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麗しき白薔薇の素顔


   * 1 *


 チャイムが鳴った。
 それは朝のホームルームの始まりを意味する鐘の音。
 きわめて日常の、ごく普通の朝の時間。
 そろそろ担任の赤ジャージが出席簿を持って、教室の前の扉から入ってくるはずだ。
 
 「それでな、ハヤト」
 「うんうん」
 席について、リュウジは隣のオレに熱心に話しかけてくる。
 「俺だったら、あそこで退いてきたりはしねえだろうな、って思うわけなんだよな」
 「うんうん」
 話の内容は、昨日読んだ漫画についての論評らしい。頷き返してはいるけれども、正直言ってそれを読んでいないオレにはよくわからない。
 ノブオと話したほうが盛り上がるんじゃないのかな、なんて思って聞いてる。
 「――って、お前、ちゃんと聞いてたか? 俺の話」
 「うんうん」
 「ハヤト!!! やっぱり適当に聞き流してるんじゃねえか――痛てっ!!!」
 「いてっ……」
 リュウジの頭に黒い何かが降ってきたのを見た。次いで、それはオレにも襲いかかってくる。
 
 前を見たら、担任の赤ジャージが仁王立ちでオレたちを見下ろしていた。
 手には出席簿。オレたちの頭を襲撃したのはこれか。
 「お前達。朝から随分と楽しそうだな」
 「オウ!!! 俺はいつでも楽しいほうが好きだからな!!!」
 「時と場所をわきまえることを覚えたほうがいいな、リュウジ」
 そして赤ジャージはもう一度、今度は軽くいなすようにリュウジの頭に出席簿を振り下ろした。
 「ちぇ。まったく、赤ジャージにゃわかんねえんだろな。整髪する心意気ってのが」
 リュウジはぶつぶつ言いながら、胸ポケットにさした櫛を取り出している。そうか。けっこう気を遣ってるんだな、髪型。

 そんなリュウジから視線をはずして教卓を見る。
 すると――赤ジャージと並んで立っていた人物がひとり。
 すらりとした長身で、肩より長い、ワックスで散らしたようにセットしてある髪にはゆるいパーマと明るい色。
 長いまつげに縁取られた目に力があるというか印象的で、全体的に整った顔立ち。なんというか華やな印象の男の人。オレたちよりは年上みたいだ。
 それ自体は地味なスーツを着ているんだけれど、なんだか派手だ。
 ああ、そうか。この人の醸す雰囲気そのものが派手なんだ。
 
 オレと同時に教卓を向いたリュウジが口を開く。
 「お? 赤ジャージ、お客か?」
 「リュウジよ。先週末、ホームルームで話さなかったか? 今日から教育実習生がくるのだと」
 「オウ!!! そう言やそんな話だった気もするぜ。なあ、ハヤト?」
 「ええと……オレは初耳。っていうか、オレ、先週末は休んでたしね、学校」
 「ああ、そうか。そうだった」
 先週末、ちょっとしたわけありで仮病を使ったオレだったんだけど、そのあと本気で熱を出したりして。たくさん寝たから、もうすっかり元通りにはなったけれど。
 「ハヤトのおかげで忙しかったんだったぜ、俺も」
 「うん。ほんとに悪かった、リュウジ」
 「そこのふたり。そろそろ本題に入らせてほしいのだがな」
 「オウ、納得したから続けていいぜ、赤ジャージ!!!」
 リュウジの偉そうな口調にやれやれ、と肩をすくめて、そして赤ジャージは本題に戻ることにしたようだった。

 赤ジャージに目配せされたのに軽く会釈してから、教育実習の先生は、髪の毛を掻き上げながら軽いタッチでチョークを操る。
 「白鳥蓉一」――黒板に書かれたのが、教育実習の先生の名前だった。
 そして赤ジャージに譲られた教卓の正面について、教室をぐるりと見回してからこう発した。
 「私は白鳥蓉一。短い期間だけど、諸君よろしく頼みます」
 それは艶っぽい声だった。
 オレたちに向けて軽くお辞儀をした瞬間、教室に花の香りが漂ってきたような気がした。
 あ、オレだけじゃないんだ。隣の席でリュウジも鼻をひくひくさせていた。
 朝のホームルームは、2年B組の生徒すべてが白鳥先生に目を奪われていた。
 もちろんクラスは男子ばっかりだから、妙な意味じゃないんだけど。
 何て言うんだろ。とにかく、目が行くタイプの人だったことは確かだな。
 
 さて、昼休み。
 天気がいいのでみんなで中庭に出て、なんとなく時間をつぶしている。
 会話のネタは、白鳥先生のことだった。リュウジがやけにこだわっている。
 「ってか、なんでせっかく教育実習だってのに、きれいな女の先生じゃねえんだ?」
 「ホントっスね~、兄貴。残念でしたね」
 「だろ? ノブオ。俺、教育実習って言ったら女の人しか思い浮かばねえぜ」
 「あはははは。リュウジ、そんなことないだろ。妄想しすぎだって」
 「そうか?」
 「押忍。それに、教育実習と言えば普通は出身校に受け入れてもらうものだと言うしな」
 「へ~、そうなんだ。ダイゴ詳しいね」
 「中学生のときの実習生に聞いたのだ」
 「ナルホド。鬼工の卒業生ってことは9割の確率で男子ですもんね。しょうがないっスよ、兄貴」
 なんでかリュウジはおもしろくなさそうだ。
 
 「あ~あ。きれいな女の先生だったらよかったぜ。ロマンスみたいなのを俺は求めてたのにな」
 「ロマンス、と?」
 「兄貴がっスか……?」
 リュウジが言うのに、ダイゴとノブオが顔を見合わせてる。
 「オウ。放課後の教室で語らい合ったりとか、休みの日にバーベキューに誘ったりとかな。実習期間が終わっても連絡とったりして、遊んだりな」
 「あはは。リュウジ、ほんとに妄想たくましいね。リュウジにしては珍しいんじゃない? どうかした?」
 「そんなことはねえだろ!!! どうもしねえって。誰だってそう思ってるよな、ノブオ?」
 「え、オレっスか~? えっと……ええ、そうっスね~」
 うはは、って曖昧にノブオが笑ってる。
 オレはオレで、ダイゴに耳打ち。
 『リュウジ、ほんとにそんな漫画でも読んだのかな?』って。
 ダイゴも首をかしげだだけだった。

 そんなことよりも、そもそも、だ。
 「っていうか絶対ムリだろ。リュウジが女の人を誘うなんて。リュウジって、ほら。な?」
 「うん――? ハヤト、なんか文句あるか?」
 「いや、べつに文句はないけどね」
 「だったら何でそんなに楯突くんだ?」
 「あはは。別にそういつもりでもなくてさ。あまりにキャラじゃないから……って、いてっ」
 リュウジに思いっきり小突かれた。
 なんだよ、もう。オレ間違ったこと言ってないのに――は、カラダが保たないので言わないでおこう。
 どうやらそれをリュウジは、オレが降参したんだと理解した模様。
 「まったくわかってねえぜ!!! ハヤトときたらロマンスとはほど遠いもんな」
 「はいはい。どうせオレはね」
 なんだかリュウジが勝ち誇った顔をしているのがおかしくもあり、せつなくもあり。
 ……どうせオレはリュウジに小突かれるために存在するんだ。
 たぶん、そうなんだ。



   * 2 *

 
 そんなオレたちの会話の最中のことだった。
 中庭を横切るようにして、白鳥先生がオレたちの前を通り過ぎようとしたとき。リュウジの顔をそれと認めて、話しかけてきたんだ。
 話のネタになっている人物の登場に、オレたちが一斉に視線を向けたのに気がついた、っていう感じだった。
 見られている、っていうことに敏感なのかもしれないと密かに思う。

 「やあ、諸君。愛すべき仲間と青春のひとときを過ごしているようだね」
 にこやかな表情で、艶っぽい声がリュウジに向いた。
 「お。白鳥くんじゃねえか」
 それに対するリュウジの反応がコレだった。
 「ちょ、リュウジ。白鳥くん、って。先生って呼んだほうがいいんじゃないの?」
 「……そうか、ハヤト。んじゃ白鳥先生」
 わざわざ言い直すあたりがリュウジの律儀なところだ。
 それを承けて、白鳥先生は額にかかった前髪を掻き上げて微笑んでいた。
 「ふふふ。元気そうで結構だね、リュウジ君」
 「俺か? そんなでもねえけどな」
 「そうっスよね、兄貴。ちょっと落ち込んでましたもんね~」
 確かにね。たった今、教育実習の先生がきれいな女性じゃないことに対してブルーになってたからね、リュウジは。

 ノブオの言うのを聞いて、白鳥先生は腰の位置を低くして、ベンチに座ったリュウジの顔を正面からのぞき込む姿勢でこう言った。
 「悩みでもあるのか? リュウジ君。だったら私に言いたまえ」
 「――へ?」
 「悩みなら何でも相談してくれるといい。私は生徒と心の交流のできる教師を目指しているのだ。熱き魂のふれあい、人と人との篤き結びつき――ああ、なんと美しいのだろう」
 うっとりと目を閉じて、胸の前で両手の指を組み合わせて白鳥先生は言った。
 
 「あの――先生?」
 オレが声をかけたけれど、白鳥先生の耳には届かなかったらしい。
 白鳥先生の様子をただただ見守るしかないオレたちって……通りすがりの生徒達にどんなふうに見られてたんだろう。
 リュウジがオレに耳打ちした。
 「ハヤト。ダメだ。この人、自分に酔ってるぜ」
 おそらくこれも、白鳥先生には聞こえていなかったはず。
 
 そして自分のせりふに満足したんだかどうなんだか。
 そっと目を開くと、白鳥先生は踊るように軽やかな足取りで去っていった。
 立ち去り際に、こめかみの横に当てた二本の指をオレたちに向けて振っていたのが――白鳥先生の挨拶ポーズなんだろうか。
 
 「……おかしな奴なんだな、白鳥先生って」
 体育館のほうに向かう白鳥先生の後ろ姿を見送りながら、リュウジがつぶやいた。
 「押忍。なんというか、醸す雰囲気からして珍しいものを持っているように思う」
 「ふうん。ダイゴがそう言うんだったら、やっぱり変わった人なのかもね」
 「正確なところはわからんが」
 「ハヤトさん。なんでしょうね、アレ。ナルシストってんでしょうかね?」
 「うん、ノブオ。確かに自分に陶酔してたね」
 「ああいうのって、なんか調子狂うぜ」
 リュウジは渋い顔で腕組みなんかしてる。
 たしかにちょっとばっかり変わった人なんだろうな、白鳥先生は……。
 「うん。リュウジの調子を乱す人って、たしかにあんまりいないもんな、ダイゴ?」
 「そうだな。それだけ白鳥先生という人物は、独特なのだろう」
 ダイゴとオレは頷き合った。リュウジとノブオは似たような渋い顔――単にノブオがリュウジを真似てるだけだけど。

 その日の午後の授業は体育だった。
 そう、白鳥先生の授業だ。
 担当の赤ジャージも一緒にいるけれど、出席をとるところからが白鳥先生のノルマ。
 クラス全員の名前に、丁寧に『君』をつけて呼んでた。
 さすがに千晶ちゃんのときには、白鳥先生もちょっとびっくりした顔をしてたけど。

 授業の種目はテニスだった。
 出席確認と、それに続く準備体操が終わると、白鳥先生が言った。
 「では、リュウジ君」
 「うん? なんだ、白鳥先生?」
 「手合わせを頼んでもいいかな?」
 「俺か? オウ!!! いいぜ、白鳥先生。どっからでもかかって来いや!!!」
 言うなり、リュウジは白鳥先生のいるコートへ移動する。
 あはは、なんか気合い充分だ。

 リュウジと白鳥先生の打ち合いは、思わぬ長いラリーになった。
 もともと体育は得意というか、何の種目でもそつなくこなすリュウジは持ち前の運動神経で球に食らいついていく。
 「うおりゃぁぁぁ!!!」
 対する白鳥先生は、と言えば、リュウジのような大声をあげて球を追ったりはしないみたいだけれど。
 涼しい顔をしながらも、イヤなところ、イヤなところに的確に打ち返していた。
 「今度はこっちか!!! そりゃぁぁぁ!!!」
 何度かのリュウジの雄叫びと、白鳥先生の「ふふふ」と笑う声がコートに響いていて。
 「ふふふ――そこだ」
 舞い上がるように跳んだ白鳥先生は、ふわりとした動作に見えたにもかかわらず、とてつもなく力強いスマッシュを決めた!!
 ガットから離れたテニスボールは、コート中央で構えているリュウジよりはるか後方のライン際にたたきつけられた。
 「お――」
 自分のラケットに当たり損なったボールが転がるのを、リュウジは振り返って見ている。
 
 「ふふふ。なかなかいい反応だったね、リュウジ君。思った通りで満足だ」
 軽く前髪を掻き上げて、白鳥先生は言う。
 かなり動いていたように見えたのに、汗ひとつかかないさわやかな顔で。
 「オウ、今のは失敗したぜ!!! もう一球、な?」
 対するリュウジは額に汗。まあ、これが普通だと思うけど。
 「悪いね、リュウジ君。授業は私と君だけのためにある時間ではないので」
 「チッ。勝ち逃げしやがる気か」
 なんてリュウジが悪態つくのを、これまた涼しい笑顔で白鳥先生は見ていたんだ。

 そのあとの時間は、いつもどおりの授業のパターンに戻った。
 適当に分かれてみんなでコートを使って、打ち合って。
 気がついたところがあったら、いつも赤ジャージがするみたいに白鳥先生もアドバイスしてくれたりして。
 ふと見たら、千晶ちゃんが白鳥先生に打ち合いを挑んでいたりして。

 さて、当のリュウジはというと、当たり前だけどご機嫌斜め。
 「ちきしょう、白鳥先生の奴」
 「あはは、そんなに悔しがることないって、リュウジ」
 「うるせえぞ、ハヤト!!! 俺はなあ、勝負は勝たねえと気が済まねえんだよ!!!」
 「あらら、おっかないね。そりゃわかるけどさ。相手は現役のスポーツマンだし」
 「ハヤト――お前。そういう風に最初から諦めるのはいいことじゃねえぞ? どんな不利だってよ、戦術ひとつで状況ってのは変わるもんだしな」
 ……そしてオレは、コートから一歩下がった隅っこで授業時間の終盤までリュウジのお小言を頂戴する羽目となっていた。
 話しながら方向がそっちに傾いて。リュウジいわく、オレだって巧く立ち回れば、ゴンタを倒すことだってできるはずなんだって。まったくもって自信ないけどね。
 
 さっきから思っていたけど、白鳥先生ってリュウジのペースを変える星回りみたいだ。



   * 3 *
 
  
 教育実習の白鳥先生が来てから3日が経った。
 科目が授業時間数の少ない体育だから、今日でオレたちのクラスが受けた白鳥先生の授業は2回。
 あとは朝夕のホームルームのときに顔を合わせたり、初日みたいに昼休みにふとしたところに現れたりするくらい。
 それでも、白鳥先生と顔を合わせるたびにペースが乱れるんだとリュウジはぼやいていたりして。
 「あはははは。リュウジ、ああいうタイプ、苦手?」
 「いや、別に苦手ってほどでもねえんだけどな、千晶ちゃん」
 帰りのホームルームが終わったあとの教室で、なんとなくリュウジとオレ、それから千晶ちゃんで与太話をしていたときに話の方向が白鳥先生に向いたんだ。

 千晶ちゃんは鬼工のアイドル的存在の生徒だ。
 リアルの性別はオレと一緒だけど、見た目も心も乙女として知られている人物。
 男子生徒なので制服は学ランを着ているんだけど、それがけっこう倒錯的って評判。
 おそらくリュウジが唯一、普通にしゃべれる同年代の『女子』なんだと思う。
 さらには――千晶ちゃんを何故か本当の女子だと思いこんでいるコウヘイが、どうも千晶ちゃんに想いを寄せているっぽい。
 
 「でも珍しいね。リュウジがそんな風に誰かに対してたじたじになるって」
 「いや、そこまでじゃねえってば。なあ、ハヤト?」
 「ん? ああ――でも、確かに自分のペースを作って周りを巻き込むタイプだからね、白鳥先生って。もしかしたらある意味、リュウジと似てるのかもね」
 「あ、おもしろいこと言うね、ハヤト。なるほどね~」
 あんまり巧い表現じゃなかったとは思うんだけど、千晶ちゃんには伝わったらしい。
 「――俺がか? 白鳥先生と似てるってか?」
 「あはは、リュウジはおもしろくなさそうだね」
 「……いや、おもしろいとか、つまらねえとか、そんなんじゃねえけどよ。何て言ったらいいんだ?」
 「まあまあ。そんな考え込むことないってば。ね、リュウジ?」
 「オ――オウ」
 あらら。本人いないのに、またリュウジのペースが変わってるな。

 「白鳥先生ってさ」
 微妙な表情のリュウジをよそに、千晶ちゃんが話してる。
 「けっこう女子には人気あるんだよね」
 「ふうん。なるほど。わかる気がする」
 「……わかるのか、ハヤト?」
 「うん。なんとなくね。ほら、女子って意外性みたいなの、好きじゃん? 次にどう行動するか予想つかないあたりがいいのかも。見た目も美形だし」
 「あら、ハヤト、わかってるじゃないの」
 「あはは、どうも」
 「むうう。俺、もっとわかんねえぜ……」
 「ああ、そのへんはリュウジとは正反対だね」
 「うん? 俺は見た目が美形じゃねえって言いたいのか? ハヤト」
 「違うって、そうじゃない。リュウジは、ほら」
 「そうだね。予想どおりの行動するよね。それはそれで素直でかわいいって思うけど」
 にこりと笑って千晶ちゃんが言う。それでもって、リュウジはより一層首を傾げてる。
 
 それに続けて千晶ちゃんは、ここ3日で仕入れた情報を聞かせてくれた。
 白鳥先生はやはり鬼工出身で、いまは県外の体育大学に在籍しているらしい。
 現在は里帰り中で、鬼浜町の雰囲気は自分の高校生時代と変わっていないと言ったとか。
 それから、フィギュアスケートの選手なんだとか。
 「ああ、そうなんだ。なんか納得。あの身振り手振りとか、そのへんからなんだ」
 「でしょ? ハヤト」
 オレは千晶ちゃんに頷いた。リュウジはまだよくわかんないって顔のまま。

 そんな話の最中のこと。教室の前の扉が開いた音に振り返ると――彼がいた。
 「おや、諸君。まだここにいたのだね。仲間と過ごす青春のひとときに乾杯だ」
 流れるように言いながら、白鳥先生は微笑んでいる。
 ちらりとリュウジに目をやると、さっきと同じ微妙な表情のままで白鳥先生を見ていた。
 「どうしたの? 白鳥先生」
 「ああ、千晶君。私としたことが、教室に忘れ物をしたようでね。取りに来たのだ」
 そして白鳥先生は教卓に歩み寄って、中をごそごそやって――にこりと笑んで何かを取り出した。
 白鳥先生の手には、一輪の白いバラの花があった。
 「あは、先生、似合うね。バラの花」
 「どうもありがとう、千晶君」
 「どうしたの、それ?」
 「さきほど女子生徒にいただいたのだ。うっかりしてしまって花に可哀想なことをした」
 そして白鳥先生は、うっとりと目を閉じてバラの花の香りを楽しんでいる様子。

 「へえ。やっぱり人気者なんだ、白鳥先生って」
 「さほどでもないさ、ハヤト君。きみだってかなりの人気者だと噂を聞いたよ?」
 「え――オレ?」
 突然そんなふうに言われて――オレも、リュウジじゃないけどたじろいでしまう。
 そんなオレを、千晶ちゃんはこう説明してた。
 「あ~、先生。ダメダメ、この人自覚ないから。そのあたり」
 「そうなのか、ハヤト君は。ま、青春の使い道も人それぞれだからね」
 「そうそう。ほっといてやって」
 千晶ちゃんと白鳥先生は、ふふふ、と笑いあっていた。
 
 「ね、先生」
 「何か? 千晶君」
 「先生って彼女いる?」
 何を思ってか、千晶ちゃんがそんなふうに切り出したんだ。千晶ちゃんはいたずらっぽく笑っていて、白鳥先生は妖艶に笑んでいる――って感じ。
 「ふふふ。大人をからかうんじゃないな、千晶君。それとも私に興味があるのかな?」
 「え――まさかぁ。あはは」
 千晶ちゃんは笑い出す。これは作り笑顔とかじゃなくて、リアルな笑い。なぜなら千晶ちゃんの恋愛感情は、女子にしか向かないらしいから――オレしか知らないことだけど。
 
 「でもさ。先生ってその道は百戦錬磨なんでしょ? ちょっとはこのへんの、デキのよろしくない生徒たちに、そっちも教育してやってよ」
 「――って、オイ!!! 俺らのことか? 千晶ちゃん」
 「うん、そう。だってリュウジもハヤトも、浮いた話のひとつもないんだもん」
 リュウジと顔を見合わせてた。
 ……うん。オレたち、今はそういう感じじゃないよな? って感じで。
 それを察したのかどうなのか。白鳥先生は大きく口を開けて息をつくとこう続けた。
 「それは――またの機会に譲るとしようか、千晶君。なぜなら私もそれほど暇ではないのだよ」
 言って、白鳥先生は前髪を掻き上げながらこう言い放って教室の前扉を開けた。
 「では諸君。引き続き青春を彩るトークに戻ってくれたまえ。私は私で、することがあるので。では、アディオス!!」
 くるりと身を翻し――今となってはフィギュアスケート選手だと千晶ちゃんから聞いて知っているので、そのあでやかな立ち居振る舞いは似つかわしくも見える白鳥先生は、踊るように教室から出ていったんだ。

 それを見送りながらリュウジが言う。
 「ハヤト」
 「ん? どうかした?」
 「アディオス、ってどういう意味だっけか?」
 「……さあ? またね、って感じじゃない?」
 「なるほどな。聞き慣れてねえからわかんなかったぜ」
 「っていうか、そういうのを言い慣れてる人なんて、そんなにいないと思うけどね」
 「むうう。見れば見るほど妙な男だ」
 確かに、リュウジと白鳥先生はある意味対極だからね。しょうがないのか。



   * 4 *


 それからまたちょっと教室で、リュウジと千晶ちゃんと3人で話して。
 しばらくしてから千晶ちゃんがレッスンの時間だと言ったのを潮に、学校から引き上げることにした。
 リュウジの口数は、いまだに少ないままだった。別に不機嫌っていう感じでもないけど。

 3人で並んで教室を出て、校門を目指して歩いた。
 すると、差しかかった目の前――門の外にいつもと違う気配がしているのに気づく。
 「うん? なんだ? 門の向こう側、なんか騒がしいぜ」
 「ほんとだ。何だろ?」
 なんてリュウジと言ってたら、千晶ちゃんが冗談混じりにこんなふうに。
 「もしかして、リュウジに挨拶しに来た他校生だったりして~」
 「いや、千晶ちゃん。その心配はないみたいだけど?」
 オレは自信たっぷりに言ってみる。
 「だって、聞こえてくるのって女の人の声ばっかりじゃない? だから、そういう手合いがリュウジに何か、ってことじゃなさそうだね」

 オレの言葉を聞いて、こんどはリュウジが叫ぶ番。門の外の黄色い声がかき消されしまうくらいの周波数。
 「って、オイ、ハヤト!!! 俺に挨拶しに来る女子がいる――とは考えねえのか?」
 「え。あ――えっと。あはははは」
 いけね。リュウジ、腕組みしてるよ。
 失言だったな。あとでひっぱたかれるかな……。

 喧噪の様子が見えるあたりまで来たら――ああ、なるほど、っていう具合。
 案の定とでも言うか。白鳥先生が女性たちに取り囲まれていた。
 それも、うちの女子生徒たちにではなくて、明らかにもうちょっと大人の女性たちに。
 「白鳥さん!! 実習、がんばってください」
 「早くまた、白鳥さんの麗しい舞いを見せてくださいね」
 「……愛してます」
 「きゃ~~~!! 私もぉ!!」
 口々に言う女性たちの声は、門の内側まで簡単に響いてくる。
 「ふふふ。君たち、こんな遠いところまでどうもありがとう。感謝するよ」
 「きゃぁぁぁぁ~~~!!」

 ここが一体どこなんだかわからなくなるような空気がそこにあった。
 少なくともオレたちがいつも感じている、男くさい鬼工の印象とは対極の、甘い雰囲気と花の香り。これは白鳥先生が持っているプレゼントされた品とおぼしき花束から放たれているんだろうけど。
 「すごいね。何だろう、これ」
 「多分、白鳥先生のファンのお姉様たち? かな?」
 なんてオレと千晶ちゃんが言い交わすのを聞いてか聞かずか。
 「よかったぜ。この姉ちゃんたちが俺んとこに挨拶来たんじゃなくて、ほっとしたぜ」
 冗談とも思えないような表情を作って、リュウジは笑っていた。
 確かにね。オレもそう思わないことないかもしれない。

 「先生」
 ふと千晶ちゃんが、喧噪の真ん中めがけてよく響く声を上げた。
 「ばいばい。また明日」
 千晶ちゃんは軽く手を挙げて白鳥先生に挨拶を。それに続いてリュウジとオレも似たように手を振って。
 オレたちを目に止めた白鳥先生は言った。
 「やあ、諸君――私の可愛い生徒たちよ。良かったら私の素敵な白百合さんたちにも挨拶してもらえるかな?」
 言われるままオレたちは白鳥先生の白百合さんたち――ファンのお姉さん方にも軽く会釈して、やっとのことで校門の外へ出る。
 オレや千晶ちゃんはまあいいとして、初対面のお姉さんたちに「オウ」とか言ってる最中のリュウジはちょっと見物だったかも。

 さらにその翌日の放課後、ホームルームが終わった直後のこと。
 「ハヤト、今日は速攻帰るぞ!!! また昨日みたいな姉ちゃんたちに会うと厄介だからな」
 「あ、うん。そうしようか」
 リュウジの幾分慌てた様子に内心くすくす笑いながら素直に答えた。
 確かにね。オレもリュウジほどじゃないけれど、白鳥先生の取り巻きのお姉さんたちの勢いには圧倒されるほかはないから。

 下駄箱で会ったダイゴと、校門のところで追いついてきたノブオも一緒に今日は4人で歩く帰り道。
 歩き始めると、思いついたようにリュウジが言った。
 「ダイゴ、時間あったら、ちょっと俺んちまで来ねえか?」
 「構わんが。どうかしたのか?」
 「オウ。実験的に作ってみたラーメンがあるんだけどな、それ、味見てもらおうかと思ってよ」
 「押忍。ならば喜んで」
 「ああ、ダイゴの味覚は確かだからね」
 「だろ? ハヤト」
 「兄貴、オレも行っていいっスか~?」
 「よし、そしたらノブオも来い。ハヤトはどうする?」
 「ん~。じゃ行こうかな。オレの味覚は参考にならないだろうけど」
 「わはははは!!! わかってるって」
 リュウジはオレの肩を叩いて笑ってる。

 そうしたわけで、4人してリュウジの家――昇龍軒を目指した。
 昇龍軒は商店街の中にある。ここで生まれ育ったリュウジは、商店街のどの店の人とも顔見知りだ。
 だから、リュウジと一緒にここを歩くといろんなところから声がかかるんだ。
 今日は肉屋のおじさんに呼び止められた。
 「よっ、リュウジ。今日は友達といっしょか?」
 「オウ、おっちゃん!!!」
 手を挙げてにこやかにリュウジは応える。それを見て、これまた人の好さそうな丸顔のおじさんは、屈んでショーケースの中をごそごそいじっている。
 「ほれ、おやつだ。食っときな。育ち盛りだもんな」
 言ってリュウジに紙袋を手渡した。
 「いつもありがとな、おっちゃん。こんど店でサービスするぜ!!! 寄ってってくれな」
 「ははは。ありがとよ。期待してるわ」
 リュウジが手を振るのを合図にオレたちもおじさんに会釈して、肉屋をあとにした。

 「兄貴、それ、中は何っスか~?」
 ちょっと先まで歩いたところで、ノブオがリュウジにこう訊いた。
 「これか? コロッケだな、多分。俺が子供の頃から、おっちゃん、よく食わせてくれててな」
 「へええ。いいっスね~」
 「まあな。この商店街がまるごと俺の『家』みたいなもんだしな」
 リュウジがそんなふうに言ってた。どこか誇らしげに見える。

 さて、もう少しでリュウジの家、というところに花屋がある。
 いつでも文字通り花やいだ雰囲気で、たまたま通りかかったときに自動ドアが開くと何とも言えない芳香が鼻をくすぐるお店。
 店番の若いお姉さん――彼女もリュウジとは顔見知りらしくて、よく挨拶してる――が花束を作っていたりするのを見かける。
 ちょうどそこに4人で近づいたときのことだった。
 「あれ――リュウジ。あそこ。なんか中を覗いてる人がいる」
 「うん? ああ、本当だ。何だ? 怪しい奴か?」
 声をひそめてリュウジとささやき交わした。ダイゴとノブオの耳にも入ったようで、揃って歩調をゆるめてそちらを見た。
 
 店の前の電柱に貼り付くように身を潜めて中を覗いている人。
 リュウジはオレたちに向かってひとつ頷くと、その人に向かって一歩を踏み出した。



   * 5 *
 
 
 「オイ!!! 何を覗いてるんだ? この店に何か用か?」
 リュウジが声をかけつつ肩を叩くと、電柱の影から花屋の中を覗いていたその人は、極端にびっくりした様子だった。
 身を大きくふるわせて、その拍子にこちらを振り返る。
 と――
 「あれ? 白鳥先生か?」
 「え、あ、いや――うわ、リ、リュウジ君、ハヤト君も――」
 「オウ」
 リュウジが答えるのに対して、白鳥先生の様子はあきらかに妙だった。
 いつでも鷹揚な仕草をするはずの白鳥先生なのに、これまでのオレたちが想像もできないようなうろたえ方をしている。
 
 「ど、どうして、こんな……」
 オレたちを順に見回す目は泳いでいるし、声までうわずっている。
 「どうして、って。俺んち、近所だからな。それよか、どうかしたのか? 白鳥先生。この店に用なら中へ入ればいいじゃねえか」
 「め、滅相もない!!」
 「ってか、何をそんなに慌ててるんだ? おかしいぞ、なあ、ハヤト?」
 「うん、確かに」
 「べ、別に。私は普段どおりだが?」
 言って、白鳥先生はとってつけたように、いつもみたいにふわりと前髪を掻き上げる。
 ちらっと見えた額に、うっすら汗が浮いていた。
 
 と、そのとき。花屋の自動ドアが開いた。
 「どうかしたの? リュウジくん」
 「オウ、あおい姉ちゃん」
 リュウジが挨拶した相手は、背が低くてアニメのキャラみたいな独特な声をした女の人。オレも会釈くらいはしたことのある、花屋のお姉さんだ。
 「いやな、ウチんとこの教育実習の――」
 リュウジが言いかけたときだった。
 何を思ったのか、白鳥先生はお姉さんとオレたちの真ん中を突っ切って、逃げるように走り出したんだ。
 「あ、おい、ちょっと待てや!!! ノブオ、追いかけろ!!!」
 「了解っス、兄貴!!」
 リュウジの指示を受けて、ノブオが白鳥先生の背中を追って走り出す。
 一歩遅れてリュウジも行った。
 
 花屋のお姉さんは、その様子をぽかんと口を開けて見ていた。
 「何なの? どうしちゃったの? リュウジくん」
 「え~と……」
 その場に取り残されたオレとダイゴで、しどろもどろにお姉さんに話しをした。
 オレたちも何が何だかよくわからないので、たいした説明はできなかったけれど、自分とこの教育実習の先生が挙動不審だなんてさすがに言えなかったから、あれこれつくろってごまかしつつ。
 「とにかく、大事はありませんゆえ」
 「そう? ならばいいけれど」
 ダイゴが大きく頷きながら言ったのに納得してか、お姉さんは店の中に戻っていった。

 ダイゴとオレはどうしたもんかと顔を見合わせて、この場には居づらかったのでリュウジの家の方向へ歩き出した。白鳥先生が逃走したのもこっちの方角だったし。
 「ほんと、何だったんだろ、白鳥先生」
 「さてな。だが、リュウジが逃がしはせんだろうな。恐らく」
 「そうだね。ちゃんと説明しろや、とか言いそうだ」
 「押忍。リュウジならずともあの挙動は気になるしな」
 「ほんとだ。オレもこのままだったら明日学校で変な目で見ちゃうだろうしね」

 ダイゴと話しながら歩いていると、前方からノブオが走ってきた。
 「ハヤトさ~ん、ダイゴさ~ん!!」
 「あ、ノブオ。どうなった?」
 「ええ。首尾良く任務完了っス。てゆーか、兄貴がとっつかまえたんですけどね。とにかく捕獲済みですんで。さあ、兄貴の店、行きましょう!!」

 ノブオに言われて、オレたちは急ぎ足で昇龍軒に向かった。
 どのみちここへ来る予定で歩いていたんだけど、予定外の展開をはさんでの到着だった。
 ノブオが先頭に立って開けたドアの向こう、夜の営業がはじまる前のラーメン店は、厨房では仕込み作業をしている音がする。
 
 リュウジが奥の6人掛けのテーブルについて、腕組みしているのが見える。
 その向かいには、こちらからは後ろ姿の白鳥先生が「座らされている」といったふう。
 「オウ、みんな来たな」
 「は~い、兄貴」
 リュウジに目顔で示されて、オレたちもそれぞれ席についてみる。オレがリュウジの横、オレの隣にノブオ。向かいの白鳥先生の隣にはダイゴが座る。

 「んじゃさっそく訊くけどな、白鳥先生」
 リュウジが真っ正面から白鳥先生を見つめた。
 「あそこで何をしてたんだ? どう見ても怪しかったぜ?」
 「……別に、何も」
 「別にってことねえだろうが!!!」
 リュウジが語気荒く言うのにも、白鳥先生は動じる様子もなく。見方を変えれば、開き直ってでもいるかのようだった。

 ワンテンポの間をおいて、観念したように白鳥先生はこう答えた。
 「――たとえて言えば、花に見とれていた、とでも」
 「花に……だと?」
 「ああ、そうさ。それが何か悪いことでもあるというのか? リュウジ君」
 「いや、別に悪くはねえけどよ」
 なるほど、そう言われたら反論できないな。
 「花、ね。確かに白鳥先生に花は似合うけど」
 「そうっスね、ハヤトさん」
 「けどよ、それだったら余計におかしいんじゃねえか? 見たいんだったら中入ればいいじゃねえかよ。お客を追い出すような店じゃねえぞ? あそこは」
 「ですよね~、兄貴」
 なんて、オレたちが言うのには白鳥先生は無反応だった。
 
 リアクションは次に訪れる。
 「先生、『花』とは比喩的な意味合いか?」
 「ど――どういう意味なのだ、それは。ダイゴ君」
 一旦落ち着いたように見えた白鳥先生の語調が、またちょっと変わった。
 「うん? なに的だって? 難しい言葉使ってるな、ダイゴ。よくわかんねえけど――って、ああ、そうか!!! 俺、わかったぜ。白鳥先生、あおい姉ちゃんを見てたんだろ?」
 冗談めかしてリュウジが言った。ダイゴの言葉の意味はまさにそれだったんだろうけど、リュウジにはわかっていなかったようで……うん。思いつきみたいに言ってた。
 
 リュウジが大きな声で言った直後。がたん――と音を立てて椅子からはじかれたように白鳥先生は立ち上がった。
 口をぱくぱくと開けたり閉じたりしている美青年は、可能ならば逃げだそうと試みたようだ――けれども隣にいるのは巨躯のダイゴ。当然のことならば退路をふさぐ格好で。

 「――悪いのか? 恋する女性の姿を数年ぶりに見たいと思うことは、そんなに悪いことなのか……?」
 あきらめの極致、とでもいった口調が形のいい唇からこぼれおちた。
 そして、おそらく癖である前髪を掻き上げる仕草。
 ほんの短い付き合いの中だけど、白鳥先生のこんな表情を見ることがあるなんて思いも寄らなかった。
 おそらく、昨日出会った白鳥先生のファンのお姉さんたちにだって想像できないんじゃないのかな。



   * 6 *
 
 
 言うなれば容姿端麗かつ流麗な立ち居振る舞い。2度も重ねた「麗」の漢字が似つかわしい美青年・白鳥先生は、オレたちの想像が及ばないような弱々しい目の色をしていた。
 「恋する、って、オイ。白鳥先生?」
 「ふふふ。おかしいのなら笑ってよいのだよ、リュウジ君」
 「いや、全然おかしくなんかねえけどよ」
 初対面のときからそうだと思っていた白鳥先生は、やっぱり今もリュウジのペースを混乱させているようだ。
 けれども――今の場合は、白鳥先生当人のほうがより一層、リュウジにペースを変えられているんだろうとは思う。

 「もう包み隠しても仕方がないのだね、諸君。そうさ、私はずっとひとりの女性を想い続けているのだ。遠く離れたところに暮らしている今も、密かに」
 「ずっと、って?」
 「私が鬼工の生徒だった時代からずっと、という意味さ、ハヤト君」
 「あおい姉ちゃんを、ってことだよな?」
 「ああ――その通りだ」
 リュウジが『あおい姉ちゃん』の名前を出したとき、白鳥先生の背中がぴくっと動いたのが見てとれた。

 ひとめぼれだったのだ、と白鳥先生は言った。
 当時、学校帰りにたまたま通りかかったこの商店街で、セーラー服姿のあおいさんを花屋の前で見たんだそうだ。花束用の小さい花のひまわりを両手に抱えていたんだという。
 小さなひまわりがやけにあおいさんの雰囲気にぴったりで印象的だった、と。
 「だから私は鬼工生だったころ、毎日この商店街を歩いていたのだよ。一目でよい、彼女の姿を見たい、という衝動からね。よって、実を言えばこの店にも寄らせていただいたこともあるのだよ、リュウジ君」
 「お、そうなのか? ぜんぜん知らなかったぜ」
 「私もすっかり忘れていたよ。この店の息子さんがやんちゃな少年だったことをね」
 なんだか遠い目をして、白鳥先生は正面のリュウジを見た。小学生から中学生の頃のリュウジを思い出しているんだろうか。
 
 「でも、見てただけなんだ? 花屋のあおいさんを」
 「無論そうさ、ハヤト君。私は可憐な彼女を見ているだけで幸せだった」
 「なんでっスか? 告白しちゃえばよかったのに。ねえ、ハヤトさん?」
 そうだね、とノブオに頷き返したところで白鳥先生は大きな声で慌てたように言った。
 「――まさか!! どうしてそのようなことができるというのだ!!」
 ふたたび白鳥先生は、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった――今度は逃げようとしたわけではなさそうで、単に驚いただけといったふうだった。

 「先生。落ち着いて欲しいのだが」
 「ああ、済まなかったね。ダイゴ君」
 ダイゴに宥められて、先生はおとなしく席に着いた。
 ノブオが冷水器から水をくんでテーブルに置く。それを飲んで一息ついて先生は続けた。
 「私ごときが花に触れてはいけないのだ、と当時の私は自分に言い聞かせていた。それも強がりでしかなかったことくらい、解ってはいるのだけれど」
 「つまり、失恋するのが怖かった、ってこと?」
 オレが訊くのに、白鳥先生はこくりと首を縦に振る。
 「そう――かもしれない。というよりも、すでに彼女にはいつも仲良さそうにしていた男子がいたというのが私を前に進ませなかったという話だね」
 「そんなの関係ないっスよ!!! 男なら当たって砕けろ、ですよね、兄貴? って、あれ?」
 
 ノブオが同意を求めた先はリュウジだった。
 うん、きっとノブオに加勢するんだろう――とオレもダイゴも思ったけれども、実際のリュウジの反応は予想外だった。
 リュウジは、らしくない声音で静かに、感慨深そうにこう口にした。
 「白鳥先生……俺、すげえわかるぜ。そのころの白鳥先生の気持ち。見てるだけで幸せだ、とかっての」
 もしかしたら初めてリュウジと白鳥先生の波長が合った瞬間だったのかもしれない。

 「俺、勘違いしてたみたいだぜ。白鳥先生ってよ、かっこつけてて、学校まで押しかけてくる姉ちゃんたちがいるような人気者で――俺なんかとは正反対の理解できない人だって思ってたんだけどな。けど、かっこいいばっかりじゃねえのが人間だもんな?」
 「おお、リュウジ君。君には解ってもらえるのだな?」
 「オウ。白鳥先生も俺らくらいの歳のときは、俺らと変わんねえ若造だったってことだよな」
 きっと何かしらリュウジにも、似たような心当たりがあるんだろう。
 オレたちの知らないところで、リュウジも誰かをひっそり見ているんだな。

 「そんなところだ、リュウジ君。しかも一層格好悪いことに、それは今現在でも続行中だ。だからさっき君たちに怪しまれたのだし」
 「こういうことだと解った今となってみれば、あれは悪いことしたぜ、白鳥先生」
 「いや。確かに挙動不審だったことは否めない事実ではあるし、ね」
 自嘲気味に言う白鳥先生も、その白鳥先生に理解のまなざしを送るリュウジも、オレたちが想像できなかった雰囲気だった。
 ふたりが固い握手を交わすのを隣で見ていた。
 意外にも見えたけれど、本人たちが大真面目ならそれでいいのか。
 
 リュウジと白鳥先生の間に連帯感が生まれたあとのこと。
 オレたちは昇龍軒での当初の予定であるラーメン試食を果たすことになった。
 リュウジが出してくれたのは、炒めたもやしの乗った味噌ラーメンが2種類だった。通常の半分サイズのどんぶりが、人数分の倍の数でテーブルに並んでいる。
 「へえ、もやし、炒めてあるんだ。ふつうは茹でたのが乗ってるよね?」
 「オウ、ハヤト!!! お前にしては鋭いな。驚いたぜ」
 「あ、ほんとっスね。いい香りっス、兄貴」
 「だろう? でな、ダイゴ。こっちがバラ肉で炒めたやつで、こっちが肉そぼろなんだけどな。どっちがうまいか比べてみて欲しいと思ってよ」
 「押忍。ではさっそく戴こう」
 
 そんなこんなで試食タイムのオレたち。
 ダイゴは目を閉じて真剣に味わいを比べている感じ。ノブオは当然のようにどっちもうまいっス、とか言ってるし、オレは――まあ、うん。ノブオと大差ないや。
 そして、試食者はもうひとり。さっきの話は一段落したんだけど、白鳥先生も試食メンバーに入っていたんだ。
 「で、どうだ? 白鳥先生」
 「ああ、なんだか懐かしいね、リュウジ君。鬼浜町での青春時代を思い出す味だ」
 「わはは!!! そりゃウチの味の基本は歴史が長いからな!!!」
 リュウジはオレたち試食者の――とくにダイゴの反応を見ていた。ときどきダイゴが意見するのに耳を傾けたり、冷水器から水を持ってきてくれたりしながら。

 箸を止めてふと見ると、リュウジの視線が白鳥先生で止まっているのに気づいた。
 「なあ、白鳥先生」
 「何か? リュウジ君」
 「あおい姉ちゃん、今、恋人とかいねえかもしれねえぞ?」
 「――――それが何か?」 
 つとめて平静を装って、白鳥先生はどんぶりに目を落としたままでリュウジに応えた。
 「俺な、やっぱりそこまで、長いこと想い続けてるんなら、ちゃんとあおい姉ちゃんに伝えてもいいんじゃねえかと思うんだよな。白鳥先生の気持ちってやつを」
 「いや、けれど、私は――もとよりそのような意図は持ち合わせていないので」
 「……振られるのがかっこ悪いからか? かっこつけたまま、いつか忘れられるのを待つってのか? それって、潔く振られたときより本当に格好いいのか?」
 白鳥先生もオレたちも、リュウジの勢いに圧倒されている。リュウジは言い継いだ。
 「そんなのって、白鳥先生のキャラじゃねえだろうが!!! もっといつもみたいにかっこつけてたらいいじゃねえか!!! 俺たち応援するぜ、なあ、みんな?」

 白鳥先生は知らないと思う。リュウジがこんなに瞳を輝かせて、こういうふうに言ったあとに何があるのか。
 リュウジ、本気だな。がんばれ、白鳥先生。オレはどんぶりの底に向かってつぶやいた。



   * 7 *

 
 ときは放課後。教育実習生の日課が終わるのを待ちかまえていたリュウジに、白鳥先生が捕獲されたところだ。
 通り抜けてきた校門のところには今日も白鳥先生の取り巻きのお姉さんたちが何人かいた。お姉さんたちに適当に挨拶をして――リュウジは果敢にも先頭に立って『今日は白鳥先生忙しいんす』ってお姉さん方に言ってた――、どうにか鬼浜町商店街までたどり着いた。
 遠回りして先に一旦リュウジの家まで行った。白鳥先生が取り巻きのお姉さんからもらった花束を持っていたから、それを置かせてもらってから再度出発。
 目指すは鬼浜町商店街の一角にある花屋さんだ。

 実習初日にリュウジに向かって「悩みがあったら私に言いたまえ」と言ってた白鳥先生だけど。
 「ほら、そんな弱気な顔すんなや!!! 悩みがあるんだったら俺が聞いてやるぜ? ハヤトだっているし。なあ?」
 「え、オレ? っていうか、リュウジがこの手の悩みを聞くって……」
 「うるせえぞ、ハヤト!!! 俺だってなあ、いろいろと経験――って、こんな話はどうでもいいぜ。とにかく白鳥先生、気合い入れてきゃどうにかなるからな。いつもみたく色気出して余裕で構えてればいいじゃねえか」
 「あ……ああ、いつもみたく、ね」
 眉間にしわを寄せて、それでもムリに笑い顔を作って、とりあえず白鳥先生はいつもみたいに前髪を掻き上げた。
 
 「とにかく、あおい姉ちゃんと挨拶くらいはできるようになりたいと思うだろ?」
 「それは、まあ――」
 リュウジに連れられるようにして歩く白鳥先生の足取りは重たそうだった。いつもの流れるような歩調とはほど遠い感じ。

 リュウジが白鳥先生を勇気づけようとあれこれ話しかけているのにオレも加勢する。
 「先生。悩むよりも動いたほうがいいときって、あるよ。きっと。いざスタートラインに立てば『やるしかないな』って気分になるもんだし」
 「オウ、いいこと言うじゃねえか、ハヤト。さすが特攻隊長だぜ!!!」
 「あはは、どうもね」
 「そしたら、早いとこ行こうぜ、スタートラインへ。いっそのこと走ってくか?」
 「いや、それは勘弁してくれたまえ。リュウジ君。ただでさえ動悸がするので」
 「そうか? 意外と心臓弱いんだな、白鳥先生」
 「――いや、そういうことじゃないんじゃないの? リュウジ」
 「わはははは!!! わかってるって。冗談だぜ。ちょっとはこう、白鳥先生の緊張をほぐしてやろうかと思ってよ」
 まったく、リュウジときたらやたらといきいきしてるんだよな。
 恋愛ものの少女漫画も読むんだってノブオに聞いたことがあるから、それの延長線上なのかもしれないけど。

 そして、オレたち3人の足は目的地の前で止まった。
 ガラス張りの店内を見ると、あおいさんがいた。
 それを確認して――白鳥先生は硬直している。
 
 白鳥先生の肩をぽんと叩いてから、リュウジは迷わず自動ドアの前に立つ。するりとドアは開いて中に入っていった。
 「よし、行こう。白鳥先生」
 オレは自分が単車勝負のスタートラインに立ったときと似たような気持ちで、白鳥先生の背中を押し出したんだ。
 あ、なんかオレも緊張してきたかも。

 号砲はリュウジの声。そして白鳥先生の勝負の幕が開く。
 「よう、あおい姉ちゃん」
 「あら、いらっしゃい。リュウジくん」
 色とりどりの花たち、満ちあふれる香り。あおいさんのアニメみたいな声。
 勝負まっただ中の白鳥先生は、リュウジの手招きである意味勝負相手であるあおいさんの真っ正面に立ったんだ。

 「あおい姉ちゃん、お客連れてきたんだぜ、俺」
 リュウジが言うと、あおいさんは視線を白鳥先生に移した。
 「お客さま――あ、昨日の……?」
 リュウジよりもちょっと低いくらいの長身の白鳥先生を、小柄なあおいさんは見上げるようにしながらこう言った。覚えてるんだな、顔。まあ、印象が派手だから当然か。
 「オウ!!! 俺んとこに教育実習で来てる先生なんだけどな。昨日、買い物しようと思って来たのに、急用を思い出して慌てて帰っちまったんだよな?」
 「あら、そうだったんですね」
 ふっくらした頬をすこしほころばせて、あおいさんはお客――白鳥先生にお辞儀した。

 「ほら、黙ってねえで反応しろっての!!!」
 「あ――ああ、そうだったね、リュウジ君」
 「まったく。だらしねえぞ?」
 リュウジと白鳥先生の小声でのやりとり。いくら小声とはいえ、リュウジは基本的に声が大きいので、あおいさんにもまるっきり聞こえているんだけどね。
 
 「あおい姉ちゃん。こっちはな、白鳥先生ってんだ」
 見かねたようにリュウジが言った。
 歯がゆいくらいに奥ゆかしい仕草で、白鳥先生はあおいさんに頭を下げる。
 「白鳥さん。あらためまして、いらっしゃいませ」
 「お――お世話になります」
 「どういたしまして」
 白鳥先生の積年の密かな想い。それがなんとなく、花屋独特の甘くて緑の空気にとけ込んでいくのが感じられるような気がしてた。

 「白鳥さん、今日は何をお求めですか?」
 「え――それは、まずご挨拶をさせていただければ、と思っておりまして」
 「……はい?」
 あらら。白鳥先生、よっぽど緊張してるんだな。おかしなこと言ってるし。
 「ちょ、先生。そうじゃなくって」
 「わはははは!!! 気持ちはわかるけどな。ほら、何を買うか、って訊かれてるんだろ?」
 「あ……ああ、私としたことが。とんだことを申し上げてしまったようで」
 リュウジが笑うのを聞いて、慌て気味ではあったけれども白鳥先生はひとつ笑顔を作って、あおいさんに見せた。多少は緊張に慣れてきたのかもしれない。

 「プレゼント用のお花をお求めですか?」
 持ち前のキュートな雰囲気で、あおいさんは重ねて訊いた。
 「いえ。自宅用です」
 「あら。男性の方がご自宅用にお花って、素敵ですね」
 「ああ――恐縮です」
 あ~、これは効いたな。オレでもわかる。「素敵」なんて言われたらたまらないんだろうな、白鳥先生。
 「あおい姉ちゃん。白鳥先生の感じにぴったりなように、なんか見つくろって束にしてやってくれるか?」
 これはリュウジの助け船。白鳥先生、うっとりしてるだけだったからね。
 「うん、わかったわ、リュウジくん。白鳥さんのイメージでいいのね?」
 「オウ。俺、よくわかんねえけどな」

 そしてあおいさんはいそいそと、ショーケースに並んだ花の中からあれこれ選び出して花束の制作にとりかかったんだ。
 花を選んでいる最中、リュウジがこう言った。
 「ああ、そうだ。そっちの小さいひまわり、入れてくれるか?」
 
 その日あおいさんが作ったちいさな花束は、ひまわりを中心にして周囲は白いバラとかすみ草、アクセントに青い小花。
 やっぱり白鳥先生は白いバラのイメージなんだね。
 あおいさんから花束を受け取ったときの白鳥先生の顔は、とてつもなく幸せそうだった。



   * 8 *
 
 
 「へ~。そんなことがあったの」
 白鳥先生の実習日程が半分過ぎた週明けの日。
 リュウジとオレは連日のように白鳥先生を引っ張って、あおいさんの花屋を訪れるようになっていた。昨日は日曜だったんだけど、日課の花屋参上を果たした。
 それを千晶ちゃんが単車で商店街を通りかかったときにで見かけたんだそうで、朝に顔を合わせるやいなや、質問が飛んできたんだ。
 
 「なるほどね。それであんなに白鳥先生を苦手にしてたっぽいリュウジと連帯感が生まれたのか」
 リュウジの説明を聞いて、千晶ちゃんは納得したように頷いてた。
 「ああ見えて、純粋なとこあるんだよな、白鳥先生って」
 「ふうん。でも意外だよね。お姉さんたちに囲まれても、いつもクールな振る舞いをしてるのにね。恋する人の前では違うのか」
 「うん、そうだね。何て言うんだろ。好きな人の前だと『演技』の自分ではいられない、っていう感じ?」
 オレが言うと、千晶ちゃんはほんのり笑った。
 「そっか、わかった。だから白鳥先生となかよくなれたんだ、リュウジ。素のままの白鳥先生の姿を見られてたのがよかったんだね、多分」
 「うん……? 俺、よくわかんねえけどな」
 「あはは、いいんじゃない? リュウジは。難しく考えることないよ」
 「そうそう。ハヤトの言うとおり。あんたは思ったように行動すればいいのよ」
 「オウ!!! 俺にはそれしかできねえからな、千晶ちゃん」
 いつでも本気の漢には演技なんか必要ないんだな、なんて。不器用なところが頼もしいね、うちの総隊長どの。
 
 「それじゃ、あたしも応援しちゃおっかな~」
 千晶ちゃんが顎にひとさし指を当てて言ったところで朝のチャイムが鳴った。
 廊下に近づいてくる赤ジャージと白鳥先生の気配。
 続いて教室の前の扉から入ってきた白鳥先生は、『演技』ヴァージョンの顔をしてた。

 その日の放課後のこと。今日も白鳥先生の仕事終わりを待って鬼浜町商店街に行こうとしたリュウジとオレはとんだ足止めを食うことになってしまった。
 「では指示された者はここへ残るように。以上、今日はここまで」
 帰りのホームルームの最後に、赤ジャージが手持ちのメモに記された名前を呼んでから教室をあとにする。
 そのリストにはリュウジとオレの名前が入っていた。
 「ちぇ、追試かよ。面倒だぜ」
 「そうか、あの日は試験だったんだっけ」
 以前、オレが学校をサボった日にあった英語の小テストの追試が行われるらしい。
 テストを受けていなかったオレ、そして成績が芳しくなかったんだろうリュウジも居残り確定。

 「あ~あ、あんたたちふたりとも、何やってんだか」
 新たなる白鳥先生の応援者・千晶ちゃんは肩をすくめてこう言った。
 「せっかくあたし、すっごいやる気なのにな」
 「あはは、悪いね、千晶ちゃん」
 「本当だぜ、ハヤト。そもそもあの日、ハヤトがちゃんと試験受けてたら俺だって追試になんてならねえで済んだのによ」
 「……リュウジ、それってどういう意味?」
 「え。わはははは!!! 深く考えんなや、ハヤト!!!」
 リュウジ、オレの答案を盗み見する気だったのかな……。
 「とにかく、千晶ちゃん。俺らは追試が終わったら急いで追いかけるからな。だから白鳥先生をつかまえて、先にあおい姉ちゃんの花屋へ行ってくれるか?」
 「うん、わかった。そうするね、リュウジ」
 「頼むよ、千晶ちゃん。白鳥先生も心強いと思うから。まだひとりじゃ行けなさそうだしね」
 「OK、ハヤト。任せて」
 そして千晶ちゃんを教室から送り出して、リュウジとオレは追試に臨んだ。
 簡単な英単語のテストだったんだけど――隣の席からリュウジの視線を確かに感じた。

 どうにか追試を終えたリュウジとオレは、急いで学校から出た。早足で歩きながらリュウジと話す。
 「先生、ちゃんと行けたかな。あおいさんの店に」
 「大丈夫だろ。千晶ちゃんが一緒だしな」
 「あはは。確かにこういう話だったら千晶ちゃんの応援は心強いかもしれないよね」
 「オウ。俺もときどきは千晶ちゃんに相談し……いや、なんでもねえ。わはははは」
 なんてリュウジはごまかし笑いしてる。
 まったく、恋愛話をオレに隠すことないのになあ、リュウジ。
 
 白鳥先生たちに遅れること推定20分といったところだろう。
 もうふたりはとっくにあおいさんの花屋に着いているころだと思っていたんだけど。
 「あれ? リュウジ。あそこ――」
 鬼浜町商店街に差しかかったところで、路地の向こうにいくつかの人影を見た。
 「うん? どうした、ハヤト」
 「あれ、白鳥先生じゃない?」
 「お――本当だぜ。ってか、白鳥先生と千晶ちゃんだけじゃねえな、あれ」
 立ち止まって、リュウジと顔を見合わせた。
 「あれって――」
 「ハヤト!!! ぼけっとしてるんじゃねえ、ほら、行くぜ!!!」
 言うが早いか見事な瞬発力で、リュウジは白鳥先生たちのほうに向かって走り出した。オレも慌てて追いかける。

 「おい、どうした、白鳥先生!!!」
 その場につくなりリュウジが声を上げる。白鳥先生は正面を見据えたまま、リュウジを振り返ることはなかった。
 「千晶ちゃん、どうした? 大丈夫?」
 「あ、ハヤト。それが……」
 千晶ちゃんが言いかけたときだった。白鳥先生の視線の先にいた人物が一歩前へ進んだ。
 「ほう。また邪魔な奴らが来やがったなあ」
 「コウヘイ!!! 邪魔ってどういう意味だ?」
 「読んで字の如しだ。その程度の言葉も理解できねえとは可哀想になあ、リュウジよ」
 ああ、まったくどうして奴らはこういうタイミングで出てくるんだろう。
 奴らにはオレたちが邪魔かもしれないけれど、オレたちにしてみれば奴らは厄介そのものだ、と密かに思う。

 その場にいたのは白鳥先生と千晶ちゃん、それからもうひとり、千晶ちゃんが背中に庇うようにしている1年生の校章をつけた鬼工の生徒。
 それと――コウヘイとハンゾウだった。
 「お前ら。ウチの実習生に何の用だ?」
 「別に、俺等には何も用なんかねえな。用があるのはそっちだろうが?」
 「その通りだ、リュウジ君。声をかけたのは私のほうなのだから」
 「何だと? おい、白鳥先生。どういうことなんだ?」
 「ふふふ。リュウジ君には関係のないことだ。ここは私に任せてもらおう」
 「って、おい!!! 何をしでかそうってんだ!!!」
 白鳥先生はリュウジが言うのなんて意に介さず、といったふうだった。

 「ちょっと、白鳥先生。こんなことしてる場合じゃないでしょ、ってさっきから言ってるのに」
 事情がよくわからないままで、とにかくこのままではよくないだろうと気を揉んでいるリュウジとオレの間を割って、千晶ちゃんが前に出た。
 「オウ、千晶ちゃん」
 「あのね、白鳥先生。先生の正義っていうのはもっともだとは思うけど。大将たちの制服に対して敵意を持つっていうのは、リュウジたちじゃないんだから、やめてよね」
 「制服――?」
 「そうなの、ハヤト。先生、暗黒水産の制服が気に入らないんだって」
 「……? ぜんぜんわかんねえんだけど、俺」
 リュウジが困った顔をする。オレもきっと、大差ない表情をしてるんだろうけど。



   * 9 *


 「五月蝿いぞ、鬼工の女子。少しは黙ったらどうなのだ?」
 「あら、それは失礼しました。暗黒の大将」
 千晶ちゃんは艶やかな笑顔を、狙ったようにコウヘイに向ける。それは思った通り効果的だったようで、コウヘイは言いかけた何かを飲み込んだような表情を見せた。

 千晶ちゃんが話したのはこんなことだった。
 白鳥先生と一緒にここ――商店街の路地まで来たときに、コウヘイとハンゾウに因縁をつけられている鬼工の1年生がいたんだそうだ。
 何でも、すれ違いざまに手が触れたとか何とか言って揉めていたんだ、とか。
 それに目を止めた白鳥先生がコウヘイたちに向かって立ちはだかったらしい。
 曰く――私の可愛い生徒に何をしているのだ、というよりもその制服は暗黒水産のものだな? ということは君達は暗黒水産の生徒、ということは私の敵である――と。

 「おい、コウヘイ」
 「何だ? やる気か、リュウジよ」
 好戦的な笑みを唇の端に浮かべたコウヘイには、リュウジは応えなかった。
 「それから白鳥先生もだ。この鬼浜町商店街で事を構えようなんて思うんじゃねえ。ここは俺の生まれ育った『家』みたいなとこなんだぜ? だからここで好き勝手に喧嘩騒ぎを起こすのは、断じて俺が許さねえんだよ!!!」
 リュウジは声を荒げてそう放った。通りかかった野良猫が驚いて走り去る。
 「そのような甘い道理が通るとでも思っていやがるのか、貴様は」
 「通る、じゃねえぜ、コウヘイ。俺が『通す』って言ってんだ。ちゃんと言葉を理解してねえのはそっちじゃねえか!!!」
 「屁理屈など聞きたくもねえなあ」
 忌々しそうにコウヘイが低く言った。
 「私もだ。リュウジ君がなんと言おうと、私にも通すべき信念があるのだ」
 それに続けて白鳥先生はいつもと変わらない涼しげな表情に、不似合いな強い言葉を交ぜて腕を組む。

 「――お前ら、いい加減にしやがれ!!!」
 三つ巴で一触即発みたいな空気が流れた。
 白鳥先生はコウヘイをにらんでおり、コウヘイはリュウジを見据えており――
 そしてリュウジはオレを見る。
 「ハヤト。千晶ちゃんと1年を連れて下がっててくれ。このままじゃ埒があかねえ」
 「OK」
 オレはリュウジに頷き返して、かわいそうに騒ぎに巻き込まれた1年生君の肩を叩く。
 1年生君はオレを見て、それからリュウジに敬意を払うように深く一礼をした。
 「千晶ちゃん、ここはリュウジに任せよう」
 そしてオレは千晶ちゃんを振り返る。
 「さあ、行こう」
 「待って、ハヤト。熱くなってる野郎どもだけをここに残して行くのはよくない」
 千晶ちゃんはオレだけに聞こえる声量でまずそう言うと、次によく響く声を張った。
 「白鳥先生、行くよ?」
 「千晶君、悪いがそれは出来ない」
 「もう、白鳥先生、自分の立場わかってんの? こんなところで他校生ともめたりしたらまずいでしょ? いま何をするために鬼浜町にいるのよ?」
 「それは解っているさ、千晶君。だが、この者は私のポリシーに――」

 白鳥先生が言葉をすべて言い終わる前に、千晶ちゃんが動いた。
 オレと1年生君の真ん中を突っ切って、リュウジの横をすり抜けて。
 コウヘイの真っ正面にいた白鳥先生の腕に手を回したんだ。
 「先生。正義や信念より大事なことの最中じゃないの、あたしたち。せっかく今まで楽しくデートしてたのに。そんな無粋な人だと思わなかったな、リュウジじゃあるまいし」
 「な…………」
 「うん?」
 「女子――貴様」
 三つ巴の者どもは、それぞれにあっけにとられた顔をする。
 ただひとり、千晶ちゃんだけが勝ち誇った顔をしていた。
 なるほど、そういうことか――オレは千晶ちゃんに、心の中で賞賛の拍手を送った。
 
 「そういうわけだから、あとは好きにやっていいよ、リュウジ。大将も」 
 千晶ちゃんはあっけにとられたままの白鳥先生に何も言わせない、絶妙のタイミングで口早にこう継いだ。
 「ほら、早く行こう、白鳥先生。お楽しみはこれから、でしょ? あ、ハヤトも1年くんも、もうここには用ないよね。一緒に行こう」
 「ああ、そうだね。行こうか。君も」
 「あ――はい。ハヤトさん」
 そして千晶ちゃんと、千晶ちゃんに腕を組まれたままの白鳥先生を先頭に、オレたちは鬼浜町商店街の路地をあとにしたんだ。
 
 路地を出たところで運の悪かった1年生君とはお別れだった。彼はしきりに『リュウジさんによろしくお伝えください』って言ってた。
 オレと千晶ちゃんと白鳥先生と、3人になったところで商店街を歩き出す。
 しばらく歩いたところで千晶ちゃんは白鳥先生の腕から離れて大きく息をついた。
 「まったく、白鳥先生ってば。クールなくせに突然燃えるんだもんな。参っちゃうよ」
 「オレも驚いた。しかも、奴らの着てた制服が気に入らなかったって?」
 「――私にもそれなりの思い出があるのだよ、ハヤト君。鬼工時代の、いろいろな思い出がね」
 読みにくい複雑な目の色を白鳥先生は見せた。
 「しかし、過去のあれこれは別として、ああいった輩を見ると放ってもおけないだろう? 仮にも教育者を目指す者として」
 「それはわかるんだけどさ。教師による武力制裁なんて、今どき世間が許さないよ。っていうよりも、先生より強いと思うもん。暗黒の大将」
 「……そうなのか。千晶君は彼を知っていたのだな」
 「うん。知ってたっていうか、ね? ハヤト」
 「ああ、そうだね。少なくともコウヘイは千晶ちゃんのことをもっと知りたくてたまらないんだろうし」
 オレがそれだけ言うと、白鳥先生は悟ったように頷いた。

 「ところで。千晶ちゃん、なんであんなところにいたんだ?」
 「うん。ちょっと寄り道するつもりだったの。あの路地が近道だったから通りかかった結果がコレってわけ」
 「寄り道? どこへ?」
 「ケーキ屋さん。ほら、あそこ抜けたところにある公園の前の店、おいしいでしょ?」
 「ああ、あそこか。確かにうまいね」
 「でしょう? だから、手みやげに、って思って。花屋のあおいさんに」
 「手みやげか。それはオレたち、誰も思いつかなかったな」
 「あはははは。あんたたちって無粋だもんね。まさか白鳥先生までその一角を成すとは思わなかったけど」
 「……それは反省している。お恥ずかしい限りだよ、千晶君」
 「あはは、しょうがないって。だって白鳥先生、毎日それどころじゃなかったもんね? あおいさんと挨拶するのでいっぱいいっぱいだもんな、いつも。あそこに行く前から意識がそこにばっかり向いてるのって、見ててもわかるし」
 「ええと、ハヤト君。余計なことは言わなくてもよいのだよ?」
 って、先生、なんでげんこつ握ってるんだ? いくら連帯感が生まれたからって、リュウジみたいにオレを小突くのはやめてほしいな……。

 そうしたわけで、オレたちは商店街を表から大回りして目的のケーキ屋へ。
 千晶ちゃんと白鳥先生がショーケースをのぞき込んであれこれ注文しているときに、例の路地をコウヘイとハンゾウが通り抜けてきた。
 コウヘイとハンゾウは目があったオレを一瞥して通り過ぎる。
 一瞬、コウヘイの目は千晶ちゃんの後ろ姿で止まったけれども、それに千晶ちゃんが気づく前にその場を去っていった。
 やれやれ、どうにかなったみたいだな。
 
 手みやげのケーキの箱を大事そうに抱えた白鳥先生を連れて、やっとのことであおいさんの花屋に着いた。
 中をのぞいたら、リュウジがオレたちより先に来ていた。
 オレたちの姿に気づいたあおいさんが手招きしてくれたのに従って、3人で店内に入る。
 出迎えてくれるのはいつもと同じあおいさんのアニメみたいなかわいらしい声。
 「いらっしゃいませ、こんにちわ」
 「オウ、なんだ。遅いじゃねえか?」
 続けて言ったリュウジは、丸いスツールに腰かけてあおいさんと向き合っていた。
 「お待たせ――って、リュウジ?」
 あおいさんの手には消毒液と絆創膏、リュウジの顔には眉間の縦皺とあごに擦過傷。
 「やっぱり、か」
 「わはははは!!! かすり傷だぜ……っ、それ、滲みるってのに、あおい姉ちゃん!!!」
 「しかたないでしょう? リュウジくんがいくつになってもやんちゃ小僧なんだから」
 「やんちゃ小僧……って。あおい姉ちゃん」
 「そうじゃない。あなた、わたしよりも背の低いころから、全然変わっていないんだもん。やってることが」
 「……言ってくれるぜ」
 それ以上言い返すことができないリュウジの顔が、やたらと子供じみていたような。
 
 ああ、なるほど。
 ほんとにここ、鬼浜町商店街そのものがリュウジの『家』みたいなもんなんだね。
 それで、商店街の人たちは、きっとみんなリュウジの『親戚』なんだろうな、気分的に。
 あおいさんの手慣れた感じを見るに、たぶんリュウジが小学生のころから、絆創膏貼ってやってたんだろうな、なんて。

 「リュウジ君、先ほどの連中とやり合ったのか?」
 「オウ。まあな、ほんの軽い挨拶程度だぜ」
 「商店街で騒ぎを起こすな、と言っていなかったか?」
 「ああ、あれな。そりゃそうだぜ。俺んち同然の場所で『よそ者同士』に勝手に喧嘩なんかされたら、俺の沽券に関わるって話だぜ。だから何か騒ぎが起きるようなときには俺が立つのが筋だろ? なあ、ハヤト?」
 うんうん。リュウジらしいや。オレは大きく首を縦に振る。
 続けてリュウジは、白鳥先生を真っ正面から見つめてこう言った。
 「だからな、白鳥先生。ここで喧嘩したかったらな、鬼浜町商店街の人間になったらいいんだぜ!!!」
 「ここの――人間に? 私が?」
 「オウ!!! 今はほら、遠いとこに住んでるって話だけどよ。来年大学卒業したら、またこっち戻って来いや。でもって、春から鬼工で本物の先生になれたら、俺がここの人間だって認めてやるぜ。な、あおい姉ちゃん?」
 「あら、それはいいわね。白鳥さんはリュウジくんと違って、お花の似合う美青年だもの。わたしも大歓迎だわ」
 「俺と違って、って。あおい姉ちゃん、俺、そんなに美しくねえのか?」
 頬をほころばせるあおいさんに、リュウジはちょっとすねたような顔をして笑って。
 オレと千晶ちゃんはリュウジの顔を見て笑って。
 そして――白鳥先生はただ、うっとりと目を閉じていた。
 
 ひとしきり陶酔したあとに、白鳥先生は思い出したようにケーキの箱を差し出した。
 「それより、あ――あおいさん。これ、お口に合うと、か……感激です」
 「あら、白鳥さん。わざわざどうもありがとうございます。ここの、おいしいですよね」
 「あ、よかった~。ケーキ、お好きですか?」
 「ええ。とっても好きよ。ええと……あなたは?」
 「リュウジとハヤトの悪友です。千晶って言いま~す」
 「あら、そうなの。ずいぶんかわいらしいお友達がいるのね」
 「えへ。ありがとうございます」
 千晶ちゃんは照れたように笑う。店内を飾る花にも埋もれないようなスマイルだった。

 それから、あおいさんと千晶ちゃんがにこやかに話したりしているのをオレたちは見ている。白鳥先生は相変わらずうっとりした表情を崩さないでいるのがおかしい。
 さすがに女の人だけあって、あおいさんは千晶ちゃんの本当の性別を最初から勘違いしたりはしなかったみたい。
 まあね。千晶ちゃんも学ラン着てるからね。いまだに女子だって信じてるのはコウヘイたちくらいのものなのかも知れないけれど。
 
 「っていうか、ここ、居心地よさそうですよね、鬼浜町商店街。あたしもここの人になっちゃおうかな~」
 思いついたように千晶ちゃんが言った。それを聞いたオレはこう言ってみた。
 「いや、千晶ちゃん。それはまずいんじゃない? 誰かが千晶ちゃんとここを歩いてるだけでコウヘイに因縁つけられちゃうかもしれないし」
 「うん? ハヤト、どういう意味だ、それは? なんでコウヘイが出てくるんだ?」
 「え。あ、わかんない人はいいんだけどね。でも、そうすると、当のわかんない人だけが忙しい思いをするかもしれない、なんて思ったりして」
 「あ、言えてる~。そのたびに出動させたら、リュウジに悪いか」
 「って、オイ、千晶ちゃんまで!!! どういう意味なんだって聞いてるんだぜ?」
 リュウジを除いたみんなで笑いあう。察している白鳥先生も、雰囲気で理解しているっぽいあおいさんも一緒に。
 「ちきしょう。鬼浜町商店街は俺んち同然なのに、俺だけ置いてかれてる気分だぜ」
 リュウジはおもしろくなさそうだけど。

 笑いながらオレも思っていた。
 オレんちの店も、駅の向こうからこっちに引っ越してきたらもっと楽しいかもしれないのにな、って。



   *  麗しき白薔薇の素顔 完  *

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