんだか。それ以上リュウジがつっかかってくる気配もないので、オレもリュウジの隣に横たわった。
 今度は眠らないようにしないと、なんて思いながら。

 満開の桜は、通り過ぎる風に花びらをさらわせてゆく。
 「桜吹雪って奴だな、ハヤト」
 「うん。贅沢な気分になるね。でも、散るのが早いからもったいない気がする」
 「そうか? 桜ってのは、そういう花だから潔くて、それだから美しいんだって思うぜ、俺は」
 「へえ。リュウジらしいこと言うね。オレはどっちかって言うと、五分咲きぐらいのほうが好きかな。まだまだこれから、って感じるから」
 「わはは。意外とかしこそうなこと言うじゃねえか」
 ――こんな会話、リュウジとオレとでしているっていうのが、まったくもって日常じゃない。
 春っていうだけで、桜っていうだけでこうなのかと思うと、魔力すら感じるな。

 「けど、本当に平和だよな、ここんとこ」
 「うん。まったくね」
 一陣の強めの風がたくさんの花びらを舞いあげるのを見たあと、リュウジは体を起こしながら言った。オレもそれにならう。
 「奴らも大人しくしてやがるしな」
 「たしかにね。ここしばらく、姿も見ない」
 『奴ら』――暗黒水産高校・暗黒一家のことだ。
 総帥・コウヘイを取り巻く集団で、オレたちとは対立関係にある。
 何だかんだと、顔を合わせれば火花を散らす間柄である鬼浜爆走愚連隊と暗黒一家。
 それがここ鬼浜町での構図なんだ。
 
 「まあ、俺らも好きこのんで勝負したいわけじゃねえからな。悪いことじゃねえってことにしとくか」
 「そうだね」
 ほんとはちょっと物足りない気分なのは、オレがまだまだってことなのかな。
 それとも、リュウジも内心はそんな気分でいるんだろうか――オレの経験からすると、おそらく答えは『YES』だけど。

 「ハヤト、このあと暇か?」
 「うん。今日は別に何も」
 「そしたら夜、集まろうぜ!!!」
 「いいね。なんだか久し振りだ」
 「だろう? 冬の間は回数、少なかったからな。そしたら俺、今からダイゴんとこ知らせに行ってくるぜ!!! また後でな、ハヤト」
 言うが早いか立ち上がって、リュウジは単車――愛車の大型じゃなくて、出前用のカブだけど――のところに戻っていった。
 
 また強めの風。
 リュウジの背中を、真っ赤なリーゼントを桜の花びらが飾る。
 あはは、オレ、ちょっと詩人……似合わないけど。



   * 2 *
 
 
 甘い香りをはらんだ風が桜並木を揺らしてる。
 久し振りの夜の河川敷は、ほんの数週間前とは違う場所のようだ。
 冬の間の河川敷はまるでオレを突き放すように冷たかったけれど、今日のここはオレを歓迎してくれているような気がする。
 ……まあ、単にオレが寒いの苦手だからそう感じるだけなんだろうけど。

 リュウジの招集を受けたオレたちは、夜を待って国道を単車で流した。
 今はちょうど日付の変わったころ。ことによってはもう一周行くかどうか、ってところだけど、ひとまず小休止ということでお決まりの河川敷に来て、他愛のない話なんかに興じている。
 
 「俺な、昨日の夜、漫画読みながらこたつでうたた寝しちまってな」
 「リュウジ。こたつで寝ると風邪をひくぞ? もうさほど寒くはないとはいえ」
 「オウ。ついうっかり――な。ダイゴ」
 「へえ。リュウジにしては珍しいんじゃない?」
 「そうっスよ、兄貴。ハヤトさんならいざ知らず」
 「……って、ノブオ。お前、一言多いな」
 わはは、なんて笑い交わす仲間との夜。うん、オレの好きな時間だ。

 「それでな、そのまま朝まで眠りこけたりしなかったのはハヤトのおかげなんだぜ!!!」
 そこまで言ってオレの顔を見るなり――リュウジは笑いはじめた。
 「わはははは!!! それがもう、ハヤトがおかしくてな」
 「オレ? オレがどうしたんだよ、リュウジ」
 「オレも聞きたいっす、兄貴」
 「いやな、夢の中の教室でオレの前の席にハヤトがいて。でもって、振り返ったんだよな、授業中に。そしたらハヤトの奴、頭がリーゼントだったんだぜ!!!」
 「ええ~!! ハヤトさんが――うははははは!!!」
 「だろう? おかしいだろ? おかしいよな、ノブオ!!! だから俺、笑いすぎて目が覚めたぜ」
 「まったくもって傑作っす、兄貴~」
 「押忍。確かにハヤトにその髪型は、あまり似合う感じではないゆえ」
 ダイゴはまだしも、リュウジとノブオのふたりはオレを指さして、それでもってオレの頭を見て何かを想像しながら笑い転げてる。べつにおかしくないのはオレひとり。
 
 「なんだよ、もう。みんなでオレを見て笑うなんて」
 わかりきっているけど、オレの反論なんて誰も聞いていない様子。
 「っていうか、第一、オレそんな髪型になんかしないし」
 「何だと? ハヤト、聞き捨てならねえな!!! 『そんな髪型』って言ったろ、今」
 「え――あはは」
 ……こんなことだけ聞こえるんだもんな、リュウジの耳ってのは。
 「わかってねえな、ハヤト。リーゼントってのはな、漢の髪型だぜ!!!」
 「そうっすよね、兄貴!! 漢にしか似合わないっス~」
 「それはオレが漢にはなれないってことなんだな……」
 嗚呼、もうオレ、笑われ放題。ぜんぜん意味がわからないまま笑われ放題だ。
 
 「ちぇ。何とでも言えばいい」
 「ハヤト。何もそう落ち込まずとも」
 「ダイゴ……オレ、別に落ち込んでなんていないから」
 まったく。どっしり頼れるはずのダイゴまで頬が笑ってるよ。
 でも、まあいいか。仲間と笑いあえるのはオレの好きな時間だって感じたばかりだし。
 そう考えたら、オレもちょっと笑ってみる気になった。笑うのって悪いことじゃないな。
 
 「さ~て、もうひとっ走り行っとくか?」
 ようやく笑いをおさめたリュウジが言った。切り替えが早いな。
 「OK、行こう」
 「押忍」
 「は~い、兄貴!!」
 それぞれリュウジに応えて、土手を上がる体勢に入るった。
 と――
 土手を見やったオレたちの目に入ってきたものは、大きな風が吹いているわけでもないのに激しく揺れる桜の木。
 しかも並木全体ではなくて、オレたちの目の前の1本だけがゆさゆさと揺れている。放っておいても木から離れてゆくばかりに咲き誇った花びらを、ここぞとばかりに散らしながら。

 「あれ? なんかあそこだけ揺れてません?」
 「オレもそう思った、ノブオ」
 「確かに不自然ではあるな」
 「ダ――ダイゴ、あれはもしや……」
 見やったリュウジが声を低めてダイゴに問う。
 「いや、心配には及ばんな、リュウジ。そのような手合いの気配は感じぬゆえ」
 「オ、オウ!!! それなら安心だぜ」
 ダイゴの言葉を聞いて、リュウジの声はもとの張りを取り戻していた。
 そう、リュウジは『この世のものではない』ものごとに案外弱いらしい。対してダイゴは商売柄――ダイゴの家はお寺だ――、そうした気配には敏感で、判断に間違いがない。
 リュウジの数少ないと思われる弱点も、こうやって補ってやれる組み合わせなんだ。
 
 「ん――? 木のところに誰かいる、リュウジ」
 「何? どれ――」
 オレがそう告げると、リュウジはいち早く駆けだして土手を上がる。オレたちも急ぎ気味にリュウジのあとを追った。
 オレたちが土手を上がりきるより先に、耳にリュウジの叫びが届く。
 「オラ!!! お前、何やってやがる!!!」
 「何だっていいだろう? こっちの勝手だ」
 
 その声に遅れることしばし、リュウジと相手の姿が目に入るところまで辿り着いた。
 リュウジの目の前には、桜の木を背にしてリュウジをにらみつけている男。
 背が低くて痩せていて、眼鏡をかけた――大人の男だった。
 「どうした、リュウジ」
 「ハヤト、この親父がな、桜の木によじ登ろうとしてやがったんで止めたとこだぜ」
 「なるほど。それで揺れていたのだな、木が」
 「そうっスね、ダイゴさん。ってか、おっさんには木登りなんて無理じゃないっスか?」
 「そういう問題じゃねえぞ、ノブオ!!! 桜の木を傷つけるなんて狂気の沙汰だぜ」
 「押忍。リュウジの言う通りだ。桜の枝を折っただけで罪になる」
 オレたちがちょっとした言葉を交わす間に、また木が揺れた。はっとして見れば、親父さんが木にすがりついている。
 
 「ああっ!!! 親父、正気か?」
 「う、うるさい!!! 黙れ!!! お前なんかに私の何がわかるって言うんだ」
 「……ダイゴ、手を貸せ」
 「押忍」
 言うが早いかリュウジとダイゴが左右から親父さんの両腕を捉えて、いとも簡単に幹から体を引き離した。
 その勢いで親父さんは、木の根元に倒れ込んで尻餅をつく。
 「一体何の資格があって私の行く手を阻むんだ、あんたたちは……」
 立ち上がる気もなさそうに、親父さんはうつむいてそう言った。
 「しかくもさんかくもあったもんじゃねえっての!!! 親父、何がしてえんだよ?」
 「……うるさい、もう放っておいてくれ!!」
 何を思ったか、親父さんは突然声音を変えて叫び声になる。
 かと思いきや――急に立ち上がって、見合った体勢のリュウジの腹に拳骨を喰らわせる。
 
 突然のできごとに、オレたちは息を呑んだ。
 不意打ちを見舞われたリュウジはバランスをくずして倒れかける。
 それを見た親父さんは、さっきよりも大きな声を桜並木に響かせたんだ。
 「私はあんたたちみたいな若者が、憎くて仕方がないんだ!!!」



   * 3 *


 「親父、お前、酔っぱらってるな?」
 桜並木のど真ん中で、リュウジは見知らぬ親父さんと対峙していた。
 いくら奇襲をかけられたとはいえ、そこはリュウジの鍛え方。小柄で、とうてい使い手とは思えない親父さんの拳がリュウジの膝をつかせることはなかった。
 体勢を立て直したところで、リュウジは親父さんに向かってそう言葉を放ったんだ。
 
 「だったら何だ? 酒は大人の権利だ」
 「権利だ何だってぬかす前に、人としての分別つけろや、親父!!! やっていいことと悪いことがあるだろ?」
 「……偉そうに。所詮は不良のくせに」
 「何だと~~~?」
 吐き捨てるように言った親父さんに向かって――拳を振り上げたのはオレの隣でなりゆきを見守っていたノブオだった!!
 ノブオは止める隙もなく親父さんに駆け寄って、拳を開いて平手を繰り出す――寸前に、リュウジに手首を掴まれて阻止された。
 「コラ、ノブオ!!!」
 「あ、兄貴、どうして……」
 「そんなこともわかんねえのか!!!」
 「ノブオ。無用な喧嘩をリュウジは善しとせぬ」
 「あ――」
 ダイゴのとりなしを聞いたノブオは、ゆっくりと一歩下がってリュウジに頭を下げた。
 
 「兄貴、オ、オレ――」
 ノブオが口を開きかけたのに、別の声が被さった。
 「所詮、不良のくせに」
 そうちいさく呟くと、親父さんはなぜだか突然、すすり泣きをはじめたんだ。
 「ふ、不良のくせにぃぃぃ」
 「オイ、親父? 何だよ、急に――」
 困惑したようなリュウジの胸板を弱い拳で叩く親父さんの姿は、だだをこねる子供のそれによく似てた。
 「ハヤト。酔っ払いってのは、こんな意味のわかんねえもんなのか?」
 「うん。そんなもんかもね」
 リュウジはオレに苦笑いを寄越してこう訊く。オレも似たような表情を作って返した。
 「あと10年くらいしたら、ハヤトもこんな風になるんだろうな」
 「オレ? なんでオレが?」
 「なんとなく、そんな予感がするぜ」
 「……リュウジも充分、意味わかんないって」
 
 しばらくリュウジは困った顔をしたまま、ノブオは詫び損なった申し訳なさそうな顔をしたまま、ダイゴはとりたてて表情は変えないままの時間が過ぎて。
 やっと親父さんが落ち着きを取り戻したのは、ノブオがリュウジの命を受けて買ってきた、ミネラルウォーターをいくらか飲んだときだった。
 
 「……済まなかった」
 うつむいたまま、親父さんはほんのちいさくこう口を開いた。
 「オウ!!! わかればいいんだぜ、親父。桜の花には何の罪もねえからな。ほら、謝るんだったら後を向けや。相手は桜の木だろ?」
 「ああ――」
 リュウジの言うことは正しかった。
 親父さんはリュウジに手を挙げて暴言を吐いたことを詫びたようだったけれども、リュウジには親父さんの拳骨なんて、蚊に刺されたほどのものでもなかったみたいだし。
 それに、『不良』って言われることなんて日常茶飯事だし。慣れてもいるから。
 親父さんはリュウジに逆らうことなく、さっき登ろうとしていた桜の木に向かって頭を下げている。
 「そうだ。それでいいぜ、親父!!!」
 晴れ晴れとした顔でリュウジは頷いた。うん、いい表情だ。
 
 「さあ、親父。気が済んだらそろそろ帰れな。ここ、けっこう風あるからな。風邪でもひいちまったら大変だろ?」
 「兄貴――なんて優しいお言葉」
 なんてノブオは感激しているけれども、リュウジの言葉の裏くらいは、オレにもわかる。
 不良を云々していた親父さんがまた激することになるような場所だからなんだ、ここ河川敷は。似たようなほかの集団を親父さんがまた目にしないとも限らないしね。
 
 けれども――親父さんがリュウジに返答をするより早く、一瞬の隙を突いてダイゴがこう切り出した。
 「我等のようなものが憎いと言っておられたが。何か話したい事があるのではないか?」
 なだめるような口調のダイゴの重い声が、小柄な親父さんの頭の上から降り注ぐ。
 「俺達のようなものでもよければ話を聞こう。内心に面白くない事柄があると、おそらくそれが酒によって増長されるのだろう。またこのようなことにならぬよう、少しは荷物を下ろしてもよいのではないか?」
 「ダイゴ、さすがだぜ。聞き上手もいい坊さんになる条件ってことか?」
 「押忍。何事も修行ゆえ」
 「たしかに精神的に何かを抱えてるときにお酒は、ちょっとね。オレにもわかる」
 「ん? ずいぶんと知ったようなこと言うな、ハヤト?」
 「あ――まあ、うん。あはは」
 「ハヤトさんって不良ですからね~」
 「……一言多いなあ、ノブオ」
 
 ひとしきりオレたちのやりとりを聞いていたのかそうでもないのか。
 親父さんはダイゴのほうを向いてこんな話を聞かせてくれた。
 親父さんには息子がいる。大事な跡取り息子なんだそうだ。
 息子はオレたちと同じ、高校生らしい。
 どうも彼が最近不良に心酔しているということで、それが面白くないんだそうだ。
 顔を合わせれば信じられないような冷たい視線や冷たい言葉で両親に向かうらしい。
 それ以前に、家に寄りつかなくなってしまったことこそが最大のポイントなんだとか。
 そんなことを、酒のせいで呂律のあやしくなった口調で話していた。それをダイゴは黙って受け止めている。
 
 「なるほどな。それで、か」
 ダイゴの横で聞いていたリュウジが大きく首を縦に振る。
 「うん。ちょっと耳が痛いね、リュウジ。オレたちも決して親孝行とは言えないし」
 「それはハヤトさんだけっス!!! 兄貴は親孝行っスよ~」
 「……もう、いいから、ノブオは」
 「とにかく、事情はわかったゆえ」
 ダイゴが言うと、親父さんは安心したように大きなため息をついたんだ。
 うん、オレにもわかる。ダイゴの声って、そういうときは安心できるんだよな。
 「もしも私の息子に出会うようなことがあったら、家に帰るように言ってもらえないだろうか?」
 すっかり落ち着いたのか、思いついたように親父さんはリュウジにこう切り出したんだ。
 「オウ!!! それくらいはお安い御用だぜ!!! で? 親父の息子ってのはどんな顔をしてるんだ? 俺らで見分けられるのか?」
 「この写真を――」
 ジャケットの胸ポケットから財布を出した親父さんは、それを探って1枚の写真をリュウジに託した。
 「よっしゃ、わかったぜ、親父。もし見つけたら絶対に伝えるからな!!!」
 
 それから親父さんは多少ふらついた足取りで、駅の方に向かって歩き出した。
 その背中を見送りながら見せてもらったら、リュウジが受け取ったのは息子さんがまだ小学生くらいの頃の家族写真だった。
 「ずいぶん古いね。これでわかるかな? リュウジ」
 「当然!!! 俺は会ったらわかると思うぜ。早いとこ会えるといいな、親父の息子に」
 なぜだかリュウジは自信満々だった。それに頷いているダイゴも、また。
 「は~い!! オレも大丈夫っス!! だってオレ、将来はスナイパーっスからね~」
 「ふうん。オレだったらあんまり自信ないなあ」
 「わはははは!!! ハヤトって、そういうタイプだもんな」
 笑いながらリュウジがオレの背中をばしばし叩く。うん。反論できないや、オレ。



   * 4 *
 
 
 今年はけっこう長い間咲いていた桜も、今やほとんど葉桜になっている。
 それでも、相変わらずの平和な春の日々をオレたちは満喫していた。
 平和ついでに、今日は単車でちょこっと遠くまで来ている。ここは鬼浜町からは30kmはあるだろう場所。海沿いの国道をそのまま西へと走ってきた。
 取り立ててどこへ行くという目的も持たないで走るのって、気分がいいな。
 
 信号待ちで単車を停めると、海からの風が髪を揺らす。
 「でも、あれだな、ハヤト」
 「ん?」
 海の方に目をやったまま、リュウジがオレの名を呼んだ。
 「同じ海って言ってもな、なんかこう、ウチのほうとは違うよな、空気が」
 「ああ、わかるな、それ。こっちのほうが穏やかな色してるかもね。海面が」
 「魚とか、たくさんいそうっスよね~」
 「そうだな、ノブオ。このあたりは漁業が盛んなのだ。もう少し先へ行くと、鬼浜町にあるよりもかなり大きい漁港があるはずだ。土産ならばかまぼこが有名だな」
 「へ~。ダイゴ、詳しいね」
 「押忍。家の手伝いでこちらのほうに来ることもあるゆえ、な」
 「なんつってもダイゴは物知りだからな!!! 心強いぜ」
 リュウジは大きく口を開いてそんなことを言った。うん、たしかにね。
 
 途中でひと休み、ということで、コンビニに立ち寄ってみる。
 それぞれに飲み物なんかを買って、駐車場で小休止だ。
 「てゆーか、ホントにのんびりしてますね、ここんとこ」
 「うん。そうだね、ノブオ」
 なんて、しゃがみ込んでノブオと話してる。
 「あ、ちょうちょ飛んでますよ~、ダイゴさん」
 「おう、本当だ。モンシロチョウだな」
 「あ、よかった。白いやつで」
 「はい? 何がよかったんっスか? ハヤトさん?」
 「子供のころ、いとこの亜由姉さんに教わったんだけどさ。春にはじめて見る蝶が白いやつだと、その年はいいことあるんだってさ。で、黄色いほうだとあんまりよくないって」
 「ほう――そのような言い伝えがあるのだな。聞いたことがなかったが」
 「オレも初耳っスね~」
 「へえ。亜由姉もあれで昔は、そういう少女っぽいとこもあったんだな!!!」
 リュウジがそんなふうに言う。
 オレのいとこの亜由姉さんはそれなりにリュウジをかわいがっているんだけど、リュウジはほんとは、亜由姉さんをちょっと恐れている感じ。
 ほら、基本的にリュウジって、女性には弱いから。

 「あれで、って、リュウジ。それ、亜由姉さんに聞かれたら、どんなことになると思う?」
 「わはははは!!! 聞かれるわけねえだろ!!! だってこんなとこに亜由姉が来るとも思えねえし。ってか、ハヤト。お前、まさか告げ口する気じゃねえよな?」
 「え。それはどうだろう」
 「オイ、コラ!!! ハヤト!!!」
 「あはは。やっぱり怖いんじゃん、リュウジ。亜由姉さんのこと」
 「そ――そんなんじゃねえけどよ」
 リュウジときたら、どういうわけだかこんなときには幼い顔になる。

 オレは知ってるけど、こんなところは年上の女性にはウケが決して悪くはないんだよな。
 あと、不思議とノブオにも。
 「うはは。なんか兄貴、カワイイっす~」
 「何だと、ノブオ? 俺が可愛いってどういう意味だか言ってみろや」
 「え、あ、えっと……特に深い意味は。い、いえ、そのう……」
 「あ、逃げるか、ノブオ!!! 待てや!!!」
 「あわわわわ、スミマセン、兄貴ぃぃぃ~」
 なんて調子で、リュウジとノブオは駐車場で追っかけっこなんてやってる。
 あ~、ほんと平和だ。オレたち。

 「うむ。まったくだ」
 「ん? 何が? ダイゴ」
 レクリエーションに興じるリュウジとノブオを見ながらダイゴが言った。
 「今、ハヤトが『平和だ』と言ったので。同意したのだが?」
 「え。オレ、そんなこと言ったっけ?」
 「押忍。そう聞こえたが? 違ったか?」
 「え……オレ」
 あれ。オレ、口に出して言ったっけかな。なんか、寝ぼけてるんだろうか。
 「まあ、いいか。そう思ったのは嘘じゃないしね」
 ダイゴもときどき不思議と鋭いところがあるから。
 おっと。ここは『不思議と』なんて心の中でも言ったらいけないか。もしかしたら聞こえてるかもしれないからね。ダイゴに。

 そんな平和なひとときを過ごしたあと。
 「さてと。今日はこれからどうすっか? もうちょっと行くか? それとも、土産でも買ってぼちぼち帰るか?」
 飲み終えたいちご牛乳の紙パックを丁寧に潰しながら、リュウジが言った。
 「どうだろうね。夕方になると、道路混むよね? 海岸線だし」
 「そうだな、ハヤト。しかし逆に、夜遅ければまた空いても来るが」
 「それも言えるっスね、ダイゴさん」
 「個人的にオレはもうちょっと先まで走ってもいいけど……」
 どうする――? という視線を3人でリュウジに投げた。こういう時の決断を下すのはリーダーの仕事だから。
 ちょっとだけ考えて、リュウジはこう言った。
 「よっしゃ!!! そしたらとりあえず、かまぼこ買いに行こうぜ!!! 名物なんだろ? 帰るか走るかは別として、せっかくだったら土産屋が閉まっちまう前に、な」
 リュウジの決断はこうだった。
 ちょっとした遠出。それでもって、その土地のおいしいもの。なるほど、そんな楽しみもあるんだな、単車に乗るっていうのは。
 走ることにばっかり意識が行ってしまうオレって、意外と損してるのかもしれないね。

 小休止したコンビニの駐車場を出たあとは、ダイゴの先導で土産店へ。
 名産だというかまぼこのほかにも、干物だとかの海産物がずらりと並ぶ大きな店だった。
 「おばちゃん!!! これ、試食してもいいのか?」
 「どうぞどうぞ、お兄ちゃん。おいしいよ~、うちのは」
 「どれ――」
 着くなりリュウジはこんな感じ。さっそく店番のおばさんに、親しげに声をかけてる。
 「オウ、なるほどな!!! 名産だけあるぜ」
 「兄貴、こっちの揚げかまぼこ、ってのはどうです?」
 「うん? お、これもうまそうだな、ノブオ」
 こんな調子で、リュウジとノブオのふたりは店の中で爪楊枝に刺さったあれこれを味見している。
 オレは、リュウジが選んだのと同じものを買って帰れば間違いないだろう、と思って、リュウジの出方を窺っているだけ。
 
 「そうそう。お兄ちゃん、こっちはどう? 今年の『春風かまぼこ』なんだけどねぇ」
 思いついたように店のおばさんが出してきた商品は、桜の花びらと、それから葉っぱの形と色をした、ちょっと変わった2種類のかまぼこだった。
 「ほう。綺麗な色だ」
 おばさんの手元をのぞき込んでダイゴが言った。
 「そうでしょう? 大きいお兄ちゃん」
 「押忍。この品物ははじめて目にするな」
 「これはね、毎年違う形をした春限定の商品なのよ。ちょうど――そうね。お兄ちゃんたちと同じくらいの高校生たちが作ったものでねぇ」
 「うん? 俺らみたいな歳の奴がこんなの作ってんのか!!! なんかすげえな!!!」
 おばさんの言葉に、リュウジはなんだか興味を持ったみたいだった。
 「こんなのを作れるってのは、きっと芸術家な職人なんだろうな、その高校生ってのは」
 ……このリュウジの感嘆した、他意のない発言が発端だったんだけど。



   * 5 * 
 
 
 春イメージのかまぼこを作っている工場が裏手にあるから、と店番のおばさんが言ったのを承けて、オレたちは土産店の裏へ回ってみた。
 国道沿いの土産店。裏手の工場というのは路地を隔てた向かい側にあった。

 工場は白い壁の大きな建物だった。
 「へえ。ここで作ってるんだな、かまぼこ」
 見上げてリュウジは言っている。
 「原料が目の前にたくさん泳いでるんだから、そりゃ新鮮なやつができるってことだね」
 「わはははは!!! そんなとこだな、ハヤト」
 なんて話していたら、店番のおばさんが後から出てきた。
 「ごめんなさいね~、お兄ちゃんたち」
 「うん? どうかしたか? おばちゃん」
 「いえね、いつもだったら工場見学できるのよ。だから工場に連絡してみたんだけどね」
 「へえ、見学か!!! そんなのできるんだな」
 「そうなのよ、普段なら、ね。けれど今日はお断りされちゃったのよ」
 おばさんは済まなそうに、かぶっていた三角巾をはずしてリュウジに頭をちょこっと下げてる。

 「いまここで、『春風かまぼこ』を作ってる高校生たちっていうのは、ちょうど研修でここへ来ているのよ。それで、今の時間ちょうど彼らが大勢作業中だから遠慮してもらいたい、って。今日が最終日だから大変なんですって」
 「ふうん。それじゃしかたないね、リュウジ」
 「まあ、いろいろ事情ってのもあるだろうからな。今日はあきらめるか」
 「そうだな。それほどここは遠い場所でもないゆえ。また走りに来るのもよいな」
 「ですね~、ダイゴさん。お楽しみはあとで、ってのもイイっスよ」
 「ほんとにごめんなさいね、お兄ちゃんたち。おわびにサービスするから、お店に寄ってってね」
 オレたちのお袋よりも年上っぽいおばさんが、にこりと笑ってそう言った。
 「オウ!!! それはうれしいぜ、おばちゃん!!! よっしゃ、そしたら今日はかまぼこ買って、そろそろ鬼浜町へ戻ろうぜ」
 「うん、了解」

 リュウジの言にうなずいたオレたちを見て、おばさんが口を挟んだんだ。
 「あら、お兄ちゃんたち、鬼浜町から来ているの?」
 「そうだぜ、おばちゃん。ちょっと散歩がてら、な?」
 「は~い!!! 兄貴の言うとおり」
 「そうだったのね。それは奇遇だわ。ほら、いま研修中で、さっきの『春風かまぼこ』を作った高校生たちも、そっちのほうから来てる子たちよ」
 「ほう――?」
 ダイゴがおばさんと工場を見比べながら応えた。
 「なかなかやんちゃそうな子たちだわ」
 うふふ、なんて笑いながら、おばさんはリュウジを見て、そして一歩先に店の中へと戻っていった。
 
 なんか――なんか予感がしないか?
 気配とかそういうのに鈍いってリュウジに評されるオレでも『何か』を感じるわけで。
 4人でなんとなく目配せをしていたときだった。
 工場の門へトラックが入ってきた。
 建物の横に荷台をつけてトラックが止まると、ガラガラという音が聞こえた。内側からシャッターを開けたんだろう。
 開いた荷台からはいくつものコンテナがおろされて、シャッターの開いた建物に次々に運ばれていく。コンテナの中身はきっと魚だろうと想像できる。

 その様子を無言で見守っているオレたち。
 そして、オレたちの視界にひっかかったのは、コンテナに群がるおそらく研修中だという高校生の一団だった。

 ほらな――やっぱり。
 久し振りに見る奴らの姿は、作業着とゴムの前掛け、ゴム長靴といった出で立ちで。
 作業用の帽子もかぶっているので、印象はずいぶんと違うけれど。
 号令をかけているのは、あれ、コウヘイだ。
 それに応えている野生の叫び、あんな体格の奴はゴンタに違いない。
 スキンヘッドもモヒカンも帽子の下だけど、あっちはハンゾウで、隣はタカシだ。

 「ああっ!! 奴ら、暗黒一家じゃないっスか~!!!」
 「シッ、ばか、ノブオ。声が大きいよ」
 「あ、すみません、ハヤトさん」
 そりゃ、ね。声のひとつも出したくなるの、わかるけど。
 「そうか。研修中の高校生って、奴らだったんだ」
 「だな、ハヤト。暗黒一家って、水産高校だもんな。こんなとこにいたんだな。道理で最近、鬼浜町が平和だったわけだぜ」
 「リュウジ。どのみち、このような場所で挨拶はまずいのではないか?」
 「オウ、ダイゴ。まったくだ。気づかれる前に退こうぜ」

 リュウジにしては小声で言ったときだった。
 工場の門から出てきた小柄な人物が、オレたちのいる場所――土産店の裏口扉がある――を目指して走ってきた。
 手には大きめのダンボール箱を抱えている。その箱の上にも何かが不安定な様子で乗っかっていて。
 彼は最初に、オレと目があった。
 あれ――? って顔をしたような気がする。
 その後すぐにリュウジの姿が目に入ったみたい。
 すると急に、びっくりしたように一瞬足をとめて――そのせいで、箱の上に乗っていた何かが道路に落ちてしまう。

 「オイ、落ちたぜ」
 足許に転がってきた落とし物――さっきオレたちが土産店で試食させてもらった『春風かまぼこ』のパッケージだった――を拾って、リュウジは彼に手渡した。
 「あ――」
 「大事なもんだろ? ほら」
 「…………どうも」
 垣間見た暗黒一家と同じ出で立ちの、小柄で眼鏡をかけた彼は、オレたちを見て顔色を変えたと見える。
 ってことは、少なくともオレたちの顔を知っているってことだな。
 
 その問答の気配がしたのだろうか。
 工場の建物の方角から、彼の名前らしきを呼ぶ大音声が聞こえてきた。
 「ゴラァ!!! ミツル、何、油売ってやがる」
 振り向かなくても誰の発したものだかわかる、それは物騒な叫びだった。
 「す……済みません、何でもありません」
 そちらに向かって叫び返す彼。
 ヤバい、気配が近づいてくるんじゃないか?
 こんなところで事を構える気なんかないのは、リュウジの様子を見ても明白。だったらオレたちのすべきことは――奴らに姿を見せないことだけだよな。
 
 結局オレたちは何も言わずに小柄な彼をあとにして、狭い路地を通って正面玄関からもう一度土産店に入っていった。
 本当はこのまま、何も買わないで帰ったほうがよかったような気もするんだけど、店のおばさんと約束したのをリュウジが破れるわけもなく。
 それぞれに土産品を選んでレジに持っていったら、おばさんはにこやかに、これサービスね、って言いながら、オレたちそれぞれの袋に『春風かまぼこ』を入れてくれたんだ。
 さすがに誰も、お金出してこれを買う勇気はなかったんだけど。
 「奴らの作品――か」
 「まあな、誰が作ったものだとしても、旨いもんは旨いからな……」
 土産店の名前が印刷されたビニール袋をまじまじと見つめながら、複雑そうな表情でリュウジは言った。



   * 6 *


 土産店と、その裏手のかまぼこ工場と。
 久々に見る暗黒一家の姿と、奴らの作った繊細な印象の『春風かまぼこ』と。
 あれこれ思いをよぎらせながら、鬼浜町まで続く海沿いの国道を単車で走る。夕方が近いから、そろそろ道路も混んできそうな頃合いだった。
 さっき寄ったコンビニの前を通過するときのこと。
 リュウジがふと思い立ったらしくオレたちを振り返って促した。
 なんだろ――? と、リュウジのあとについて駐車場に単車を止めた。ダイゴとノブオもオレのあとに続く。
 
 「どうかした?」
 オレの問いかけに、オウ、と目顔でリュウジは応えた。
 「いやな、走ってて、ずっと気になっててな」
 「何?」
 「これだ、これ」
 そしてリュウジが懐から取り出した財布の、その中身。
 大事そうに手に取ったそれは、数日前に河川敷で出会った酔っぱらった親父さんから預かっている写真だった。
 リュウジは写真に目を落として納得したような顔をすると、写真をオレに手渡しながらこう言った。
 「似てねえか? さっきの」
 「さっきの、って――」
 「ほら、かまぼこ屋の裏で会った奴」
 
 手渡された写真は、前に一度見た古い家族写真。写っているのは河川敷で会った、小柄で眼鏡の親父さんと奥さんであろう女性、それから彼らの息子だという子供がひとり。
 正直言って、何年も前に撮られた人物の現在の姿なんて、オレには想像もできなくて。
 ちょっと困って、写真をダイゴに回してみた。
 「なるほど、確かにな。体格も顔立ちも、この写真よりは現在の実物のほうが、先日の父親には似ていたかもしれんな」
 「ダイゴさん、オレにも見せてくださいっス」
 写真はダイゴからノブオの手に渡る。そしたらノブオも、もっともらしく頷いてる。
 
 「似てるだろ?」
 「まあ、言われてみればそうかもね」
 オレとしては、まったく自信ないけど言ってみた。
 「きっとビンゴっスね~!! すっごい偶然」
 「偶然ってか、どっちかって言ったらそんなことだろうと思ったけどな、俺は」
 「確かに。まあ、あの広くはない町で不良と称される一団で、俺達に心当たりがないということは、な」
 「だろう? ダイゴ。ウチじゃねえってことは、暗黒にいるんだろうって思ったぜ」
 「さっすが兄貴!!! ご明察っスね~」
 ノブオが拍手なんかしてる。でもって、オレは違うところに突っ込んでみた。
 「っていうか、オレたちって一般的にはそんなに不良なのかな?」
 「……少なくともハヤトは、な。俺なんかよりずっと立派な不良じゃねえか」
 なんでかため息なんかついてるのは、ウチの総隊長。なんでだろう。

 「つーか、あの親父。早とちりだったんじゃねえのか? 息子が家出したんだとか言ってたよな?」
 「ああ、そうか。彼が該当者だとしたら、家出じゃなくて学校の研修だったんだ」
 「確かに。ここ数日来のことを言っておられたのだとしたら、誤解なのだろう」
 「う~ん。親子の対話って、大事なんっスね~」
 「その点、ノブオは親孝行だよね。だって、何でも話すだろ? お袋さんに」
 「そりゃそうっスよ、ハヤトさん!! オレ、母ちゃんと仲良しですもん」
 誇らしげにノブオが言ってる。それはそれでほほえましいって言えば、そうだけど。

 「ともあれ、暗黒水産の連中はここのところ、研修でかまぼこを作っていた、っていうのが事実なんだよね?」
 「そうだな、ハヤト。ってか、ここ最近の町が平和だったからくりってのがわかって、俺、ちょっと安心したような気がするぜ!!!」
 「そして先程の人物が例の親父さんの息子だとすると、今現在は心配不要ということだ」
 ダイゴが言うと、より一層安心できるような気がするんだよな。

 「よっしゃ!!! そしたらさっそく報告してやろうぜ、親父に」
 「え? どうやって?」
 「写真の裏を見てみろ、ハヤト」
 リュウジに手渡された、例の写真。裏返してみたら、電話番号が書いてあった。
 「え――電話番号? ずいぶん珍しいことをするね」
 「俺も最初は気づかなかったけどな」
 「というか、よほど大事な写真なのかも知れんな、それは」
 「それ預かってるんだもんな、俺って案外責任重大だよな!!!」

 善は急げ、とばかりに、リュウジはコンビニの前にある公衆電話に走った。
 しばらく受話器に向かって、ときどきお辞儀なんかしながらしゃべっているリュウジを遠目で見守っていた。
 電話を切ったリュウジがオレたちのもとへ戻ってきたのは、夕陽が差しそめる頃だった。
 「どうだった? 連絡ついた?」
 「オウ。親父の息子は暗黒水産の1年で、ミツルって名前だった。ってか、緊張したぜ!!! この番号な、会社のやつらしくてよ。親父の名前知らねえから、ミツルの父ちゃんいるか、って聞いたら『少々お待ちくださいませ、ただいまお繋ぎいたします』ときたもんだ」
 「へ~。そりゃごくろうさん。ってか、よくそれで親父さんだってわかったよな」
 「ああ。俺もそう思ったけどな。でも、それ以外にどう言っていいか思いつかなかったからな。通じてよかったぜ」
 なるほど。さっきお辞儀してたのはそのときだったんだ、きっと。
 「やはり彼が正解だったのだな」
 「オウ、そうみたいだな、ダイゴ」
 「ってことは、やっぱり家出は親父サンの早とちりだったってことっスかね?」
 「いや、どうもそればっかりでもねえようだ。研修そのものは知ってたみたいなんだよな、親父。それより前から帰ってきてねえんだと」
 「へえ。そうだったんだ。それは思ったより根が深いかもね」
 だとしたら、親父さんとは約束したけれど。オレたちが云々できる立場じゃないのかも。
 オレたちと暗黒一家。互いに踏み込めない領域っていうのは、確かにあるから。
 
 「とにかく、任務が残ってるんだよな。あいつに『家に帰れ』って、俺、言わないといけねえんだよな」
 ほら、リュウジは板挟みになっている。
 親父さんとの約束と、常日頃の暗黒一家との間に引いた一線とのはざまでの板挟み。
 都合のいいほうをとって、悪い方をおざなりに、なんてできないあたりがリュウジの人となりなんだろうけど。

 けれども、とにかく――といった雰囲気でリュウジはこう続けたんだ。
 「俺、明日写真返しに親父んとこ行ってくるわ。会社の場所もわかるし、もうあいつの顔は覚えたしな!!! 今日は言えなかったけども、次に会ったら伝言すればいいよな?」
 「あんまり親父さんを心配させるな、って?」
 「オウ!!! ウチのノブオを見習え、って言っとくぜ。なあ、ノブオ?」
 「あ、兄貴!! 光栄っス~」
 ここ最近のリュウジってば、のせ上手になっている気がする。
 そうか、そうしてやったらノブオみたいなタイプは、きっと伸びるってことなんだ。
 「なるほどね。リーダーっていうのは、そういうところが巧くないといけないんだな」
 「うん? それはどういう意味だ? ハヤト」
 「あ――いや、何でもない。あはは」

 伸びようとしているノブオ。伸ばそうとしているリュウジ。
 これでいいバランスなんだな、きっと――って、ダイゴを仰ぎ見たらにこりと笑ってた。
 不思議と、ではなくて、察しのいいダイゴにはきっとわかってるんだよね?
 見慣れた風景とは違う海が、最初の夕陽を受けてきらりと光を放つ時間。
 なぜだか急に、居心地のいい鬼浜町が恋しくなってきたのは――この4人で一緒にいるからなのかもしれない。



   * 7 *
 
 
 「なあ、ハヤト」
 「ん? なに?」
 「お前、あのかまぼこ、食ったか?」
 「ああ、『春風かまぼこ』のことか」
 翌日の放課後のこと。例の親父さんに写真を返しにいくというリュウジに付き合って、ふたりで話しながら歩いてる。
 「リュウジは?」
 「俺は――まだだけどな」
 「うん。オレもだ。っていうか、冷蔵庫に入れといたから、帰ったらもうないかもしれない。ウチの親父、ああいうの好きだからね。それ以前に、食べ物には見境ないし」
 「そうか」

 リュウジは複雑な表情をしていた。
 昨日の遠出で買ったお土産の「おまけ」としてサービスしてもらった桜の花と葉っぱの形をしたかまぼこは、工場で研修中の暗黒水産高校の生徒作だったんだ。
 「でも、リュウジは食べたいんだろ? かまぼこ好きだもんね」
 「オウ。実はそうだったりもするぜ。そうとは知らずに試食したやつ、旨かったからな」
 「いいじゃん、食べれば。ほら、『敵を喰う』みたいなたとえだと思ったら、けっこうおいしくいただけるんじゃないの?」
 「お、意外といいこと言うな、ハヤト!!! んじゃ、そうすっか!!! そうだよな、喰ってやればいいんだよな、奴らのことなんて」
 オレのほんの思いつきを聞いて、リュウジは満足そうにしてる。
 「よっしゃ!!! そしたら速攻、用事済ませてうちのやつ一緒に食おうぜ、ハヤト!!!」
 「え? オレ? いや……オレはいいよ」
 「なんでだよ? お前、そんな態度じゃ逆に敵に喰われちまうぜ?」
 「ん~、やめとく。オレの胃腸って、けっこうデリケートだから。リュウジと違って」
 「何だと!!!」
 リュウジがふざけて拳骨を繰り出してくる。
 オレも、あはは、なんて笑いながら応戦するポーズ。ポーズをとるだけだけど。
 そんなこんなで、リュウジと一緒に歩くいつもの町。
 春の天気は変わりやすいみたいで、なんだか雲行きが怪しい日だった。

 「あれ、こっちの方なんだ」
 「そうだ。ハヤトん家から、わりと近いだろ?」
 親父さんの会社っていうのは、オレの家のわりと近所にあるオフィスビルに入っているらしい。今の時間は仕事中だろうから、約束はしていないけれど行ってみるとリュウジは言った。もしいなくても、受け付けのお姉さんに渡しておけばいいか、とも。
 差しかかったのは目的地まであとちょっとの、見覚えのある場所だ。
 「あ、ここ。懐かしいね」
 「オウ!!! 秋にさんざ練習したもんな、自転車」
 リュウジがにこりとこう言った。
 「そうだね。ケイタ、がんばってたもんな」
 「あいつ、もうちゃんと乗れるのか?」
 「うん。ばっちり乗り回してるよ。こないだなんか、手放し運転してた」
 「わはは!!! そりゃ巧くなったもんだぜ。ハヤトにはできねえだろ、手放しなんて」
 「……いいじゃん、別に」
 ケイタっていうのは、オレの家の近所に住んでる小学生。去年の秋にケイタに頼まれて、自転車教習をしてやったんだ。
 実はオレ、そのときまで自転車に乗れなかったもんで――自らもけっこう苦労しての役目だった。ケイタに内緒で、ダイゴの家で合宿して自転車乗りの練習したりして。
 
 で、ここはその思い出の場所。ケイタが何度も転んで、それで自転車に乗れるようになった練習場――かなり前に廃業したって聞く、パチンコ屋の駐車場だ。
 金網が張られてはいるけれど、その破れ目から簡単に中へ入れる。その金網に手をかけるなり、リュウジはいたずらっぽい目でオレを見た。
 「ハヤト、ここ、突っ切っていこうぜ!!!」
 「うん、了解」
 道順からすると遠回りになるとは思うんだけど。でも、オレもなんとなくそんな気分。
 
 駐車場側から敷地内に入っていって、逆側の金網の破れ目を目指す途中。
 昔は賑わっていたんだろう、今は喧噪も人気もないパチンコ屋の建物の前を通るとき。
 「うん? 誰かいるな」
 リュウジがひそめた声でそう言った。
 「え? どこに?」
 「いや、それはわかんねえ。けど、気配するだろ? あと匂いがするぜ」
 「匂い……?」
 「オウ。あっちだな」
 リュウジが確信を持って指さすのは、建物のさらに先みたいだ。雰囲気からすると、景品買取所か何かだったと思われる場所のほう。
 
 気配とやらを頼りに、そちらに足を向けるリュウジについていく。
 「あ、なるほど」
 向かう途中でわかった。リュウジが感じた『匂い』っていうのは、たばこの匂いだったようだ。
 近づいていったら、煙が出てるのが見える。
 それと、誰か――おそらく気配の主が咳き込むのが耳に入ってきたんだ。
 何を思ったんだか、リュウジは迷わずそちらに近づいていって、そしてこう叫んだ。
 「オイ!!! お前、学ラン着てる分際でたばこはねえだろうが!!!」
 
 リュウジの声に、しゃがみこんでいた学ラン姿は、びくりと肩を震わせて振り向いた。
 「――あ」
 そして彼はリュウジとオレとの顔を交互に見て、驚いた様子で指の間から火の付いたままのたばこを地面に落としてしまう。
 「お前!!! 火の始末は怠るんじゃねえぞ。ってか、吸い殻そのままってのも論外だぜ!!!」
 こんな状況でリュウジの正論に楯突くことのできる奴って、そうそういないだろうな。多分オレにだってできないから。
 仕方なさそうに、学ラン姿の喫煙者は落としてしまったたばこの火を消して――吸い殻をそのままポケットに落とし込んでいる。
 手持ちの携帯灰皿を貸してあげてもいいかと思ったけど――リュウジの怒りの矛先がこっちに来るからやめとこう。
 
 あれ? っていうか。
 よく見たら、彼の学ランってあれだな――しかも、彼の顔には見覚えあるよな?
 腕組みしているリュウジを仰ぎ見たら、そんなことは先刻承知といった表情だった。
 「お前、昨日も俺と会ったよな?」
 「…………」
 「暗黒水産のミツルだろ? お前」
 「…………」
 「黙ってることねえだろうが!!!」
 彼――暗黒水産のミツルは、けっこう剛胆な人物なのかもしれなかった。リュウジの怒号に動じることなく、小柄な体と眼鏡の両目でリュウジを正面から見上げていたから。

 相手から応えがないことなんて意に介さず、といった感じでリュウジが言いつのる。
 「俺らは、お前を捜していたんだぜ。こんなとこで会えるなんて好都合だよな、ハヤト」
 「うん。たしかに。それは言える。手間が省けたな、リュウジ」
 「なぜあなた方が、僕を?」
 それを聞いて、さすがに彼も身構えてる。それはそうだよな。
 自分たちの敵にあたる集団の総隊長に名指しで捜されている、なんて、気分のいいもんじゃないだろう。
 「俺らは、お前宛の伝言を預かってる。お前の親父からだ」
 「親父――?」
 「うん、そう。君の親父さんからね」
 「いいか、よく聞けな。お前の親父、『家に帰ってこい』って言ってたぜ」
 「え――親父が、僕に? それよりも、何故あなたがたにそんなことを……」
 眼鏡の奥で彼の表情が変わったように思えた。
 まるで、移りやすい今日の空模様みたいに。



   * 8 *


 「いいんです、もう。僕は辞めますから」
 あきらめたような表情で、暗黒水産の1年生・ミツルが言うのをオレたちは聞いた。
 『親に心配かけるのはガキのすることだ』とリュウジが言ったことへの彼の返事だった。
 「うん? 辞める?」
 「辞めたらちゃんと家に帰りますから。まあ、親父が許してくれれば、ですけれど」
 
 よっぽど観念したのか、ミツルはきちんと意志を持って言葉を選んでいた。
 初めて会話する敵方の総隊長を前にしてそれができるっていうのは、肝が据わっているっていうことかもしれない。
 「どっちみち、僕には向いていなかったんです。だから――」
 「お前、暗黒一家を辞めるってのか? そんなやわな決心で入隊したのかよ!!! 言っとくけどな、ウチだったら俺が許さねえぜ!!! 向かないから、って、それじゃ筋が通ってねえだろうが!!!」
 「ちょ、リュウジ!! 拳骨握っちゃまずいだろ」
 額に青筋が浮かびそうになってるリュウジを止める。リュウジはオレを振り返って、ああ、そうか――とばかりに握った掌をほどいた。
 けれどもミツルは、リュウジの剣幕に怯んだ気配はなかった。
 そして首を横に振って、決然とこう言ったんだ。
 「ええ。おそらくそうでしょう。だから僕は決めたんです。学校を――暗黒水産を退学しようと思うんです」
 
 暗黒水産を受験したのは暗黒一家に入るためだった、とミツルは言った。
 中学生時代の彼は憧れていたのだ、と。真剣勝負で気合いの入った高校生活を送ることに憧れていたのだ――と。
 天秤にかけた末、鬼工ではなく暗黒水産を選んだのは機械が苦手だったから、とも。
 「だから、中学生のころからあなたのことを知っていましたよ、リュウジさん。ハヤトさんのことも」
 リュウジとオレは互いに視線を送り合う。中学生時代の彼がオレたちの名前を知ってたって、なんか不思議な感じだ。
 「河川敷で見た、総帥とリュウジさんの勝負の凄まじさに僕は憧れた。けれども、僕は中途半端だった。喧嘩が強くもない、単車も速くはない――憧れだけでは強くはなれない、と理解しただけです」
 「だったら憧れるだけじゃなくて、努力すればいいだろうが!!! そもそも勝負なんてのは、魂の強い奴の勝ちだろう?」
 あ、まずい。リュウジがまた熱くなりかけてる――オレはそれを見て取って、リュウジの肩に手をおいてやる。リュウジの筋肉がすこし緩むのを掌に感じてほっとした。

 リュウジは真実まっすぐな漢なんだと思う。
 だって、リュウジの前にいるのは自分の配下ではないどころか、宿敵一味の一員で。それなのに放っておけなくて、挙げ句途中からそんなことはお構いなしに熱くなっていて。
 そんなリュウジとは正反対に、暗黒のミツルは冷静かつ自嘲気味に首を横に振った。
 「もう疲れましたしね。どうせその他大勢の僕がいようと辞めようと、総帥にとってはどうでもいいことですから」
 「お前――何言ってやがる!!!」
 それを聞いたリュウジは激昂した。
 「だからって逃げりゃいいと思ってんのかよ!!! そもそも、隊を束ねる者にとって『どうでもいい』構成員なんていねえんだからな!!!」
 リュウジが叫んだそのとき、リュウジの背中に降ってくる。灰色の雲に覆われた空からは、雨粒の最初の一滴が。さらにそれは――物騒な声を引き連れて。
 「貴様等。うちの若いのに何の用だ?」

 それは久し振りに鬼浜町で見る姿だった。
 背後からの声に振り返ったリュウジとオレの瞳に映った、奴らの禍々しい表情。
 暗黒一家総帥・コウヘイは三白眼で睨みを利かせている。付き従うハンゾウも冷ややかなまなざしをしていて、ゴンタは低く唸っていて、タカシは薄笑いを浮かべていて。
 「リュウジよ。貴様、うちの若いのを可愛がってくれているようだな?」
 「解ってるじゃねえか、コウヘイ。充分可愛がってやってるとこだぜ」
 「ちょ――リュウジ?」
 ヤバくないか? と慌てるオレをリュウジは制する。
 なるほど、これは『隊を束ねる者』としての言葉なんだな。オレの出番じゃないようだ。
 
 「ほう。それは恐れ入る――などと俺が言うと思うのか、ゴラァァァ!!!」
 「別にそんなふうに言われる筋合いもねえし、言われたとしても嬉しくねえぜ、コウヘイ。ただ――お前、こいつとちゃんと話したことあるか?」
 「何?」
 「てめえの配下が何を考えてるのかもわからねえってのは情けねえってことだな」
 落ち着いて言いながら、リュウジはコウヘイの前に立ちはだかる。その斜めうしろにオレがいて、さらに数歩下がったところにミツルがいる。
 つとミツルを振り返ったら、本当に覚悟したような表情でコウヘイを見ていた。
 コウヘイは相変わらず、冷徹な視線をリュウジに送り続けている。
 「貴様如きが、我等の何が解るというのだ? 笑止だなあ、リュウジよ」
 「こいつはな、コウヘイ!!!」
 「うるせえ、貴様に口出しされるまでもねえぞ、ゴラァァァ!!! その口、二度と開けねえようにしてくれる」
 「上等!!! かかって来やがれ!!!」
 
 友がいて、敵がいて。
 そういう図式で成り立っているのがリュウジ以下の鬼浜爆走愚連隊と、コウヘイら暗黒一家のあり方だ。
 今日のリュウジがいきり立っている影にあるのは、実は友というよりも敵の姿なんだ、っていうのは、リュウジ本人にはすでにどうでもいいのかもしれなかった。
 リュウジとコウヘイのふたりは、久々の対峙にどこか快感を覚えているようにも見える。
 
 先に戦闘態勢をとったのはリュウジだった。
 リュウジの気魄が背中から溢れてくるのがわかる。
 それと同時にコウヘイの獰猛な口許は、さらに好戦的に歪んでいく。
 無言の対峙。見守る側には一瞬にも、永遠にも感じられる時の流れ。
 それを破ったのは、両者同時の攻撃開始のときだった。

 堅く握ったリュウジの拳をオレの目が捉える。
 それは大きく勢いをつけて、宿敵・コウヘイに殺到する。
 火花が散ったような錯覚とともに、リュウジの拳はコウヘイの腹に刺さる。
 同じくしてコウヘイもまたリュウジめがけて勢いをつけて拳を振り下ろす。
 狙いはリュウジの顔面だった。
 見えはしないが、したたかに頬を打ったのだろう。リュウジの上体がぐらりと揺れた。
 
 「ぐ……」
 どちらの口から洩れたのかは判然としない。もしかするとふたつの呻きが交錯していたのかもしれない。
 両者の拳の固さは拮抗しているはずで、当たり前のように一撃での決着とはいかない。
 渾身の攻撃と強烈なダメージのあと、きっと自らを鼓舞して両者は立ち上がる。
 互いに次なる攻撃でこそ相手を仕留めようという念を空気に溶かして。

 「ふん。その程度か、リュウジよ。相変わらず大した威力はねえなあ」
 「うるせえ!!! 無駄口叩いてる余裕なんかねえだろうが!!!」
 「それは貴様のほうだけだろう?」
 コウヘイは、にやり、と笑ったつもりなんだろう。けれども浮かんだ表情は、凄まじい禍々しさそのものだった。

 続けてコウヘイは冷ややかに言う。目線はリュウジに絡みつけたまま、言葉はリュウジを通り越して、その後に控えるオレすらも通過して――さらにオレの後に向かってゆく。
 「ミツル。俺に恥をかかせるな」
 
 それを受け止めたミツルがどんな表情をしたんだか、オレは知らない。
 振り返ったら――リュウジの背中から目を逸らしたら絶対にいけないと感じたから。

 どこか遠くで雷が鳴っている。雨の匂いも強くなってきていた。



   * 9 *
 

 闘いの刻は、いつでもささいなきっかけで突然に訪れる。
 久々の対峙となった今日もまたその例に倣って。
 オレの家のすぐ近くの、いまは廃墟と化している建物の裏手で始まったリュウジとコウヘイの闘いは、今や次なる攻防を目の前にしていた。

 「覚悟――」
 「上等!!!」
 互角と認める勝負者たちの咆吼は無人の建物に反響し、凄味を増してオレたちの鼓膜を強く揺るがした。
 
 低い打撃音が交錯する。
 その音も、一瞬後にはうすら寒いコンクリートの中に吸い込まれてゆく。
 あとに残ったのは、腰を落とした体勢のまま持ちこたえたリュウジと――ひび割れたアスファルトに片膝をついているコウヘイの姿だった。
 
 「コウヘイ!!! さっさと立てや!!! まだ終わりじゃねえだろ?」
 「貴様――」
 明らかにコウヘイが受けたダメージのほうが大きかったと見える。
 だが、闘いはまだ終わらない。なぜならば、まだどちらも倒れてはいないからだ。
 思う矢先にコウヘイは、再び両足でアスファルトを踏むを得る。
 「……次で仕舞いだな」
 「それはこっちのせりふだぜ!!!」
 三度の怒号を轟かせて、リュウジはコウヘイを、コウヘイはリュウジを強い視線で刺している。
 
 来る――!!
 見ている者どもの誰しもが、固唾を呑んで身構えたときだった。

 「誰だ……? 誰かいるのか」
 闘いの気に満ちあふれた空間を破る、それは外からの声。
 戦闘態勢をとっていた両軍リーダーは思いきりタイミングを狂わされたようだ。
 ふたつの拳は中途半端な勢いで、互いの頬をかすめただけに終わったらしい。

 周囲から切り取られたように、このあたりだけ時間の流れが違っていたのかもしれない。
 それが突然もとにに戻ったのは、その声に遮られたためだった。
 ここは廃業した昔のパチンコ店の裏口付近、元は景品買取所の前、店から続く屋根の下。
 はたと気づいてみたら、大きな雨粒が屋根の切れ目の地面にたたきつけられている。

 リュウジとコウヘイの闘いは、中断を余儀なくされている。
 それをもたらした人物は、オレの――さらにミツルのうしろからこの場に現れた大人の男性だった。
 ワイシャツにネクタイの上から作業着を羽織って、頭には黄色いヘルメットという出で立ち。背が低くて小柄で、眼鏡をかけている。
 「ここは立ち入り禁止だ。勝手に入って来るな」
 腕組みをして、その人物は言った。
 「だから私は不良が嫌いなのだ」
 どこかで聞き覚えのある言葉は、どこかで見覚えのある風貌から発せられたものだった。

 「……? 親父じゃねえか」
 振り向いたリュウジはそう呟く。開ききれていない拳が勝負の途中を伺わせる。
 リュウジの顔をそれと見分けたようだったけれど、親父さん――そう、暗黒一家の構成員・ミツルの父親は苦い顔でこの場に目をむけている。
 もちろんミツルがそこにいることにも気がついていないわけはない。
 「なんでこんなとこにいるんだ?」
 ここでリュウジは拳を完全に下げて、コウヘイの正面から親父さんの正面に向き直った。
 「ここは私の次の仕事場だからだ」
 親父さんはそう答えたんだ。
 「ほう。なるほどな」
 「……って、リュウジ。納得してる場合か?」
 「オウ――」
 ちいさく言い合うオレたちだったけれども、それはおそらく親父さんの耳には届かなかったと思う。親父さんの目は、息子の前で止まっていたから。
 
 「ミツル。お前という奴は、なぜこのような集団に首を突っ込みたがる?」
 「…………」
 親父さんの言葉に、ミツルは無言のみを返している。
 不良が嫌いだと言い放つ父親。それに憧れて暗黒水産に行ったのだという息子。
 お互いの間に掘られた溝のようなものを、そのときオレは感じていた。
 まだ満開だったときの、河川敷の桜並木で出会った親父さん。
 そのときは酔っぱらっていて、桜の木に登ろうとしていて。
 『不良が嫌いだ』と言って怒って、『息子が家出をした』と嘆いて泣いて。
 その父親と息子が対面する瞬間だったんだ、今が。
 なるほど、どこか咬み合っていないのかもしれないとオレでも感じてみたりする。

 「父上」
 リュウジとオレ、それと暗黒一家の4人の見守る6人のうちで、口を開いたのがひとり。
 「総……帥?」
 ミツルがはっとして顔を上げた。
 「父上、ミツル君は我々の仲間でありますゆえ。そのせいで父上にご心配をかけているようで時には申し訳なくも思っております」
 驚いたことにコウヘイは、背筋を正してミツルの親父さんに向き合ったんだ。
 「あんたがミツルの先輩なのか?」
 「そうであります」
 コウヘイは、自分よりも頭ひとつ分以上小柄な親父さんに、深々と頭を下げていた。
 「総帥!! やめてください。たかだか僕の父ごときに、そんなふうになさるのは……」
 慌てた様子でミツルが言った。
 それへのコウヘイの返事は――さっきリュウジに対して放っていた気魄と同じくらいの迫力があった。
 「ミツル――貴様!!! てめえの親に対してそんな風に言うんじゃねえ、父上がいらしてこその自分だろうが、ゴラァァァ!!!」

 ばちん、と湿った音がした。
 コウヘイがミツルを――自分の配下の1年生に平手を見舞ったのを見てしまった。
 次の瞬間、コウヘイはもう一度親父さんに向き直って。今度は土下座をしていた。
 「父上。只今、わたくしが御令息に手をあげてしまったことを、恐縮ながらお許しいただけると光栄であります。ただ、わたくしは御令息を信頼しておりますゆえ――」
 「おい、あんた……私の息子を信頼してくれるのか――?」
 「当然であります。わたくしは御令息を、筋の通った男になる器と信じておりますゆえ。どうか御令息を我等とともに行動させていただく許可を頂戴したく思います所存、この通りであります」
 コウヘイが土下座するのなんて、はじめて見た。
 けど、ミツルの親父さんがすすり泣くのを見るのは、今日で二度目だった。
 
 リュウジとオレが見ていたのはここまで。
 これ以上ここにとどまるべきではないと判断して、ふたりしてこの場を退いてきた。
 降りしきる大粒の春の雨。それを全身に浴びながら、リュウジとふたりで最初に突破してきた金網の破れ目まで戻ることにしたんだ。

 時ならぬ春の突風は、切れ切れに背後の様子をオレたちの耳に届けてくれていた。
   ――総帥、いままでありがとうございました
   ――ミツル。何言ってやがる? 言葉はちゃんと選ばねえとなあ? 今後とも宜しくお願いします、と言え
   ――ミツル。お前はもっと強くなれる。自分が半端だと理解している分だけ、強く
   ――総帥。ハンゾウさん。僕は……
   ――いいから来い、ミツル。今から半端なく鍛え直してやる。そのために俺等はお前を方々捜してここまで来たのだ。きちんと父上のお許しを得て、それから一緒に行くぞ?

 春の突風はあっという間に向きを変えて、オレの横を吹き過ぎる。
 まるで気まぐれなコウヘイのように。
 または怒ったり、泣いたり。感情の起伏の激しいミツルの親父さんのように。
 そうじゃなかったら――この展開に複雑な顔をしたままのリュウジみたいに、ね。
 
 それからリュウジとふたりして、だまりがちにオレの家まで歩いていった。
 家につくと、いつもみたいにオレの親父が店で仕事を――お客からの預かりものの単車をいじっている最中だった。
 「ただいま」
 「おや、お帰りかね。雨の中ご苦労だったな、我が自慢の放蕩息子よ」
 「うん、降ってきたね」
 「なんだ、今日は隊長も一緒じゃないか」
 「オウ、親父さん。お邪魔するぜ」
 普段どおりのマイペース。そんな親父が言うのを聞いていたら、オレは気が抜けたような感じ。

 なんだかほっとした。
 オレは数時間ぶりに気安い笑みを取り戻して、それからリュウジに貸してやるタオルをとりに一旦家の中へ入っていく。
 そんなオレの耳に聞こえてきたのは、店先でのふたりの、どっちもよく響く声での会話だった。
 「なあ、聞いてもいいか? 親父さん」
 「何だね? リュウジ」
 「あのな。親父さんにとって、ハヤトって自慢なのか?」
 「そりゃあな。俺とかあちゃんの自信作だからな、我が放蕩息子は」
 「ふうん。そしたら親父さんはしあわせものだよな!!!」
 「いや、そうではないね、リュウジ。幸せ者なのは放蕩息子のほうだ。だって俺が自慢だと思っているのだから、ハヤトこそ幸せなんじゃないか?」
 「わはははは!!! そうかも知んねえ!!!」
 
 ……なんとなく戻って行きにくい感じ。
 オレはバスタオルを手にしたまま、店先に出るのれんの内側で、くすりと笑ってた。
 うん。オレは充分しあわせだよね。一歩外に出ればリュウジたちがいて。家に帰れば親父がいて、お袋がいて。
 
 彼――ミツルは、今日はちゃんと家に帰るんだろうか。
 それがどうだったんだか知る由もないけれど、そうだったらいいな、って思っている。



   *  春風到来 完  *



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