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これまでのおはなし

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てのひらに熱情を



  * 1 *


 「わはははは!!! ハヤト、たまにはキレのある冗談言えるんだな!!!」
 「え――? 冗談って、リュウジ」
 「わはは、だって、冗談だろ? まさかハヤトに限って」
 「そんなに笑うことないじゃん。っていうか、冗談じゃないってば」
 「これが笑わずにいられるかって話だぜ!!! ハヤト、最高だ」
 「……心外だなあ」
 道場で笑い転げるリュウジを見てる。
 オレは本気でおもしろくない。
 
 ただいま午後の、体育の授業中だ。担当教員は担任の赤ジャージ。種目は柔道だ。
 赤ジャージの専門は剣道だけど、ここ半年ほど必要に迫られて柔道の特訓もしているので、教え方もずいぶん上手くなっているんだって自分でも言ってる。
 
 「わはははは!!! ハヤト、そんなに笑わせるなや!!!」
 「別に笑ってほしいなんて思ってないけど?」
 笑いを止められないリュウジとこんなやりとりしてたら――ほら、予想どおり。
 「痛てっ――って、ああ、赤ジャージか」
 「リュウジ、おのれ、『赤ジャージか』ではなかろう? 俺の授業中に高笑いとはいい度胸だな」
 赤ジャージ、ナイス・アシストだ。赤ジャージはリュウジの耳を捻りあげてくれた。
 ちょっとだけ気が晴れた――のも束の間だったんだけど。
 「だって、ハヤトがおかしなこと言うんだぜ?」
 「おかしなことだと?」
 「オウ!!! ハヤトがな、中学んときは喧嘩っ早いので有名だったんだって言うんだぜ。それでもって、けっこう強かったんだってよ」
 「ほう……なるほど。それは、にわかには信じられんな、ハヤト」
 リュウジが言ったのを聞いて、赤ジャージはまじまじとオレの顔を見てるし。
 
 「赤ジャージまで!! オレ、そんな弱そうに見える?」
 「弱そうってか、ハヤトは喧嘩なんかしねえだろ? だって必要ねえもんな」
 「そんなことないって。必要になったら、ちゃんと喧嘩できるつもりだけど?」
 「わはは、聞いたか、赤ジャージ!!! ハヤト、どうしちゃったんだろな?」
 はて、と赤ジャージも首なんか傾げてるし。
 「というより、お前たち。そもそも喧嘩など、やめておくように。勝負は武道でつけるのが男のやり方だと、そろそろ気づいたほうがいいな」
 「いや、悪いな、赤ジャージ。俺らは俺らで、得意分野をとことん追求するぜ!!! なあ、ハヤト? お前には単車があるもんな?」
 「……まあ、それはそうだけど」
 「いいから、お前たち。すぐに柔軟運動に戻るように。きちんとやっておかないと怪我をするからな」
 「オウ!!! 俺だったら心配ねえぜ!!! いつも鍛えてるからな。ハヤトは、ほら、ちゃんとやらせっから」
 言ってリュウジは、足を開いて座ったオレの背中を押して、胸を思いっ切り畳に接近させようとする。
 ……痛いってば。オレ、体、堅いんだってば。

 リュウジが笑うのももっともだとは思う。
 でも、オレが言ったのは嘘や冗談なんかじゃなくて。
 中学に入ったばっかりの頃まではオレは背丈も高い方だったし、それなりに経験を積んでたんだ。
 それからもう何年も経つし、今となっては同年代の対戦者もオレよりも体格がよかったりするから――あと、オレの得意は単車だからっていうのもあるから、ご無沙汰なだけ。
 現に去年は、ハンゾウとやりあったこともあった。お互いにたいした威力はなかったけれど。
 それから、行きがかり上コウヘイと相見えたこともあったんだったよな。
 ……まあ、コウヘイには一方的にやられた覚えしかないけど。
 それでもオレは心外だった。
 そのことに対して、リュウジに笑われる一方だったのがつくづくおもしろくなかった。
 
 そのあとの柔道の授業は、いらいらが増すばっかりだった。
 あの頃のオレだったら確実に取れただろう受け身をとり損なったり。
 あの頃のオレだったら確実にしかけられていただろう技をかわされたり。
 相手がリュウジだからしょうがない、って。
 いつものオレだったらそう納得していただろうけど、今日はとにかく腹立たしくて。
 もっともそれは、上手く立ち回れない自分への苛立ちに他ならないんだけど。

 そして、決定的にオレの気分を下げたのはこのひとことだった。
 授業中から気分のよくないオレは、リュウジと一緒の帰り道でも黙りがちだった。
 そんなオレに放たれたリュウジの言葉がこれ。
 「まあ、いいじゃねえかよ、な? 俺はハヤトに、喧嘩のほうは全然期待してねえから」
 「――――」
 
 確かに期待されても困るけれども、面と向かって『期待していない』って言われるって、オレはそんなに情けないのか?
 もう、リュウジにどう答えていいんだかわからなくなった。
 悔しいとも、せつないとも、頭にくるとも説明のできない、またはそれら全部がないまぜになった思いがオレを支配してた。

 「じゃ」
 リュウジの家の前まで来たとき、オレは短く挨拶しただけでリュウジに背中を向けた。
 「って、オイ!!! ハヤト? お前、何怒ってるんだ?」
 「……別に」
 振り向かないでこれだけ答える。
 「ハヤト、あとで走りに行こうぜ!!!」
 「うん。今日はやめとく」
 背後にいる赤いリーゼントに、やっぱり振り向かないで手を振ってオレは歩みを家に向けた。
 
 どうかしている、と自分でも思ったけれど、どういうわけだか苛立ちがおさまらない。
 どれもこれも言われ慣れてるようなことをリュウジは言っただけだったとは思うんだけど、それでも今日のオレにはどの言葉も、とてつもなく重くのしかかってきた。
 
 帰り着いた家で、親父にただいまを言うのさえも億劫だった。
 「おう、お帰り、放蕩息子」
 「……うん」
 「何だ? どうした? 覇気がないな。腹でも痛いのか?」
 「別に」

 部屋に戻って、学ランを脱いで。
 そしてオレは、ふとんに潜り込んだ。
 こんなときには寝るに限る。しかもいつもみたいなうたた寝じゃなくて、贅沢にも太陽が沈む前からふとんで本気寝を決め込んだ。
 ふとんに包まれているのって、なんて安心できるんだろう。
 スヌーピーの漫画に出てくる、いつも毛布を引きずっているキャラクターの気持ちが本気でわかるような気がした。
 
 不思議と夜中にも、一度も目を覚まさないまま朝を迎えたことを知った。
 「ハ~ヤ~ト~くん!!! おはよ~う!!!」
 いつもと同じ声が、家の前の通りからオレの部屋の窓ガラスにぶつかってきた――ということは、もう朝なんだ、って。
 いつもだったらこの声を聞くと、はじかれたようにふとんから起き上がって窓を開けて、迎えに来たリュウジに『おはよう』って言うんだけど。
 そしたらリュウジは決まって『相変わらず寝ぼけた顔だぜ』とか言うんだけど。
 ダメだ。今朝のオレは窓を開ける気になれない。
 カーテン越しの陽射しが、オレにはすごく厳しい朝だった。



  * 2 *


 「こら、いい加減に起きないか、ハヤト」
 「……うん、まだ寝る」
 「いったいどれだけ寝れば気が済むんだ、我が息子よ。さすがに父は心配だぞ?」
 「……うん」
 リュウジの朝コールというか、朝絶叫で起き出せないオレのふとんをはがしに来たのは親父だった。
 窓の外では、リュウジの何度目かの声がオレの名前を呼んでいる。

 「というよりも、近所迷惑を止めてもらえるように言ってくれると助かるんだがな、お宅の隊長殿に。斜向かいの家の赤ん坊が泣き出すと、新米ママさんがかわいそうだ」
 「悪い。それ、今日は親父が言っといて。オレ、今日は調子悪いから学校休むからって」
 「おや、放蕩息子の異名は伊達ではないということか」
 親父の軽口にも答える気になれなかったオレは、寝返りを打って親父に背中を向けた。
 「やれやれ」
 なんて言いながら、親父はオレの部屋を出た。階段を下りていく気配。続いて店先のシャッターを開ける音。さらに続いて、リュウジと話している声。
 オレの家に面した路地は、そうして朝の静寂を取り戻したんだ。
 
 ふとしたリュウジの言葉で、こんなに気分が下降気味になるなんて思ってもみなかった。
 リュウジはべつに、オレを馬鹿にするとか、傷つけるとか、そういう意志なんてなかったことはとっくに承知。
 だけどオレは――『ハヤトの喧嘩には全然期待していない』って言われたことにこだわっている。言われて半日経った今でも、気分がまったく晴れていないのが我ながら不思議だったりするけれど。

 そのまましばらくふとんの中で天井を睨んでた。
 またちょっと、うとうとしたんだと思う。
 さすがに腹減ったな、と思って部屋を出ることにした。時計を見たら、もうすぐ10時になる頃合い。
 「おや、やっとお目覚めかね」
 階段を下りたところで、開店準備をしていた親父に声をかけられる。
 「うん。よく寝た」
 「それはそうだろう。若いのに、よくそんなに寝られるもんだと感心したぞ、息子よ」
 「でも、そのわりに頭痛いかも」
 「それは世間一般では『寝過ぎ』と言うんだぞ。覚えておいたほうがいいな」
 「あ、そうなんだ。うん、ひとつ賢くなったよ」
 親父とオレとは、いつもこんな調子。
 親子ではあるけれど、どことなく頼れる先輩とでもいったような感覚だったりもする。
 
 「お袋は?」
 「出かけた。飯は台所にあると言ってたぞ」
 「あ、了解」
 親父に応えて、台所へ。と、その前に通りかかった洗面所の鏡を覗いてみる。
 あらら、まぶたが腫れぼったいね。これも寝過ぎのせいかも。
 乱れ放題の髪の毛を掻き上げて、自嘲気味に鏡の中の寝ぼけ眼を睨みつけた。

 遅い朝食を摂った。
 そもそも低血圧っていうか、気合いが足りないだけっていうリュウジの説もあるんだけど、時間がないのでいつも朝食はパスのオレ。
 それでも今朝の台所の食卓には、お袋があれこれ並べてくれていた。
 ああ、そうか。オレ、夕飯も食べていないからだ。
 きっとこのすき焼きの残りらしいものは、昨日のだな。夕飯、すき焼きだったんだ。残念なことをした。
 ほかにも、焼いた魚とか。親父の好きな甘い卵焼きだとか。野菜たくさんの、これだけでもおかずになるほどのみそ汁もあって。
 片っ端から平らげたら、かなり満腹。
 オレ、こんなに食べる人だったっけ? いくら夕飯抜いたからって、こんなに食べられるんだっけ?

 食後のコーヒーを入れたところで、親父が台所に顔を出した。ついでに盆の上に伏せてあったカップに注いで、親父にすすめる。
 「お、どうもな。食欲はあるようじゃないか、眠れる放蕩息子よ」
 「うん。さすがにもう食べられないけどね」
 「……おや? ハヤト。わからなかったのか?」
 「何が?」
 「この皿に盛られていたのは、俺の昼飯だったはずなんだが」
 「あれ。そうだったんだ。あはは」
 「あはは、って……なあ」
 「ごめんごめん」
 「いいんだ、ハヤト。親は子の成長を望む者として存在するのだから。それに俺には、秘蔵のカップラーメンという強い味方がいるからな……」
 親父はせつない表情をして、コーヒーカップを手にしたまま店に戻っていった。
 悪いことしちゃったな。
 お袋も、まさかオレがそこまで食べるとは思っていなかったんだろうけど。

 さて、満腹したし。もう眠くもないし。ひとまずシャワーを浴びることにした。
 昼間に浴びるシャワーって、なんでこんなに贅沢な気分になるんだろう。
 窓から差し込んでくる太陽の光を受けて、防湿鏡がきらきらしてる。
 熱めに設定した湯を頭からかぶって、全身をあっためた。
 水滴に濡れて顔を覆う髪の毛。あ、ちょっと伸びてきたな。
 
 風呂場から出て髪の毛も乾かして。
 寝間着は洗濯機に放り込んで、学ランではない服を着て。
 久し振りに学校をサボったオレは――やっぱりちょっと頭が痛いな。
 寝過ぎのせいかもしれない。そうじゃなかったら、リュウジのせいかもしれない。
 ……なんでオレはこんなにも引きずっているんだろう。
 そんな頭をわざと左右に振ってみる。
 うん。こんなときには要・気分転換だよな?
 オレは単車のキーをとりに部屋へと戻っていったんだ。

 単車のキーをつけてあるキーホルダーは、銀細工の鈴みたいな形のやつ。
 正確には鈴ではないみたい。下側にスリットはあるけれど、丸い形の内側はまるっきりの空洞で、何も入っていないから音は鳴らない。
 どこでどうやって手に入れたんだかぜんぜん覚えていないんだけど、それでもオレはこれをとても気に入っていた。
 鳴らないとはわかっている鈴もどき。それをときどき耳許で振ってみるのは、いつからかオレの癖になっているみたいだ。
 今も試しに振ってみたけれど、やっぱり何の音もしなかった。

 服の上から革ジャケットを羽織る。親父のお下がりの年代物だ。
 いろんなところに擦れた傷がついているあたり、歴戦の名残なのかもしれない。
 さて――行こうか。
 階段を下りて店を通り過ぎる。親父は作業中だった。
 「おや、お出かけか? 半病人の息子よ」
 「うん。ちょっと外の風に当たってくる」
 「それもいいかも知れんな」
 なんて、訳知り顔に頷いて、親父はオレの背中をぽんぽん、と叩いて送り出してくれた。
 
 ガレージのシャッターを開けて、エンジンスタート。
 鼓膜と鼓動を刺激するエグゾーストノイズ。それに思いのすべてを預けてみようと決めて、オレは愛車に体を預けた。
 いつもだったら学校で午後の居眠りをはじめたくらいの時間。
 罪悪感と優越感を味わいながら、オレはオレの道をゆく。
 今日くらいはいいよな? みんな甘やかしてくれるよな? 
 だって、オレって半病人らしいし。
 親父の皮肉っぽい笑顔を思い出して、軽く苦笑いしながら路地を抜けた。



  * 3 *
 

 学校サボった日の、気分転換走行の真っ最中。
 鬼浜町の裏通りを抜けて、鬼川方面へ。そのまま川沿いに下っていったところの交差点から国道に入る。
 天気のいい平日の午後早く、という時間の海沿いの国道は、さすがにオレたちの得意な時間とは違った雰囲気。寒くもなくて暑くもない、おだやかな春がオレを包んでくれた。
 潮風が髪を揺さぶってくるのが心地よい。
 夜に比べて車の数は多いけれど、混雑しているほどではなくて、そこそこの速度を出せたのもよかった。
 
 とはいえ、今日は運悪く信号につかまりまくる日だった。
 赤信号で単車を停めると、それまでの流れが一旦遮断されるような気がするわけで。
 青になるのを待つ最中って、やっぱり現実に引き戻されるわけで。
 ……ああ、やっぱりオレ、ひきずってるんだ、って改めて思い知らされる。
 リュウジに『喧嘩のほうは全然期待していない』って言われたことを。

 結局のところは堂々巡り。
 なんだろう、オレのこの異様なほどのこだわりって。
 走れば走るほど、っていうよりも信号に足止めを食った回数と同じだけ、ここに意識が行ってしまう自分にため息をついて、早々にひとり走りを切り上げることにした。
 あ~あ。なんだろ。オレ。単車に乗っててもこんななのか。
 自嘲まじりに呟いたのは、通り過ぎた町の空気に流されていった。

 ノらないまま走るのも楽しくないし、そんなときほど危ない運転をしてしまいがちなオレだし。
 こんな状況で何かやらかしちゃったら、それこそ自嘲じゃ済まないからね。
 その程度の自覚のあるうちに我に返れてよかったかも――とか思いつつ、早々に帰還。
 店にいる親父に声をかけて部屋に戻ろうとした。
 「ただいま」
 「おや、お帰り。早かったな、暴走息子」
 つと右手を挙げてオレに答える親父。なんか楽しそうな顔をしてた。
 「ハヤト。ちょっと手伝っていかないか?」
 「え――オレ?」
 「ああ。そうしてあげたら、この単車も喜ぶかもしれんからな」
 親父が指さしたお客さんからの預かりものとおぼしき単車は、オレンジ色のメタリック塗装の派手なやつだった。
 あれ。これってどこかで……?

 そのとき、店の奥のテーブルにいたお客さんが立ち上がって、オレに手を振ったんだ。
 「おっす、ハヤト!!」
 「うわ、テツじゃん!! びっくりしたなあ」
 トップを逆立てた長めの金髪、えへへ、と笑う気安い笑顔。鬼浜町からは北の方角、山のほうに住んでる彼は、地元のオレたちみたいな隊の、オレと似たような立場の男。
 わりと最近の付き合いだけど、すごく気の合う仲間になってる。
 「元気にしてたー?」
 「うん。まあまあ、かな」
 「そりゃ安心したよー。だってさ、ボスがさ。ハヤトは病気かもって脅かすんだもん」
 「え。ボスって……ああ、親父のこと?」
 「うん。そうそう」
 「あはは。真に受けちゃダメだよ、テツ」
 なんか、いいな。笑うって――いいな。
 昨日からのオレはそれを忘れていたかもしれないな、って今さら気づいてみる。

 帰ってきたらちゃんと手伝うから、と親父に言い残して、テツと一緒に外へ出た。
 さっきガレージに入れたばかりの単車に、こんどはふたり乗りで出かけることにした。
 テツが昼食が済んでいないと言うので、国道沿いのファミレスへ。
 オレはさっき遅めの昼食を食べ過ぎるほど食べたから、コーヒーだけ頼んだ。
 
 「それにしても、突然どうした?」
 「ん~と。気まぐれ走行ってやつ。なんとなく走り出したら海に着いたんだよね。気分よくなってそのまま国道走ってたら、看板に『鬼浜町』って書いてあったからさ。んで、ハヤトんちに電話ししたらボスが出てくれて。ハヤトはじきに帰るからとりあえず来いって言われて」
 「あはは。気まぐれ走行、ね。オレもよくあるよ、それ」
 「だろー? ハヤトならわかってくれると思ったよ、おれ。でさ、ハヤトん家までの道順をボスに教わって、店に着いたらさ。ボスが友達割引してくれるっておっしゃるから、単車、診てもらうことにしたんだよね」
 シートが劣化したから交換したいと思ってた、ってテツは言った。あとは扱いが丁寧とは言えないから点検もしてもらいたい、とも。
 
 それからふたりして、単車乗り同志の気安い会話を楽しんだ。
 テツはよくしゃべるほう。だから時間はあっと言う間に過ぎていく。
 オレもテツに訊かれて、こないだツーリング先で暗黒一家に会ったことなんて話したり。
 「へ~。ハヤト、そんなことがあったんだ」
 「うん。なんだかんだ、会っちゃうんだよね。奴らとは」
 「うはは、それって因縁っぽいねー。まあ、おれんとこも似たようなもんだけどさ」
 なんだかまる1日ぶりに、しゃべってるのが楽しくなってきた。
 ノらない気分のままムリに遠出しなくてよかったな、オレ。

 テツの食事が終わって、オレもコーヒーを何杯かおかわりして。
 そろそろ出ようか、という段で時計を見たら、ちょうど学校が終わる頃合い――そう、リュウジが学校から帰ってくる時間だった。
 「さ~て。戻ろうか。ボスが待ってるよね」
 「あ……ごめん、テツ」
 「ん~? なに?」
 「ちょっとそこらへん一周しないか? もうちょっと遅くなってから帰りたいなって思うんだけど。オレ」
 「うん。べつにいいよ」
 にこりと笑ってテツが答える。それにどうも、と答えて。
 なんで、とテツは訊かなかった。だからオレも理由は言わなくてOKってことで。
 
 テツが運転してみたいというので、そこからはオレがリアでのふたり乗り。
 よく考えてみたら、オレ、リアシートって乗り慣れていないらしい。
 最低限自分のマシンのリアに乗るのは初めてだと思う。
 テツが動かすオレの愛車のマフラーからは、あんまり聞いたことのない音質が出ていたようにも思う。
 これって、単にリアシートのほうがマフラーに近いからなのか?
 っていうか、もうちょっと減速してカーブを曲がる気にはならないのか?
 正直言って、テツと本気で勝負したら勝てないかも、って思った。
 テツって向こう見ずな男だとは思ってたけど、想像以上の絶叫マシン級だ……。

 単車のリアに乗るのってけっこう覚悟がいるんだ、って認識が植え付けられたころ。
 オレも誰かを乗せるときは気をつけよう、なんて思い始めたころ。
 テツの運転するオレの愛車は、無事にオレの家まで帰り着いていた。
 店では親父がテツの単車を点検しているところだった。 
 「お帰り、息子とその同胞よ」
 「ボス、ただいまー」
 「うん。なんとか無事戻ったよ」
 「あ、おれのマシン、どんなですかね?」
 自分の愛車と向き合う親父に、テツは訊いていた。
 「うむ。君の個性がそのまま表れているような具合だな」
 「へ~。そんなことわかるんですか。さすがプロですな~」
 「それはまあ、プロだからな。わっはっは」
 親父とテツは一緒に笑いあっていた。オレもつられて笑ってみたり。

 「いや、むしろ笑える状況ではないと言いたかったのだ、息子の親友よ。君の単車は基本的にメンテナンスが足りないようだ。一晩入院させてみるか?」
 最後のほうのは、ちょっとばかり脅しの口調で親父は言ってた。あ~あ。



  * 4 *
 
 
 思ったよりも愛車の状態がよくないと親父に言われたテツは、それなりにへこんでいた模様。
 最初はため息ついていた。
 「そうだよな~。おれ、あんまりメンテとか、詳しくないからな。ちゃんとハヤトに教えてもらおうとは思ってたんだけどね」
 「そうだね。知識はあって損するもんじゃないから」
 「だね、ハヤト。ボス、ちょっと近くで見せてもらっていいですか?」
 「おお、歓迎だ。君も点検くらいはできるようになったほうがいい」
 「ありがとーございます!!」

 本当はオレが手伝うはずだったテツの愛車のメンテナンスは、テツ本人が親父の手元を見ながらあれこれ教わって、いけるところは自分で手を出して――っていう感じになったので、オレは近くに椅子を持ってきてそれを眺めているだけ。
 テツに指導してやりながら、思い出したように親父が言った。
 「そうだ。さっきお宅の隊長殿が来たぞ」
 「ああ――うん」
 やっぱり、か。
 そりゃそうだよね。オレが学校サボるのって久し振りだし。それを予期して、オレはわざと時間をずらして帰ってきたんだから。

 「接客中だと答えておいたが、よかったか?」
 「サンキュー。助かったよ、オレ」
 「ほれ、そこ。隊長殿が置いてったぞ。見舞いだと」
 親父に顎で示されて見ると、お客さん用の木製テーブルに紙袋が置いてあった。
 袋を開けて、出てきたのは桃の缶詰だった。白桃のと黄桃のと、それぞれ3缶ずつ。
 なんで桃なんだろうと一瞬考えたけど、ああ、そうだった。思い出した。
 リュウジに、オレが子供の頃、熱を出したときに食べた桃がすごくおいしかったって話したことがあったんだ。それ、覚えてたのか。今はシーズンじゃないから缶詰ってことか。
 「その上に説教されたぞ、俺は。病気の息子に接客させるとは何事だ、とな」
 「え。あはは、ごめんごめん」
 「まったくなあ。リュウジときたら馬鹿がつくほど素直だからな。参ったもんだ」
 そう言いながらも、親父は親父でリュウジをかわいがっているのを知っている。
 そう――リュウジはそういう漢。だからみんながリュウジを慕うんだ。
 オレだってわかってる。ほんとはわかってる。

 単車を一晩入院させると親父がテツに言ったのは、どうやら本気だったらしい。
 親父の命令で、テツは我が家に足止め確定。
 急かされて仕事をするのは親父のポリシーに反するから、ゆっくり作業させてくれってことらしい。
 だったら往復の距離も考えて、帰るよりもうちに泊まっていったらいいだろう、と親父が言ったのをテツが受けたんだ。
 幸い明日は土曜日だから、学校休みだし。たまにはこういうのも楽しいかも。

 その日の夕飯は、お袋の得意料理が食卓狭しと並んでた。
 何を食べてもおいしいと言ってにこにこしているテツに、お袋は大喜びだった。
 いわく、うちの師弟――親父とオレは食に関して無頓着で張り合いがないんだそうだ。
 親父もオレもちょっとは反論したけどね。でも、テツのおいしい笑顔にはかなわない。
 食後のデザートは、リュウジがお見舞いにもってきてくれた桃の缶詰だった。
 生の桃とは違う、どこか懐かしい味がした。
 親父が晩酌しながらテツに武勇伝を語ったりしてる。テツも楽しそうに聞いてた。
 
 すっかり酔っぱらった親父が寝床へ引き上げたのを潮に、オレはテツを散歩に誘った。
 「こっちのほう、やっぱ暖かいなー」
 肩を並べて夜道歩き出すと、テツが伸びをしながらそう言った。街路灯にテツの金髪が輝いてる。
 「美山瀬はまだ寒いんだ、夜」
 「うん。こっちよりは冷えるね。山だから」
 テツの地元は山のほう。ダム湖のある観光地だ。オレはそこで、はじめて自分と同じような立場の仲間――美山瀬烈風隊の特攻隊長・テツと出会った。それが秋のこと。
 そういえばふたりだけで一緒にいるのって、初めてのことだった。
 「ハヤト、髪伸びたね」
 「そう。オレもさっき思った。そろそろ切ろうかな、って」
 「いいんじゃないのー? そのままでも。おれもしばらく切ってないし。トップは自分で切っちゃうけどね」
 「え。そうなんだ。それ、自分でやってるんだ。器用だな、テツ」
 「だって、面倒だし。床屋とか。ブリーチも自分でやってるしね」
 逆毛を立てたトップに手をやって、テツはえへへ、と笑ってた。

 オレはコンビニにでも行こうと思って家を出たんだけど、一番近いコンビニは話しているうちに通り過ぎてきてしまった。
 それから数軒同じようにスルーして、気づいてみたらいつもの河川敷まで来ていた。
 「うわ、川だ」
 「こんなとこまで来ちゃったな……惰性っておそろしいね」
 「あれ、なんだ。ここへ来るつもりじゃなかったんだ、ハヤト」
 「うん。ちょっとコンビニでも、って思っただけなんだけどね」
 「うはは。そうとは知らずについて来てたなー」
 まあいいか、と笑いあって、土手を降りてみることにした。
 「ここって集会所だろ? ハヤトたちの」
 「うん、そう。わかるんだ?」
 「まあねー。こう、雰囲気で」
 
 土手の斜面は、それなりに草が生えはじめていた。青臭い匂いがして、座ってみたらしっとりと露に湿っている。
 「そういえば、ハヤト」
 「なに?」
 「言いたくなかったらべつに聞かないけどさ。もしかして、リュウジと何かあった?」
 「あ――わかる?」
 「わかる、ってゆーか。仮病なんだろ?」
 そうだった。オレが仮病だって、テツは知ってるんだった。
 
 ポケットからガムを出して、オレに勧めてくれながらテツは言った。
 「リュウジってハヤトにべったりじゃん? いつも」
 「あはは。珍しいこと言うな」
 「そうかなー? でも、おれにはそう見えるけどな。リュウジって、なにかとハヤト、ハヤト……じゃない?」
 「そればっかりでもないと思うけど……」
 でも、言われてみれば完全に否定できる感じじゃないかもしれなかった。
 「まあ、きっと呼びやすいんだよ。オレの名前が」
 「うはは。そっかー。そういう理由なんだ」
 あえてそれ以上テツは突っ込んでくる気はなさそうだった。
 テツにそういうふうに見られていたんだ、ってオレはしばし考えた。
 そう見えるってことは、リュウジはそれなりにオレを信頼してくれてるのかな。
 
 「テツ」
 「んー? なに?」
 「オレさ、ちょっと話していい?」
 「どうぞどうぞ。好きなだけ」
 渡りに舟、ってこういう気分のことを言うんだろうな。
 昨日からの複雑な気分を誰かに話してわかってもらおう、なんて、今の今まで思っていなかったんだけど。
 ノブオは置いといて、どんな話でも受けとめてくれるはずの頼れるダイゴにも話したい気分じゃなかったのは、きっとオレ自身がわかっているから。自分がみっともないだけだ、って。
 「格好のいい話じゃないんだけどさ」
 「いいんじゃない? おれにかっこつけてもしょうがないだろ」
 ああ――そうか。テツには格好つける必要ないんだ。
 今日テツがここにいるのはきっと神様が仕組んでくださったんだな。



  * 5 *
 
 
 じっと座っていると、川からの風はそれなりに冷たかった。
 それでもオレは――千載一遇の好機とばかりにテツにすがることにした。
 どうやらオレって、落ち込んだ気分を自分で消化できるタイプではないらしいと初めて気がついた。そもそもあんまり落ち込んだりしないほうだから知らなかったんだ。

 オレの落ち込んでいる原因、リュウジの放ったひとことをテツに話したところ。
 「なるほどなー。『ハヤトの喧嘩にゃ期待してねえ』ってか」
 「うん。まあ、しかたないんだけどね。事実ではあるし」
 「そうか。ハヤトって喧嘩しないんだったっけ」
 「しない、っていうか。リュウジにも言われたけど、必要とされることがなかったから」
 「なるほど。ハヤトにやらせるぐらいだったら自分が出てったほうが早いってんだな、リュウジも」
 「そうだね。それに、うちには腕っ節の強いダイゴもいるし、ノブオだって逆上するとすごいから。オレだけがゆるいんだよな」
 「まあまあ。そんなに自分をいじめることないって。その分、ハヤトは違う能力で貢献してるんだろ?」
 ぽんぽん、とオレの背中をテツが叩いた。
 「なんて、こんな言葉でハヤトが納得するんだったら、そもそもおかしなことになってないのは承知してるけどさ」
 テツはちゃんと察してくれている。このへん、すごく楽だ。
 
 「あ~あ。オレ、ほんと格好悪いよね」
 「うん。ほんとー」
 「だよな。テツが素直で救われるよ、オレ」
 「ってゆーか、誰だってそんなかっこいいもんじゃないだろ? 人間だし。おれなんて、かっこいいなんて言われたことないしねー。ハヤトは言われなれてるかも知れないけど」
 「……え、オレ? オレは基本的に『とぼけた奴』ってのが最大の褒め言葉だけど」
 「うはははは。それ、リュウジだろー? だから言ってるんだってば。リュウジがハヤトにべったりだから、ハヤトにはそれしか聞こえないんだ」
 「あはは。そんな独特な解釈、初めて聞いたよ」
 オレは曖昧に笑ってる。そんなもんなんだろうか。

 「まあねー。リュウジは悪気ないんだろうね」
 「そうだね。それはわかる。オレにだって。っていうか、それにこだわってる自分が嫌いなんだ、オレ」
 あ、そうか。
 深く考えないで言った自分の言葉に気づかされた。
 そうか――オレ、そこが納得いかなかったんだ。

 「なんかすっきりしたっぽいな、ハヤト」
 オレの様子を見て、テツがにまりと笑って見せた。オレは納得して頷いてみた。
 「オレ、自己嫌悪をリュウジになすりつけてたのかも」
 「わはは。自己嫌悪って、ハヤト。そんな深刻なキャラじゃないだろ? 似合わないからやめといたほうがいいよー。それこそリュウジが期待してないと思うしさ。おれ」
 テツは笑い飛ばす勢いだった。
 それは決してオレを馬鹿にするとか、そういうことじゃなくて。
 なんだかあったかい感じが伝わってきた。
 普段から顔を合わせているわけじゃないのに、不思議とテツに理解してもらえてる。
 「テツ、ありがとう」
 どう言ったらいいんだかわからなくてたったそれだけ返してみたんだけど、テツは大きく首を縦に振ってくれた。
 
 さすがにちょっと冷えたから、と言って、テツは土手を上がっていった。
 戻ってきたときにはあったかい缶コーヒーを持ってた。1本をオレに投げてよこしながら言った。
 「それで? ハヤトはどうしたいと思ってる?」
 「どう――って」
 口ごもるオレを、テツは待ってくれている。掌の中であったかい缶を転がしながら。
 
 オレも同じようにしながら考えているところ。
 確かにオレだって、手出ししたくなる瞬間っていうのはある。暗黒一家の無法っぷりには、リュウジじゃなくても怒り心頭の心持ちになるわけだし。
 いつでも事態が単車勝負に切り替わったときにだけオレの存在意義があるのが現状。
 ただ――オレだけがそれでいいんだろうか、って実はずっと思っていたらしい。今それを知ったところのオレは、やっぱりとぼけた奴に他ならないのかも。
 やっと絞り出した苦し紛れの答えがこれだった。缶のふたを開けながら言葉にする。
 「前向きに、リュウジの脇を固めたいと思うな、オレ」
 「うん。いいんじゃない、それで」
 言いつつテツが、自分もふたを開けた缶をオレに差し出した。乾杯――ってことか。

 テツの買ってきてくれた缶コーヒーは、唇から胃までの経路を滲みるようにあっためてゆく。うん、心臓の近くを通ってった、今。
 「だからー。そんな深刻そうな顔するなってば、ハヤト。おれ、そうゆうの得意じゃないからさ。ってゆーか、おれ、聞き役そのものに慣れてないって話」
 「あはは。そうか。テツってよくしゃべるもんな。悪かった」
 「まあ、たまにはいいよ。たまーには、ね」
 きれいにブリーチされているテツの長髪が、川からの風に揺れていた。

 パズルのピースがすとん、と、まるで音を立ててはまる瞬間みたいなやつを味わったオレは、ふと思ったことを訊いてみる。
 「ところでテツって、喧嘩強かったりする?」
 「ええっ。おれ――ああ、まあね。多少の心得は……まあ」
 つんつんに逆毛を立てた頭のてっぺんをを掻きながら、テツが答えた。
 「うん。それなりにはね。ヤらないほうじゃない。どっちかって言ったら」
 「そうか。そのほうが自然だよね。隊長のそばにいる者としては。タケルも心強いって思ってるんだろうな」
 「いや……まあ。そのう」
 やるなあ、っていう賞賛だけを用意していたオレだけど、テツの感じがさっきまでと微妙に違って伝わってきた。
 「あれ? なんかまずかった? だったらごめん」
 「いや、そういうんじゃないんだけどね」
 ええと――って感じで、テツは次の言葉を選んでいるような気配。
 
 ひと呼吸の間をおいて、テツがこう続けた。
 「ってゆーか、ハヤト。昼間さ、不自然に思わなかった?」
 「ん? 何を?」
 「今日って平日だろ? おれがなんであんな時間にハヤトんちにいたんだろ、って」
 「ああ、今日って平日だったんだっけ。忘れてたよ。オレ、学校サボってたから」
 「わはははは。そっか。同罪だったんだっけ」
 「同罪……ってことは、テツも? 仮病?」
 「あー、それはちょっと違うかも。おれは早退だから」
 「あはは。どっちにしても大差ないってことか」
 「んー、そうかもしんない」
 
 わざわざそれを持ち出すってことは、きっとテツも何かあるんだろう。
 『それで?』と視線だけで訊いてみる。テツが言いたくなければ見なかったことにすればいいだけだから。
 頷いたテツは、オレの視線への答えを用意したらしい。
 「それにもさ。ちょっとばっかり理由があって」
 「うん」
 こんどはテツの言葉をオレが待つ番。
 「今日さ。学校で――」
 テツが何か言いかけたとき。
 河川敷の土手に陣取ったオレたちの真上、川沿いの道路の海側のほうから、ふたつの爆音が絡み合って近づいてきたのに気づく。
 視線をテツから逸らして上に向けると、次第に大きくなってくる単車のシルエット。
 「あれ? ノブオか――?」



  * 6 *
 
 
 「ん? ノブオって、ハヤトんとこの?」
 「そう。あれ、近づいてくるの、ウチのノブオだ」
 「もう1台は?」
 ノブオの単車をつかず離れずでついてくる、もう一方のマシンの見慣れたフォルム。
 「あれは――ハンゾウ。オレの宿敵って奴」
 
 あっという間に2台が通り過ぎていったのを、なすすべなく見守った。
 見て取れた構図は、逃げるノブオを追うハンゾウ。
 何かあったんじゃないか?
 「――テツ、悪い。話の続き、あとでいい?」
 「もちろん」
 とにかくオレは立ち上がって土手から上がった。テツもついてくる。
 町の方角に消えていったノブオとハンゾウの2台。音だけがかなり先から聞こえてきた。
 
 「まずいな。もしかして暗黒一家と揉めているのかもしれない」
 「やっぱりそんな感じ?」
 「わからないけど」
 桜並木の葉擦れの音が、故知らず不安をあおる。
 どうする……どうする、オレ?
 家に戻って単車を出したほうがいいのか?――そんな逡巡の矢先だった。
 町の方角に目を向けていたオレの背中に新たなる爆音がぶつかってくる。
 半ば以上の確信を持って振り返った。視界に入ってきたのは、3台の単車だった。

 「ほう。単車勝負は若いのに任せて、おのれは空身か。いいご身分だなあ、特攻隊長」
 オレの目の前に単車を停めざま低い声で言い放つのを聞いた。コウヘイだ。
 残る2台、言うまでもなくゴンタとタカシも続けてブレーキをかけていた。
 オレはつとめて声を荒立てたりせずに応える。
 「勝負? そんな感じには見えなかったけど?」
 「うちの特攻隊長が貴様のところの若いのと仲良く並走しているように見えたとでも言うのか?」
 「そうじゃない。ただ単に、ハンゾウが面白半分にウチのノブオに絡んでるだけにしか見えなかった。だとしたら、オレにもプライドがある。単車で追うから、引き上げる。単車で来なかったのが悔やまれるな、オレ」
 そう言って、オレは本気で単車を取りに帰ろうと目顔でテツを促した。

 予想どおりと言えばそうだけど、コウヘイは単車から降りてオレの眼前に立って行く手を阻む。オレはちらりとテツに『巻き込んで悪い』と視線を送ってから、コウヘイの獰猛な睨みを真っ正面から受けることになった。
 「ふん、逃げるのか、特攻隊長ともあろう貴様が」
 「逃げる――? そうじゃない。むしろ、追うんだって言ってるだろ? ノブオを追うつもりだ。そもそも下手な言いがかりだ。あらかたノブオがひとりだったから絡んだってところだろう? リュウジもダイゴもいないところを見ると」
 「言いがかりとは心外じゃねえか。だったら貴様も若いのを見習ってみるか?」
 「何を言ってるんだ?」
 「解らんのか。可愛そうになあ、特攻隊長」
 「別に同情される覚えはないよ? コウヘイ」
 「つまらん御託ばっかり並べてやがる。貴様も独り同然なのだし、若いのを見習って俺等と勝負をしてみるか、と訊いているのだ、ゴラァァァ!!!」
 「質問っていうか、それって脅しだよな?」
 「つべこべ抜かしている余裕はねえだろうが。やっちまうぞ?」
 
 しょんぼり点った外灯の下で、コウヘイの目の色は本気を帯びていることがわかる。
 オレが、この状況で勝負を受けて立つ――それが何を意味するのか、おくればせながら理解できた。
 そうだ。今のオレは単車とともにあるわけではないんだ。
 名ばかりの特攻隊長――得物がないということは、丸腰なのだという意味で。
 ああ、なるほど。オレ、こういう状況の時って何の役にも立たないんだな。
 自嘲気味を通り越して、本気で自分を嘲笑うことしか思いつかないけれど。
 
 このまま退くことはできないらしい。
 オレに凄むコウヘイ然り、無言で居並ぶゴンタ然り、タカシ然り。
 どうやらオレと事を構えないことには納得してくれそうもない。
 ここは受けるほかないようだ、と覚悟して、OKと言おうとしたのを遮られた。
 オレの横から一歩踏み出して、テツがコウヘイに向かって言葉を放った。
 「なあ、そっちの頭の人」
 「ああ? 俺のことか?」
 「うん。そう。あんたが頭なんだろ?」
 「それがどうしたと言う? 部外者には関係ねえだろうが? 手前から首突っ込みやがるとろくなことにならねえぞ、特攻隊長のご友人よ」
 「ちょ、テツ?」
 「いいから、ハヤトは黙ってろ」
 テツは視線をまっすぐ前、コウヘイに向けたままオレを左手で制した。
 
 高めの響きのあるテツの声が夜の道路にこだまする。
 「あんた、おれを部外者扱いするのはやめてくれよ。おれ、こう見えてもハヤトの同胞だぜ? なあ、ハヤト。ボスもそう言ってたし」
 「って、おい、テツ……」
 「ハヤト。おれ、地元でハヤトに助けてもらったことあるよな。だから今、恩返しなんかできたらいいな、なんて思ってたりして」
 テツはいまだ正面の暗黒一家に目を向けたままオレに言葉を寄越す。
 「いや、でも。オレの地元で何かあったら、それこそテツの仲間に申し訳が立たない」
 「そんなこと言ってる場合じゃないだろ、ハヤト。おれさ、なんかすごいむかっ腹立ってきちゃってるんだよねー。だから、ハヤトがやらないんだったら、おれがやっちゃってもいい?」
 「ふん。余所者風情が抜かしやがる」
 「そんなの問題にならないって。おれがどこに住んでいようと、ハヤトの同胞だってことに変わりはないんだし。それくらいわかるだろ? 頭の人」
 どうやらテツは本気のようだ。
 オレとは違って、喧嘩の心得もあるとほんのさっき言っていたテツ。
 とはいえ――

 「テツ。これはオレたちの問題だから」
 さすがにオレも性根が据わったような心持ちで、テツの制する手をすり抜けて一歩前に出た。
 「コウヘイ、済まない。こっちはオレん家の店の大事なお客だから、そういうわけにはいかないんだ」
 「上等だ、特攻隊長。貴様が出るのだな?」
 「そうだね。そういうことになる」
 「って、ハヤト!! 本気なのかよ!!」
 テツが慌てた口調でオレに言う。
 「さあ。わからないけど、どっちみちこのまま逃がしてはもらえないっぽいからね」
 「物分かりがいいじゃねえか。だったら話は早いな?」
 にやりとコウヘイは笑ったように見えた。けれども暗がりの中だから、それも定かではない。

 おそらくコウヘイにとっては、単車を伴わないオレ如きは子供のようなものなんだろう。
 またはそれ以下――赤子の手を捻るとか、そんな言葉で片付けられる程度のもの。
 わかっているとしても、ここは逃げるわけにはいかないらしい。
 自分でも説明不能な何かに突き動かされるような心情。いつもだったら涌いてくるとは思えないような熱い感情が、軽く握った拳の内側を満たしている。
 オレが昨日来こだわっているリュウジとの一件がわだかまっているだけだ、ってことはコウヘイに読み取られているはずはないけれど。
 
 オレが首を縦に振るのを確認したあと、コウヘイは低く言う。
 「結構な心構えだ、特攻隊長」
 「褒めてくれて、どうも」
 振り仰いだ夜空には、赤っぽく見える月。なんだかやけに大きく見える。



  * 7 *

 
 「よし。お前が行け」
 「心得ましたです、総帥」
 いつもの鬼川河川敷に勃発した、我が鬼浜爆走愚連隊と宿敵・暗黒一家の間の闘い。
 それはいつもとは異なる色を掃いていたことを知っている者は極端に少ないけれど。

 桜並木から場所を移した、河川敷の土手の下。闘いの巷にいるのはオレ。
 オレの相棒たる愛すべき単車は、今日は一緒じゃない。
 それでも闘いに挑むオレ――種目は喧嘩勝負ときたもんだ。
 ちょっとした珍しい光景を見守ってくれているオレの仲間は、今日はたったひとりだけ。
 隊の仲間ではないけれど、オレの同胞と親父が評したテツがオレの背中を見つめている。
 心配してくれているテツの呼吸を痛いほどに感じながら、オレは正面を見据えた。

 オレの勝負の相手にとコウヘイが選んだのはタカシだった。
 なるほど、適任かもしれない。相手が強すぎると、オレ、生命が危ういかもしれないし。
 辛うじて釣り合う可能性のあるハンゾウは、いまノブオを追うのに忙しいみたいだし。
 
 せめて気魄だけは負けぬよう、そう自分を奮い立たせる。
 単車勝負のときとはまた違った緊張感がオレの背中を走り抜けていく。
 対面に立ったタカシの不気味なほどの余裕をたたえた薄笑いがオレを見た。
 オレはごくりと息を呑む。
 そしてすこしの間合いのあと、薄笑いを高笑いに変えたタカシがオレに殺到してきた。

 「ケケケケケ!!」
 「ぐ……ッ」
 タカシが繰り出す一撃目をオレは試しに受けてみた。
 頬にタカシの拳が当たった瞬間、ああ、オレは意外と冷静なんだと感じた。
 避けきれないというわけでもなかった。
 ただ、一度受けてみないとタカシの拳の威力が体感できないと踏んでのことだった。
 
 「なるほどね」
 攻撃を受けた左頬に無意識に手をやりながらオレは言う。目はタカシを見据えている。
 「わかったよ、タカシ」
 タカシの表情は先程までとなんら変わらぬ薄笑い。見ているうちにそれはこちらにも伝播したかのような気持ちで、おそらくオレもそのときにはうっすら笑っていたんだろう。
 瞬時にオレの闘う脳が理解したこと。
 タカシの拳の威力は一撃でオレを倒すほどではない。スピードも速すぎるということもない。長期戦になったらわからないけれど、あっという間にやられるとも思えない。
 だったら――オレの攻撃はどうなんだろう。どの程度タカシにダメージを与えられるんだろう。
 物思いがそこまで辿り着いたところで、オレは口に出して言う。
 「そればっかりはやってみないとわからない、か」

 「ケケケ、なにをぶつぶつ言ってるんだ、特攻隊長」
 「いや、別に。なんでもないけど」
 言いざま、オレから攻撃を仕掛ける体勢に入った。
 視線は対戦者から逸らさぬまま、体を大きく数歩退く。
 勢いをつけて身を低くして、そしてオレはタカシの胸めがけて体当たりを試みる。
 狙いは肩をぶつけることだった。
 避けようとしたタカシの足の動きも見逃さないように追い縋ったオレの肩は、狙いどおりに敵の薄い胸にぶち当たったらしい。
 「ウアァ……っ!!」
 タカシが甲高い声を上げたのを聞いた。それなりに効果はあったようだ。

 さすがにオレも一撃で相手を倒すわけにはいかなかった。タカシはオレの肩が当たった胸に手をやって、息を整えながら言った。
 「や、やるじゃないか、特攻隊長め」
 「褒めてもらって悪いね」
 「そんなつもりはないゼ――喰らえっ!!」
 言いざまタカシが飛び上がったのをオレの両目は捉える。

 え――? 何だ?
 回答は、オレの胸に返ってきた。
 「――ッ……」
 高く跳んだタカシのブーツの底がしたたかにオレの胸を蹴る。
 一瞬、息が止まった。
 それでもオレは倒れちゃいけないらしい。
 この程度で屈したら、それこそ自分を嫌いになってしまうから。

 しっかりしようぜ、オレ。
 しっかり大地を踏もうぜ、オレの足。
 しっかり呼吸しようぜ、オレの肺。
 しっかりしようぜ――傷も青痣も出血も、たいしたことないだろ?
 そんなふうに己を鼓舞しながらの攻防が続いている。
 
 オレのお世辞にも強烈とは言い難い拳も、何度かタカシに追い縋った。
 タカシのいくつかの攻撃を受けた。もちろん、見切れた分はしっかりやりすごした。
 このへんの『かわす』とか『ぶつけていく』とかっていう感覚は、案外単車勝負の駆け引きと通じるところがあるんだな、なんて頭の隅っこで考えたり。
 
 タカシが得意だとおぼしい跳び蹴りも、今度のは完全に避け切れた。
 オレが避けた攻撃は、しかけた側のタカシを痛めた――彼の足が空を切ったのを見た。
 「ああッ――!!!」
 タカシの体が地面に到着するのと、叫びが口から出たのと、どっちが先だったかわからないけれど。

 「やった、ハヤト」
 背後にいてくれるたったひとりの応援者、テツがそう呟いたのをオレの耳がとらえた。
 同時に、そこまで黙然と戦況を眺めていたコウヘイが冷ややかともとれる口調で言った。
 「タカシ。しょせん相手は喧嘩の素人だ。お前のほうが場数を踏んでいるのだから、まさか負けたりしねえよなあ?」
 コウヘイの声音に、倒れたタカシの体がぴくりと反応するのを見る。
 
 オレはというと――コウヘイの言を聞いてオレの気分はおそろしいほど高ぶった。
 だから言われたタカシ以上の反応をコウヘイに返さないといけなかった。
 「喧嘩の素人――悪いね、コウヘイ。いまのオレ、その言葉だけには敏感なんだよね」
 オレは渾身の力をこめた拳を立ち上がりかけたタカシに見舞う体勢に入った。
 さすがに立ち上がったタカシも素早く構えている。
 オレが決める!!
 熱情のすべてを握った掌の中に詰め込んで、オレは使い慣れない拳を振りかぶる。
 同時に、タカシもまた――

 鋭い痛みが、地面に背中をついたままの全身を支配している。
 やることはやった、という満足感がある……というのは真っ赤な嘘だ。
 勝負は勝たなきゃダメだ。
 オレはここで、起き上がらなくちゃダメなんだ。
 全身の感覚は極めて鈍い。頭の中だけがやけに冴えていて、四肢に指令を送っている。
 無視するな、オレの足――オレの腕。
 息が荒いのなんて、鼓動が早いのだって、この際関係ないだろ?
 
 OK、まだ行ける。自己暗示をかけて、身を起こすべく地面に肘をついたときだった。
 「オイ、ハヤト――? ハヤトじゃねえか!!!」
 ぼんやりと霞んだ目が声の方を向く――ピントが合うとそれとわかる。
 河川敷の土手の上からの声の主は、外灯に照らされた赤いリーゼントだった。
 あ、まずい。オレ、起きなくちゃ本気でまずい。
 これはオレのプライドだ。
 そう――喧嘩だってやればできるんだ、とリュウジに言い返したかったオレの、ささやかなる自尊心。



  * 8 *
 

 意地と言う名の奇跡、みたいなものだったと思う。
 河川敷でのオレの、タカシとの喧嘩勝負。終盤の相打ちで倒れたオレが立ち上がることを得たのは、尋常じゃなかったのかもしれない。
 さしたる威力はないであろうオレの拳の行き着いた先にいたタカシは、いまだうずくまるように地面に伏している。
 
 立ち上がったはいいけれど、足許がふらふらしていた。しかも、目が回る。
 定まらない視線に襲いかかるように近づいてきたのは眩しい光――土手の上から降りてくる、単車のヘッドライトだった。

 2台の単車がオレたちの目の前に止まる。
 先頭にいたマシンを降りてリュウジがオレに怒号を放った。
 「ハヤト!!! お前、一体何をしてるんだ!!!」
 「何……って――っツ」
 ああ、なるほど。立てても、話すと痛いんだ。どこもかしこも。
 
 「ほう。ようやくお出ましか? 総隊長」
 どことなく嬉しそうにコウヘイが言ったように思えたのは、オレが尋常でないからなのだろうか。
 「オウ!!! 待たせたな、コウヘイ」
 どことなく楽しそうにリュウジが言ったように聞こえたのも、オレが朦朧としているせいなのかもしれない。

 「ハヤト、何だかわからねえが、とにかく御苦労」
 「いや、ぜんぜん。大したことない」
 「……って感じでもなさそうだな」
 「ああ、多少はね。情けないなあ。オレ」
 ちょっと呂律の怪しい感じで、リュウジの問いかけに返すオレ。
 その間もリュウジはオレの前を塞ぐように、おそらくコウヘイを見据えながら言った。
 
 「コウヘイ!!! ウチの特攻隊長は意外と強かったろ? こう見えて、昔は喧嘩っ早いので有名だったんだからな!!!」
 「昔のことなどどうでもよい。今日はうちの若手の調子がよくなかったに過ぎん」
 「そんな言い訳いらねえぜ。タカシが倒れたままってことはハヤトの勝ちだな? コウヘイ!!!」
 「…………」
 どことなく誇らしげにリュウジが言った。そしてコウヘイは無言を返した。
 ああ、そうなんだ。これで今日はオレが勝った、ってことなんだ――
 
 リュウジの言葉を聞いて、オレはすっかり気が抜けたようになったんだと思う。
 さっきから続いていためまいが強くなったようで、ついついしゃがみ込んでしまう。
 「あ、ハヤト!! 大丈夫?」
 「無理は禁物だ。少し休んだほうがいいだろう」
 オレを両脇から抱えるようにして、助けてくれるふたりに礼を言ったことまでは覚えている。
 「悪い、テツ。情けないよね、オレ。この程度だ、って。それと、タケルも――って、あれ? タケル? いつからここに……」
 「いいから、今はじっとしていろ。この場はリュウジがおさめるだろうから。それが隊長の仕事だから」
 「うん、了解。タケル」
 オレはおとなしく頷いて、そして重たかったまぶたを閉じたんだ。
 遅めの昼寝、ってことにリュウジがしてくれると助かるな。
 
 そのあとは――もしかしたらちょっと気を失ったのかもしれない。
 朦朧とした意識の中で聞いたのは、このあいだ決着がつかなかった勝負のやり直し、とか誰かが言っていた声。
 それに続く打撃音のいくつか。
 誰かの呻き声。
 誰かの嘆息。
 誰かの威勢のいい雄叫び。
 
 しばらくあとに、遠ざかっていく単車の、いくつかの排気音。
 入れ替わるように、近づいてくる排気音。
 さらにそのあとにも、複数の排気音――うちひとつはすぐに引き返したらしい。
 眠っているような、起きているような。
 ふわふわとした心持ちの中で、時間が刻まれるのだけが理解できるような。

 実際にはどれくらいの時間が経っていたのかわからない。
 ぺちぺち、と頬を叩かれたから、まだ閉じていたい気分だったまぶたを仕方なく開いた。
 「ハヤトさん。飲んでくださいっス」
 「あ――ノブオ、か」
 目を開けば、ほとんど真っ暗な河川敷の見慣れた光景。
 ようやく半身を起こしたオレの顔の真っ正面にはさっきまでハンゾウに追われていたノブオがいて、口許に何かを近づけてくれている。
 ああ、これ、水か。一口すすると、なんだか甘く感じられた。
 「悪いね、ノブオ」
 「とんでもないっス」
 えへへ、と鼻の下を擦りながらノブオが言った。
 
 ペットボトルの水をいくらか飲み下すと、呆けたアタマがちゃんとしてくる。
 オレを囲んでいるのは仲間たち――リュウジとダイゴ、それにノブオ。さらにオレの同士たる、美山瀬のテツと、その連れのタケル。
 気がつけば暗黒一家の姿はなかった。
 「どうだ、ハヤト? 動けそうか?」
 「ああ――ダイゴ。大丈夫。大したことな……痛っ」
 「ああっ!! ハヤトさん!! 平気じゃなさそうっス」
 「いや、そんな大袈裟なもんじゃないって」
 ほんとはいろんなとこ痛いんだけど、さすがにノブオの手前、作り笑顔のオレ。
 あ~あ。たぶん引きつってるんだろうな、顔が。
 
 「テツ。巻き込んでごめん」
 「いや、ぜんぜん。おれは何も」
 オレと一緒にいたせいで首をつっこみかけてしまったテツ。
 「それとタケルも。変なことに付き合わせちゃったみたいで」
 タケルは黙って首を横に振っている。
 「そういえば、タケル。どうしてここに……?」
 「あ、ハヤト。それはあとで。な?」
 オレが全部言い終わる前にテツに遮られた。
 何かあるんだな、って遅まきながら思ってみたり。

 そして――オレはようやくリュウジを見る。
 オレの正面に腕組みをして、仁王立ちの我が総隊長の姿を。
 「リュウジ……」
 「オウ」
 「オレ――済まなかった」
 「何がだ? ハヤト」
 「うん。なんか、勝手に騒ぎを起こしちゃったから」
 おそらくオレが朦朧としている間に、リュウジはコウヘイと喧嘩したんだろう。見るからに闘いのあとっていう感じの汚れ方をした顔がそれを物語る。
 
 オレは心底申し訳ない気分で、リュウジに向かって頭を下げた。
 それに対するリュウジの言葉がこれだった。
 「ハヤト。俺こそ悪かったぜ」
 「え――リュウジ?」
 何を思ったのか、オレがしたのよりも深い角度でリュウジが頭を下げている。
 「俺の右腕であるハヤトが言うことを嘲うような真似をして、真実申し訳ない」
 やだな、リュウジがこんな具合なのって。なんか調子狂うんだけどな。



  * 9 *
 
 
 オレが勝手に引き起こした暗黒一家との喧嘩騒ぎは、リュウジのお咎めはなしで済んだ。
 そればかりか、リュウジはオレに済まなそうな顔をしてみせたんだ。
 「ハヤト。俺はな」
 「ん?」
 「ハヤトが、ほら。喧嘩っ早いのどうの、って言ってたときにな」
 「ああ、うん」
 「俺、ハヤトの気持ちも考えねえで、とんでもないこと言っちまったみたいだな」
 「……リュウジ?」
 リュウジはいまだうつむき加減でオレに言った。
 「だから、俺。ハヤトに謝ろうと思ってよ」

 「あはは」
 いつもと違うリュウジの雰囲気を、オレは元に戻したかったんだと思う。
 だから、いろんなところに傷をこさえていて、本当はそれどころじゃなかったけれども大きく笑ってみることにした。
 この際、自分の中のわだかまりもそっちのけだ。そもそも、そのわだかまりが引き起こした一件だってことはわかっていたけれど、いつにない表情のリュウジを見るとそれすらも些事に思えてくる。
 「やだな、リュウジ。そんなふうに言うの、リュウジの柄じゃないよ。ほら、いつもみみたく言えばいいじゃん。『オイ!!! ハヤト、やっぱお前にゃ喧嘩は似合わねえな』って」
 「――ハヤト?」
 「それで『そういうのは俺に任せとけや!!!』って。だってさ、オレ、結局は向いてないっぽいからね、喧嘩は。だって、いまひとつ格好つかないから。オレが殴られるのって」
 
 「うん。そうかもねー」
 リュウジが一瞬、どう返そうかって迷ったみたいな雰囲気が見えたところでテツが言う。
 「たしかにハヤトは、そういう役ってタイプじゃないよねー。喧嘩とかの泥臭いのって、やっぱリュウジのが似合うかも。おれ、わかるなー」
 「オイ、テツ!!! 結構な言い分じゃねえか?」
 「うはははは。だってさー、リュウジ。ハヤトって、無頓着みたいに見えて、これでもけっこうかっこつけてるだろー? だから、そういうヨゴレの役目は、ほんとはリュウジにおまかせなんだよ、きっと」
 「何だと――ハヤト?」
 「いや――ってか、テツ、そんな身も蓋もないことを」
 「身も蓋も、って、やっぱり心の中ではそう思ってやがるな? ハヤト!!!」
 「え――あはははは」

 リュウジの、笑い混じりの軽い拳がオレの頬を触らずに空を切った。
 今日は何から何までテツに助けてもらったんだな、オレは。
 雰囲気を作ったり、がらりと変えたりするのが得意なんだ、テツって。
 そういうのも絶対に必要なんだよな――とオレは考えながらリュウジを見る。
 そうだ。このまっすぐな漢の右腕として、ときには戦略的に場を和らげることも必要なんだろう、って。
 テツを見てて思った。
 うん。何事も勉強だよね。もちろん、喧嘩のテクニックも。
 
 考えて、何か言おうと思ったところで鼻がむずむずした。
 「――ックシュ……」
 「あ、寒いっスか? ハヤトさん」
 「ああ、うん。ちょっとそこまで買い物のつもりだったからね。薄着で出てきたから」
 「確かに夜になって冷えてきたようだな」
 だね、とダイゴに向かって頷いてみる。
 そうだ。オレ、みんなを巻き込んでいるんだ。ほんとに悪いな、と思った。
 「オウ、ハヤトは病気だったんだもんな!!! もうここには用はねえんだろ? そろそろ帰るか」
 「うん、了解」
 そしてオレが頷くのを確認して、リュウジはにこりと笑って見せた。
 ……リュウジ、何だかんだ言ってオレが仮病だっていう認識はないんだな。

 歩きでここまで来ていたオレと、それからウチのお客のテツは、それぞれリュウジとタケルの単車のリアに乗せられて我が家まで送ってもらった。
 本日、珍しくも単車のリアに乗るのは二度目のオレ。
 昼間はテツの運転でけっこうおっかない目に遭ったんだった。
 オレの愛車よりも排気量の大きいリュウジのマシン。奏でるノイズが体にここちよい。
 いろんなところにこさえた傷に響くけれども、なぜだか気持ちが落ち着く感じ。
 赤ん坊がゆりかごに揺られている……そんな感じなんだろうか。
 いや、それにしては喧しすぎるか。

 仲間たちに家の近くのコンビニまで送ってもらった。さすがに家の真ん前まで来ると音が近所迷惑だから。
 そして、ようやく夜の散歩の当初の予定、お菓子と飲み物の仕入れを果たしてからテツとふたりでオレの部屋に戻ったんだ。
 それぞれシャワーを浴びてから――オレは体中泥だらけだったし、さすがに湯が傷に滲みたし、鏡には痣が写ってた――、テツとしゃべっている。
 
 テツが教えてくれたのは、オレが喧嘩勝負のあとに気を失っていた間に起きたこと。
 この間の続き、と言ってリュウジとコウヘイの間にリベンジ戦が起きたんだそうだ。
 リュウジが勝ったらしい。それは、オレが正気づいたときに暗黒一家の姿がなかったのでわかってはいたけれど。
 リュウジとコウヘイの闘いが終わったあとにダイゴが到着して、さらにしばらく遅れてノブオも辿り着いたんだそうだ。
 ノブオが来たときにはすでに暗黒一家は引き上げたあとで、ノブオに絡んで追いかけ回していたハンゾウも一緒だったけれど、事態を察知してか早々にその場を去ったんだとか。

 それにしても、どうしてみんなバラバラだったんだろう、とオレが言ったのを承けてのテツの言葉がこれだった。
 「捜してたんだって。みんなで。ハヤトを」
 「え? オレを?」
 コンビニで買ってきたポテトチップスの袋を開けながらテツが首を縦に振る。
 「リュウジがさ。ダイゴとノブオに怒られたんだって言ってた」
 「怒られたって? リュウジが?」
 「そうそう。ほら、ハヤトがさっき土手で言ってたことあるだろ? リュウジに『喧嘩は期待してない』って言われたってやつ」
 「ああ、そのことね」
 「うん。どうもリュウジが、それをダイゴたちに話したらしいんだよねー。昨日からハヤトが変だったから、よっぽど具合が悪いんだろ、って引き合いに出すために」
 ああ、なるほど。リュウジはオレがへそを曲げていたのを、そう理解していたんだな。
 
 「で、ふたりが――とくにノブオが強く言ったらしいよ。『兄貴、そんなこと言っちゃったんですか? それはいくら何でもハヤトさん傷つきますってば!! 内容がなんであれ、期待していないなんて兄貴に言われたら、オレだったら立ち直れないっス』とか」
 「ノブオがそんなふうに? 驚いたな。ノブオがリュウジに楯突くなんて。リュウジが間違っていることなんて何一つないって思ってるほど心酔してるんだよね、ノブオって」

 テツがペットボトルのコーラを飲みつつ頷いた。
 「そうらしいね。んで、ダイゴも『ノブオの言うのはもっともだ、ハヤトとの間に溝が入る前に話をしたほうがよいのでは』なんて後押ししたんだって。それでみんなで一度ここに来たんだけど、ボスが酔っぱらって店先に出てきて『まだ接客中だ』って追い返されたらしくて。それで手分けして町ん中捜して、その結果だったみたい」
 「なるほど。そういうわけだったんだ。ノブオが単身でハンゾウに絡まれてたのもそのせいか。オレ、ノブオには世話かけちゃったんだな……」
 「まあ、そんなこともあるってば」
 人なつこい笑みを浮かべてテツが言った。
 「そんなの、全部ひっくるめて仲間だろー?」
 うん、そうだね――オレもかすかに笑って頷いてみる。
 
 それにしたって、もうひとつ疑問があった。
 「ところで、タケルは? なんでリュウジと一緒だったんだ?」
 「ああ――うん」
 てへへ、と、テツは頭を掻いている。
 「実はリュウジたちがその話をしてた時にね。ちょうどリュウジん家に頼み事しに行ったんだって」
 「タケルが? リュウジに頼み事……?」
 「そう。内容はねー。おれの捜索願」
 「捜索願って、テツ?」

 テツは言いにくそうに言葉を継いだ。
 「ほら、さっき川原で言いかけただろ? それの続きなんだけどさ」
 「ああ、邪魔が入って中断されたんだっけ」
 「うん。おれ、今朝学校行く途中でタケルと揉めちゃってさ。それで頭にきちゃってねー。途中で耐えられなくて早退して、そのままここへ来たって話」
 「あ、なるほど。そうだったんだ。なんだ、オレと一緒じゃん」
 「なー。ほんと、似たもの同士だよな、おれたち」
 わはは、なんて笑いあう特攻隊長ふたりの間の空気はやわらかかった。

 「でもさ、揉めた原因はハヤトとまったく逆なんだよな」
 「逆って?」
 「うん。おれ、出会い頭にぶつかってきた敵校のやつに喧嘩売っちゃったんだよねー。そこタケルに見つかって。んで、『どうして自分から手出ししたがるんだ、そんな乱暴な調子だからお前の単車も傷だらけになるんだ』なんてタケルに言われてさ」
 「ああ、そうだったんだ。でも、タケルも悪気があったわけじゃないだろうし」
 「そうそう。その通り。冷静に考えればねー」
 「あはは。このへんも似たもの同士だな」
 「ん~、言えてるかも」
 
 やけに気の合う仲間同士、それからも飽きることなくいろいろ話して、たくさん笑って。
 ふとんに入ったのはずいぶん夜も深い時間、どちらかというと夜明け近くになったころだった。

 暗くした部屋の中、天井を眺めながら一瞬だけ考えた。
 今度、テツに効果的な喧嘩のしかたを教えてもらおう。いまさらリュウジに教わるのもなんだか気恥ずかしいし。
 先に隣のふとんから寝息が聞こえ始めた。
 オレも目を閉じて――うん、今夜はよく眠れそうだ。
 
 

  * てのひらに熱情を 完 *

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